第4話 トランクに想いを詰め込んで



 商店街で、スノウ様があたしに着せ替えをさせる。


「ニコラは、こういうパンツが似合うわね!」


 スノウ様がにこにこして、見た目がスカートのようなひらひらしたパンツを持って、スノウ様がまたにこにこして、傍にいた店員に声をかけた。


「この形のパンツ、300着購入で」

「お母様!!」


 飛びついて、にっこり笑って、三本指を立てる。


「3着! あたし、3着で十分ですわ!」

「まあ! 何言ってるの!? 一ヶ月働くんでしょ!? 汚して破れた時用にも! 多めに持って不備はない!」

「違う種類のパンツも買っていただきましたし! 靴下も! 靴も! 服も! 下着まで! 全部買ってもらいました! もう色々揃ってます! そのパンツは3着でも十分間に合ってます!」

「えええ……、でもぉ……」

「大丈夫です! とても間に合ってますから! その代わり3着買ってくださいな! ママ、おねがぁーい!」

「そこまで言うなら、しょうがないわね。ほら、好きなの選んで。ニコラ」


 気に入った3着だけ選んで後は棚に戻してもらう。店員が、もう、唇を震わせ、青い顔をして、驚愕した目であたし達を見ている。普通の庶民の格好をしているからこそ、驚いている。貴族でもないのに何者なんだという目で見ている。


(やめろ!! あまり目立ってしまうと、名前を隠す意味もなくなるでしょ! お国の王妃様と出かけているのだって、バレるじゃない!! 貴女は馬鹿なの!? 馬鹿よ!! キッドに似て馬鹿よ!! だから王族って嫌いなのよ! やめろ!!)


「ニコラ! ニコラ! 見て見て! あのドレスすごい綺麗よ!」


 美しく光り輝くドレスに、うっとりとスノウ様が見惚れる。


「若い子が着たら、さぞ美しいんでしょうねえ…」


 ちらっと、あたしを見下ろして、


「ねえ? ニコラ?」

「お洋服と、パンツと、靴下に、靴。下着まで、何から何まで、本当にありがとうございました。あたし、もう十分です」

「ドレスはいらないの? ねえ、いらないの? ねえ、ドレスは!?」

「間に合ってますから!」

「ちぇっ!」


 スノウ様が唇を尖らせながら地面を蹴った。


(子供か!)


「あの……お客様……」


 店員が遠慮がちに声をかけてきて、山のように購入した袋を手で差す。


「こちらで、お間違いないでしょうか?」

「ええ。ご親切にありがとうございます。支払いを」


 スノウ様が人差し指を、くい、と動かすと、どこからともなく黒スーツ、サングラスの男が現れ、金貨を差し出す。店員が目を丸くさせて、思わず腰を抜かす。同時に、あたしの顔が青ざめる。


「あ、あの、あの、ス、あの、お母様、あの、これ、この荷物、あの、は、運びますね…」

「あら、いいのよ。ニコラ」


 ぱんぱんとスノウ様が手を叩く。

 すると、どこからともなく黒スーツ、サングラスの男が現れ、荷物をどんどん運んでいく。


(そういえば、読んだことがある)


 お金持ちのお嬢様。寝泊まりしてる学校の院長先生に、誕生日の日に様々なものを買ってもらうのだ。しかし、お金持ちであった父親が亡くなったと連絡を受け、父親の事業も潰れ、無一文となる。お金を使わされたと院長先生が怒り、お嬢様を使用人にして、奴隷のように虐めまくるのだ。


(あれ?)


 この状況によく似ている。


(あれ?)


 あたしがお嬢様の立場?


(あれ?)


 さっ、と血の気が引く。

 あたしが出て行ってる間に、屋敷に何かあって、経営がうまくいかなくなって、倒産して倒産して倒産しまくって、代々受け継がれた土地も持っていかれて、破産の嵐。無一文になったらどうなる?

