第7話 10月2日(1)


 じりりりりりり、と、目覚まし時計が鳴った。


(うるさい……)


 音の発信源に手を伸ばせば、うるさく鳴り響く目覚まし時計に手が触れて、直後、目覚まし時計が吹っ飛んだ。


(ん?)


 ボトッ、とあたしの頭に落ちてくる。


「痛い!」


 慌てて起き上がり、目覚まし時計を睨みつけた。


(くう! 昨日のみならず今日までも! 許さない! こいつ!)


 叩くように手を振り下ろし、目覚まし時計を止めた。時計の針は8時。その針を見て、ふああ、と欠伸が出る。


(仕事……)


 二度寝したらもう起きれなくなりそうだ。早々にベッドから抜けて、クローゼットを開ける。


(えっと……)


 キッドのお下がりのニット服を着て、スノウ様から買って頂いたパンツを穿き、靴下、歩きやすい靴を履いて、鏡を見れば男の子のような格好だと思って、邪魔な髪の毛を二つのおさげにして、小指に指輪をはめて、少し女の子っぽくなって、それから部屋から出る。


 リビングに下りるとキッチンから音が聞こえる。覗くと、じいじが鍋で何かを煮込んでいた。あたしに気づき、振り向く。


「おはよう。ニコラや」

「おはよう。じいじ」

「顔を洗っておいで。ご飯にしよう」

「はい」


 眠たい目を擦りながら洗面所に行く。狭い洗面所で顔を洗い、棚に置いてあるタオルで顔を拭く。


(よし、あたし今日も美しいわ)


 鏡の自分を見て、自分の美しさを確認してからタオルを元の場所に戻し、リビングに戻る。テーブルには朝食が用意されていた。

 今日はトーストの上に目玉焼きとベーコンがそのまま乗っているもの。溶けたチーズでコーティングされている。隣には先ほど鍋に入っていたリンゴスープ。


「牛乳は?」

「飲む」


 じいじがグラスに牛乳が注ぎ、あたしの前に置いた。


「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」


 握っていた手を離し、トーストを持ち上げ、耳を噛む。カリカリのトーストと目玉焼きを一緒に食べていく。しばらくして、あたしの目が見開かれた。


(はっ!)


 目玉焼きが、半熟だわ!


(しまった!)


 垂れてくる! 垂れてくる! 洋服が汚れる! 待って! 垂れてくる!!!


(……美味……!)


「ナイフを使うかい?」


 じいじが訊いてくるが、あたしはキリッ、とした目だけを向けた。


「じいじ、今だけちょっとそっち向いてて」

「ああ、はいはい」


 じいじが顔を背けた瞬間に、口を大きく開けて、あむ、と目玉焼きを頬張る。流すように口に入れ、もぐもぐ噛んで、ごくりと飲み込めば、生まれつき持ったあたしのきつい目が緩んだ。


(……美味しい……)


「美味しかったかい?」

「そうね。悪くないかも」

「手を拭きなさい」


 ナプキンで手を拭く。


「スープが少し熱いんじゃ。火傷に気をつけての」


 ふー、と息をかけてから少し飲んでみる。まだ少し熱い。


(もうちょっとかしら。舌がぴりぴりする…)


 少しして、もう一度ごくりと飲めば、温かいリンゴの果汁いっぱいのスープが口の中に広がる。


(……温まる)


 あたしの体がぽかぽかしてくる。


「時間は大丈夫か?」

「まだ大丈夫」

「早めに支度するんじゃぞ」

「分かってる」


 朝食を全て平らげ、感謝の言葉を。


「ご馳走様でした」


 皿をキッチンの洗い場に運び、洗面所に行って歯を磨く。


(……眠い……)


 うがいをして、歯が綺麗になったことを確認してから洗面所を出て、時計を確認する。


(そろそろ行こう)


 二階に上がり、部屋に入り、リュックの中身を確認する。ポーチも持った、鍵も入ってる。お財布も入ってる。


「よし、行ける」


 リュックを背負い、また部屋から出て、リビングに下りる。


「じいじ、行ってくるわ」

「待ちなさい。ニコラや」

「ん?」


 振り返ると、じいじが包みをあたしに渡す。それを受け取り、包みを見下ろした。


「何これ」

「弁当じゃ」

「……え?」


 呆然と顔を上げて、じいじを見る。


「作ったの?」

「暇じゃったからのう」


 じいじがあたしの肩をぽんぽんと叩いた。


「昨日、話を聞いてて、そういえば昼飯のことを考えてなかったと思ってのう。無駄な金を使わせるのも忍びない。食事くらいは用意しよう。今日も頑張っておいで」

「……」


 手に持つお弁当を、再び見下ろす。


(まさか、この人にお弁当を作ってもらうなんて、思ってなかった)


