第16話 10月11日(3)


 12時。噴水前。



「体調崩したって聞いたよ」


 メニーが水筒に入ったハーブティーをカップに注ぎ、あたしに渡した。


「大丈夫?」

「それを言うのはアリスによ」


 あたしがカップを受け取って言うと、横のベンチに座るアリスがうなだれた。


「散々だったわ……。トラウマになりそう……」

「カリンさんが今日一日レジやってくれるって」


 リトルルビィがアリスの背中を撫でる。


「災難だったね。アリス」

「もう、だから……レジ……接客……ううっ……」

「な、何かあったの……? お姉ちゃん」


 メニーが気まずそうにひそりと訊いてきて、あたしは頷く。


「クソクズみたいなジジイが、何もしてないアリスに怒鳴ったのよ」

「お姉ちゃん、言葉汚いよ」

「顔を覚えたわ。メニー、帰ったら捜索するわよ。あんなゴミクズ野郎、ムショに入れてやる」

「お姉ちゃん、言葉汚いよ」

「グレタさんとヘンゼさんがいて、助かったわ」


 アリスがお弁当のサンドウィッチを頬張った。


「ああいう人、また来るんでしょうね。ああ……びっくりした。本当にパニックになっちゃった。あんな怒鳴られ方したの初めて……」

「あんな人、なかなかいないよ」


 リトルルビィがパンをかじりながら、アリスの背中を撫で続ける。


「きっとジャックの悪戯よ。あの兵士のおじさんもそう言ってたじゃない」

「10月だもんね」


 良くないことがすごく良くないことのように感じて、良いことがあってもプラスに捉えられなくて、嫌なことばかりが頭をぐるぐる回っている季節。


 アリスがため息をついた。


「あーあ、10月ってなんでこうなのかしら。悪いことが起こりやすいのよ。今度はなんだろ。ジャックに悪夢でも見せられるのかしら……」

「悪夢を見せるのが、ジャックのお仕事だから」

「何よ。リトルルビィ、簡単に言うわね。あんたにだって来るんだからね!」


 会話を聞いてたメニーが、ちらっとあたしを見て、首を傾げる。


「お姉ちゃんは大丈夫だったの?」

「あたしは怒鳴られなかったけど、遠くから見てても野蛮そうなおっさんだったわ。絶対あれはただの八つ当たりよ。アリスは悪くない」


(思い出しただけでもイライラしてくる)


 よくもあたしの友達のアリスに怒鳴ってくれたわね。絶対探し出して地の底まで追い詰めてやるから。


 横でしゅんと沈んでいるアリスの肩を撫でる。


「ねえ、アリス、今日は早退したら?」

「負けない……。アリスちゃんは負けない……!」


 アリスがぐっと拳を握った。


「ジャックのせいなら、ジャックに負けないくらい笑ってやるわ。私は今日も素敵なのよ! ヘンゼさんも言ってたもの。私の笑顔は最高だって!」

「アリス、無理しないでね」

「ありがとう、リトルルビィ。でも、リトルルビィと、ニコラと、メニーとお話ししてたら、元気が出てきたわ!」


 アリスがサンドウィッチをかじる。


「うん! 美味い!」


(……持ち直してくれたみたいね)


 可哀想に。何も悪くないのに怒鳴られて。同情するわ。


(あたしならレジ機をあの男にひっくり返していたところよ。あと、平手打ちもしてたわね。我慢して偉いわ。アリス)


