第3話 隠れ家へようこそ(1)




 あたしは唄う。



 小鳥よ小鳥よ小鳥さん

 美しかなそのお声

 もっと鳴いて歌って楽しもう

 あたしはまだまだ聴きたいの



 誰かが唄う。



 小鳥よ小鳥よ小鳥さん

 可愛いかなそのお声

 いっそう閉じ込め聞いていよう

 私はまだまだ空腹です



 あたしは唄う。



 小鳥よ小鳥よ小鳥さん

 空へ羽ばたく小鳥さん

 自由の羽が美しい

 もっともっと

 飛ぶがいい



 誰かが唄う。



 小鳥よ小鳥よ小鳥さん

 どうかお願い行かないで

 私の手の中 じっとして

 そうしていれば

 傷つけられない





「メニー」

「はい」

「それ、リサイクルに出しておいて」

「テリー」

「出しておいて」

「……知ってるよ。仮面舞踏会用のドレス、わざとでしょ」

「メニー」

「あのドレス、鼠に噛まれて穴だらけだったから、テリー、わざと…」


 あたしは使い終わった仮面をメニーに投げた。


「痛い」

「あーあ、リオン様に会えなかったな」


 あたしは窓を見つめた。


「会いたかったな。リオン様」


 あたしは青い鳥を見つめた。


「お慕いしておりますわ。リオン様」


 空を飛ぶ青い鳥は、ずっと見つめていたいほど、美しかった。あたしも飛び出して、リオン様に会えたらいいのに。


「リオン様」


 メニーは、あたしの背中を見つめる。










(*'ω'*)















 なんだか、酷い頭痛を感じて、頭がくらりと揺れた。その衝撃で意識が戻っていく。ゆっくりと、瞼を上げれば、視界がチカチカして、何も見えない。


(……ん……、ここ、どこ……?)


 焦点が合わず、視界がぼやける。だから感覚で状況を把握する。あたしは座り心地のいい椅子に座っている。肘掛けに肘を置き、足を整わせて、ゆっくりと瞬きをして、焦点を合わせていく。次第に視界がはっきりしていき、自分の体が見えてくる。


(………ん)


 手首に縄。


(え?)


 首に縄。


(え?)


 足に縄。


(おっと?)


 全て、椅子に結ばれ、固定されている。


「………」


 ぱちぱちと瞬きして、落ち着こうと深呼吸して、ぐっと力を入れて、手を引っ込めてみる。全く抜けない。


「…………」


 もう一度、ぐっと引っ込めてみる。抜けない。


「無駄だよ」


 両肩を優しく掴まれた。


「少々きつく結ばせてもらった。君は人質だからね」

「っ」


 振り向くと、あたしの顔のすぐ傍に、パストリル様の笑顔。あたしの胸がばきゅんと弾かれる。


「ぱ、パストリル様!」


 どっきゅんこ!!


 あたしは慌てて恥じらいを持つ乙女の表情で顔を背けた。


「そ、そんな、駄目ですわ! 怪盗と人質のいけない駆け落ちストーリーだなんて! あたくし、まだ心の準備が…!」

「くすす。君は面白いね。ねえ、結局キッド殿下と私、どっちの味方なの?」

「あたくしは、第三者ですので! 中立ですわ! ただの関係ない他人ですわ!!」

「ただの他人ね」


 パストリル様がくすすと笑う。


「案外道端でばったり会ってる知り合いだったりして」

「す、既に運命の出会いを果たしている赤い糸で結ばれた二人ですって!? そんな! あたくし、まだ心の準備が!」

「この顔」


 パストリル様が仮面を取った。


「見覚えない? お嬢様」


 にこりと笑ったその顔は、










 女の顔。










「…………………………」


 あたしは瞬きを三回繰り返した。女がにこりと笑った。あたしは目を鋭くなっていく。


「…………お前誰よ」

「くすす。誰って」


 女が仮面を被った。


「だーれだ?」

「………………………」


 仮面を被れば、パストリル様。

 仮面を外せば、美人な女の顔。


 ………………。


(………………)


