第12話 10月7日(4)
三人で食卓を囲み、じいじの特性シチューを頬張る。
料理は美味しいのに、隣でニコニコ笑ってくる王子様の視線がすさまじく痛い。パンを食べる。見てくる。パンを噛む。見てくる。ため息をついた。キッドが微笑んだ。
「テリー、パンのおかわりは?」
「結構。自分で取れる」
「あーんしてあげるよ」
「いらない」
「くくっ。照れ屋さんめ」
ブチッ。
手に力を込めてスプーンを握ると、じいじに言われる。
「これこれ。テリーや。スプーンが曲がってしまうよ」
「……じいじ、あたしにとっては、スプーンを折ってないだけ善処してるのよ……」
「へえ。スプーンを折るの? 緊張で体が力んでる証拠だね」
涼しく笑うキッドを見て、とうとう怒りの顔を向けた。
「14歳のか弱いレディの寝込みを襲うなんてこの最低野郎! このクズが! 隣国でどんな生活してたのよ!」
「違うよ。俺のベッドでテリーが寝てたから、テリーが俺と寝てるつもりで寝たんだなって思ったんだ。襲ってない。添い寝だよ。誘ったのはお前」
「誘ってないわ! あほんだら!! あたしはね!! あの毛布があったから堪能してただけなの!」
「お前、あの毛布好きだもんね。じゃあ今夜から一緒に寝る?」
「結構!」
「遠慮はいらない」
「結構!」
「くくっ。恥ずかしいんだ。……可愛い……」
キッドはめげない。ふにゃりと頬を緩ませてあたしを見てくる。ぐっ…! と歯をくいしばると、じいじが呆れた目でキッドを見た。
「あまりからかってやるんじゃない。キッドや」
「俺がいつからかったって? テリーへの想いを自覚してから、俺はいつだってテリー一筋さ。それにね、じいや、俺はテリーがあまりにも無防備だったから、ついでにボディーガードもしてあげてたんだよ。だから感謝してね。テリー」
あたしを見て微笑むキッドに、顔をしかめた。
「無防備って何よ。誰だって寝てたら無防備になるのよ」
「だってさ」
キッドがくすっと笑って、あたしに耳打ち。
「ピンクも可愛いけど、俺は青の方が好きだな」
キッドが離れる。静かにシチューを食べる。
「……」
あたしは自分の着ているシャツを見下ろし、指を突っ込ませ、引っ張り、ちらっと胸元を見た。……そして、真っ青になって、慌ててキッドに顔を上げた。
「……見たの?」
「お前が見せてたの」
俺がボタンを締めてあげたんだから。
「これからはちゃんと第二ボタンまで締めてね。やめてよ? 俺以外に見せるなんて許さないからね?」
「このエロガキイイイイ!!!」
キッドの胸倉を掴むと、キッドがおかしそうに笑った。
「くくくっ!! 第一王子に見てもらえるなんて名誉なことじゃないか!」
「この変態! えっち! すけべ! マイペース!」
「あのさ、テリー、何か勘違いしてない? 見たくて見たんじゃないよ。お前が俺のベッドで寝てて、偶然見ちゃったの」
「お黙り!!」
「見たのが俺で良かったな。野蛮な泥棒なんかに入られてごらん。お前、襲われてたかもしれないよ?」
「あんたじゃないんだから、誰も14歳の女の子を襲ったりしないわよ」
「何言ってるの? 俺は14歳の女の子の体に興奮なんてしないよ」
「どうだか」
「だってさ、お前みたいなつるんとして出るとこ出てない体見て、誰が興奮するの? だったらソフィアの方がずっとすごい。見てて鼻の下が伸びるね」
「てめぇえええええ! 言ってはいけない禁断の言葉をよくもおおおおおお!!」
「あははっ! テリー! ヤキモチか!? 嫉妬か!? 可愛いなぁ! テリーってば! うくくくくくっ!」
「お黙り! 今すぐお黙り! その可愛いお顔叩かれたくなかったら今すぐ黙らんかい!」
「二人とも」
じいじの一言で、あたしがキッドの胸倉から手を離す。ふんっ! と鼻を鳴らしてシチューに戻ると、キッドは変わらずニコニコしながら、横から口を動かすあたしを再び眺めた。