「アリス、紅茶飲む?」

「大丈夫よ。ありがとう。ニコラ」


 アリスがサンドウィッチを噛む。


「あーあ。あの人がジャックに悪夢を見せられたらいいのに。カリンさんじゃなくて、あの人。そうよ。今夜辺り見ればいいんだわ。私を虐めた罰よ」


 アリスがサンドウィッチを空に掲げた。


「ジャック、お願い! 私のお弁当あげるから、あのおじさんに天罰を!」

「そういえば、図書館にジャックの本があったの」


 メニーがリトルルビィに言った。


「リトルルビィ、読んだ?」

「ううん。まだ読んでない。メニーは読んだ?」

「うん」


 メニーが頷く。


「私、ずっと気になってて返却を待ってたの。そしたらこの間、図書館に行ったタイミングで返却されてきたから、そのまま借りて読んじゃった」

「あー、いいなー」

「うん。ハロウィン前に読んだら面白いと思う」


(所詮、都市伝説でしょ)


「そうだ。お姉ちゃん」


 メニーがはっと何かを思い出して、あたしに振り向く。


「ん?」

「耳貸して」

「何?」

「大事な話なの」


(このあたしが耳を貸すのよ。大事じゃなかったら、はっ倒す)


「何よ。藪から棒に」


 耳を寄せると、メニーが声をひそめてあたしの耳に囁いた。


「アメリお姉様が、ジャックの被害にあったかも」

「ん?」


 きょとんとすると、メニーの話が続く。


「課題曲の話をしていたのに、今朝相談したら、アメリお姉様ってば、すっかりそのこと忘れてるの」

「……それはアメリが馬鹿なのよ」

「でも、おかしいよ。昨日の夜まで課題曲の話してたのに、目が覚めて忘れるなんて」

「悪夢は?」

「覚えてないって」

「ジャックに会ったら、記憶が消されても悪夢の内容だけ覚えてるのよ。ということは、会ってないのよ。ただ忘れただけ」

「でも、そんな、一夜で記憶がなくなるなんてことある?」

「……」


 あたしは考えて、メニーに呟いた。


「疲労じゃない? 疲れてたら記憶も飛ぶわ」

「ええ……?」


 メニーがどこか納得いかないように、眉をひそめる。


(そうよね。お前もそういうのを信じたくなる年頃よね)


 あたしも当時はそういう怪談話を信じて、一人でお風呂に入れなくなったのよ。メニーが憎い存在だとは言え、気持ちは分かる。いいわ。ここは頷いて機嫌を取っておきましょう。


「そうね。それはきっとジャックの呪いだわ。大変大変」

「……信じてないでしょ」

「あたしがあんたの話を信じないと思ってるの? 大切な妹の話は信じるわ」

「……信じてないでしょ」

「メニー、今日のランチは美味しいわね」

「信じてないでしょ……」

「あんたも食べなさい。ほら」

「……むう……」

「むくれないの。はしたない」

「……ジャックだもん……」


 メニーが唇を尖らせる。


「ジャックが屋敷で大暴れしてるんだもん……」

「はいはい」


 メニーの頭をそっと掴む。


「ん?」


 メニーの頭を引き寄せて、あたしの頭とくっつけさせる。


「んっ!?」

「むぐっ!?」


 メニーがぎょっと肩を揺らし、パンを食べてたリトルルビィがぎょっと、頭をくっつけさせるあたしとメニーを見る。あたしは気にせず、メニーの頭をぽんぽんと撫でて、頭をくっつけ続ける。


「ジャックなんて怖くない。怖くないったら、怖くない。ジャックなんて怖くない」

「……」


 メニーが黙った。あたしは続ける。


「ジャックなんて怖くない。怖くないったら、怖くない。ジャックなんて怖くない」

「……」

「ほらね。歌ってたら、怖くなくなってくるでしょ」


 頭を離して、メニーの持ってきたパンをかじりながら、メニーの頭をぽんぽんと撫でる。


「怖くなったら歌えばいいわ。終了」


 手を離す。メニーを解放する。しかし、メニーは固まっている。


「ん?」


 あたしはメニーの顔を覗く。


「メニー、顔赤いわよ」

「えっ」


 びくっと、メニーの肩が揺れる。


「ええ? そ、そうかな?」

「あんた熱あるんじゃないの? 体調は?」

「わ、私、平気だよ。ほ、ほら、外だし、今日、寒いから、それで赤くなってるのかも!」

「……ジャケット着る?」

「大丈夫!!」

「そう」


(大丈夫なら、いっか)


