第20話 10月15日(1)


 ちゅんちゅんと、鳥達の声が聞こえてくる。


「ん……」


 唸りながら寝返りを打つ。


(……なんか体が重い。……頭も痛い……。えー……どうして? 生理はもう終わったわよ……? なんでこんなに怠いの……? ……何これ。横になってるのに、目眩がしてる感覚……)


 ん?


(……今、何時……?)


 そっと目を開けると、あたしの目の前には、すやすやと、キッドが天使のような顔で眠っている。


(ああ、なんだ。……キッドか)


 寝返りなんて打たなきゃよかった。少し前に行ったらその形のいい唇とぶつかって、キスをしてしまいそう。


(さて、もう少し寝よ……)


 着ているパーカーと、毛布が温かい。


「ん……」


 キッドの鼻から声が漏れ、手がもぞもぞと動き、あたしの腰を抱くと止まる。落ち着いたように、ふう、と息を吐いて、すやすやと静かに眠る。あたしもキッドに腰を抱かれながら、すやぁ、と呼吸する。


 呼吸して――ぴくりと、眉が動いた。


(んあ? キッド?)


 違和感を感じて、もう一度ぱっと目を開けると、キッドがいる。

 確かにキッドがいる。

 目の前にキッドがいる。

 確信をもってキッドがいる。

 あたしの腰を抱いて、ぐっすり眠るキッドがいる。

 眉間に皺が寄る。


(……なんで、こいつがここにいるのよ……)


 上半身を起こして、部屋の間取りを見回す。


(……またキッドの部屋にいる……)


 隣ではキッドがぐっすり快眠中。


(あたし……なんでここにいるわけ……?)


 昨日のことを思い出そうとした瞬間、ズキッ、と頭に痛みが走る。


「うっ!」


 あたしは頭を押さえる。


「はあはあはあはあ……!」


 痛すぎて、呼吸が乱れる。


(な、何なの……!? 一体、何が起きたというの!?)


 ぐー。


「はっ!!」


 あたしのお腹の虫が下品な演奏する。


(お腹が、かなり空いているだと!?)


 驚くほど、空いている。


(一体、あたしに何があったというの……!?)


 ぞっと顔を青ざめる。痛い頭。空っぽの胃。血圧が低くて、ふらふらする視界。


(落ち着いて、冷静になって! 美しいテリー! 思い出すのよ! 一体昨日、何があったか!)

(……。……。……)


「はっ!」


 何も思い出せない!


(ど、どういうこと……!?)


 あたしは唾を飲みこむ。


(何も覚えてないですって!? いいや。そんなはずはないわ! 落ち着いて、ゆっくり思い出しましょう。朝はアリスに会いに行って、その後はソフィアとランチをして、着せ替え人形にされて、チェスで盛り上がって、その後、家に帰って……)


 うっ!


(ここで……あたしの記憶が……消されている……抹消されている……だと……!?)

(夕食も、お風呂も、ドレスからパーカーにどうやって着替えたかも、記憶が全部綺麗に無くなっている……!)


 ま、まさか……、これが……!