 スノウ様が怒るのだ。

 無駄な金を使わされた。お前は今日から奴隷になるのだと。あたしに言うのだ。

 キッドがにやにや笑うだろう。


「何だったら助けてやろうか? その代わり、俺の玩具になるんだよ?」


 メニーがくすくす笑うだろう。


「ふふふっ! 私の部屋に入るからこうなるんだよ! うっふっふっふっふぅ!」


 ドロシーはあたしの肩に手を置くだろう。


「ま、こういう結果もあるさ。テリー」


 あってたまるか!!!!


「あばばばばばばばばばばばばば!!!」


 袋を運ぶ男たちのスーツを掴んで、荷物を持とうと飛び跳ねるが、丁寧に避けられる。あたしは青い顔で必死に手を伸ばして、ぴょんぴょん飛び跳ね続ける。


「持つ持つ持つ持つ! あたしが持つ! お願い、持たせてください! お願いします!! 奴隷は嫌よ!!」

「もう、ニコラったら! 飛び跳ねるくらい嬉しかったのね! はしゃいじゃって可愛いんだから!」

「運びます! あたしが全部運びますから! お願い! 奴隷はやめて! 奴隷だけは! ご容赦を! どうか!!」

「ニコラ、皆の仕事の邪魔しないの。ほら、持ちたいなら、ママのおててを持ってね?」


 笑顔のスノウ様にぎゅっと手を握られる。


(あ……! 待って……!!)


 手を伸ばすが、男たちは速やかに荷物を馬車に運んでいく。あたしの働きはゼロだ。体が恐怖で震えだす。


(あたしは、あたしは働こうとしたのよ……! ちゃんと荷物を持ちますって言ったのよ……! 何があったって、あたしは怠けたりしてないんだからね……!?)


「ニコラ、乗る馬車はそっちじゃないわよ。あれは荷物を運ぶ用の馬車。こっちおいで」

「ぶくぶくぶくぶく……!」


 恐怖に泡を吹きながらスノウ様に引きずられていく。そしてまた馬車に乗せられ、スノウ様が扉を閉めた。


「次行くわよー!」

「お、お母様……! もう十分です……!」

「まだまだ!」

「十分です!」

「私は足りない!!」


(このあまぁぁぁああああ!!)


 再び馬車が動き出す。あたしの体が揺られる。馬車が進む。荷物が積まれた馬車も後ろをついてきていることだろう。


(あーあ、もう知らない……)


 こんなに大量の衣服、どうしろってのよ。そうだ。着ればいいのよ。


(一ヶ月間だけなのに? この量を? 頭おかしくない? あたし、働きに出かけるのよ)


 何よ。この帽子。変な帽子ね。趣味悪いわよ。王妃様。


「はーあ! やっぱり女の子とのお買い物は楽しいわねー! クレアは城に引きこもってるし、なかなか一緒に出かけられないのよ!」


 スノウ様が上機嫌であたしに見つめる。


「ありがとね、テリー。私に付き合ってくれて。ストレスがだいぶ解消されたわ!」

「そんな、お母様。あたしの方こそ、こんなに沢山ご用意していただいて」

「いいのよ。私がショッピングしたいって言ったんだから。ああ、楽しかった」


 スノウ様が胸に手を当てて、にこにこ笑う。


「また行きましょうね。テリー」

「……ええ。ぜひ。時間のある時に」


 スノウ様は天使のように微笑む。

 スノウ様は太陽のように微笑む。


 この人が、心に病を持っているとは、到底思えない。


「……スノウ様、今日はありがとうございました。何から何まで、面倒を見ていただいて……」

「国民を助けるのは、王妃の役目ですからね! くくくっ!」


 彼女は死ぬ。国民の皆が、びっくりするくらい、あっさりと。


「……スノウ様」

「テリー、お母様でしょう?」

「スノウ様」


 幸せそうに笑うスノウ様に、あたしはじっと、鋭い目を向けた。


「今から、貴女に媚を売ります」

「ん?」


 きょとんとする、スノウ様に言った。


「ご体調は大丈夫ですか?」

「体調? ふふっ。突然どうしたの? そうね。健康そのものだわ。健康診断も何も引っ掛かってないし」

「中はどうですか?」

「中? 内臓? まだ妊娠は出来るわよ」

「心とか、精神とか、お困りになっていることはありませんか?」

「穏やか過ぎて平和過ぎて情緒安定過ぎて怖いくらいよ」


 あはは!