「…………」





 あたしの脳内で、緊急会議が始まった。


「議題! この女は誰だ!」

「ぱ、パストリル様はどこに行ったの!?」

「一旦落ち着きましょう。あたし。冷静に!」

「あたし、クールに」

「あたし、すごく美人よ」

「あたし、今日も完璧よ」

「すーはー」

「ちょっといいかしら?」

「何? 美しいあたし」

「この女見たことあるわ。あたしの唄を馬鹿にした女よ!」

「「あーーーー」」

「そうよそうよ。あたしのすごく素敵な唄を馬鹿にした女だわ」

「名前は?」

「なんて言ったっけ?」

「シャリーだっけ?」

「違うわよ。あたし。ドロシーよ」

「ドロシーは役立たずの魔法使いのことでしょ」

「そうそう。金平糖ばかり食べてる厄介者よ」

「たまにはあたしの役に立てないのかしらね」

「ほんと、ほんと」

「ドロシーはもっとあたしに敬意を払うべきだわ。あたしは貴族のお嬢様なのよ?」

「「全く持ってその通りだわ!」」

「こら、美しいあたし達! 中身のない注射器みたいな緑の魔法使いの愚痴なら後で言い合いましょう! まずはこの女よ!」

「思い出すのよ。美しいあたし達。この女、確か、昨日……」


 メニーを追いかけている時に、会ったのよ。


 ―――ねえ、名前なんて言うの?

 ―――知らない人には名乗っちゃいけないのよ!



「ソフィア」



 女性が微笑む。



「私の名前。ソフィアというの」



 黄金の瞳を光らせて女が、くすすと、笑っていた。










「……………え?」


 あたしの血の気が下がっていく。


「え?」


 ソフィアは美しく微笑んでいる。


「嘘」


 パストリル様の正体。


「嘘よ!」


 女。


「嘘だと言ってよ!!!!!!!!」


 あたしは俯いて、叫んだ。


「嘘つきいいいいいいいいい!!!!!」

「私、別に男だなんて言ってないけど?」

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 あたしは悲痛に叫んだ。


「こんなの酷すぎる!!」


 あたしは目を潤ませた。


「あたしのパストリル様が!!」


 一気にがらがらと崩れていく。


「ああ! やめて! 嘘! やだ!! 嫌よ!!」


 ああ、素敵なお人。あたしのパストリル様。すりすり。そう思って見ていた写真集。だが今分かった事実。あたしは、女の写真集を見て、すりすりして、涎を垂らしていたというのか。


「いやああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 あたしは絶望に包まれ、さめざめと泣き始める。


「ぐすん…! ぐすん…!!」

「あれ? 何もしてないのに泣いちゃった」


 パストリル―――ソフィアが不思議そうに首を傾げ、後ろからあたしを抱きしめた。


「よしよし、泣かないで。お嬢様。まだ怖いことしないから」

「畜生…! 離してよ…! 女は女でも他の女ならともかく…! なんでお前なのよ…! 昨日はよくもあたしの唄を馬鹿にしてくれたわね…! この嘘つき女…! 嘘は泥棒の始まりなのよ! ぐすん! ぐすん! ぐすん!!」

「くすす。だって面白かったから」

「離してよ! もう嫌よ! なんでこの人とならって思った奴にろくなのがいないのよ! キッドは最悪。お前も最悪! ええい! 畜生! 離さんかい! お前、さっきからおっぱいがうるさいのよ! 当たってるのよ!!」

「女だもの。おっぱいくらいあるさ」

「くそが! てめえ何カップよ!」


 ソフィアがひそりとあたしに耳打ちした。


「……………え?」


 あたしはさっと振り向く。ソフィアの胸を見る。


「………何食べたらそんなに大きくなるの?」

「さあ? あまり良いものは食べてないと思うけど」


 ソフィアが肩をすくめる。その姿を見て、あたし自身が納得する。


(………確かに、パストリル様だわ)