 メニーから顔を離すと、アリスが涙ぐんでいる。あたしは眉をひそめた。


「え、何? どうしたの? アリス」

「ええ姉ちゃんやと思ったさかい!! 素晴らしいわ! ニコラ!」

「なんで今訛ったの?」

「私も妹欲しかったなー。姉さんしかいないんだもん。妹がいたらさ、ニコラみたいに優しくしてあげたのに。可愛がってあげたのに。あー、妹欲しかったなー」

「無視かい」

「ニコラ!!」


 リトルルビィが立ち上がる。歩き、あたしの前に出る。


「私もジャック怖い!!」

「ああ、そう」

「頭くっつけて!」

「アリスがやってくれるって」


 あたしが言うと、アリスが目を輝かせて立ち上がる。


「任せて! アリスちゃんがリトルルビィを可愛がってあげるわ! ほれほれおいで!!」

「いい! アリスはいい!」

「何を! さては貴様、照れてるな!? 遠慮は不要! アリスちゃんが頭ごっつんこしてあげよう!」

「いらない! アリスはいらない!」


 たたたと、リトルルビィが駆け出す。


「鬼ごっこか! いいぞ! 受けてたとう!! 待てー!」

「やああああ!」


 アリスが笑ってリトルルビィを追いかける。それを見て、ため息を出す。


(ソフィアといい、アリスといい、リトルルビィは逃げてばかりね)


「ふふっ」


 メニーがくすくす笑っている。そして、またあたしを見つめる。


「お姉ちゃん」

「ん?」

「やっぱり、私、怖かったみたい」

「大丈夫よ。都市伝説って誰かが広めた、ただの噂話だから。ジャックなんて来ないわよ」


(キッドもジャックの夢を見たと言っていたけど)


「ハロウィンだもの。影響されて、夢に反映されるのよ」

「うん。そうだよね」


 メニーがあたしの肩に頭を乗せた。


「……もう少し甘えててもいい?」


 離れなさい。うっとおしい。


「あんたはしょうがない子ね」


 メニーの頭をそっと撫でる。メニーの頬はほんのり赤い。さっき言ってた通り、寒さのせいだろう。リトルルビィとアリスは、噴水を走り回っている。


 平和な広場だ。


(お前さえいなければね。メニー)


 恨みで手を力ませないように気をつけて、メニーの頭を優しく撫で続けた。



(*'ω'*)



 14時。ドリーム・キャンディ。



 カリンが休憩の一時間だけ、あたしがレジ番を担当する。


「いらっしゃいませ」


 ××ワドルになります。


「お預かりします」

「頂戴します」


 ちゃりん。


「お品物です」


 手渡して、お辞儀。


「ありがとうございます」


 簡単に見えて、すごく難しい。この作業の間に、客が余計なことばかり言うから。


「もっと綺麗に袋に詰めれないの?」

「ねえ、このお菓子賞味期限が書いてないわよ。……あら、こんなところにあったわ」

「ああ、それ袋を別に入れて」

「急いでるんだから早くしろよ。……ったく入れ方汚ねえな」

「私は年寄りなのよ。貴女若いんだから、丁寧にお金を渡してちょうだい」


(ああああああああああああああああああああああ!!)


 イライラしてイライラして、もやもやしてもやもやして、それでも可愛い笑顔を浮かべて対応する。


「ハイ」

「申シ訳ゴザイマセン」

「スミマセン」

「入レ直シマス」

「ゴメンナサイ」

「ハイ、ドウゾ」


 慣れない言葉は、全部棒読みになる。


(まるで舞踏会みたい……)


「戻ったわよぉ。ありがとぉ。レジ大変でしょぉ」


 カリンが優しい声であたしに声をかけてくる。良い子のニコラちゃんらしく、微笑んでカリンとレジの担当を交代する。


「レジはいいんですけど、お客さんの対応が大変ですね」

「そぉそぉ。それが大変なのよねぇ。お客さんが敵に見えてくるでしょお?」

「ふふっ。まさかそんな」


(敵よ!! 大戦争よ!! クソな注文やチビチビ文句を言う輩をひっぱたいて引きずってごめんなさいを言わせたいくらいよ!!)


