第16話 10月11日(1)

 時計が鳴る前に目が覚める。ぐっと起き上がって、時計の針を見れば、7時30分。


(お腹……痛くない)


 昨日の痛みが嘘だったように、けろっとしている。


(今日は行けそう……)


 もう一度ぐぐっと伸びをして、ふう、と息を吐きながら、脱力する。


(……ちょっと眠いけど、起きよう)


 目覚まし時計のボタンを押して、起きてますよと目覚まし時計に知らせる。これで目覚ましの音は鳴らないはずだ。

 寝巻の格好のままスリッパを穿き、階段を下りてリビングに行くと、じいじが眼鏡をかけて、ソファーで本を読んでいた。下りてきたあたしをちらっと見て、微笑む。


「おはよう、ニコラや」

「おはよう、じいじ」

「気分はどうじゃ?」

「昨日が嘘みたいに元気よ」


 ため息交じりに言うと、じいじも微笑みながら、本を閉じた。


「昨日のスープの効果かのう。栄養が取れて、血の巡りもよくなったのかもしれない」

「だからって、あんなに大量に作る?」


 にっこにこのキッドと、にっこにこのリトルルビィの白熱したスープバトルは、じいじの勝利で終わった。二人とも、じいじの腕には敵わなかった。


「勝者ビリー」

「ふぉふぉふぉ」

「「えー!?」」

「テリー!私のは!?」

「テリー!俺のは!?」

「うるせえ!!」


 額を押さえて、またため息をつく。


「お陰でトイレは近くなるし、ボードゲーム如きでまたキッドとリトルルビィが白熱しだすし、散々だったわ」

「今日は行けそうかい?」

「ええ。昨日の分まで働いてくる。貴族はね、平民ばかりに働かせないのよ」


 そう言って、ちらっと階段を見上げて、


「キッドは?」

「午後から城に戻るらしい。まだ寝とるよ」

「よし! ……起きてこないでよ……」


 じっと二階を睨み、階段に足を乗せる。


「じいじ、着替えてくるわ」

「そうしなさい。その間に朝食は用意しておこう」

「今日は何?」

「葡萄のヨーグルトは好きか?」

「病み上がりのあたしにはぴったりだわ。最高よ」


 そう言って、キッドが起きないように、あたしはゆっくりと階段を上った。

 二階に行って、部屋に戻って、クローゼットを開ける。


(さて……)


 病み上がりの服装だ。少し楽な感じでいこう。


 キッドのお下がりのパーカーを着て、スノウ様に買っていただいた黒いパンツを穿いて、靴下、動きやすい靴を履いて、髪の毛を二つのおさげにして、小指に指輪をはめて、ジャケットとリュックを持ち、


(ん……)


 ミックスマックスのストラップが揺れていて、ダサい帽子が揺れていて、顔を歪める。


(ああ……あたしのリュックが……。……朝から最悪……。今日は品出しかしら?)


 そんなことを思いながら、また部屋を出た。




(*'ω'*)