 黄金の瞳に、黄金の髪。背丈も、その美貌も。


(顔を隠したら、パストリル様そのもの)


 この得体のしれない女が、怪盗パストリルの正体。名はソフィア。

 ソフィアが首を傾げて、美しく微笑む。


「お話でもどうかな? テリー」

「このままで?」

「そのままで」

「レディを縄で縛ったままお話するなんて、どうかしてるわ」

「メニーがシチューを作ってくれてるんだ」


 あたしは黙る。


「その待ち時間、楽しいお話でもしようよ」


 ソフィアはさらに口角を上げ、あたしの斜め前にある椅子を引き、そこに座って、足を組み、あたしに笑顔を向ける。


「改めまして、どうもこんばんは。初めまして。私はソフィア・コートニー。君の名前は?」

「……テリー・ベックス」

「最初からそうやって自己紹介してくれたらよかったのに」

「知らない人には名前を名乗らないように、ママにきつく言われてるの」


 あたしが誘拐されてから、ママはそういうところにすごく厳しくなった。だからあたしは知らない人に名前を名乗ってはいけない気がするのよ。小さい頃に駄目だと言われたことって、ずっと残るものでしょ。


「躾が行き着いてて良いことだ。君のお母様は正しい」


 ソフィアが前屈みになる。


「ところで、いくつか訊きたいんだ。いい?」

「どうぞ」

「君は、キッド殿下の婚約者らしいね」

「何か勘違いしているようだけど、その話は解消したからもう違うの」

「ん? じゃあ、君はもうキッド殿下の婚約者じゃないの?」

「ええ」

「でも、彼は君のことを守ってた」

「あいつの好物知ってる? 女よ。女。ソフィアさん、貴女もその姿でキッドの前に出るといいわ。あいつ、のこのこ罠に引っかかるわよ」

「……そうは見えなかったけど?」

「人前だとそんなことない風に見せるけど、あいつ、相当な女好きよ」

「ふーん。そう。女に弱い」


 もしくは、


「君に弱い。人質には持って来いだ」

「どうかしらね。あたしよりもメニーに酷いことしてる写真でも送り付けた方がよっぽど効果てきめんだと思うけど」

「へえ」

「だからあたしを縛っても意味ないわ。ほら、早く外して」

「もう一つ質問があるんだ」

「どうぞ」

「君は魔法使い?」

「はあ」


 あたしは首を振った。


「こんなにか弱いあたしが、魔法使いに見える?」

「君だけが私の催眠にかからなかった。だから、とても興味があるんだ」


 ソフィアがあたしをじっと見つめる。


「ねえ、正直に言って。君は魔法使い?」

「もし魔法使いなら、あたしはこの縄を外して貴女を縛って警察に突きつけてるわ」

「ふーん」


 ソフィアが納得のいかない顔を浮かべ、少し考え、再びあたしに目を向けた。


「テリーは私を好きになる」


 黄金の瞳がきらりと光った。同時に、あたしの視界がくらりと揺れる。


「…っ」

「うん。やっぱり駄目だな」

「………それやめて。本当に具合悪くなるから」

「具合が悪くなるだけね。ああ、実に興味深い体質」


 ソフィアが微笑む。


「そんな人、今までいなかったのに」

「そうよね。貴女に見られた99人の令嬢達が心を奪われたんだもの」


 あたしも訊きたいの。


「ソフィアさん、貴女、飴を舐めてる?」

「何の飴?」

「呪いの飴」


 ソフィアが声を出して笑った。


「呪いか」


 ソフィアが首を振った。


「違うな」


 彼女は美しく微笑む。


「呪いじゃない」


 否定する。


「あれは、救済の飴だ」

「何が救済よ」


 あたしも否定する。


「飴を舐めてるのね」

「その通り。お嬢様。私は飴が大好き」


 ソフィアはにんまりとにやける。


「飴を舐めたおかげで、私は救われた」


 じっとあたしを見つめる。


「そうか。君はあの飴の存在を知ってるんだ?」

「ええ」

「君も舐めてるの?」

「まさか」


 首を振る。


「呪いを受けるなんてどうかしてる」