「うふふぅ。全部慣れなのよぉ。慣れちゃえば対応の仕方も分かってくるからねぇ」


 カリンがくすくす笑う。


「良い人もいるんだけどぉ、どうしてか皆、理不尽な文句ばかり言ってくるのよねぇ。特に、専業主婦の方? 特に、ご年配の方? 時々、若い人もいるわねぇ。働いたことないから言えるのかしらぁ? 働いたことあるなら、もっと違う言い方になると思うのよぉ。……要望なら全然聞くんだけどねぇ。お客さんの我儘なのよねぇ」


 カリンが頬杖をついた。


「私ねぇ、袋を別にしてほしいなら、先に言ってほしいのよぉ。入れてから、これ別にしてって言ってくる人いるでしょう? なんでその前に言わないのぉ? ってイライラしちゃうのぉ。申し訳なさそうに言われたら、全然大丈夫ですよぉって言ってやるんだけど、横暴な態度で来られちゃったらねぇ。でね、その後、なんで気が使えないのって文句言われたらぁ、もぉ、ぷんぷんよぉ。うふふ。皆が通る道なんだけど、こればかりはまだイラッときちゃうわねぇ」


(いや、分かるわよ! 分かる分かる! 一言余計なのよ!! 後出ししたのはそっちじゃない! てめえらはじゃんけんのルールを再確認した方がいいって思うのよ!!)


「おほほほー。大変ですよねー」


 ニコラちゃんが笑顔を浮かべると、カリンも穏やかに微笑む。


「私も新人の時、あるお客さんに散々虐められたことがあるのよぉ」

「ん? カリンさんがですか?」

「私、こんな感じでしょう? ふわふわしてるっていうかぁ。のんびり屋さんっていうかぁ。ぼうっとしてる私を見てたのか、商品を買わないのに、嫌味を言いたいだけの人に目をつけられちゃってねぇ」


 カリンさんが瞼を下ろす。


「普通の主婦の人。最初は好意的に声をかけてくるのぉ。すみません、この商品は他のと何が違うんですかぁって。それでねぇ、これは他と比べて、こういうお菓子なんですよぉ。って説明するでしょう? そしたらもっと根掘り葉掘り訊いて来るのぉ。そのお菓子を作った会社じゃないから、そこまでは分からないじゃない? だから、こうだと思いますぅ、とか、そこまでは分かりませんねぇって言ったら」


 急に人柄が変わるのよぉ。


「好意的な声が故意的な声に変わってぇ」

「『分からない』とか『こうだと思います』じゃ、商売にならないでしょ。あなたアルバイトなの? って」

「新人だったから、はいそうですうって答えたら、そうよねえっていやらしく笑いながら」


 何も買わずに帰っていくの。


「それが毎日続くのぉ」


 瞼を上げたカリンが、口角を上げながら、ため息をついた。


「怒られないだけ、まだマシだと思うでしょう?」

「でもねぇ、毎日やられてごらん?」

「忙しい時にやられてごらん?」

「悩んでる時にやられてごらん?」

「どうして私なの? って思うのよぉ」

「何も買って行かないくせに、根掘り葉掘り業界の人にしか分からない専門的なことまで聞いてきて、結局、これだからバイトってさぁって言われて、何も買わずに優雅に歩いてお店から出ていくのぉ」