「……」


 温かい包みをぎゅっと抱きしめて、じいじにぼそりと言う。


「……別に良かったのに……」

「水筒も忘れんでな」

「……水筒まで……」

「ほれ、遅刻するぞ」

「……はい」


 包みと水筒をリュックに入れて、またじいじに向き直る。


「……行ってきます」

「ふむ。馬車に気をつけてな」


 じいじに頷いて、あたしは家を出た。外に出ると、秋の風が顔に当たる。空は少し曇り空。


(雨降りそう……。降ったらどこかで買えばいいか)


 雨が降ったら、リュックが濡れて、中のお弁当に影響するかも。


(……何作ったのかしら。……気になる……)


 ゆっくり歩いて広場に向かう。足を動かして、道を進み、一本道を進み、建物が見えてきて、入って、建物を進み、人が歩いていて、道を進み、人とすれ違い、広場に入って、噴水前に行く。街から見える時計台の時計は、9時32分。

 リトルルビィが既に噴水前にいた。あたしの顔を見て、手を振ってくる。


「おはよう! テリー!」

「ニコラ」

「ニコラ、おはよう!」

「おはよう、リトルルビィ。熱は?」

「大丈夫!」

「そう。なら行きましょう」

「うん!」


 一緒に並んで歩き出す。リトルルビィが空を見上げた。


「今日は曇っててじめじめするね。雨が降りそう」

「秋だから天候が左右されやすいのよ。降るなら降る。降らないなら降らないでほしいわ。今日みたいに中途半端に曇ってる天気が一番嫌い」

「こういう日ってお客さんも少ないの。昨日より暇かもしれないね」

「仕事の確認が出来るから、あたしはありがたいけど」

「ふふっ! 確かにね! でもお客さんがいないと時間の流れが遅いから、私はあまり好きじゃないの」


 リトルルビィがふう、とため息をつき、ちらっとあたしを見てきた。


「ニコラ、メモは見てきた?」

「隠れた貴族令嬢をなめないでちょうだい。ちゃんと迷惑にならないように、品出しは完璧にするつもりよ」

「流石ニコラ! 今日も頑張ろうね!」


 リトルルビィがぐっと拳を握る。

 しばらく歩くと、シャッターが半分閉まったドリーム・キャンディにたどり着く。リトルルビィが扉を開けて、中に入る。あたしもその後ろをついていく。


「おはようございまーす!」

「おはようございます」


 リトルルビィと一緒に声を揃えると、カリンがあたし達を見た。


「おはよう、二人ともぉ」


 ふわふわと柔らかい笑みを浮かべ、レジの用意をしている。


「今日も頑張りましょうねぇ」

「……あの、奥さんは?」


 あたしが訊くと、リトルルビィが答える。


「シフトが午後からなのよ。朝はカリンさんと私とニコラとアリスがいるはず」

「今日もアリスと回る感じかしら」

「そうね。ニコラもまだ二日目だし、アリスにくっついてるといいよ!」

「おはようございまーす!」


 アリスが店に入ってきた。あたし達を見て、にかっと笑う。


「おはよう! リトルルビィ! ニコラ!」

「おはようアリス!」

「……おはよう」

「よしよし、今日も美少女三人組で頑張るぞ!」

「うふふ。アリスちゃんは元気ねぇ」


 カリンが微笑み、レジのレバーを回す。がーーー、と音がして、レシートの紙が流れ出てくる。


「さて、お店開けましょうかぁ。荷物置いてきてねぇ。三人ともぉ」


 カリンに言われ、裏に鞄を置きに行くと、社長と鉢合わせる。


「あ、社長! おはようございます! 今日もよろしくお願いします!」


 アリスが声を上げると、社長が頷いた。


「……よろしく」


 静かに厨房に籠った。


「今日は何のケーキ作るんだろ。社長」


 アリスがにやけながら、あたし達に振り向いた。


「よし、持ち場に行くわよ! リトルルビィ! ニコラ!」

「おー!」

「……おー」


 リトルルビィにつられて返事をして、今日の持ち場をカリンに訊く。あたしとアリスは一階の品出し。リトルルビィが二階の品出し。


 アリスと一緒にぐるぐる店内を見回し、品出しが出来る場所を探す。なければ、またぐるぐる店内を歩き回るか、ぼうっと立っているか、またくるくる回るか、どちらかだ。しばらくすると客が入ってきた。