「ていうか訊いてもいい? なんでテリーは俺のシャツ着て、ここで寝泊りしてるの?」
ぼうっと眺めて、
「……うん。お下がりいいな。すごく可愛い。少しぶかぶかなのがまた堪らない。……これが恋人シャツってやつか」
「誰が恋人よ。ふざけるな。くたばれ」
「可愛いよ。テリー。こんなに可愛いって思ったの初めてってくらい可愛い。そうだ。後で写真撮ろうか。俺の部屋に小型のカメラがあるんだ。撮って俺の大切な思い出ファイルにしまうから、写真撮影会ごっこして遊ぼうよ」
「……キッド……、……あんた何も変わってないわね……」
うんざりして言うと、キッドが鼻で笑った。
「はっ! 何をどう変わるって言うんだ? お前だって何も変わってない。俺だってちょっと向こうで『王子様の仕事』をしてただけだ。たったの半年、ちょっと過ぎたくらい。ねえ、テリー、いるのは一ヶ月だっけ? なぁに? 何の用事なの?」
視線をシチューに戻す。
「……ちょっと、社会貢献を……」
ぼそっと言うと、キッドがきょとんとした。
「ん? 社会貢献? 何それ? ボランティアか何か?」
「……詮索しないで」
キッドが瞬きする。
「え? 言わないの? なんで?」
「……言う必要ある?」
「俺に言えないことしてるの?」
「あんたに言わなくたって死にやしないわよ」
「駄目。俺はテリーのこと全部知りたい。教えて」
「やだ」
「テリー」
キッドがあたしを睨んだ。
「教えて」
「嫌」
睨んで言うとキッドが黙る。頬を膨らませて不満そうにむくれた。
(子供か!)
アリス、これがこの王子よ。白馬になんか乗ってないわよ。ただのクソガキよ!!
(あ)
「……キッド、口元についてる」
「どこ?」
「ここ」
口元についたシチューを指で取ると、キッドが嬉しそうに口角を上げた。
「……危ないことじゃないんだな?」
「そんなことするわけない」
ハンカチで手を拭う。またスプーンを持つ。
「あたし、あんたと違ってもろくて儚い弱者なのよ。リトルルビィだっているんだから平気」
「……リトルルビィがいるの? ……何それ?」
「詮索しないで」
「あいつ何も言ってなかったぞ」
「そう」
「お前、あいつに何か言ったな?」
あ。
「そういえば、最近リトルルビィが妙に気遣ってくれるんだ。仕事にミスがあったらいけないから何かあったら私に言ってね、だって。……はっはーん? あれ、お前の差し金か?」
「知らない」
「リトルルビィがいる。社会貢献。ここで寝泊り。……ふーん……。……」
「……じいじ、シチューおかわり」
「うぬ」
じいじに皿を渡すと、テーブルの端に置かれた鍋から盛り付けてくれる。キッドが黙って視線を動かす。
シチューを待つあたしを見る。
あたしのおさげを見る。
あたしの唇を見る。
じいじがあたしにシチューの入った皿を手渡した。
「熱いぞ」
「ありがとう」
両手で掴んで、テーブルに置く。
スプーンを掴んだ。
キッドが目を細めた。
「お前、どこかで仕事でもしてるんじゃないか?」
――……。
「何言ってるの?」
シチューを口に運ぶ。
「あたし、貴族のお嬢様なのよ?」
(あつっ!)
猫舌が反応して肩が揺れたのを見て、キッドが確信した。
「今、動揺して自分が猫舌なの忘れただろ」
「……シチューが思ったよりも熱かったのよ」
「へーえ」
キッドがにやりとした。
「そういうことか。なるほど。分かった。謎が解けた。お前さ、反抗ばかりしてて、……そうだな。メニーと喧嘩でもしたんだろ。で、屋敷から追い出されたんだ。一ヶ月貴族ということを忘れて、平民のように仕事して、貴族としての有難みを分かった上で戻って来いと言われたんだろ。どうだ?」
目をきらりんと光らせて、あたしに指を差す。
(ぐっ!! この野郎! 涼しい顔しながら、ドンピシャで当ててきやがった……!)