「でもねぇ、奥さんとか、社長とか、他の社員さんには何も訊かないのよぉ」

「分かりそうな人には声をかけないのよぉ」

「新人の、私にしか声をかけないのよぉ」

「もうねぇ? どんどん心が傷ついていくのぉ」

「なんで毎日一生懸命働いてるのに、こんな目に遭うのかしらって思うのよぉ」

「それでね? 私、このお店辞めようかしらぁって思ってる時に、またその人が現れてねぇ」


 すぐ後ろでね、他のお客さんが聞いてたのぉ。


「で、私がまた嫌味のような質問攻めをされ始めて」


 そのお客さんが、助けてくれたの。その言い方はないんじゃないの? って。


「この人十分説明してたでしょ。貴女、それでその商品買うの? って。まさか買いもしないのに根掘り葉掘り訊いてるわけじゃないでしょうねって。この店員さんを、わざと困らせているわけじゃないでしょうねって」

「……当時ここら辺で、そういうことをする有名な人だったらしくて、そのお客さんは、働いてたお店でその人から被害を受けた人だったらしいのぉ」

「うちの店でもそういうことしてましたね。証人も多くいますよ。警察呼んで話つけましょうかって言ってくれてぇ。……ちょっと騒ぎになっちゃって、社長まで出てきてねぇ」

「社長の顔見た途端、その質問攻めしてたお客さん、逃げるようにお店を出ていってぇ」

「それからはぁ、その人、お店に来なくなってぇ」

「商店街で有名になっちゃったもんだからぁ、顔も出せなくなっちゃってぇ」

「でも、ニコラちゃん、そういう人ってねぇ、自分で悪いことしてるって自覚がないのよぉ」

「不思議でしょ?」

「誰か止めてくれる人はいないのかしらねぇ?」

「誰かそれはやっちゃいけないことよって言ってくれる人がいないのかしらねぇ?」

「誰もいないのかしらねぇ?」

「よっぽど孤独なんでしょうねぇ」

「それって、とても寂しいことよねぇ」


 そういう人こそ、接客業で心を磨いてほしいわねぇ。


「きっといい仕事をしてくれるはずよぉ。それに、私の時のように、誰かが助けてくれるなんてこと、ありえないことなのよぉ? 基本的に、自分で何とかするしかないのぉ。だから、慣れるまでが大変なのよねぇ」


 心が壊れそうになるのよね。


「それでもそんなこと、知ったこっちゃないって、お客さんがまた心を壊しに来るのよねぇ」

「自殺する人だっているのよぉ」

「お客さんの言葉で体を壊す人までいるのよぉ」

「でも知ったこっちゃないって、また来るのよぉ」

「ほんの一部の人達のせいで、みぃーんな、接客が嫌いになる」

「人と話せて、関われて、色んな会話が出来て、それこそ、お礼なんて言われたら、とても心が晴れやかになる。貴女で良かったわって言われたら、天にまで登る気分。とても楽しいのよぉ。落ちたり、上がったり、面白い職業なのにねぇ」


 ふふっ。


「寂しいものねぇ」


 カリンが少し、寂しそうに微笑んだ。


「それにねぇ、噂って広がるのよぉ。今は南区域に住んでるって誰かが言ってたわねぇ。あのご夫婦。南区域の商店街で、旦那さんが小馬鹿にされながらお買い物してるんですってぇ。……奥さんがまた同じことやって、とうとう警察に捕まって、要注意人物になっちゃったとか」

「旦那さん、可哀そうねぇ。奥さんのせいで、自分まで要注意人物になっちゃったぁ」

「近いうちに城下町から出ていくかも。不動産屋で、誰かが見たんですってぇ」


 ニコラちゃん、覚えておいて。


「商店街って、仲間意識が強いの。情報を共有しやすいのよぉ。悪いことをしちゃったら、それが一生町中に駆け巡るわぁ。この町は特にねぇ。お城もあるし、問題が起きたら、王様に怒られてしまうかもしれないでしょう?」