「呪いじゃない」


 ソフィアが頑なに否定する。


「私を救済したのは、飴を私にくれたあの方だけだった」





 ソフィアは、普通の町娘だった。

 ソフィアは、両親と幸せに暮らしていた。

 ソフィアは、両親を失った。

 ソフィアは、両親に借金があることを知った。

 ソフィアは、遺産相続の際に誰にもその話をされなかった。

 ソフィアは、働いた。

 ソフィアは、メイド。

 ソフィアは、レストランの店員。

 ソフィアは、花屋の店員。

 ソフィアは、喫茶店の店員。

 ソフィアは、事務所の職員。

 ソフィアは、着ぐるみの中身。

 ソフィアは、スケート場の監視員。

 ソフィアは、沢山働いた。

 ソフィアは、沢山沢山、人よりも多く、仕事を見つけて働いた。

 ソフィアは、お金を返していった。

 ソフィアは、借金が全く減っていないことに気付いた。

 ソフィアは、どんどん苦しくなっていった。

 ソフィアは、恋人にも捨てられた。

 ソフィアは、一気に崩れてしまった。

 ソフィアは、何度も取り立て人に脅された。

 ソフィアは、何度も怪しい仕事を勧められて断っていた。

 ソフィアは、何度も誘拐されそうになった。

 ソフィアは、自分を守るために逃げた。

 ソフィアは、役所に助けを求めた。

 ソフィアは、警察に助けを求めた。

 ソフィアは、人々に助けを求めた。


 しかし、誰もソフィアを助ける者はいなかった。


 ソフィアは、絶望した。


「可哀想に」


 そんな時に現れた。


「これをお舐め」


 目の前に現れた。


「貴女はとても良い行いをしてきたから、私は貴女を助けます」


 魔法使いは笑った。


「可哀想に。可哀想に。頭を撫でてあげましょう」


 頭を撫でてくれた。


「よございますか。ソフィア。貴女はこの飴の力で、人を助けるのです。悪を懲らしめるのです」


 貴女なら、善と悪が分かるはず。


「さあ、お舐め」


 さすれば、


「貴女に、幸福が訪れるでしょう」





 ソフィアは、飴を舐めた。








「目がすごく痛くなった」

「焼けて溶けて失くなるんだと思った」

「でも、次に目を開けてみたら、あの方はどこにもいなくて」

「私は人を思いのままに動かせられるようになった」

「催眠の力」

「借金は無くなった」

「元々嘘だったんだよ。借金なんて」

「事業をしていた親に嫉妬した貴族の知り合いが、嘘をついて書類をわざわざ用意したんだ」

「貴族だもの。偽造なんて容易く出来た」

「道理で減らないわけだよね」

「役所も警察も、そんな事実はないわけだから、助けるどころか、助けられないよね」

「その貴族はね、私が苦労して自分達にお金を払っているところを見て、笑っていたのだとさ」


 悪だ。


「あの方は私に言った。悪を懲らしめろと」


 私は考えた。どうしたら悪を撃退できるのか。


「ひらめいた」


 そうだ。この力を使えばいいんだ。


「お嬢様、幻覚っていうものはね、すさまじい力なんだ。現実では何も起きていないのに、自分の中ではとんでもないことが起きているように感じさせることが出来る」


 私は彼に催眠をかけた。


「もう二度と忘れられない」


 ふとした時に、思い出す。


「私達家族のことを、絶対に忘れられない」


 でもそれで心を病にさせることはない。それで自殺することはない。


「ずっと覚えてる」

「ずっと忘れられない」

「どれだけ動いたって忘れられない」

「夜は眠れる」

「朝は来る」

「心は病気にならない」

「けれど」

「思い出す」

「何度も思い出す」

「慣れは来ない」

「前にも進めない」

「解消する術はない」

「死ぬその瞬間も覚えてる」

「彼が最後に見るのは自分の家族の顔じゃない」

「父と、母と、私の顔だ」

「くすす」

「くすくすくす」


 くすすすすすすすすす!


