第16話 10月11日(4)


 16時。ドリーム・キャンディ。



 店の時計が鳴る。ぽお、と間抜けな鳩の声。午後から来たジョージが、掃除に夢中になってるあたしに声をかけた。


「ニコラちゃん、終わりの時間じゃない?」

「はっ!」


 顔を上げると、確かに16時になっていた。


「ニコラちゃん、掃除好きなの? 棚がぴっかぴかだよ」

「ああ……」


 ぴっかぴかに磨いた棚は、綺麗に輝いている。


(工場時代の癖が……)


「ありがとう。掃除はここまででいいから。上がっていいよ」

「はい。お疲れ様でした」

「お疲れ様。今日もありがとう。手を洗っておいで」

「はい」


 ジョージに笑顔で言われ、軽く頭を下げてから店の奥に行く。


(午後は思ったよりも暇だったわね。午前中のアレは何だったのかしら……)


 不思議に思うくらい、午後は暇だった。


(さて、この後はあの馬鹿に付き合わなきゃいけないんだっけ?)


 レオの顔を思い出して、うなだれる。


(今日こそアリーチェのこと言わないと。そして、何としてでも探し出してもらうのよ。それが手柄に繋がるから探せって言えば、あの馬鹿は探してくれるわ)


 そして、あたしは全てに解放される。


(完璧)