「ジャックの呪い!?」

「んん……? テリー……?」


 ぽす、ぽす、とキッドの手があたしの腰を探す。お腹を触られ、太ももを触られ、また腰を触られて、


「ああ、あったあった」


 キッドが抱き着いてくる。


「すやあ」


 キッドが安らかに眠る。あたしのこめかみに、青筋が立った。


「安らかに寝るなーーーー!!」

「……んん……あと五分……」

「レディみたいな声出すんじゃない! 女々しいわね!」

「……うるさい……」


 キッドの手がぽんぽん、と何かを探して動き、低い声で呟く。


「……くしに……撃たれ……のか……」

「なんで思い出せないの……? くそ……! あたしは魔法にかからないんじゃないの……!?」

「……ん……? テリー……?」


 キッドが掠れる声であたしを呼ぶ。ちらっと見下ろすと、キッドが瞼を擦りながら、ふにゃりと微笑んだ。


「おはよう……テリー……」


 まるで天使のような寝起きのキッドの笑顔。まるで悪魔のような形相のあたしの顔。


「キッド! 大変よ!!」

「ん……? どぉした……?」

「あたし……! ジャックに記憶を消されたみたいの……!」

「……なんだと?」


 瞬間、キッドの目が鋭くなる。覚醒する。


「あたし……」


 ごくりと、固唾を飲んで、起きたばかりのキッドに言った。


「あたし、昨日の夜の記憶が全く無いの!!」

「何!?」


 キッドが起き上がって、あたしを見る。


「昨日の記憶が無い!?」

「ええ!」

「昨日の記憶……?」

「ええ!」

「……。……。……」


 キッドが眉をひそめて、黙り、何かを考えて、一言。


「……それ、昨日の夜の記憶?」

「ええ!」


 あたしは真面目に頷いた。


「昨日の夜の記憶を、ジャックに消されたの!」

「テリー、まだ時間あるから、もうひと眠りしようよ」

「あ、本当だ」

「ほら、おいで」

「ん」


 体を倒せば、キッドが腰を掴んでまた抱き寄せてくる。気にせず瞼を下ろして、あたしは深呼吸する。キッドも深呼吸する。すやあ。


 ……。


「寝てる場合か!!」


 毛布を蹴っ飛ばすと、キッドが体を縮こませた。


「まだ眠いよ……」

「キッド! 婚約者が困ってるって時に、あんたって奴は! この薄情者!」

「……俺は関係ないよ……」


 キッドが毛布を自分にかけ、あたしに背を向ける。


「起きたなら、まずじいやに会いに行けば…?」

「……じいじに?」

「俺は寝る……。……すやあ……」


 気持ちよさそうに、キッドがまた深い睡眠に潜っていった。


(……じいじが、何か知ってるってこと? ……ジャックのせいじゃないの……? ……じゃあ、どうしてあたしは、昨日の夜の記憶がまるで無いわけ?)


 キッドを跨って、ベッドから抜ける。


(いいわよ。真実を知ってやろうじゃない……!)