「なぁになぁに? どうしたって言うの? 私が死ぬ夢でも見た?」


 ああ、そっか。


「ハロウィン前だものね!」


 おかしそうに、スノウ様が笑う。


「いい? 悪い夢は、全部、切り裂きジャックのせいよ? ジャックが悪戯で悪夢を見せてるの。大変だわ。お菓子を渡さないと。テリー、この後好きなお菓子買ってあげるわ。持って帰ってご家族の方と食べなさいな」

「スノウ様」


 睨む。


「何もないんですね?」

「ふふっ」


 スノウ様が笑って、姿勢を直す。


「テリー、大丈夫よ」


 くすくすと、嬉しそうに、スノウ様が笑う。


「子供達も元気だし、旦那もお仕事頑張ってる。私は幸せよ。心を病むこともなく、健康で、何もない。そうね。心配なことと言えば、キッドがいつ戻ってくるのかわからないってことかしら?」

「……」


 心を、病んでない。


(そこがおかしいのよ)


 一度目の世界のスノウ様は、心を病んでた。外に出られないほど、城に引きこもって絶対に太陽なんか見るものかと、あたし達にその美しい姿を見せることなどなかった。知らない間に、死んだのだ。姿を見せることなく、その情報だけを国民に知らせたのだ。


(でも)


 今の世界のスノウ様は、真逆だ。太陽を求め、希望を求め、国民を愛して、家族を愛して、幸せだと笑っている。自殺をするなんて、思えない。

 黙って、じっと、スノウ様を見て、瞼を閉じる。


(……無駄な心配だったかしら)


 ドロシーの言う通り、今は、様子を見ることにしよう。事が起きるとすれば、来年だ。今はまだ、その時じゃない。


 あたしは瞼を上げて、スノウ様に微笑んだ。


「実は、ママが高齢期障害になったなんて話してまして、まだ若いからそんなことないと思うんですけど、お母様はどうなんだろうって、気になってしまって!」

「あー、でもねぇ、分かるわー。大人の女って色々大変なのよ。テリーも大人になればきっと分かるわ」


(……)


「大人って大変なんだー! すごーい!」

「うふふ! 媚売りはもうおしまい?」

「はい! おしまいです!」

「じゃあ、テリー、私も媚を売っていい?」


(ん?)


 きょとんとすると、スノウ様があたしの手を握り、微笑んだ。


「キッドで困ったことがあったらいつでも言って。あいつ、まだ戻ってきてないけど、相当隣国で気に入られているみたいなの」

「……でしょうね」

「聞いた話」


 隣国でもモテモテってところ。


「色んな貴族の令嬢や、お姫様に狙われてるみたいよ。本人は断ってるけどね」


 だから、もしもあいつが浮気なんてしたら、すぐに報告を。


「私がけちょんけちょんにしてやるから」

「まあ! 心強い!」


(別にいいのに)


 キッドに浮気されたところで、婚約が解消されて都合が良くなるだけだ。あたしはね、あの婚約届をさっさと破り捨ててしまいたいのよ。


(ここは猫をぶつけておこう)


 きゅるんと笑顔。


「でもお母様、心配ありませんわ。何かあれば、あたしはキッドに幸せになってもらいたいの。だからお別れすればいいと思うの。ぷう」

「あら、駄目よ」


 だって、


「私がテリーを気に入ってるから」


 にっこり微笑んで、スノウ様が、言った。


「健康診断で、余計に気に入りました」


 にっこり微笑んで、スノウ様があたしの手を離さない。


「これで結婚してくれたら言うこと無しなんだけどなー。そこまでは口出せないもの」


 でも、


「本当よ? 私、テリーを気に入ってるの。面白いし、良い子だし」


 私の心配をしてくれてるだなんて。


「ふふっ。まずは自分の心配をしてちょうだいね」


 スノウ様の指が、つんと、あたしの鼻を突いた。


「お仕事頑張って。応援してるわ」

「……ありがとうございます」


 軽く会釈すれば、スノウ様は嬉しそうに微笑む。なぜだろう。なぜ、あたしがスノウ様と買い物などしているのだろうか。


(この人はここにはいないはずの人間)