「今まで何もしてこなかったお嬢様が一人暮らしなんて無理だ。しかし部屋を借りるにも貴族としての名前は使えないから店にも入れない。母さん辺りが提案して、じいやが承諾して、ここを借りてる。職場は短期間ということで探していたがどこを探していいか分からない。紹介所に行くにもどうなるか分からない先のことを考えて不安を抱いていたところにリトルルビィが提案して一緒の職場で働くことになった。そして今月テリーは、平民として町娘としてなんてことない顔で働いて生活している。今に至る。……さぁて、どうかな。俺の名推理」
キッドがじいじに目を向けた。
「じいや」
にやりと笑う。
「俺に隠し事は出来ないよ」
「流石ですな」
じいじが顔をおどけてみせた。キッドが満足そうに微笑み、肘であたしを小突く。
「ほらほら素直に白状しろ。俺に隠し事したって無駄なんだから。秒でバレたぞ。特にお前の反応は誰よりも分かりやすい」
「……」
「またむくれる」
頬を指でつんとされて、ぐふふ、とキッドがいやらしく笑った。
「ねえ、どこで? どこの市場? どこの店? ねえ、俺毎日通ってもいい? 毎週毎日毎分毎秒テリーの接客を受けていたいよ。だって、テリーが俺に笑顔で接客してくれるんだよ? こんな面白そうなことある? ねえ、テリー、場所教えて? 俺は忙しくたって、俺のプリンセスが頑張っているのであれば、いつだってどんな時だって何があったってすっ飛んでいってあげるよ」
最後に、輝かしいウインク。それを見て、じいじがほう、と声をあげた。
「テリー、これは優勝のカップがもらえるのう」
「うん? 優勝? 何の話?」
「お黙り」
ふーふーしてからシチューを味わう。美味だわ。キッドがいなかったらもっと美味に感じていたことでしょうね。
「ねえ、優勝って何?」
「キッド」
睨む。
「黙ってシチューを食べなさい。もう一度言うわ。黙って」
「図星突かれたからって怒るな。俺に隠し事をするなんて無駄な努力をしたのはテリーだろ」
「お黙り! 何よ! 何も知らないくせに!」
「なんで喧嘩したの?」
「あのね、今回あたしは何も悪くないの! メニーが悪いのよ!」
「仲直りは?」
「あたしを誰だと思ってるの? 心が綺麗なお姉様は妹の過ちを許したわ!」
「仲直りは成立したのか。良かったな。よしよし」
「うるさい! 触るな! 頭を撫でるな! ええい! やめんかい!」
「二人とも」
じいじに言われて、あたしとキッドが大人しくシチューを頬張る。キッドがじいじに顔を向ける。
「じいやも変わったことは無かった?」
「ええ」
「そうか。なら心配なことは無いな」
――心配なこと。
(アリーチェ・ラビッツ・クロック)
いいや。
(キッドに頼らずともリオンがいるわ。手柄を欲しがってるキッドの弟)
利用してやる。
(キッドの手柄は、リオンのものよ)
そして、婚約解消はあたしのものよ!!
(この計画だけは、バレるわけにはいかない)
誤魔化すために、キッドの話題に乗る。
「今月の心配事と言えば、ジャックじゃない?」
「ああ、切り裂きジャック?」
キッドがくすっと笑って、パンを噛んだ。
「ベッドにお菓子を置いておくといいよ。夢で会ったら、そのお菓子をあげるんだ。何も怖くない」
「別に怖くなんかないわ」
「へえ。本当に?」
「馬鹿。あたしはもうそんな話に騙されるほど子供じゃないの」
「子供だよ。ジャックは子供を狙って悪夢を見せに来る。お前はまだ子供。……テリー。こうなったのだってジャックの悪戯かもしれないよ? 可愛いお前を困らせようと、ジャックがメニーに悪夢を見せて、メニーの不機嫌な時にお前が出くわしてしまったのかもしれない。ジャックの悪戯のせいで、お前は屋敷から追い出されたのかも」
くくっ。トリック・オア・トリート、か。
「テリー、この後、お菓子食べようよ。チョコレート買ってきたんだ」
「食べない」
「食べてくれないと悪戯するぞ」
「もう悪戯したじゃない」
あたしは不満いっぱいの声をあげる。