 きりっと、凛々しいあたしの目が光る。足を動かし、キッドの部屋を出る。一気に階段を下りきる。


「じいじ!」


 椅子に座って新聞を読むじいじの前に、あたしが立つ。


「昨日の夜、何があったか聞こうじゃない!」

「おはよう。テリーや」


 じいじがテーブルの下から、『ワインボトル』を持ち上げて、どん! とテーブルに置いた。あたしはそのボトルを見て、


 一気に記憶が戻ってきて、一瞬で自分がやばい立場にあることを察し、一度、黙ることにした。


「……」

「テリーや。……何か言うことは?」

「……おはようございます……」

「うむ」


 じいじがあたしに訊いた。


「ちょっと、話をしようか。座りなさい」

「えーーーー?」


 あたしはおめめをきらきらさせる。


「お話って、なんだろぉーーー? あたし、よく分かんなーい」

「そこに座りなさい」

「でもー、もーすこしーでー、おしごと」

「座りなさい」

「でもー、じかんがー」

「座れ」


 空気が冷たくなったのを感じて、あたしは座る。ボトルを挟んだ先にじいじがいる。俯くあたしを、じいじが鋭く睨む。重たい口が開かれる。


「自分が何をしたか、分かっているかい?」

「……あたしー、昨日の記憶がなくってー」

「こいつを飲んだな?」

「あー、そのジュース?」


 目をきらきらさせて、あどけない子供の顔になる。


「うーん。どうだったかなー? 飲んだかなー?」

「コルクが抜かれていた」

「じゃー、飲めないわねー。あたし、コルクなんて抜けないもーん」

「ナイフで抜いたようだな」

「無理よー。あたしそんな技術ないもーん」

「テリー」


 じいじは、笑わない。


「それでも貴族か」


 じいじが子供の顔をするあたしを鋭く睨んだ。


「もう一度訊くぞ」


 じいじが訊いた。


「これを、飲んだな?」


 あたしは悟った。この人が相手では、あたしがどんなに『逃げる』のコマンドを選んだとしても、文字はこう出るだろう。


『逃げられない。』


 観念する。


「……飲んだ……気が……します……」

「うむ」


 じいじが頷く。


「なんで飲んだ?」

「……あの……ジュースだと……思って……」

「変な味だと思わなかったかい?」

「……美味しい……ジュースだと……思って……」

「きちんと、ワイングラスも用意されていたのう」

「……」

「テリーや、この国では酒を飲めるのは」

「……18歳以上です……」

「お前は?」

「さ……ん……あの……14歳……です……」

「うむ」


 じいじが頷いた。


「テリーや、こいつを飲んだのは、お前だろう?」

「……はい」

「あれはのう、スノウ王妃様のものなんだぞ? どう責任を取るつもりじゃ?」

「……」

「子供だからって許されんぞ」

「……」

「どう責任を取るつもりじゃ?」

「……」

「貴族であるなら、それ相当の詫びを考えているな?」

「……」

「何とか言いなさい」

「……」

「テリー」


 あたしは黙る。言い訳を考える。どんな言い訳なら通用するか考える。しかし、じいじは許さない。

 ビリーの額に、青筋が立った。高らかにビリーが腕を上げる。そして、テーブルを、ばーーーーん! と叩いた。


「このふぬけーーーーーー!!!!」

「ひっ!」


 途端にリビングが揺れる。地震が起きる。あたしの肩も揺れた。血の気が一瞬で下がり、顔を引き攣らせて、青い顔でビリーを見る。ビリーの目は、すさまじい怒りで燃えている。白い髭の隙間から、大きな口を開けた。


「他人だったら私が怒らないとでも思ったか!!」

「そ、そんなこと思ってないわ! じいじっ……」

「人の家の高級そうなものを勝手に飲み食いしてはいかん!! 貴族として、この国に住む者として、人間としての最低限のマナーだぞ!!」

「だ、だって……!」

「飲みたいで許される問題ではない!! 決められた法律も守れん小娘が、何を貴族だと偉そうに語っているんだ!!」

「え、偉そうなんて……」

「黙れ!!!」

「ひっ!」

「だいたいお前は!!!」


 最低限のマナーさえ守っていればいいと思っているんだろう。自分は言う通りにしていれば可愛がってもらえると思っているんだろう。何のためにここに来たかを思い出してみろ。中途半端に余裕をもったふりをして軸がないのにそんなことするから滑って転んで屋敷を追い出され、貴族としての権利を忘れろとまで言われたのではないか。お前は14歳にもなってそんな教育も受けていないのか。ミス・リヴェが何のために提案したと思っているんだ。ベックス家当主の夫人がなぜ決断したのか分かっているのか。お前は人々の期待を無視して、この10月さえ乗り越えられたらどうにでもなると思っているんだ。だからこそ、こんな軽率な行動が取れるんだ。課題の問題集もキッドにやらせようなどと言語道断。自力で何とかせい。お前が悪いんだぞ。お前のせいなんだぞ。そうして自分で全ての過程を作っておいて結果を結び付けたくせにお前はそれすらも全て人のせいにするのではないか? 冷蔵庫にあったのが悪い。誰もいなかったのが悪い。高級なものを置いていたのが悪いとか言い訳する口だけ達者になるんだ。そんな底辺な人間に成り下がるか? ええ? 何とか言ったらどうだ? テリー。言い訳や愚痴が出てくるのは、何も考えてなかった証拠だ。考えて行動した人間は言い訳や愚痴は出ない。自分で原因を探り、反省し、次に活かすのじゃ。お前はどうだ? ええ? 弱音吐いて愚痴を吐いて少しでも自分で何かを成し遂げようとしたか!


「何とか言わんかい!!」

「……」


 あたしの目には、涙が溜まっている。

 じわあ、と涙が溜まっている。

 だけどじいじは止まらない。

 あたしの痛いところを、つきつきつきつきと突いてくる。

 何でここまで言われなきゃいけないんだと思うくらい、『正論』を言ってくる。


(やめて……。それ以上は……)


「いい加減にしろ! テリー!!」

「だ、だって……」


 あたしの目がうるりと光る。


「だって……」


 あたしの顔がぐちゃりと歪んだ。


「飲みたかったんだもんーーーーー!!」


 テーブルに突っ伏した。


「うわあああああああああん!!!」


 子供のように泣き叫び、泣きじゃくり、ずびずび鼻水を出して、涙を出して、情けないくらい泣くと、じいじがそっと、とても綺麗なハンカチをあたしに差し出した。そして、普段の優しい声に戻る。