 都会だと思ってなめたら、痛い目を見るのよ。


「それがこの国の城下町」


 カリンが笑った。


「アリスちゃんを虐めたお客さん、そうならないといいわねぇ。他では礼儀正しくしてくれたらいいんだけどぉ」

「……」


 カリンのゆったりしたお喋りの話が、あたしにはジャックよりも怖い話に思えた。


 一度目の世界で、あたし達は商店街で、えらく豪遊していた。お金さえあれば何をしてもいいと思っていた。だから大暴れしていた。きっと要注意人物扱いだったのだろう。お店に行けば、顔を引き攣らせた店員が出向いていた。どこだって、どこに行ったって、きっと、由緒ある貴族のベックス家には注意しろと、言われていたに違いない。


(すごく感じた)

(心から感じた)


 相当、嫌われていたことだろう。

 裁判で、嘘の証言をする人が現れるくらい。

 あたし達の話を聞いてもらえなかったのは、そういうことだ。皆から恨まれていたんだろう。


(……怖い)


 すごく怖い。


「大丈夫よぉ」


 カリンが、どこか、あたしの気持ちを察したように微笑んだ。


「どこかで悪いことをしちゃったら、謝ればいいのよぉ。ごめんなさいって」

「……謝ったら、相手は許してくれますかね?」

「謝らない人より、謝る人の方が、許したくなるものよぉ。人って」


 もちろん、悪いことをしたら、の話よぉ?


「悪くないのに謝るのはてんでおかしな話。その場合は絶対謝っちゃ駄目よぉ。悪くもないのに、自分が悪いっていう立場になっちゃうからぁ。これ、喧嘩で使えるのよぉ」


 カリンがくすっと笑った。


「ニコラちゃんも、お友達と喧嘩したら、使ってみてねぇ。自分が悪かったら、謝るのよぉ? あの奥さんだってそうよぉ。あの時は虐めてごめんなさいって謝ってくれたらぁ、私だって」





「……許したのに」





 その目には、恨みがある。


「私が一生許せない人の話」


 おっとりしたカリンの目に、恨みが込められている。


「あんなの、客じゃない。似たような人がいたら、ニコラちゃん、私に言ってねぇ」


 カリンがあたしに言った。


「こてんぱんに言い返して、馬鹿なその人を丸め込んでみせるからぁ」


 その目は、本気だ。

 抱いた恨みを、憎しみを、他の理不尽な『客』に、ぶつけようと隠れている。

 カリンだけじゃない。奥さんだってよく言ってる。あんなの客じゃないって。

 商店街の人達は皆優しい。それは分かる。今朝だって笑顔で挨拶をしてくれた。


 ただ、嫌なことをされたら、ずっと覚えている。その人物を覚えている。恨みを募らせて、どうやって仕返ししてやろうかと、どうやって対応しようかと、頭で計算している。だって、彼らも人間だもの。


「カリンさん」

「うん? なあに?」

「あたし」


 あたしは、宣言する。


「絶対に、理不尽な客にならないよう、気を付けます」

「大丈夫よぉ。普通に過ごしていたら、そんなのになるはずないんだからぁ」


(なるのよ……)

(……なっていたかもしれないのよ……)


 屋敷に帰ったら、あたしはママ達と買い物に出かけるようにしよう。

 ママ達が理不尽な客にならないように、見張らないと。

 お店と揉めたら、その時は、原因を突き止めて、どちらが悪いか聞き分けて、聞き分けられなかったら第三者に相談してみて、どちらか悪いか判断してもらって、謝るか、謝らないか、そこで決めよう。


(理不尽なこと、言わない)

(言わなければ)

(言われなければ)

(心は傷つかない)

(心は傷つかれない)


 それが、仕事じゃなくても、人と関わるということ。当たり前のこと。


 当たり前が、通じない世の中になってきている。


「カリンさん、……仕事って大変ですね」

「大変じゃないお仕事なんてないわよぉ」


 じいじと同じことを、優しく微笑みながら、カリンがあたしに言った。



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