 厨房の水道を借りて、手を洗ってから荷物置き場へ向かう。部屋に近づくと、既にアリスの姿が見えた。アリスの背中に声をかける。


「ああ、アリス」


 お疲れ様、と言う前に、



 アリスが立っている。

 アリスが何かを見ている。

 アリスがリボンを見ている。

 アリスの手にリボンが握られている。

 アリスの襟にいつも結ばれたリボンが握られている。

 アリスが立っている。

 アリスが見つめている。

 アリスが解かれたリボンを見つめている。

 アリスが黙る。

 アリスが立っている。

 アリスは黙っている。

 アリスは見つめる。

 アリスはリボンを見つめる。




「……アリス?」




 あたしの声で、アリスが振り向いた。


「ニコラ!」


 アリスが眉をへこませて、リボンをあたしに差し出した。


「上手く結べないの! 結んでくれない?」

「……チョウチョ結びでいい?」

「私がやったら崩れるのよ。お願い!」


 はい、と渡され、あたしはリボンを襟に通す。


「確かにやり辛いわよね」

「一回出来なくなったら、わけ分からなくなっちゃって」

「分かる。そういう時ある」


 チョウチョ結びで結んで、形を整える。


「はい」

「ありがとう!」


 アリスが自分の鞄を握った。


「今日は色々あったけど、ニコラに愛のチョウチョ結びをしてもらったから、それを糧に頑張るわ!」

「大袈裟な」

「ふふふふ!」


 アリスが笑い、歩き出す。


「じゃあね。私、学校あるから」

「大変ね。こんな日まで学校なんて」

「うん。休もうと思ったんだけど」


 アリスがあたしに微笑んだ。


「ニコラと話せて元気出たから、勉強しに行ってくる」

「そう。……無理しないでね」

「大丈夫! ニコラのお陰で、アリスちゃんは死なずに済みました!」

「ああ、そう」

「じゃ、また明日ね!」

「ええ。また明日」


 アリスが荷物置き場から出ていく。その先から、またアリスの元気な声が聞こえた。


「リトルルビィ、お疲れ様!」

「お疲れ様!」


 アリスと入れ替わるように、リトルルビィが入ってくる。


「あ、ニコラ、お疲れ様!」

「ん。お疲れ様」

「ずっとお掃除してたね」

「夢中になってたわ」


 リュックを背負って、リトルルビィと売り場に戻る。レジカウンターにいるカリンの顔を見る。


「カリンさん、お疲れ様でした」

「お疲れ様でした!」


 あたしとリトルルビィが挨拶をする。


「お疲れ様ぁ」

「お疲れ様、二人とも!」


 カリンが微笑むと、ジョージも手を振る。あたしとリトルルビィが軽く頭を下げ、店から出る。リトルルビィと足を揃えて、噴水前に向かって歩き出した。


「あー、疲れたぁ」


 リトルルビィがぐぐっと伸びをして、おまけに欠伸。あたしはちらっとリトルルビィを見て、訊いてみた。


「ねえ、リトルルビィ、前もそんなこと言ってたけど、あんたもお客さんに文句言われたりするの?」

「しょっちゅう」


 リトルルビィはけろっとしている。


「私まだ子供だから、出来ない対応がいっぱいあるの。それをさせようとしてくる人もいて、断ったら怒られるし、子供だからってお客さんは容赦ないんだから!」

「でもあんた、まだ12歳でしょ」

「あのね、12歳になってからもっと酷くなったの。私の純粋な心はボロボロよ!」

「あんた、それでよく働けるわね」

「最近ようやく対応の仕方が分かってきたの。9歳の時から働いてきて、ようやくよ?」

「ねえ、キッドはお金くれないの? あんたはキッドの部下でしょう? お給料もらってるんじゃないの?」

「うーん……」


 リトルルビィが言葉に詰まる。


「なんて言うのかな……。私の場合、ちょっと特別だから……」

「特別?」

「ソフィアと同じ。街で仕事しながら、普通の人のふりをして、いざって時はキッドの元に行く、……潜入調査員、みたいな?」

「……その聞こえはかっこいいわね」

「うん。だからお給料も貰ってるよ。お菓子屋の分も、キッドの分も」

「……あんた、そこら辺にいる大人よりも稼いでそうね」

「ふふっ。ちゃんと貯金してるよ」


 リトルルビィが微笑む。


「いっぱいお金貯めて、お屋敷建てるんだから!」

「やめておきなさい。維持費も大変なのよ」

「大変じゃないくらい稼げるようにするの!」

「そうね。お金持ちでいて悪いことはないわ。でも、あんたは普通の暮らしをしなさい。その方が合ってる」

「お屋敷建ててね」


 リトルルビィが、ぽっ、と頬を赤く染めた。


「……テリーと住むの……」


 チラッと横目で見下ろせば、赤い瞳と目が合う。ふわふわ微笑むその笑顔に、視線を逸らす。


「あたしより、かっこいいイケメンと住みなさい」

「テリー、本気にしてないでしょ!」

「してるしてる」

「心がこもってない!」

「してるしてる」

「本気にしてない! 私、本気なのに!」

「うんうん。素晴らしい素晴らしい」

「……ぷう」


 ぷうう、と頬を膨らませる。今日もリトルルビィのほっぺたは健全だ。噴水前にたどり着いて、足を止める。


「テリー、今日はどこかに行くの?」

「ええ。ちょっと用事」

「そっか。気を付けて帰ってね」

「あんたもね」

「また明日ね!」


 リトルルビィがあたしに手を振って、帰り道を駆けていく。


(夢があっていいわね。リトルルビィ)


 その背中を見送りながら思う。


(あたしも思ってたわね)


「リオン様と結婚して、プリンセスになるの! きゃーー! リオン様かっこいい! 胸がときめくーーー!」

「はいはい。ときめくときめく」


 自分に自分で返事をして、歩き出す。


(あたしだって純粋な時があったのよ)

(もう、何も感じないけど)


 あの男の笑顔を思い出すたびに、虫唾が走る。


(あたしがあいつといるのは、あいつに恋をしてるからじゃない。あくまで、あたしの未来のためよ)

(手柄がほしいなら、取らせてあげる)

(今日こそ言うわ)

(アリーチェという女が、28日にとんでもない事件を起こすから、それを止めろと)

(何としてでも止めろと、あいつに言ってやる)


 利用してやる。リオン殿下。


(あたしは、お前を許してない)

(28日が終わったら、お前なんて用済みよ)