 リオン様とメニーが結婚する頃には、もうスノウ様は亡くなっていた。

 独り身になったゴーテル陛下は、二度と再婚することはなかった。人を愛することも無くなった。

 ゴーテル陛下はスノウ様を愛していたのだ。それはそれは深く、深く、愛していたからこそ、心を病んだスノウ様のことも気遣って、表に出そうとはしていなかった。


 そんなスノウ様が、自殺をする。

 首吊り自殺。


 国中、悲しみに暮れた。あたしはけろっとしていた。へぇ、亡くなったのね。とうとう姿を見せることはなかったわね。さて、ヴァイオリンのレッスンだわ。なんて言いながら紅茶を飲んで。


 その後、ゴーテル陛下の仕事は全てリオン様に回された。


 ゴーテル陛下は、それは、それはそれは、深く、深く、性格が歪んでいった。傲慢になって、怒り狂って、厳しく、怖い顔をするようになった。穏やかな目は鋭く吊り上がり、口を開けば、死刑、解雇、出て行け。


 穏やかで優しい王様は、孤独な王様となっていった。


 そこにメニーが現れ、息子の嫁であるメニーを、我が子のように、可愛がり始めるのだ。

 だから、だからこそ、あたし達家族に憎しみの目を向けるようになるのだ。


(お前のような女を心配ですって?)


 馬鹿ね。


(死なれたら困るのよ)


 だって、お前が死んだら、


(ゴーテル様が悪い形で豹変する)


 あたしが何度裁判で八つ当たりされたと思ってるのよ。


(あんな目に合うの、二度とごめんなのよ。だから、勝手にくたばらないでくれる?)


 それだけ。

 いくら、スノウ様に気に入られていようが、結婚してくれたらいいのにと言われようが、


(あたしには関係ないこと)

(だって、どうせ)

(キッドは、あたし以外の運命の人を見つけるんでしょ)


 分かっている。

 王子様は美しいお姫様と結婚するものだ。

 キッドだって同じ。

 女好きの王子様に、誰も期待なんてしていない。


(いや、一つ訂正だ)


 男好きの王子様に、誰も期待なんてしていない。


(若い頃って、一時的な感情で動きやすいものよ)

(キッドが、あたしを、好き、ね?)

(でも、考えてごらんなさい。男が好きな王子様が、あたしのような女を好きになる?)

(今まで、女の子を恋愛対象として、見ていなかった王子様が)


 あたしなんかに恋をするはずがない。


(もう目が覚めたのね)


 だから帰ってこないんでしょ。


(婚約届、早く返してよ)


 安心して。恨んだり、憎んだり、怒ったりしない。


(さっさと、あたしの目の前から消えてちょうだい)


 お前の正体も、秘密も、あたしは知った。お前に興味なんてない。

 もう、消えて。


(10月28日は、いざという時は、ドロシーがいる)

(リトルルビィもいる)

(ソフィアもいる)

(キッドは必要ない)


 そのまま、帰ってこなければいい。その分、あたしは笑顔で過ごすから。


「沢山お洋服着てね! テリー!」


 微笑むスノウ様を見て、


「ありがとうございます。お母様!」


 あたしは、にっこりと、可愛く微笑んだ。




(*'ω'*)




 数日後の前日の夜。

 部屋が荷物だらけだ。


「ナプキンと……薬と……歯ブラシと……下着と……」


 屋敷での最後の夜。まるで旅行に行くかのようにトランクに荷物を詰めていく。ドレスはいらないから、荷物はそれほど多くない。入れるにしても、使っているクリームとか、そこら辺。着替えは全部向こうにある。