「悪は懲らしめろ。あの方がそう言った」


 まだ悪は残ってる。


「私を脅してきた奴らがいる」


 悪だ。


「簡単に殺させはしない」


 同じ目に遭わせてやる。


「私は催眠をかけた」


 幻覚の見える催眠を。だけど、殺させはしない。彼らは逃げ惑って事故に遭って死ぬことがなければ、自ら命を絶えることは無い。


「ただ、ずっと幻覚を見る催眠を」


 幸せになどするものか。


「悪は懲らしめないと」


 あの方が言った。善を守り、悪を懲らしめろ。私にならそれが出来る。


「悪はすぐ傍にいた」


 貴族。


「あいつらは、皆、悪だ」

「だって苦労するのはいつだって私達」

「あいつらは私達を土台にお金を振りまいて笑って暮らしている」

「貧乏人が痛い目に遭う」

「善良者が騙される」

「そんなことは許されない」


 あの方が言った。善を助けろと。


「怪盗パストリルは、悪から物を盗む」


 そしてお金に換える。


「貧乏人を助ける」


 貧乏人は救済される。


「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」

「ありがとう、パストリル様!」



 人々は喜んだ。命を救われた。

 ねえ、善はどっち?


 怪盗?

 それとも、貴族?


「考えてみればお嬢様、頭の弱い貴女だって明確に分かるはずだ」


 国が何をした? 貧乏人に何をした? 法律が何をした? どれだけの民が救われた? 貴族が何をした? お金持ちが何をした? 民を救ったのは誰だ?


「私だ」


 怪盗パストリル。


「私が助けた」


 魔法使い様が民を助けた。


「呪いだって? 馬鹿なことを言うね」


 どうせキッド殿下の入れ知恵だろう?


「可哀想に。あんな素敵な人と婚約者だなんて」


 人質には持って来いだ。


「私のファンなら、応援してくれる?」


 君は貴族だね。


「大人しく人質になってくれる?」


 君はキッド殿下の婚約者。


「乱暴しても殺しても、それが正義のためなら許してくれるよね?」


 あたしのこめかみに、銃口を押し当てた。


「ああ、安心して。メニーは助けてあげる。あの子は元々平民だったらしいし。可哀想だね。貴族なんかの一員になっちゃって」


 ソフィアがため息をついた。


「でも君は駄目」


 元が貴族の悪だから。


「分かってくれるよね?」

「全く分からない!」


 あたしは青い顔でソフィアを睨む。


「メニーは解放されて、あたしは解放されないの!? どうして!? メニーだって貴族は貴族よ! あたしの妹よ! ベックス家の末っ子よ! それに、あたしとっても良い子なの! 貴族は貴族でも、とても善良な貴族なの! 追加で教えるわ! キッドとの婚約はね、もう終わったことなの!! あたし嘘つかないわ! 本当よ!!」