「あんたうがいしたんでしょうね? あの口のままそのシチューを食べてたら、許さないわよ」
キッドがにこにこ微笑む。
あたしににこにこ微笑む。
あたしはにこにこした顔を見て、
「え?」
顔を青ざめた。
「う、うがい……したんでしょ……?」
「うーん……。……どうだったかな? 俺、お腹空いてたし」
にこ。
「あーあ、じいやのシチューは美味いなあ」
ぱくり。
「本当に美味しいや」
「……。……。……」
「……くくっ。テリー」
キッドがあたしの口元に手を伸ばした。
「ついてるよ。ここ」
あたしの口元についたシチューを指で拭い、その指をキッドが舐めた。
「……」
静まり返る部屋の中に、あたしの低い声が響いた。
「くたばれ」
「ふふっ。我が家に帰ってきた感じがする。会いたかったよ。テリー。ただいま」
「くたばれ……」
あたしの肩に頭をすりすりしてくるキッドに唸る。
「ジャックに襲われて泣いてくたばってしまえ……!」
「逆に泣かれちゃったよ」
……。
チラッと、キッドを見る。
「泣かれた?」
「ジャック」
キッドがにやりとした。
「城に戻った日だったかな? ジャックが俺に会いに来たんだ。夢の中で」
キッドがふふっと笑う。
「子供の頃からの大スターだ。興奮しちゃったよ」
キッドが視線を動かした。
「ジャックがどんな悪夢を見せたと思う?」
キッドがじいじを見た。
「俺が殺される夢だ」
じいじはパンを噛んだ。
「俺、包丁で刺されるんだ」
キッドがあたしを見た。
「ねえ、テリー、誘拐事件覚えてる?」
三年前の誘拐事件。
「俺、一人で行動してるんだ。作戦Cを決行していた。作戦Dは出来なかった。俺もよく分からないけど、なぜかやってたのは作戦C。俺が囮になって、じいや含む部下の皆が外で待ってた。俺は一人で乗り込んで、無事に囮になれて、地下室を見つけた。で、すぐに扉をこじ開けて、誘拐されてる子供達を助けるんだ」
で、これがまた面白い。
「そこにテリーがいるんだ」
あたしはパンを飲み込んだ。
「怯えに怯えて誘拐されてるテリーがいて、大丈夫だよって声をかけてテリーを引っ張るんだけど、テリーが酷く怯えちゃってるもんで、手を掴んで無理矢理一緒に部屋から出るんだ。……小さな手だったな」
あたしの手を見る。左手を見て、またキッドが嬉しそうに笑った。
「……で、テリーが逃げようとした時に中毒者の犯人が追いかけてきてさ、皆は既に家の中にいて、中毒者の犯人とチャンバラしてたんだけど、それを振り払ってテリーと俺にめがけて走ってくるんだ。そこで、なんてタイミング悪いんだろうな。テリーが転ぶんだ。俺も手が滑って、テリーの手を離してしまった」
あたしはパンをかじった。
「テリー一人だけが逃げ遅れて、中毒者に包丁で刺されそうになって」
キッドがあたしの前に出て、
「俺がかばって」
包丁で貫かれた。
「俺が死ぬ。いやあ、痛かった」
キッドが腹部を撫でた。
「本気で刺された気がした。……で、気が付いた。俺はこんな所で死なないやって。だってそうだろ? 俺はこうして生きてるし、そもそも俺を包丁で刺したのはこの世でたった一人、メニーだけだ。だから展開が違うじゃないかと違和感を感じた。それで、よく見たらその中毒者、俺が覚えてる顔が違うんだよ。なんていうか、違和感を感じるというか。でさ、よく見たらテリーの顔も違ったんだ。まあ、確かにそのテリーは、テリーなんだけど」
キッドが首を傾げた。
「なんて言うのかな。……もっと、なんか、……幼い? ぼうっとしてて、今の顔つきと全然違ってさ、テリーはもっとひねくれてて、こんなに純粋無垢な顔なんてしてない。こんなに可愛くないよ。この世界は嘘の世界だ。お前ジャックだろって、俺が言ったら」
くくっとキッドが笑った。
「ジャックが顔を引き攣らせて、また俺を刺そうとしてきた。だから抵抗しようと、刺さった包丁を抜いてみた」
あれ、おかしいな。よくよく考えたら、全然痛くないじゃないか! ああ、そうか。ここは夢だから、痛みなんて感じないんだ! なーんだ!