「いらっしゃいませぇ」


 昨日も来ていた顔が炭だらけのホレおばさんだ。


「ほらね。来たでしょ?」


 アリスがくすっと笑ってあたしに耳打ちした。


「あの人以外にも常連さんっているのよ。ニコラ、昨日見たっけ? 男の人」

「……さあ?」

「あのね、すっごい身長の高い、ごつい人。社長といい勝負の強面なの。見てない?」


(……そんな人いたかしら……)


 話していると、また店の扉が開いた。強面顔の、高身長の、黒髪の男が入ってきた。


「ほらほらほら! 噂をすれば!!」


 アリスが興奮したようにあたしの背中を叩いた。


「あの人、常連さん!」


 じっと洋菓子コーナーを眺め、ロールケーキを手に取り、レジに持っていく。カリンがお会計をした。


「あら、こんにちはぁ。今日は曇りですねぇ」


 男は黙っている。


「300ワドルですぅ」


 男は300ワドルを出した。


「レシートですぅ」


 レシートを受け取った。


「お品物ですぅ」


 お菓子を受け取った。


「ありがとうございますぅ」


 カリンが頭を下げると、男も礼儀正しく頭を深々と下げ、店から出て行った。


(……変な人)


「すごく礼儀正しいでしょ? 変な人なのよ」


 アリスと顔を見合わせると、アリスが突然、ぶふっと吹いた。あたしは意味が分からずきょとん。


「ふふふ!」

「………」

「なんか、ふふ! ニコラが無表情なのが、ふふふ! 面白い! ぶっふふふふ!」

「………」

「はー! さてさて、仕事仕事。ちょっと重たいのいきましょうか。ニコラ!」

「……はい」


 返事をして、くすくす笑うアリスの後ろについて行く。裏に行くと、商品が入った箱をアリスが見つけた。


「これは少し重たいから、私が持つわね。ニコラはそこで見てて!」

「分かった」

「すーはー。……せーの!」


 あたしを端に立たせて、アリスがしゃがみこみ、元気よく箱を持ち上げようと、立った瞬間――ぐきっ、と、音が鳴ったと同時に、アリスが体を硬直させた。


「……っ」


 アリスが息を呑んだ。


「……。……。……」


 アリスが黙った。


「……アリス?」


 アリスの返事はない。


「アリス?」


 アリスの返事はない。


「……アリス……?」


 あたしが近づく。違和感の感じるアリスの顔を覗きこむと、はっとした。


(この小娘! 思った以上の重さに驚いて、立ったまま気絶してる!!)


 顔を青ざめて白目で固まるアリス。あ、口からアリスちゃんっていう魂が出てきたわ。


(しょうがないわね……)


「アリス、あたしも持つわ。それで一旦これを置きましょう」


 アリスが持つ箱の端を掴む。


(せーの……)


 よっこいしょとあたしもその箱を持った瞬間――あたしの腰が、ぐきっと、変な音が鳴った。


「……っ」


 あたしは息を呑んだ。


「……」


 あたしは黙った。アリスも固まったまま黙った。あたしも固まった。とたとた、と足音が聞こえた。リトルルビィが裏に来て、固まるあたし達をぽかんとして見つめた。


「……何やってるの? 二人とも」


 近づいてきて、あたし達の顔を見て、ようやく状況を理解した。


「二人とも大丈夫!?」


 リトルルビィが箱を奪い取る。


「とりゃ」


 あたしとアリスの手から箱が離れると、二人で一斉に腰を抜かし、座り込んだ。


「ぜえぜえぜえぜえぜえぜえぜえぜえ!!」

「し、死ぬかと思ったわ……!!」


(ああ、あたしの腰が可哀想なことに!)


 あたしとアリスが青い顔でリトルルビィを見上げる。


「た、助かったわ……。リトルルビィ……」

「ありがとう! リトルルビィ! あんた年と見た目に寄らず本当に力持ちね!」

「もー……重たかったら台車使って運べばいいのに」

「はっ! その手があったか!」


 アリスがぎょっと目を見開く。


「アリス、遅い……」


 リトルルビィが呆れたように呟き、箱を地面に置いた。




(*'ω'*)



 12時。

 心休まる昼休憩。店から出て、秋風が吹くのを感じながら、アリスがあたしに訊いてきた。


「ニコラ、今日は何か持ってきてる?」

「……ん」


 リュックからお弁当の包みを出す。


「……お爺ちゃんが、作ってくれた……」

「あら、良いお爺ちゃんね! それじゃあ、今日は外で一緒に食べましょうか! 私も姉さんにお弁当渡されたから。リトルルビィは?」


 リトルルビィが財布を取り出した。


「パン買ってくる!」

「行ってらっしゃい! 噴水前で待ってるわね!」


 リトルルビィがパン屋に向かって走るのを見送るアリスが微笑み、あたしに振り向いた。


「というわけで、先に行こっか! ニコラ!」

「ん」


 頷き、アリスの後ろについていき、商店街通りを歩く。様々な店が並ぶ一本の道を足並み揃えて進み、噴水前までやってくる。


 辿り着くと、どこか違和感。


(ん?)