9時30分。噴水前。



 のんびり待っていると、リトルルビィが駆けてきた。


「ニコラ!」


 リトルルビィが微笑みながら走ってくる。あたしもリトルルビィに振り向いた。


「おはよう」

「おはよう! もう大丈夫?」

「ええ」


 こくりと頷けば、リトルルビィがにっこりと笑う。


「きっと、昨日の私の愛のスープがテリーの生理痛を打ち砕いたのよ! 本物の勝者は! このルビィ!」

「戻ってる。ニコラ」

「きっと、昨日の私の愛のスープがニコラの生理痛を打ち砕いたのよ! 本物の勝者は! このルビィ!」

「大声で言わない」

「ねえねえ、美味しかった? 昨日のスープ、美味しかった?」

「あんた、スープまで赤色なのね」


 色にしてはあっさりして飲みやすかったトマト中心の野菜スープ。思い出しながら、リトルルビィと歩き出す。


「野菜って体に良いのよ! キッドの部下の人がね、私が熱出た時に作ってくれたの!」

「あいつの部下って意外と母性の強い人が多いわよね」

「だって、キッドの部下よ?」

「ああ……」


 二人で同じタイミングで頷く。


「分かりみが深い……」

「うん……。苦労してるよ……」

「ふああ……」


 欠伸が出る。


「眠い」

「そうよね。生理の時ってぼんやりしちゃうのよね……」

「え?」


 あたしはリトルルビィを見下ろす。


「ん?」


 リトルルビィは首を傾げる。


「なあに? ニコラ」

「……ねえ、前々から、まさかとは思ってたけど……」


 あたしはリトルルビィに指を差す。


「あんた、生理になってるの?」

「え?」


 リトルルビィがぽっと頬を赤く染めて、手で頰を押さえる。


「や、やだ……。ニコラってば」

「あ、ごめん。デリケートな話題だっ……」

「そんなに私と、赤ちゃん作りたいなんて……!」

「……」

「いいよ!」


 リトルルビィの赤い目が、きりっと輝く。


「いいよ! ニコラなら!」


 リトルルビィが意を決したように、背筋を伸ばす。


「私、ニコラと赤ちゃん、作るよ! もう、体と心は大人の女だもん!」

「さあニコラ!」

「私と!」

「赤ちゃん!」

「子作り!」

「れっつ、こづく……」


 リトルルビィの口を押さえた。


「むぶっ!!」


 ぎりぎりと、リトルルビィを睨む。


「公の場でそういうこと言うんじゃないの……! はしたない……!!」

「むううううう!」

「ええ! そうね! コウノトリさんね! コウノトリさんにお手紙書きましょうね! ルビィちゃんやい!!」


 リトルルビィの手を引っ張ってさっさと歩いていく。


「きゃっ! ニコラったら! おてて繋ぐ時も強引なんだから……!」

「あら、ルビィちゃん、ニコラちゃん」


 近所の果物屋の社員とすれ違う。


「おはよう」

「おはようございます」

「おはようございます! メルリさん!」


 あたしとリトルルビィが挨拶して、通り過ぎる。


「あ、ルビィとニコラちゃん」


 近所の精肉屋のアルバイトとすれ違う。


「おはよう!」

「おはようございます」

「エリカさん、おはようございます!」


 あたしとリトルルビィが挨拶して、通り過ぎる。


「あ、サガンさん!」


 外でパイプを吸ってたサガンの前を通る。リトルルビィから声をかけると、サガンがちらっとあたしたちを見た。


「おはようございます!」

「おはようございます」

「おう」


 手をひらひらと振って、あたしたちがその前を通る。


「きゃー! 遅刻遅刻ー!」


 向かいから、アリスがパンを咥えて走ってきた。そして、あたしたちの前で立ち止まり、ドリーム・キャンディの前で立ち止まり、きょろきょろと見渡し、チッと舌打ちした。


「畜生…。パンを咥えて走ってたらばったりキッド様とぶつかって、ちょっと喧嘩した後学校で転校生としてやってきたキッド様に、あの時のレディ! あの時の不良! っていう下りの夢を見たからやったのに、結局何もないじゃないのよ! どういうことよ! ニコラ!!」

「あたしに言われてもね」


(というか、どんな夢見てるのよ……)