(二度と会うもんか)


 何がお兄ちゃんよ。ふざけやがって。


「ふざけるなぁ!!」

「……んっ」


 きょとん。公園への道の真ん中で、ヤギの帽子を被った七人の子供たちが、言い争っている。


「狼にはお腹に石を入れて、川に落とすんだよぉ!」

「川じゃないよ! 井戸に落とすんだい!」

「違うよ! 川だ!」

「井戸だよ!」

「はい、じゃあ井戸の人」


 三人が手を上げる。


「はい、じゃあ川の人」


 三人が手を上げる。


「引き分け……だと!?」

「お前はどっちなんだよぉ!」

「僕は中立です」

「きったねーぞ!」

「おいおい、どうしたんだ? 君達?」


(あ)


 この間買ったばかりのミックスマックスの帽子を深くかぶったレオが、公園の入り口から道を通せんぼしている子供達に歩いてきた。子供達が一斉に自分達より巨体のレオを見上げる。


「あ! なんかでっかい兄ちゃんがいる!」

「狼かもしれないぞ!」

「皆! 石を投げるんだぁ!」


 うわあああああああああ!! ぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽい!!


「いだだだだ! 痛い! 地味に痛い! 小石痛い!!」


 レオがしゃがんで、子供達に向き直る。


「分かった。お兄ちゃんの負けだ。どういう話をしてたか教えてくれないかな?」

「あのね!」

「狼のお腹に石を入れたら」

「狼を井戸に落とすのか」

「狼を川に落とすのか」

「どっちが狼を制裁するにはいいか」

「皆で話し合ってたんだぁ!」

「お兄ちゃんはどっちですか?」

「それはどっちでもないよ」

「「ん?」」


 七人がレオに首を傾げた。


「いいか? 狼だって、本当は皆とお友達になりたいのかもしれない。だったら、お腹に石を入れたら可哀想じゃないか」

「だって狼だよ?」

「野蛮な狼とは限らない。優しい狼だったら、君達、人殺しと同じだよ?」

「優しい狼には、そんなことしないもん!」

「悪い狼だって、話せば分かってくれるかもしれない。君達の仲間になってくれるかも」


 レオが子供達に微笑む。


「強くてたくましい狼が皆と友達になったら、皆はどうする? お腹に石を入れるのか?」

「「いれなーい!」」

「だろ? 狼だろうが誰だろうが、関係ないさ。皆で仲良くすれば万事解決だ」

「「本当だ! すごーい!」」


 子供達がレオの周りで飛び跳ねる。


「皆友達!」

「皆仲良く!」

「皆仲間!」

「狼も仲間!」

「万事解決!」

「お兄ちゃんありがとう!」

「皆、向こうで遊ぼうぜ!」


 楽しそうな笑い声をあげて、七人が公園に走っていく。お揃いのヤギの帽子は、七人の仲の良さを表しているようだった。


「子供は無邪気だな」


 レオがくすっと笑って、


「そう思うだろ? ニコラ」


 道で立ち止まってるあたしを見る。立ち上がり、あたしに近づく。


「昨日はどうしたんだ? 用事でもあった?」

「体調崩したの」

「え?」


 レオがきょとんとする。そして、心配そうにあたしの顔を覗き込んできた。


「大丈夫?」

「平気」

「座る?」

「いい。早く行きましょう。今日はどこに行くの?」

「街を適当に歩こうと思ってる」


 レオが帽子をかぶり直した。


「よし、大丈夫なら行こう。ニコラ。今日こそ手柄探しに出発だ」

「ねえ、レオ」


 28日のことなんだけど……。


「あっ、ニコラ、あんなところに焼き栗の出店が!」

「安いよ! 安いよ!」

「よし、奢ってあげるよ。食べながら歩こう」

「あ、ちょっと!」


 走り出すレオに手を伸ばすが、レオは既に出店に駆けていく。


「……クソが……」


(タイミングを見計らって言ってやる……)