「いいかい。テリーや。他人の家で世話になっているということを、忘れてはいかんぞ」

「ぐすっ! ぐすっ! ぐすっ!」

「お菓子はいくらでも食べていい。果物のジュースだって、いくらでも飲んでいい。でもな、酒は法律で決められている。そうだろう?」

「こくこくこくこく!」

「王様の決めたことを破ってはいかん。王様が悲しんでしまうぞ」

「こくこくこくこく!」

「その顔をお拭きなさい。せっかくの美人が台無しではないか」

「ずびいいいいいいい!!」

「テリー、私に言うことは?」

「お酒のんでごべんだざい……!」

「うんうん。しょうがないのう。今回だけは許そう。もうしてはいけないよ。いいな?」

「あいっ……!!」


 泣きながら頷くと、あたしの顔を見たじいじが微笑んだ。


「ワインのことは気にせんでいいぞ。いつでも用意できる安物のワインじゃ。スノウがこの家にいる時でも飲みたいと言ってきたから、用意しておいただけで、深い意味も特にない」

「ぐすっ! ぐすっ! ぐすっ! ぐすっ!」

「でも、もう18歳になるまでは、飲んではいけないぞ? ん? いいかい?」

「こくこくこくこく!」

「そうかい。物分かりの良い子じゃのう。テリーは。鼻をかみなさい」

「ずびぃいいいいい!」


 じいじ、あたし良い子になります。ごめんなさい。


(……ビリー、怖い……!!)


 体がぶるぶる震えている。涙が止まらない。鼻水も止まらない。


(トラウマになる説教だったわ……)


 本人の痛いところをつきつきつきつき! 痛い痛い痛いごめんなさい!


(お酒……飲めない……)

(飲んだら……また怒られる……)


 大好きなのに。


(飲んだら……怒られる……)


 反省よりも、ビリーの説教が怖くて、あたしは体を震わせた。




(*'ω'*)



 9時30分。噴水前。



 時計台の針が動く。31分になる。既に噴水前にいたリトルルビィがあたしを見る。


「おはよう! テリー!」

「……ニコラ」

「おはよう! ニコラ!」

「……ん」


 手を振り、リトルルビィに返事をすると、リトルルビィがきょとんとした。


「あれ? ニコラ、どうしたの?」

「……何が?」

「目が赤い」

「……充血してる?」

「うん!」

「はあ……」


 ため息を吐いて歩き出す。リトルルビィも横からついてくる。


「お願い。リトルルビィ。何も訊かないで抱っこさせて」

「テリー、また何かやっちゃったの?」

「ニコラ」

「ニコラ、また何かやっちゃったの?」

「抱っこさせて……」

「喜んで!」


 リトルルビィを抱っこしながら商店街通りに入る。


「大丈夫? ニコラ? どうしてそんなに元気ないの?」

「それはね、リトルルビィ、人は怒られて怒鳴られたら気分が下がるのよ」

「ニコラ、怒られたの?」

「リトルルビィ、お願い訊かないで。何も訊かないで何か面白い話をして」

「うーん! 面白い話かー」


 リトルルビィが眉をひそめて、ひらめいて、ぱっと顔を明るくさせる。


「テリー!」

「ニコラ」

「ニコラ!」

「ん」

「土曜日、あの、……どうだった?」


 少し恥ずかしそうにリトルルビィがあたしに訊く。土曜日といえば、一つしか思いつかない。


(……パレードね)