「はあ……。まさか、キッドの家に住むことになるなんて、あたし考えたこともなかった」

「その付き人のお爺ちゃんも、よく許可してくれたね」


 ベッドの上で転がるドロシーが、あたしの荷造りを眺めながら呟く。ぼーっと眺めていると、何冊もある教材とドリルをトランクに詰めるあたしを見て、顔をしかめさせた。


「何その問題集の山。何冊あるの」

「クロシェ先生に渡されたのよ……。くそ。勉強もさぼれないなんて…」


 働きながら勉強しなさいなんて、あの先生。美女じゃない。野獣よ。野獣。


 ドロシーが、ふと、首を傾げてあたしに訊いてきた。


「で? キッドはいつ戻ってくるの?」

「知らない。戻ってこないんじゃない? この間、スノウ様から聞いたけど、やっぱり隣国で気に入られてるみたい。そのまま向こうで結婚しちゃえばいいんだわ」

「キッドは君が好きなんだろ?」

「言ったでしょ。あいつ、心変わりが激しい奴なのよ」


 枕をドロシーに投げる。ヒット。むぎゃっ。


「去年でのことなら、もうとっくに終わってる。あたしはあいつに恋なんてしないし、二度と好きにならないって決めてるの。あいつはただの恋泥棒よ。悪い奴よ! 女の敵よ!」

「でも、じゃあ、どうするの? キッドはいつになったら戻ってくるの? 戻ってこなかったら、一体誰が惨劇を止めるの?」

「とりあえず、毎日様子を見ることが出来るし、何か異変があったらあんたに声をかけるから、その時に手伝ってよ」

「手伝える範囲でね」

「何よ。薄情者。少しは助けてよ」

「魔法使いには」

「ルールがある」

「それ」

「……魔法使いなんて嫌いよ。ああ、行きたくない……」


 来月から来月からと思って日々を過ごしていれば、明日は9月30日。明日から、あたしはニコラになる。

 ふう、と息を吐いて、トランクを閉めた。


「ふかふかの高級ベッドも、この高級な部屋も、今日でお別れなんて……、まるで破産した日みたい。ヴァイオリン弾いてたら男達が乗り込んできて、家具もドレスも宝物も全部持っていかれたのよ。あたしのヴァイオリンまで取られて、追いかけてたら、いかつい男に出て行けって脅されて、追い出されて、ああ、嫌だ嫌だ。思い出したくない。あーあ、名残惜しいわ。あたしの部屋。こんなに愛しい部屋だなんて気づかなかった。戻ってきたらもう絶対に引きこもって堪能するわ」

「忘れ物は無い?」

「無いと思うけど」


 あっ。


「ピアスと指輪。危ない。机に置いておこう」


 ニクスから貰った大切なピアスと、お気に入りの王冠の形の指輪を机に置いておく。


「あとはあのノートも持ったし、誰が部屋に入っても大丈夫でしょう。メモ帳もえんぴつも入れてるし」

「パジャマは?」

「向こうで適当なもの着て寝るわ。わざわざネグリジェで寝る必要ないもの」


 一ヶ月、あたしは貴族ではなくなる。その事実に、あたしはうなだれる。


「ああ、畜生……。本当に嫌だ。全部メニーのせいだ。絶対許さない。あいつが頭を冷やして謝ってきても、このことはあたし生涯で絶対に忘れないから!」

「メニーのことは任せて。10月28日は、僕が責任をもって見張っておくよ。だから、テリーはそれまで町の見張りを」

「分かってる」

「大丈夫。メニーもそろそろ冷静になる頃だから」

「もういいのよ。メニーなんて知らない」


 死刑は怖い。でも、今回は、あたしだってあいつに怒ってるのよ。


「教科書借りたあいつが悪いんじゃない。何よ。部屋に入ったくらいで」

「メニーにも色々あるのさ。テリーもそうだろ?」

「それでも、あたしは今までずっと我慢してやったわ。死刑にならないためにね!」


 いいわよ。そっちがその気なら!