「レオ、待って!」


 あたしはレオを追いかけた。レオは出店の店主と会話を始める。


「すみません! 焼き栗ください!」

「へい! デートかい!?」

「兄妹です!!」

「そいつは失礼!!」

「二袋ください!」

「まいど!」


 焼きたての栗を袋に入れながら、出店の店主がレオに言う。


「これから広場に遊びに行くのか!?」

「そんなところです!」

「だったらいい情報を教えてやる!」

「ん?」


 レオが瞬きする。


「今よ! ハロウィン祭の前夜祭ならぬ、すげぇ前夜祭を行ってるらしいぜ!」

「すげぇ前夜祭ですか!」

「東区域の広場だ! 遊んで来い!」

「どうもありがとう!」


 二袋、焼き栗を貰ってレオが店主にお礼を言う。そしてあたしに一袋渡し、歩き出す。


「ニコラ、東区域に行こう」

「ここからだと遠いんじゃない?」

「乗合馬車に乗ろう」

「また目立って騒ぎになるんじゃない?」

「大丈夫」


 出店から離れたところで、レオが指を鳴らす。


「乗合馬車かもん!」


 ひひーーーん!


「オムニバスぅううううん!」

「ぎゃあああああああ!」


 黒馬に乗った見知らぬ顔の男が、乗合馬車で突っ込んでくる。あたしたちの前で止まり、こちらを見て、にかっと笑った。


「どうも! 乗合馬車の御者です!」


 歯がきらーんと光る。


「さあ、東区域に行く乗合馬車が来たぞ。乗ろうよ、ニコラ」

「そうです! 東区域に行くんです! さあ、乗って!」

「……」


 あたしはちらっとレオを見て、呟く。


「やっぱり城の奴ら、皆いかれてるわよ……」

「何を言うんだ。ニコラは変な奴だな」

「お前がな……!」


 ぐっと拳を握って、あたしは大人しく馬車に乗った。レオも馬車に乗る。不特定多数の人が乗るための馬車に二人が乗りこめば出発。乗合馬車に揺られながら、焼き栗を二人で食べる。乗合馬車の中でラジオが流れている。


 ある晴れた 昼さがり 広場へ つづく道

 馬車が ゴトゴト 二人を 乗せてゆく

 何も知らない ジャックも振り向く

 今夜は悪夢を 見るかもしれない

 トナ トナ トーナ トーナ お菓子を求めて

 トナ トナ トーナ トーナ 楽しい祭


「到着です!」


 御者が馬を止める。


「お代は結構!」

「ラッキー!」


 レオが乗合馬車を下りる。そして振り向き、あたしに手を差しだす。


「さ、ニコラも」

「結構」


 手を無視して、自分で下りる。


「ひひーん!」


 誰も乗せてない乗合馬車が走っていく。それを見送り、レオとあたしが広場に体を向けた。


「本当だ。すげえ前夜祭だ」


 まだハロウィンまで19日ほどある。前夜祭とも呼べないのに、東区域の広場には、『すげえ前夜祭』と看板が掲げられていた。東区域の商店街を含めた一部分の道が、祭色に染まっていた。


(こんなの初めて見た)