「今のうちに謝っておくよ。殺してごめんね」

「分かった! 知ってること全部話すわ! ねえ、だったらいいでしょう!?」

「駄目」

「嫌よ! 死にたくない!!」

「くすす。恨むなら私じゃなくて、貴族として生まれた自分と、キッド殿下を恨んでね」


 かちりと音を出して、銃弾がセットされる。


「ま、待って! 殺さないで! あたし! か弱い乙女なの!」

「そう言えばあったね。歌手がファンに殺される事件」


 これは逆だね。


「自分を応援してくれているファンに殺される前に殺す。なんだか胸がわくわくしてこない? お嬢様」

「いいえ! 全く!」


 あたしは全力で首を振る。


「ソフィアさん、あたし、貴女に協力するわ! ね! だったらいいでしょう!?」

「死んでもくれるの? ありがとう」

「ソフィアさん! あたしを殺したら情報が無くなっちゃうでしょ! ね! 知ってること全部話してあげる! キッドはね! 抹茶味全般が苦手なの!」

「そうだ。君が穴だらけになった写真を送るのはどうだろう。ちょっと痛いだろうけど、君は催眠が効かないからしょうがないよね」


 銃がかちりと音を鳴らす。


「あーーーーー!! 待って! 待ってください! どうか命だけは助けてください!」

「大丈夫。まだ殺さないから」

「そうだ! いいこと教えてあげる! 飴のこと!」

「飴のこと?」

「教えるわ! だから殺さないで!」

「内容によるかな」

「銃を下ろしてくれたらお話ししますわ! ええ! あたし嘘つきません! 良い子だから!」

「ふーん」


 ソフィアが銃を下ろした。


「さあ、お話をどうぞ」

「…………」


 あたしは深呼吸をして、落ち着いて口を動かす。


「貴女が会った魔法使いは、心に隙がある人間を選んで、呪いの飴を配ってる。飴は、人間にとっての毒よ。その毒は人間の体に不思議な作用を及ぼす。吸血鬼になったり、雪人間になったり、人間じゃなくなっていく」


 やがて、その毒は体を覆っていく。


「呪いよ」


 一定ラインを超えると、自我が失われる。


「そして、死に至る」


 その飴を、貴女が舐めている。


「キッドは解毒する薬を開発して、それを貴女のような人達に打ってる」

「君がさっき持ってた注射器、あれがそれ?」

「麻酔薬でなければそうでしょうね」


 キッドが持ってたのをあたしが持っただけだもの。


「中身は分からないわ。あたしは話を聞いてるだけだもの」

「そう」

「飴を舐めてる人間を、キッドは中毒者って呼んでる」

「毒に侵された者の名称か」


 ソフィアが頷いた。


「なるほど。なんでキッド殿下が注射器を持ってたのかようやく理解出来た。私が中毒者だからと言いたいんだ」

「中毒者よ。飴を舐めてる時点で」

「残念。私は中毒者じゃない」

「はあ?」


 あたしは顔をしかめる。


「じゃあ何よ」

「だって、私は毒だなんて思ってないもの」


 あの方が毒を私に入れたのなら、


「私は喜んで受け入れよう」

「馬鹿じゃないの?」


 眉をひそめる。


「あんた、死ぬのよ。分かってる?」

「私はあの方を敬愛している。こんな素晴らしい力を持たせてくれたのだから」


 黄金の瞳が灯りに反射する。


「あの方が死ねというのなら、私はお役目ご免ということで、喜んで死ぬよ」


 それほど私は感謝しているんだ。


「だけど、あの方がキッド殿下という悪を命に代えても懲らしめろというのなら」


 私は喜んで従おう。


「そのためには、君には役に立ってもらわないと。ああ、残念。殺せそうにない。良かったね。お嬢様」

「…………」

「さて、お話はここまでだ」


 ソフィアがぱちんと指を鳴らすと、あたしを結んでいた紐が、一気に緩んだ。ぽとりと、地面に落ちていく。


「パストリル様」


 扉越しから聞き覚えのある声が聞こえて、あたしははっと振り向いた。


「お食事の用意が出来ました」

「ありがとう。メニー。お腹がすいていたところさ」


 ソフィアが立ち上がる。


「さあ、お嬢様。食事に行こうか」

「………あたしも食べるの?」

「そうだよ」


 ああ、


「もしかして、毒が入ってると思ってる? それは安心して。今話した通り、君には人質として役に立ってもらわないと」


 ソフィアが微笑んだ。


「一緒に食事しよう」

「………食欲ありません」


 ソフィアに再び銃口を向けられた。


「一緒に食事しよう?」


 ソフィアが微笑んだまま、ゆっくり言葉を吐く。あたしは黙り、ゆっくりと頷いた。


「……分かりました。食べます」

「立って」


 あたしは立ち上がる。


「扉へ」


 言われた通り、扉の方に進み、ドアノブを掴み、ゆっくり開ける。扉を開けば、前掛け姿のメニーが笑顔で立っていた。


「………」


 一瞬、あたしの頭にノイズが走る。ありもしない記憶と、現在目の前のメニーが一致し、がさりと視界が揺れた。


(あ)