「いい機会だわ。メニーを見なくて済む。距離が離れて、あたしの有難みを思い知るがいい!」


 ベッドに歩き、ドロシーに向けて、手をちょちょいと動かす。


「おどき」

「しょうがないなあ」


 ドロシーが体をずらす。あたしは大きなベッドに横になり、シーツの中に入る。


(はあ、このふかふかも、今日で最後……)


「ドロシー、電気消して」

「自分で消しなよ」

「あたし、このベッドの感覚を味わいたいのよ。明日から離れるんだから、我儘くらい聞いてよ」

「もー! 優しい僕に感謝してよね!」


 ドロシーが起き上がり、あたしのベッドから抜ける。ぱたぱたと駆けていき、照明のスイッチの前で立ち止まる。そして、あたしに振り返り、言った。


「おやすみ、テリー」

「おやすみ」

「ゆっくり休んで」


 これから、悪夢を見るかもしれないんだ。


「今だけはいい夢を見てさ。ゆっくり眠って」

「そのつもりよ」


 返事をして、目を瞑ると、ドロシーの気配が消えた。暗闇の中、部屋には、あたし一人。ベッドに、眠る、あたしが一人。ふかふかで温かい、居心地のいいベッド。


 すう、と息を吸って、はあ、と吐いて。

 すう、と息を吸って、はあ、と吐いて。

 すう、と息を吸って、はあ、と吐いて。

 すう、と息を吸って、はあ、と吐いて。

 すう、と息を吸って、はあ、と吐いて。


 だんだん眠くなってきて、


 すう、と息を吸って、はあ、と吐いて。

 すう、と息を吸って、はあ、と吐いて。

 すう、と息を吸って、はあ、と吐いて。

 すう、と息を吸って、はあ、と吐いて。

 すう、と息を吸って、はあ、と吐いて。


 だらんと力が抜けて、ベッドに体を委ねて、意識を、どんどん遠くに、遠くに向ければ、










 瞼が、上がった。





 ギルエドが電話を受けていた。城の兵士からだと、言っていた。


「テリー様、今日は外出を控えてください」


 ヴァイオリンの練習をするあたしにギルエドが言った。


「何かあったの?」


 訊けば、


「少し、街の方で事件があったと」


 また、誘拐事件だろうか?

 そう思って、面白がって、黙って屋敷から抜けて、近くで馬車を拾って、お金を払って、興味本位で街に行けば、街の様子が、明らかにおかしかった。


 なにこれ。


 そう思って、窓から風景を見ると、いたるところが血だらけだった。


 なにこれ。


 そう思って、窓から覗けば、怪我人が地面に座り込んでいた。


 邪魔ね。


 そう思って、窓から眺めれば、死体があった。


 きゃっ!?


 悲鳴をあげて、また窓から見つめれば、街は、街中、死体だらけだった。

 足を引きずって歩いている人もいた。腕をなくした人もいた。母親の傍で泣いている子供もいた。まるで爆弾でも街に落ちたような景色に、あたしはぞっと青ざめた。


 なにこれ。

 なにがあったの。


 眺めていれば、そこに、一人の男の子が、立っていた。


「皆さん、立って!」


 男の子は、高らかに叫んでいた。


「私こそ、第一王子、リオン・ミスティン・イル・ジ・オースティン・サミュエル・ロード・ウィリアム。皆さん、今こそ団結して、街を復興させます。祭は二日後! ほら、立って!そんな顔しないで! 僕がいるからもう大丈夫です! 皆さん、この僕がいます。立ってください!」