「包丁をジャックに構えてみた。だって、昔から伝わってるおばけだよ? どれくらい強いのか気になるじゃないか。でもさ、そしたらジャックが逃げていくもんだから」
それはそれは間抜けなくらい悲鳴上げて逃げていったもんだから。
「ジャックは鬼ごっこが好きなんだと思って、俺は追いかけた」
よし捕まえてやる! って夢の中でジャックを追いかけた。
「包丁片手に待て待てー! って笑いながら追いかけたら」
ジャックがかなり悲鳴をあげて、
「もっと待て待てー! って追いかけたら」
ジャックが泣き出して、
「ジャックにめがけて包丁投げたら」
ジャックが家の窓を開けて逃げ出した。
「俺もそこに入ってみたら、……ベッドの上だ」
キッドが笑う。
「あーあ。楽しかったな。追いかけっこ。また会いに来てくれたら、今度こそお菓子を渡さないと」
くくくくく!!
(……おばけもこいつには勝てなかったのね)
ジャックが少し可哀想に思えてきた。
(だけど、気になるわね)
キッドが一度目の世界で起きたことを夢として見るなんて。
(歴史の変化の影響かしら?)
本当はキッドはいなかった。今のあたしと同じ年齢で亡くなったから。
(……)
いないはずのキッドが、あたしの隣で美味しそうにシチューを食べている。
いないはずのリトルルビィが、あたしと一緒に働いている。
(……変な感じ)
パンを頬張る。
「ねえ、じいやは会ったことある?」
「こんな老いぼれにおばけも用はないだろう」
「分からないよ? 毎年待ってて、俺もようやく会えたんだ。今年こそじいやも会えるかもよ? あ、テリーもだよ」
キッドがあたしに微笑む。
「もし会えたら、俺が会いたがってたって伝えてよ。今度こそ捕まえてやるんだ」
「はいはい」
(変な奴に目をつけられたわね)
選んだ相手が悪かった。キッドはおばけを捕まえて英雄になりたいらしい。
「分かった分かった。会ったら伝えておく」
「怖くて眠れなかったら言って。俺が添い寝してあげるから」
「あんたに添い寝される方が悪夢よ」
「何言ってるの。すげえいい夢じゃん。隣国でファンクラブの会員の女の子達と会ったんだけど、添い寝をしてほしいって何回も言われた」
ああ、勘違いしないで。
「俺が添い寝するのはたった一人。お前だけだよ。テリー」
「あんた、そろそろ安定した彼氏見つけなさい。その方がいいわ」
「俺は一途なんだよ。浮気するお前と違ってね」
「浮気なんてしてないもん」
牛乳を飲んで、ふう、とあたしが息を吐く。
「ご馳走様でした」
そして、じいじを見る。
「じいじ、こいつ何とかしてよ」
じいじが微笑んだ。
「いつもはもっと大人しいんだがな、お前がいてはしゃいでるんだろう」
「そうだよ。俺すごくはしゃいでるんだよ。テリーがいるから。泊まってって何度もお願いしても泊まらなかったテリーが、俺の家で俺のシャツ着て一緒に食事してるなんて、こんな夢みたいなことある?」
……それともこれは夢かな?
「えい」
「痛い!」
あたしのおさげを突然引っ張ってきたキッドを睨む。
「何するのよ!!」
「うん。夢じゃないみたいだ」
「自分でやりやがれ!」
「だってテリーの反応が一番分かりやすいから」
(ぐぞがあっ……! この腹黒野郎! にこにこしやがって!!)
ぎいいいい! と睨んでいるとキッドがあたしの手に手を重ねた。
「と、まあ、ここでハロウィンの話題が出たわけだけど、テリー」
「ん?」
「ハロウィンの日の予定は?」
その瞬間、あたしは気付いた。
「……ああ、そっか」
ずーん、と気分が落ちていく。
「今年のあたしのハロウィンは潰れるのね。……ランタン持って楽しく一軒一軒回れないのね……」
全部メニーのせいだ。顔が俯く。
「……最悪……。今年はあたしだけお菓子無しってことね……。はあ……」
「昼は仕事?」
「社会貢献よ……」
「夜は?」
「帰って寝るわよ……」
「予定は何も無いんだな?」
「うるさいわね。仕事だっつってんでしょ……」
「仕事が終わった後は、何も無いんだろ?」
「だから帰って寝るっつってんでしょ……」
「テリー、ハロウィン祭は一日開催されるらしい」
「……」
あたしは顔を上げる。
「何が言いたいわけ?」
「一緒に回ろう?」
キッドが微笑んだ。
「毎年お前家族と過ごしてて、俺と回ってくれたことないだろ?」
「……ん」
「今年は俺と回ろう」
(……キッドと回るの?)
おばけの格好して、キッドと歩くわけ?