 ああ、そうよ。あたしはそのことに関して、リトルルビィに言いたいことがあるのよ。


「リトルルビィ」

「うん!」

「あんた、可愛いわね」


 リトルルビィが硬直した。


「……え、えっと……」


 リトルルビィの頬がぼっ! と赤らんで、あたしを見つめる。


「ど、どうして?」

「西区域に散々促してたでしょう? パレードのこと、言っちゃいけなかったの?」

「ん、うん。秘密だったの。……でも」


 真っ赤な顔のリトルルビィが、あたしから目を伏せる。


「せっかくだから、テ……」


 リトルルビィが言い直す。


「……ニコラに見て欲しかったんだもん……」

「あんたの舞は誰よりも可愛かったわ。メニーも見てたらそう言うはずよ」

「ほ、本当?」

「ん」

「……えへへ」


 ふにゃあ、とリトルルビィの表情が緩む。


「ニコラ、ぎゅってしていい?」

「ええ。ぜひお願い」


 リトルルビィがあたしの肩を抱く。


「うふふふふふぅ!」


 リトルルビィが赤らんだ顔でを隠す。リトルルビィの足がゆらゆらと嬉しそうに揺れる。


「ニコラ! 今日もお仕事頑張ろうね!」

「あんた、お休みはちゃんと取ったの?」

「大丈夫! 今週は三連休もあるし、今日の私はすごく元気だから!!」


 歩いていると、荷物を運んでいたレストランの店員が声をかけてきた。


「おや、おはよう。仲良しだね。二人とも」

「エドモンドさん、おはようございます!」

「おはようございます」


 リトルルビィとあたしが挨拶して、また道を歩くと、前から出店の荷物を運んでた人が声をかけてきた。


「おお! 二人ともおはよう!」

「おはようございます! ワドルフさん!」

「おはようございます」


 前からサガンが大きい荷物を持って歩いてくる。リトルルビィから声をかける。


「おはようございます! サガンさん!」

「おはようございます」

「……ルビィ、一瞬こいつを持ってくれ」

「はい!」


 あたしに抱っこされたリトルルビィがサガンの荷物を一瞬だけ持つ。サガンが背負うリュックを背負い直し、リトルルビィに手を差しだす。


「悪かったな」

「とんでもないです!」


 サガンが荷物を持って、あたし達二人を見下ろした。


「昼間に噴水前でイベントをやるんだ。暇なら盛大に盛り上げに来い」

「仕掛け人ってことですか?」


 リトルルビィが首を傾げると、サガンが頷く。


「仕掛け人くらい用意しないと、こちらも商売あがったりだ」


 ため息混じりに言って、サガンが噴水前に向かって歩き出す。それを見送り、あたしはリトルルビィと顔を見合わせた。


「イベントって何するのかしら」

「お昼に行ってみる?」

「どうせお弁当食べるし、遠目で見るくらいならいいかもね」


 言いながら目の前にあるドリーム・キャンディの建物の中に入っていく。リトルルビィを地面に下ろす。


「おはようございます!」

「おはようございます」

「おはよー」


 レジにはジョージがいた。あたし達を見て微笑む。


「今日は忙しいよ。サガンさん達が噴水前で、良い子のためによる楽器を弾かせるイベントをやるらしい」

「さっき、すれちがいました! へえ。楽器のイベントなんですね!」


 リトルルビィが言うと、ジョージが頷く。


「ルビィちゃんも何か弾いてくれば? 楽器は触ったことある?」

「笛をちょっとだけ!」


 呪われたソフィアを倒す時に、魔法の笛を、ちょっとだけ。


「そう。ならいい機会だ。休憩時間に触りに行くといい」

「はい!」

「ニコラちゃんは? 楽器触ったことある?」

「あまり無いです」


 記憶が戻ってから、この間弾いた以外で、触ったことはない。近づいたこともない。


「じゃあ、ニコラちゃんも、ぜひ」


 ジョージがあたしに微笑んだ。


「アリスちゃんは残念だったね。今日はお休みだから」

「え? アリス、今日いないんですか?」

「うん。学校行事が重なったとかで、お休み。学生さんだし、学業優先」


 ジョージが手を叩く。


「さ、二人とも、荷物置いておいで」

「はーい!」

「はい」

「あ、ニコラちゃん、今日レジね」

「……」


 黙ると、ジョージがくすっと笑った。


「大丈夫。俺も最初の頃やりたくなくて逃げてたら、カリンに無理矢理指示されたから」

「……」

「慣れだよ。慣れ。大丈夫。一階の品出しは僕だから、何かあったらすぐ呼んで」


 さあ、今日も仕事だ仕事だ。働くぞー。ぱんぱん! とジョージが手を叩く。


「アリスちゃんの分まで、頑張ってね。二人とも」


 ジョージがレジカウンターから出て、店の外のシャッターを上げに歩き出した。


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