 リオン様が、皆を励ましていた。


「さあ、もう大丈夫!」


 子供や、老人や、大人関係なく、励ましていた。


「僕も手伝うから、皆、立って!!」

「ほら、どうした! 男だろ! 立つんだ!」

「何を泣いているの。レディ。怪我は治るさ!」

「亡くなった方への配慮もする。大丈夫。僕に任せてください」

「さぁ! 祭の準備だ! 10月の悪夢は終わった。祝え! 祝うんだ!! 笑え! 笑うんだ!!」


 ボロボロになった街が、二日後、きちんと綺麗に整われ、祭を開催していた。泣いてる人もいた。笑ってる人もいた。亡くなった人の写真を、絵を、持って、祝う人達がいた。

 あたしは、それを見ていた。リオン様が、広場の皆を励まして、慰めて、励まして、そして、街を蘇らせた。


 リオン様。


 王子様。


 リオン様。


 第一王子。


 リオン様。


 彼と結婚したら、あたしの名前はどうなるのかしら?

 リオン・ミスティン・イル・ジ・オースティン・サミュエル・ロード・ウィリアムだから、

 テリー・ミスティン・イル・ジ・オースティン・サミュエル・ベックス・ウィリアム?


 ちょっと名前が長くなるけど、でも、それもプリンセスらしい。お姫様になるんだから、これくらい、なんてことない。


 あたしは、ハートを描いて微笑んだ。


 リオン様。


 あたしは、傘の絵を描いて微笑んだ。


 リオン様。


 あたしは、胸をときめかせた。


 リオン様。


 愛しい王子様。

 愛しいリオン様。

 物心ついた時から見ていたリオン様。


 あたしの初恋。


 お慕いしてます。リオン様。

 大好きです。リオン様。

 あたしの愛しい、リオン様。

 好きです。好きです。リオン様。

 これ以上ないほど、愛してます。リオン様。


 何度、ノートにくだらない文字を書いて、ハートを書いて、愛を書いて、恋を書いて、名前を書いて、夢に、幻想に、胸を弾ませただろう。

 何度、叶いもしない幻を抱いて、くだらない夢を見ただろう。


「お前は馬鹿よ」


 机に向かって、純粋に微笑むあたしの顔を覗き込みながら、あたしは嘲笑った。


「これが恋だと思ってるんだ?」

「ばーか」

「リオンが王子だったから好きだと錯覚したのよ」

「リオンが庶民だったら?」

「ただ顔だけイケメンの、そこらへんにいる男の子と変わらない」

「貧乏だったら?」

「穴が開いてるみすぼらしい服を着てたら?」

「ほら、どう?」

「何も魅力を感じないでしょう?」

「かっこいいだけよ」

「ハンサムなだけよ」

「お金持ちなだけよ」

「ばーか」

「国の王子様に、相手にしてもらえると思ったの?」

「ばーか」

「お前如きのブスな女が」

「お前如きの醜い女が」

「お前如きの大したことない女が」

「王子様に相手にしてもらえると信じてたの?」

「おっほっほっほっ!」

「可愛いわね。お嬢ちゃん」


 本当の間抜けな馬鹿。


「将来、彼の傍にいられる」

「将来、彼の隣にはあたしがいる」

「将来、あたしの隣には彼がいる!」


 はっ!!!!


「あたしの隣にいるのは、リオンじゃない」


 あたしの隣にあるのは、ギロチン。

 あたしを殺すための、処刑道具。


 リオンの隣に、あたしはいない。

 いるのは、



 メニー。











 じりりりりり、と、目覚まし時計が鳴った。あたしは目を覚ます。


 気が付けば、部屋には朝日の光が窓から漏れていて、もう朝を迎えたことを、あたしは知った。


「……嫌な夢……」


 はーーー、と息を吐いた。


「悪夢だわ」


 左手で、顔を隠した。


「最低」


 ありもしない記憶。


「今、何時かしら」


 時計を見れば8時。


「9月30日」


 一ヶ月後、惨劇は起きる。


「回避させる方法ね?」


 あたしは、惨劇が起きることを覚えている。


「それだけで、まだマシだわ」


 体を起こし、目をこすり、ぐっと伸びをして、力を抜いて、今日を迎える。


「さあ、悪夢の始まりよ」


 テリー。


「絶対回避してみせる」


 目を開く。


「あたし、まだ死にたくないもの」



 あたしは、ベッドから抜けた。

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