 見上げていると、レオも感心したように声を出す。


「こうして見てみると、ハロウィン祭が近づいているように感じるね。ふふっ。わくわくしてくる」


 そう言って、あたしの手を握って歩き出す。あたしはレオを睨んだ。


「ちょっと」

「はぐれないようにだよ」


 レオがあたしを見た。


「別に問題ないだろ? 僕は君のお兄ちゃんなんだから」

「……はいはい……」


 呆れた返事をして、あたしもレオの手を握り、二人で歩き出す。商店街の道に入ると、確かに人が多くて目眩がしそうだ。


「これだけ人がいるんだ。事件もあるかも。ニコラ、慎重に事件を探すんだ」

「それを解決したところで、あんたの手柄になるの?」

「なるさ。現に兄さんは、そうやって過ごしてきたんだから」


 レオは確信を持った目で、歩き出す。


「出店もある。ニコラ、なんか食べながら歩こうか」

「さっき焼き栗食べたわ」

「まだお腹に入るだろ。何がいい?」

「……アイス」

「抹茶味をお揃いで買おう。兄妹らしい」

「あ、苺味がある」

「苺は駄目」

「なんで?」

「……兄さんを思い出すから」


 横を見ると、レオが顔を青くして、苦い表情を浮かべていた。


「兄さんのお陰で苺は嫌いだ。あの人はさ、年がら年中毎日苺ケーキ食べてればいいよ。それで機嫌良くなるんだから」

「あんたは抹茶味が好きなの?」


 レオが微笑んで深く、それは深く頷いた。


「抹茶。抹茶味、すっごい好き。飴もクッキーも皆好き。抹茶ならどれでも最高。甘いのに渋くて、素晴らしすぎる。チョコレートの抹茶味は世界の革命だね」

「ふーん」


 なるほど。


(いつかのキッドが、抹茶味が嫌いって言ってたわね)


 どこの舞踏会だったか、忘れたけど。


(面倒くさい。兄弟仲良くしなさいよ)


 人のことを言えないあたしが、心からそう思った。


「えっと、アイス……」


 レオが道を渡ろうとして、あわわする。人がいっぱい。あわわわわわ。


「ああ、駄目だ。行けない。もう少し先まで歩いたらあるかも。ニコラ、もうちょっと進んでからアイスを買おう」

「ええ」


 頷いて、レオに引っ張られる。人の波についていき、ゆっくりと足を進ませる。レオが何かを見つけて、あたしに声をかけた。


「あ、あれ何だろう? ねえ、ニコラ、楽しそうじゃないか? あ、射的もある」


 銃が置いてある。


「うっ」


 それを見た途端、レオが顔を青ざめ、あたしの手を引っ張った。


「駄目。銃は駄目」

「え?」

「駄目」

「なんで?」

「思い出すから」

「誰を?」


 レオが青い顔で、あたしの手を握り、射的を無視して歩き出す。


「……僕の身近な人」

「銃を使う人?」

「使うなんてどころじゃない。いつも持ち歩いてる。ばんばん撃ってくるよ」

「撃ってくるの?」

「大丈夫。弾は本物じゃない。ゴム製のやつを使ってる。でもね、当たるとすごく痛いんだよ」

「やっぱり城の関係者っておかしいのよ。よく分かったわ」

「……おかしいのは、あいつだけだ」


 レオが複雑な表情で呟く。


「頭いかれてる……」


(あんたも相当だけどね)