「あれ?」


 あたしが眉をひそめると、アリスも声をあげた。

 見上げれば、朝には何もなかった噴水前に、ハロウィンの飾りが施されていた。カボチャのイラストが描かれた連続旗が紐で結ばれ、噴水通りに吊るされていた。


 アリスが目を輝かせる。


「すごい! いつ飾ったのかしら? ねえ、ニコラ!」

「ここだけハロウィン景色ね」

「なんかいいわね。こういうの。ハロウィンの気分になってくるわ。ジャックも喜ぶでしょうね」


 二人で噴水前のベンチに座る。あたしは包みを膝に乗せ、隣でアリスも自分の包みを開ける。中身を覗き込み、表情を曇らせた。


「あ、サンドウィッチだ。……姉さんに昨日の夜、喫茶店でのこと話したから意地張ったのね」

「アリス、お姉さんがいるの?」

「うん!」


 アリスが笑顔で頷く。


「年はちょっと離れてるけど。帽子屋で父さんの手伝いしてるの」

「へえ」

「ね、ニコラは帽子被らないの? うちの店でオーダーメイドもやってるから、お給料入ったら予算決めて頼みにおいで!」

「……ええ、そうね。余裕があったら考えてみる」

「いいのを用意してあげるわ。なんせ、私はニコラの優しい先輩だもの!」


 アリスが自分の手を握る。


「我らが母の祈りに感謝して、いただきます!」


 そして、サンドウィッチを頬張る。


「うん! うまい!」


 自信満々に、感想を述べる。あたしも包みの中身を見る。……眉をひそめた。


(……何これ?)


 何かを挟んだトーストが二枚。アリスもあたしのお弁当を見て、首を傾げた。


「何それ?」

「分かんない……」


 ぱくりと一口頬張ると、瞬間、口の中にカリカリのリンゴの味が広がった。


(ん? 焼きリンゴ?)


 焼きリンゴを挟んだトースト。初日に食べたものと同じような気がするが、味が違う。


(何か混ぜてるみたい……。蜂蜜……? 砂糖……?)


 初日の焼きリンゴを挟んだパンも十分美味しかった。しかしこれは、焼かれたパンに、味付けした焼きリンゴが挟まっている。


(……なんかよく分かんないけど、……美味)


「何それ? 何なの? それ?」


 訊いてくるアリスにトーストを見せる。


「焼きリンゴが挟まったトースト」

「美味しいの?」


 静かに頷く。


「……美味しい」

「うふふ。ニコラのお爺ちゃんって、料理が得意なのね!」


(……ゆっくり食べよう)


 おかわりはない。あたしはゆっくり食べる。


「ニコラは料理する?」


 アリスの質問に首を振る。


「作れないわけじゃないけど、しない」

「作れないわけじゃないんだ? へえ、何作れるの?」

「シチューとか、カレーとか」

「ああ、その程度なら私も作れる! でも、家ではいつも姉さんが作ってくれるの」

「お姉さんが」

「そう。お母さん代わり!」


 その一言で、アリスが父子家庭であることを理解する。


「へえ」


 あたしとは逆なのね。アリスにはママがいなくて、あたしにはパパがいない。訊いてもいないのに、アリスは自分から話を始めた。


「私のお母さんね、私が小さい時に死んじゃったのよ。だから姉さんがお母さんの代わり」

「大変そうね」

「でも楽しくやってるのよ。お母さんの誕生日には、三人でお母さんの写真を囲ってパーティーするの。ふふっ!」

「アリスの家族は明るそう」

「普通よ。なんてことのない至って普通の家族。まあ、姉さんは私なんかとは違って、もう、ふーう! って感じだけど」

「ふーう?」


 きょとんと首を傾げると、


「お待たせー!」


 リトルルビィが笑顔で走ってきた。ちゃんと瞬間移動を使わず、力を抑えて走っている。あたし達の元にたどり着くと、息を切らしながら、あたしとアリスの間に無理やり入ってきた。


「よいしょっと」

「わわっ」


 アリスが慌てて端の方へ移動する。


「ちょっと、真ん中座らないでよ。ニコラと話が出来ないでしょ」

「大丈夫! 私がニコラとお話しするから!」

「こいつめ」


 アリスが笑いながらリトルルビィの頭を小突いた。リトルルビィが笑いながら、あたしの肩にぴったりとくっつき、袋からパンを取り出す。


(あ)