「あたし門限あるから」
「門限?」
「そう。じいじが決めたから」
「じいや」
キッドがじいじを見る。じいじがパンを飲み込んだ。
「遅くなっても22時じゃ」
「結構」
キッドがあたしの手を握る。
「二人で歩こう。テリー」
「ならリトルルビィも一緒に」
「駄目。今年は二人で回るんだ。仕事は何時に終わるの?」
「……16時……」
「余裕だね。全然遊べる」
「あたし、二人は嫌」
「駄目。二人で歩く」
「リトルルビィも連れていいなら」
「あいつはメニーと行けばいいさ」
「あたし、友達がいるの。リトルルビィとその子と、三人で回るかも」
「そんなの断って。俺が先に誘ったんだから」
「嫌よ」
「だってその様子じゃ、誰にも誘われてないんだろ?」
キッドが笑った。
「仕事終わったら帰って寝るだけなんだろ?」
「……」
「俺が先に誘った。つまり、この先誰に誘われても、俺と行くのが筋だ」
「誘いに乗った覚えはないけど」
「大丈夫。誰にもバレないように仮装するから。それならいいだろ? 久しぶりに二人だけでデートしよう」
「結構」
「テリー」
キッドがにやりとした。
「『アレ』、役所に出そうか?」
――……。
あたしは睨む。
「俺はいいんだよ? 別に」
キッドが勝利を確信して、微笑み、あたしの顔を覗き見る。
「すぐ手元にあるから、明日にでも出せるよ」
ああ、そうだ。
「またトランプで決める? いいよ」
今度はプラスアルファしてみようか?
「俺が勝ったら」
そうだな。
「広場の中心で、俺に愛を叫んでもらおうか」
「分かった。行く。行けばいいんでしょ。行けば」
「そうそう。素直が一番」
ぽんぽんと頭を撫でらえて、ぐっと歯をくいしばる。
(畜生……! あの時、左を選んだあたしの馬鹿野郎!!)
「はーあ。テリーと初めて回るハロウィンだ。くくっ。楽しみだなぁ」
「……あたしは今から、崖に突き落とされる気分よ……」
「仮装をした俺を見て惚れちゃうかもしれないよ? いや、絶対に惚れさせる。うっとり見惚れさせてやる」
「……確かに、仮装したキッドと会ったことないわね」
「そうだよ。俺も仮装したお前を見たことがない」
「でしょうね」
「去年は何着たの?」
「言う必要ない」
「今年は何着るの?」
「まだ決めてない」
「一緒に選んであげようか?」
「いい」
首を振る。
「あんた、ろくなの選ばない気がする」
「期待されたらしょうがない。選んであげよう」
「期待するか! 馬鹿!」
「でも、俺センスいいよ? お前と同じくらいファッションには気を配ってるつもり」
「……それは認める。あんたのお下がり、ダサいのが無いから着やすい」
「ふふっ。だろ?」
「でも仮装となれば話は別よ。何? あんたはピエロにでもなって顔を白く塗りたくるの?」
「そんなことしなくてもバレないように出来るよ。すごく美しく、綺麗な仮装をするさ」
じいじが頷いた。
「キッドの仮装はびっくりすると思うぞ」
「……ふーん」
「今年はとびっきりのやつを見せるよ。テリーが見惚れるくらいのすごいやつにしてみせる」
「あのね、キッドの顔なんてもう見慣れてるのよ? どんなすごいのが来たって驚いたりしない」
「お? 言ったな? テリー」
キッドが挑発的な目をあたしに向ける。
「じゃあ、驚いて悲鳴あげたら、テリーからキスをいただこうかな?」
「驚いて悲鳴? 何言ってるの?」
「テリーならそれくらいすると思うよ」
「馬鹿ね。あんた」
あたしをなめてるの?
「じゃあ、驚かないで悲鳴もあげなかったら、ハロウィン祭は一人で歩きなさいよ。寂しくないようにじいじに手を繋いでもらうといいわ」
「ああ、いいよ。俺はこういう賭け事が大好きなんだ。受けてたとう」
「言ったわね?」
「テリーこそ」
「あんた忘れたら承知しないからね」
「テリーだって忘れたら駄目だよ?」
(くくくっ! こいつ馬鹿ね!)
あたしがあんたの仮装如きに驚いて、悲鳴なんてあげるわけないじゃない。
(この勝負、あたしの勝ちよ!)