「そんなものより、もっと面白そうなものがあるよ。例えば……」


 レオが指を差す。


「あれとか?」


 ぼろぼろの建物のお化け屋敷に指を差す。あたしがぴたりと固まる。


「あ、無し無し」


 何を差したか理解したレオが、すぐに撤回した。


「お化けは無し」


 固まるあたしの手を引っ張った。


「お化け屋敷なんて、入らないよ」

「そうよね」


 あたしも頷く。


「人も並んでるわ。時間の無駄よ」

「うん。その通りだ。お化け屋敷なんて、がらくたを集めたただの迷路だ。入るだけ時間の無駄さ」

「ええ。さっさと歩きましょう」

「そうだね。ニコラ」


 あたし達がお化け屋敷を無視して歩き出すと、


「あああああ! なんてことだーー!」


 お化け屋敷の前で、叫び声が聞こえた。


「ん?」


 レオが振り向く。あたしも振り向く。お化け屋敷の前で若い男が一人、頭を抱えていた。


「戻ってないだと? じゃあ、どこにいるんだ!?」

「今、捜索中ですから」


 受付の女が男を落ち着かせる。


「ああ、ほら、探しに行った者が戻ってきましたよ」

「うわああああああああ!!」


 スタッフらしき男が、ランタンを持ったまま悲鳴をあげて戻ってくる。受付の女がスタッフの男に近づく。


「ちょ、ちょっと、どうしたの?」

「な、中に、知らない化け物が……!」

「ええ?」


 女が顔をしかめる。


「中には役者の人達しかいないはずよ」

「いや、あんな役者は知らない! 襲ってきたんだよ! 本物だ! あれは本物のお化けだ! 役者も危険かもしれない!」

「ちょっと、落ち着いて!」

「ああ、どうしよう……! 対処が出来ない!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。僕のハニーはどうなるんですか? まだ中にいるんですよ!?」

「あの……えっと……」


 何か揉めているようだ。レオがあたしの手を引っ張り、Uターンする。


「え」


 お化け屋敷の方に向かう。


(嘘でしょ!?)