 そのパンを見て、あたしは目を見開く。


(ベーコンチーズパン)


 ニクスが働いてたパン屋、ミセス・スノー・ベーカリーの大人気商品だ。出始めた頃に、あたしもサリアと買いに出かけたことを思い出す。


(……あの当時は、ニクスがいたのよね)


 懐かしい。


「ん?」


 リトルルビィがあたしの顔を見た。そしてあたしの視線を辿り、パンを見下ろす。そしてまたあたしを見て、パンをそっと差し出した。


(ん?)


 きょとんとすると、リトルルビィがあたしに首を傾げた。


「ニコラ、一口食べる?」

「いらない。あんたが食べなさい」

「でも、すごい見てた!」

「懐かしいと思っただけよ」

「美味しいわよね。ベーコンチーズパン!」


 アリスがサンドウィッチを食べながら眺める。


「私も最近食べてないなあ」

「ニコラ、一口ならいいよ?」

「いらない」


 断ると、リトルルビィが、むすっと頬を膨らます。


(……なんで拗ねてるのよ)


 じっとその顔を見ていると、リトルルビィが俯き、ぼそりと呟いた。


「……間接キス、出来たのに……」


(ん?)


「リトルルビィ、今何か言った?」

「何も言ってないもん!」

「リトルルビィ! そんなに食べてほしいなら私が食べてあげる!」

「アリスは駄目!」

「何よ! 対人差別よ! 差別反対!」


 アリスが声を荒げ、それを無視してリトルルビィがパンを頬張る。そして、ふにゃりと頬を緩ませた。


(分かる。美味しいわよね。ベーコンチーズパン)


 あたしもお弁当のトーストにかぶりつき、むちゃむちゃと食べる。ふと、リトルルビィがアリスに訊いた。


「アリス、今日はこの後学校?」

「うん!」


 アリスが頷く。


「17時からね」

「学校?」


 あたしが訊けば、アリスがまた頷いた。


「そうよ。夜間のね」

「朝から働いて、夜は学校?」

「そうなの」

「疲れない?」

「疲れるわよ。いつも寝不足だもん」


 アリスが欠伸をした。


「私ね、将来実家継ぎたいんだけど、その前に働いておこうと思って。社会勉強としてアルバイト。んで、夜は学校に行って皆と同じく勉強してるのよ」

「働く必要ある?」

「まあ、家計が困ってるわけじゃないけど、お小遣い欲しいし」


 それに、とアリスが付け加えた。


「最近はバイト要員でニコラも増えたし、リトルルビィも動いてくれるから、私は楽が出来るわけよ! いやあ、助かりますなあ。二人にはこれから先、どんどん私の代わりに働いてもらうわ! 私が授業中、疲れて居眠りしないためにね! ふはははは!」

「もー……年上なんだからしっかりしてよ。アリス……」


 むうっとリトルルビィが唇を尖らせた後、あたしに微笑んだ。


「あ、でもニコラは無理しないでね。初めてのアルバイトなんだもん。ニコラの分は私が動くから、無理だけはしないでね! ね!」

「ちょっと! 何よ、その態度! なんでそんなに態度違うのよ! 二人の付き合いは長いかもしれないけどね! 私とニコラだって、もう二日の付き合いなんですからね!」

「二日ってまだ短いじゃない!」

「ぶふっ! そうよね! まだ短いわよね! ぶっふふふふ!」


 リトルルビィの言葉を聞いて、アリスがおかしそうに肩を揺らして、ケラケラ笑い出した。


(また笑ってる……)


 リトルルビィもアリスにつられて笑い、二人でケラケラ笑い出す。


(リトルルビィも巻き込まれてる。……本当にアリスってよく笑う子ね)


 会話の中で面白いと思ったら笑って、

 見るものが面白いと思ったら笑って、

 楽しそうにおかしそうに笑って、


(あたしにも、そんな時代があったかも)


 もう冷めた感情しか心には残っていない。アリスのように笑うことは出来ない。


(とても純粋なのね)


 無垢で、真っ白い心。


(何も知らない綺麗な心)


 羨ましい。


「あはははっ! ニコラ! なんでそんな冷めた目で見てくるの!? あはは! やばい! つぼにハマってしまったわ! あはははは!」


 アリスがお腹を抱えて笑い出す。

 あたしは黙ってじいじの作ったトーストを頬張る。濃厚な焼きリンゴを挟んだトーストは、とても美味しかった。


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