 アリス、世の中にはね、キッドよりも素敵な殿方が沢山いるのよ。ね、目を覚まして。


「おはよう。アリス」

「おはよう!」


 あたしとリトルルビィが挨拶をすると、アリスもいつもの向日葵のような微笑みを浮かべる。


「おはよう!」


 そして、キッドとぶつかって出会うことを諦めたアリスがパンを食べ始めた。


「はーは。ひっほははひはひははっははー」


 あーあ。キッド様に会いたかったなー。


「アリス、食べるか喋るかどちらかにしなさい」


 アリスが頷き、パンを食べる。食べる方を優先したらしい。


「……昨日、あたしがいない分、穴が開いちゃったでしょ。……大丈夫だった?」

「へいひへいひ」


 アリスがごくりとパンを飲んだ。


「ニコラの分、このアリスちゃんが一生懸命働いたんだから! 代わりに今日は重いもの持って運んで、お掃除もしてよね!」

「分かってる。倍にして働くわ」

「冗談よ。無理しないで」


 アリスが優しく微笑んだ。


「生理なんでしょう? なんかあったら言って。私も頑張るから」

「……アリスが生理の時は助けるわ」

「うん。来週辺りなりそうな予感する。お願いね。ニコラ」


 アリスがあたし達に向き合い、意気込んだ。


「さあ、ニコラも揃ったところで、今日も看板娘の美少女三人で、お菓子屋を盛り上げるわよ! えいえいおー!」

「えいえいおー!」

「……おー……」


 アリスとリトルルビィが気合を入れて片腕を上げる。あたしもゆっくりと上げると、見てたパン屋の店員がくすくす笑いながら通り過ぎる。


「アリスちゃん、ニコラちゃんの顔見てごらん。呆れてるよ」

「何言ってるんですか! アンディさんってば! ニコラってば、今日も素敵な笑顔!」

「……ハハハ」

「ニコラちゃん、棒読みだよ」


 アンディが通り過ぎていく。アリスが店のシャッターを上げた。


「……あれ? 誰もいない」


 暗い店内を見て、アリスがきょろきょろと首を回す。


「リトルルビィ、鍵!」

「うん!」


 リトルルビィが店の花壇の裏に手を伸ばして、鍵を握り、それをアリスに手渡す。


「はい!」

「ひらけ、ゴマ!」


 アリスが鍵を捻ると、扉が開いた。そのまま中に入って、電気をつける。


「あれ? 本当に誰もいないじゃない」


 アリスが不思議そうに店の中を見て、カウンターに入る。シフトが書かれた紙を見て、ぱちぱちと瞬きさせる。


「今日は……朝はカリンさんがいるはずなんだけど……」


 ちらっと、アリスが店の中の時計を見る。


「うーん」


 アリスが顔をしかめた。


「……まあ、来るでしょ。レジだけ用意しておこうかな」

「アリス、荷物置いてくるよ」


 リトルルビィが手を差しだす。


「うん。お願い」


 アリスが鞄と上着をリトルルビィに差し出す。あたしとリトルルビィが店の奥に入り、荷物置き場の棚に鞄と上着を置く。そして、また表に戻ってくる。

 アリスはレジの準備をして、準備を完了させ、またチラッと時計を見た。


「開店5分前……」

「電話してみたら?」


 リトルルビィがアリスに提案した。


「した方がいいわよね……」

「うん」

「でも、来るかも」

「5分前だし、した方がいいよ」

「……ん。分かった。してみる」


 カウンターに置かれた電話にアリスが手を伸ばし、番号を回す。そして、しばらく受話器を耳につけ、しばらく黙り、あ、と声を出した。


「もしもし? カリンさん? アリスですけど」


 アリスが喋る。


「……ん? 今日シフト入ってますよ」


 アリスがきょとんとして、


「本当です。……ふふっ。本当ですよ。……はい。朝からカリンさん入ってますよ」


 しばらくして、アリスが笑い、


「ふふっ! もうカリンさんってば!」


 そしてまた黙り、ぶふっと笑った。


「悪夢ですか? それは、きっとジャックのせいですね! 私達も襲われる前に、開店してお菓子売っちゃいますね!」


 アリスが受話器を置いた。リトルルビィがカウンターに肘を伸ばす。


「なんて言ってた?」

「忘れてたって」


 リトルルビィの問いにアリスが答え、ケラケラ笑った。


「なんか怖い夢見たんだって! 悪夢見てぼうっとして忘れてたって。ふふっ。カリンさんらしい!」

「カリンさん、来るの?」


 あたしが訊くと、アリスが頷く。


「準備してすぐに向かうらしいわ。カリンさん、家近いからそんなにかからないと思うわよ。開店して気長に待ってましょうよ。朝だし、お客さんもきっと少ないわよ」


 アリスが強気に、ニッと微笑み、腰に手を置いた。


「リトルルビィ! 看板をめくってオープンにするのよ! その後は二階の品出し!」

「いえっさー!」

「ニコラは一階の品出し!」

「了解」


 頷く。


「私はカリンさんの代わりに、このレジという名のフィールドを守りつつ、雑誌を読むわ」


 そう言って、情報誌を手に取る。


「今週のはね、キッド様がお国に帰ってきたでしょう? 隣国特集なのよ。ああ、キッド様のインタビュー姿、美しい……。麗しい……! 私、キッド様の写真だけ切り取って部屋の天井に飾ったんだけどね、もう、寝る前にベッドで目が合って、ドキドキしちゃった……!」

「看板めくってくるね」


 リトルルビィが逃げる。


「あたし、棚見てくるわ」


 あたしも逃げる。


「待って! ニコラ! 一人にしないで!! 話そうよ! ニコラってば!! キッド様のお話しようよ! おーーーーい! ニコラちゃんやーーーーい!」


 アリスの叫びと共に、今日もドリーム・キャンディが開店する。


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