にやにやと勝利を確信していると、キッドが何か思い出したように声をあげた。
「あ、そうだ。そういえば、テリーにお土産があるんだった」
「お土産?」
『お土産』と聞いて、あたしの目の色が変わった。
「お土産ですって?」
鼻で笑った。
「仕方ないわね。貰ってあげるわ」
手を差し出すと、キッドが笑いながら立ち上がる。
「そう言うと思ったよ。お前、大好きだもんね。『お土産』」
「はあ? 別に好きじゃないけど」
(好きじゃないけど)
「見たことないお菓子や飾り物なんて興味ないし、隣国限定の物なんて何も欲しくないけど、人の好意を受け取らないのは貴族令嬢として名が廃るじゃない。そうね。ちょっとだけ聞いたことあるけど、あの国ではこんがり焼けたクッキーが人気なんですってね。その名も黒白の恋人。中にレーズンが入ったお菓子も人気なんですってね。あとアレ。人気があるらしいわね。チーズケーキ。別に興味があるわけじゃないのよ。知識があるだけ。あたし、別に食べたくて直接本店に連絡したけど予約殺到で全部買えなかったなんてことはないのよ。ただただあんたの気持ちだけ受け取ってあげると言ってるのよ。ほら、分かったらさっさと寄こしなさい」
「それは良かった。今言ってたやつ、全部買ってきてるよ」
「全部買ってきてるの!? まあ! その心遣いは認めてあげる! 早く持ってきなさい!」
「じいや、ご馳走様」
「ん」
キッドが立ち上がり、奥の部屋に消えていく。そしてすぐに戻ってくる。
「よいしょ」
テーブルの上に高く重ねられた箱が置かれる。あたしは目をきらっきらと輝かせる。
「はい。お土産」
「なに? これ? ねえ、これなあに?」
「これはねー」
蓋を開ける。
「じゃん」
「クッキーだわ! 黒白の恋人だわ!!」
箱を端に置いて、また別の箱。
「なに? これ? ねえ、これはなあに?」
「これはねー」
蓋を開ける。
「じゃん」
「レーズンがサンドされたクッキーだわ!!」
「一個食べる?」
「仕方ないわね! いただくわ!」
もぐもぐ。
「あら、一瞬で無くなってしまったわ! 案外小さいのね!」
「ゆっくり食べるんだよ。お腹壊すから」
「馬鹿じゃないの? あたし、今シチューを食べたばかりなのに、お菓子を食べると思ってるの?」
「ああ、思ってる」
「食べるわけないじゃない! あと三枚でやめるわよ!」
「じいや食べる?」
「いただこう」
キッドが蓋をして、黒白の恋人の箱の上に箱を重ねる。あたしはお菓子をもぐもぐ。
「これは冷蔵庫の方がいいかな」
キッドが箱の蓋を開ける。あたしは目を丸くした。
「チーズケーキ!!」
「まだお腹に入る?」
「馬鹿じゃないの!? シチューも食べてクッキーも食べて、もうお腹に入らないわよ!」
「そっか」
「でもね、乙女には別腹っていうのが存在するの。隠された胃袋をここで使うのはこの状況ならいた仕方ないことよ。いただくわ!」
「風呂に入ってからにしなさい」
「そうするわ!」
「了解」
キッドが箱の上に箱を重ねる。
「お前がいるって聞いたから、結構持って帰ってきたんだ。ああ、一部は屋敷の方に送っといたよ。メニーに仲良く分けて食べるように伝えておいて」
「分かった」
あたしの目はお土産の箱を眺める。
(これ、開けていい? 開けていい?)
蓋を開ける。
(チョコレート……!)
涎がじゅるり。
「それと、これが大本命」
ラッピングされた小さな包みをあたしに差し出す。
「お前へプレゼント」
「……何これ」
「開けてみて」
(何これ。アクセサリー? 腕時計? ネックレス? 髪飾り? 宝石?)
目をキラキラさせながらラッピングを解いていく。わくわくした手がリボンを解き、箱の蓋をパカリと開ければ、掌サイズの、小さな四角い機械が入っていた。
「……何、この機械?」
無線機とはまた違う。あたしは瞬きをして、眉をひそめる。
「ここを押すと」
キッドが丸いボタンを押すと、機械に電源が入る。
「ほら、電源入っただろ? で、ここを押せば」
またボタンを押す。すると、画面に絵が出てきた。
「これって地図?」
「正解」
画面に映る黒丸が特定の位置で消えたり表示されたりしている。
「何この黒い点々?」
「俺の位置」
……。
「ん?」
「俺のいる場所が分かるんだ」
この機械はね?