 そのまま後ろに倒れると、ソフィアに抱き止められ、上から顔を覗かれる。


「催眠にはかからないけど、目眩がするのは本当らしいね」


 ソフィアがあたしの背中を手で支え、頭には銃口を向けた。


「さあ、歩いて」


 笑顔のメニーが歩く方へついて行く。硬い石の一本の廊下。天井は高すぎて届かない。まるでどこかの洞くつのように、薄暗く、足音が響く。推測が合っていれば、ここは地下のようだ。ふと、足に違和感があることに気付いた。


(あれ)


 無線機をセットしたベルトがない。


(…落とした?)


 ぽんぽんと触っていると、ソフィアに耳打ちされた。


「ごめんね。あれ、外しちゃった」


 顔を上げると、ソフィアと目が合う。


「ま、無くてもあっても一緒なんだけど」


 足を揃えてゆっくり歩く。


「ここは笛で作った隠れ家なんだ。だから無線機も発信機も無駄だよ。誰にもここは見つけられない」


 そうそう。あの方がくれたのは、飴だけじゃない。


「魔法の笛もくれた」


 その笛を吹けば、何でも出来る。隠れ家を作ることも、瞬間移動することも。


「君だって試しただろ? 笛」

「……ええ」

「でもね、この笛、心までは操ることが出来ないんだ」


 人を吹き飛ばしたり、風を起こしたり、外なら操れるのだけど、


「中身は私が」

「外は笛が」


 これで完璧。


「あの方こそ、私の救世主だ」

「どうぞ」


 メニーが扉を開ける。あたしが先に入る。入って、あたしは再び眉をひそめた。


 目の前に広がった部屋はテーブルがあるわけではなく、ひたすらクローゼットが置かれた部屋。不気味に静かで、踊っているような姿のマネキンが何体も置かれている。

 一人は夫人のドレスを。一人は紳士のスーツを。一人は使用人の服を。一人は着ぐるみを。


「食事の前に、着替えをしないと」


 ソフィアがあたしの肩を撫でた。


「そんな黒いドレスはまるで葬式だ。もっと素敵なドレスを着させてあげる」


 メニーが部屋の扉を硬く閉めた。あたしははっと振り向く。


「メニー」


 ソフィアがメニーを呼んだ。


「お姉ちゃんを脱がせてあげて」

「はい」


(なっ)


 あたしは顔をしかめた。


「着替えればいいんでしょう? ドレスを寄こしてくれたら勝手に着替えるわ」

「お姉ちゃん、遠慮しないで。私、手伝うよ」


 メニーがにこりと笑った瞬間、ぞわっと背筋が凍った。


「っ」


 メニーの口は笑ってるのに、目が笑ってない。あたしは一歩下がった。


「メニー?」

「大丈夫」


 あたしは一歩下がる。


「メニー」

「手伝うから」


 メニーが一歩進む。


「メニー、あの」

「大丈夫だよ」


 あたしが一歩下がり、メニーは一歩近づく。


「素敵なドレス選んであげる」

「だ、大丈夫よ。あたし、一人で着るわ」

「大丈夫」

「メニー」

「大丈夫」

「あのっ」


 後ろに下がると、いつの間にかソフィアがあたしの後ろにいて、あたしをぎゅっと抱きしめた。


「お嬢様、遠慮しない」

「っ」

「手伝ってくれるなんて、良い妹だね」


 銃口をこめかみに突きつけられる。


「大丈夫だよ。お姉ちゃん」


 メニーが手を伸ばしてくる。ソフィアが笑う。


「怖くないよ」

「大人しくしててね」

「っ」


 ソフィアに体を押さえられ、メニーが笑顔で近づいてきて、あたしの血の気が下がり、あたしは首を振るが、逃げられず、最後に見たのは、ソフィアとメニーがいやらしく笑う顔だった―――。



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