「レオ!」

「話を聞くだけだ」


 ざわつく人混みを抜けて、レオとあたしが三人の元へ歩いた。レオが声をかける。


「どうかされたんですか?」

「ああ、近づいちゃいけない。下がって」


 スタッフの男がレオを止めた。


「中で異常が発生しているんだ。お化け屋敷は少し閉鎖する」

「ちょっと待って。何があったか教えてくれませんか?」

「いいや、駄目だ」


 スタッフの男が首を振る。それを見て、レオがあたしの手を離し、男に近づき、男にだけ帽子と顔を上げた。


「どうも、第二王子のリオンです。ご説明を」


 男がそれを聞いて、レオの顔を見た途端、はっと息を呑んで、顔を強張らせた。


「は、はわわわ……! こ、これはこれは……!!」

「で? お兄さん、何があったんですか? 通りすがりの僕らに教えていただけますか?」


 レオが帽子を深く被る。スタッフの男が声をひそめてレオに言った。


「あの、実は、遊びに来ていたお客様の彼女様が、中ではぐれてしまったようでして……」

「探しには?」

「私が向かったのですが、そこで問題が……」


 中で、見たことのないお化けが現れたのです。


「私を見るや否や、追いかけてきたのです。それはそれは、恐ろしい姿で……」

「お化け役の役者が勘違いしただけでは?」

「私はこれでも、役者の管理を担当している者なのです。あんな役者は知りません」

「他にお客さんは?」

「入っておりません。一組しか入れないルールになっております故、中にいるとすれば、役者と……あの方の彼女様だけだと……」

「ハニー!」


 男が頭を抱えている。


「早くそこから出てくるんだー!!」


 ああ、


「僕があの時、お花を摘みに行かなければ……!」

「分かりました」


 レオが意を決し、お化け屋敷を睨む。


「様子を見てきます」

「えっ!」


 スタッフの男がはっと目を見開く。


「き、危険です!」

「中の異常を調べてきます」

「し、しかし……!」

「王子として見過ごせません。進入許可をいただけますか?」

「レオ」


 あたしは一歩下がった。


「そういうことなら、あたしはここで待ってるわ。頑張ってきて」


 頷いて、レオに手を振ると、レオがあたしの振る手を掴んできた。強くあたしの手を握ってくる。


「何言ってるの。君も行くんだよ」

「何言ってるの。行くって言ったのはあんたよ。大丈夫。あたしはここで待ってるわ。さ、頑張ってきて」

「兄妹ってのは、一心同体だ」

「そんなの聞いたことない。あたしは行かないわよ」

「なに、迷路に入るだけだ。暗い迷路に入るだけだ。何も怖くない」

「怖くないなら一人で行って。あたしは行かないわよ」

「なんだ? ニコラ、怖いのか?」

「何よ。まさか、レオ、怖いの?」

「怖くないよ」

「あたしだって怖くないわ」

「じゃあ行こうよ」

「嫌よ」

「なんで」

「あんたこそなんで一人で行かないのよ」

「兄妹ってのは、一心同体だ」

「さっき聞いた」

「遠慮することはない。僕だけ楽しむわけにはいかないってことさ」

「大丈夫よ。一人で楽しんできて。手柄も取ってきて」

「旅は道連れというだろう?」

「道連れにしないで。あたしは嫌よ」

「一緒に行くんだ!」

「嫌よ!!」

「僕だって嫌だよ!!」

「あたしは関係ないじゃない!」

「妹だろう! 兄妹は一緒にいるものさ!」

「知るか! てめえ一人で行け!!」

「行かない! 二人で行くんだ!!」

「嫌よ!!」

「大丈夫! 二人で行けば大丈夫!!」

「嫌よ!!」

「大丈夫大丈夫!! 迷路に入るだけだ!!」

「嫌よ!!」

「怖くないなら行けるだろ!!」

「嫌よ!!」

「大丈夫! きっと楽しいから!」

「嫌よ!!」

「兄妹は一心同体!」

「嫌よ!!」

「二人でキュアキュア!!」

「嫌よおおおおおおお!!」


 あたしの足を引きずりながら、レオが青い顔でお化け屋敷の建物に向かって歩く。しかし、スタッフの男に呼び止められる。


「あ、あの、でしたら一応ストーリーを……」

「結構!」


 レオが引き攣る笑顔で断る。


「異常が起きてるか確認だけです! 別に!? 怖いわけではありませんが、必要ないかと!」

「こんな状況ですが、ぜひ楽しんでいただきたいのです!」

「結構!」

「あらすじだけお教えしますね!」


 スタッフの男が、勝手に語りだす。



 とある所に、粉屋がおりました。粉屋の主人が薪拾いに行くと、年寄りの老人と出会いました。老人が言いました。

「お前の水車小屋の裏に立っているものをくれるなら、莫大な金をやろう」

「おお、リンゴの木のことだな? そんなものでいいなら、貴方にあげよう」

 しかしそれはリンゴの木ではなく、主人の娘のことだったのです。老人の正体は悪魔。悪魔が約束通り、娘を迎えに来ました。しかし信心深い娘は体を水で清めていたため、悪魔は近づけません。悪魔は主人に言いました。

「おい、娘に水を使わせるな。体を清めさせるんじゃない」

 脅された主人は言う通りにしました。娘はなすすべもなく、涙を流しました。するとその涙が清らかで、涙が触れた手も清らかだったため、悪魔はまた近づけませんでした。悪魔は主人に言いました。

「娘の手を切ってしまえ。さもなくば、お前を殺してやる」

 脅された主人は言う通りにしました。娘の両腕は主人によって切り落とされてしまいました。しかし、痛みで流した娘の涙が傷口を清め、とうとう悪魔は娘に近づけませんでした。悪魔は退散しました。

「お前のおかげで莫大な金額と、お宝が手に入った。一生大事にしてあげよう」

 しかし娘は親の主人を拒みました。

「私はここにいるわけにはいきません。腕がなくなった以上、お父様達のお役には立てません。きっと慈悲深い方がどこかにいるでしょう。私は旅に出て、面倒を見てくださる方を探します」

 そう言って、手無し娘は旅に出ました。慈悲深い、切れた両腕を背中に抱える自分を愛してくれる人を探して。



「では、中へどうぞ!」

「「……。……。……。……。……。……。……。……。……。……」」


 スタッフの男が笑顔で中へ促す。レオが黙り、あたしが黙り、二人で顔を見合わせる。あたしは重たい口を開く。


「……これで何かあったら、あんたに一生手無し娘が追いかけてくる悪夢を見続ける呪いをかけてやるからね……」

「何だよ? 怖いの?」

「怖くないわよ。あんたこそ怖いんじゃないの?」

「怖くないよ。だって、お化け屋敷だよ? 作り物だよ? 本物のお化けなんているはずないだろ」


 レオが苦い顔をして、


「……多分」


 あたしの手を強く握って、歩き出した。



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