「GPSと言ってね?」
同じ機械を持っている人の居場所が分かるんだよ。
「もちろん、テリーがこの機械を持ってたら、俺もテリーの居場所が分かるんだ」
あ、ついでに、
「音楽も聞けるんだよ。ほらこのボタンで」
ぽちっと押せば、クラシック音楽が流れてくる。
「イヤホンっていう道具があるから、装着してね」
周りの迷惑になっちゃうから。
「それとメッセージも送れるんだよ」
キッドがポケットから同じ機械を取り出し、ぽちぽちっと指を動かす。すると、あたしが持つ機械から間抜けな音が鳴り、メッセージが届きましたと画面に表示される。画面を切り替えれば、
『愛してるよ。テリー』
メッセージが表示されている。
キッドが、にっこりと微笑んだ。
「ハロウィン祭まで昼間は街を巡回するんだ。困ったことがあったらいつでも会いに来て?」
すごい技術だろ?
「この技術をぜひ真似したいと半年以上も開発してた! 素晴らしいだろ!」
テリー、
「これで俺達は身も心も一つ!」
居場所がいつでも分かる!!
「この優れものを城下で流行らせるんだ! 儲かるぞ! これは儲かるぞ!! 俺の信頼と好感度はたちまち急上昇!! どうだどうだ! テリー! すごいだろ!!」
あたしはそっと、キッドに機械を押し付けた。
「……いらない」
キッドがそっと、あたしに機械を押し付けた。
「感動したんだな? くくっ。テリーなら感動してくれるって信じてたよ」
あたしはもう一度、キッドに機械を押し付けた。
「……いらない」
キッドがもう一度、あたしに機械を押し付けた。
「ふふっ。嬉しいくせに。こいつめ」
あたしはまた、キッドに機械を押し付けた。
「……いらない」
キッドがまた、あたしに機械を押し付けた。
「遠慮は不要。お前が使っていいんだよ。受け取って」
あたしは再び、キッドに機械を押し付けた。
「……いらない」
キッドが再び、あたしに機械を押し付けた。
「大丈夫。慎重に扱わなくても、これは試作品だから気軽に使っていいんだ。本物が出たらまたプレゼントしてあげるから」
あたしは機械を見下ろして、泣きそうな声で呟く。
「……いらない……」
(人生最大にいらない……)
(だって、これ持ってたら、キッドに居場所知られるんでしょ……?)
「いらない……」
「よしよし。可愛いなあ。お前は」
キッドに頭を撫でられて、手を握られる。
「俺との指輪も大切にしてくれてるんだね。嬉しいよ」
「……これいらない……」
「あとこれ。鈴。GPSを失くさないように。これなら落としても気付くだろ? 俺とお揃いのつけてあげる」
「いらない……」
「テリー、手紙の代わりにこれでやり取りできるよ。寝る前におやすみのメッセージを毎晩送ってあげるから、楽しみに待ってて」
「いらないぃ……」
「テリーや」
じいじがぐずって泣きそうなあたしに、助け舟を出す。
「お風呂に入っておいで」
「あ、そうね」
(チーズケーキがあたしを待ってる)
ぱっと涙が引っ込んで、機械をテーブルに置いて、立ち上がる。
「あたしお風呂に入るわ。お皿洗いはその後でする」
「ふむ」
「というわけで、あたし忙しいから」
キッドに言うと、キッドが呟く。
「お風呂?」
テリーがお風呂に入るって?
「テリー!」
キッドが目を輝かせてあたしの手首を掴んだ。
「俺が背中洗ってあげよう」
「は?」
「いいや、背中だけと言わず、隅から隅まで、手取り足取り、あんなところやこんなところやそんなところまで、王子の俺が洗ってあげるよ」
だって、
「テリーは、俺のプリンセスだからね!!」
キッドが立ち上がり、本気であたしの手を引っ張って歩き出す。
「さあ、風呂場へ!! さあ!! テリー!! さあ!! れっつごー!」
「いやああああああ!!! じいじぃいいいいーーー!」
じいじがテーブルを叩いた。
「キッドーーーーーー!!!!」
じいじの怒鳴り声は、家の外まで反響した。
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