第7話 怪盗パストリルの挑戦



 乙女の心を盗み、宝を盗っていく恋泥棒、兼、宝石泥棒。

 仮面がつけられたその瞳と目が合ったら最後。魅了され、恋心を盗まれてしまう。手に持つその笛を吹けば、魔法のように姿を消す謎の人物。


 その名も、怪盗パストリル。


 仮面舞踏会の最中に、月に一番近い窓に現れた怪盗。あたしを含む、貴族の令嬢は、庶民の乙女達は――――身分関係なく、黄色い歓声をあげた。


「きゃあああああああああああああああああああ!」

「怪盗様ーーーーーーー!!」

「素敵ーーーーーーー!」

「かっこいいいいいいいい!」

「皆、頭おかしいよ」


 キッドが顔を引き攣らせて呟いた。ざわざわしているレディ達を見て、キッドがはっとする。


「っ」


 あたしに振り向いた。


「ぎゃーーーーーーーーーあ!!!!!」


 発狂するあたしを白い目で見てきた。


「パ、パパ、パパパパパパ、パストリルさばぁああああああああああああああ!」


 あたしは顔を押さえて、天に感謝した。


「女神様! 女神様! ああ、なんてこと! あたしの願いを叶えてくださってありがとうございます!!」


 パストリル様だわ!


「万歳! 万歳!!」


 あたしは首をブンブン振り回す。


「パストリルさばぁああああああ!!!」


 拳をぎゅっと握りしめる。


「お会い出来るなんて…!!!」


 あたしは思いきり叫んだ。


「好きぃいいいいいいい!!!!」


 見開かれた青い目にあたしは気づかない。あたしの目はパストリル様だけを見つめる。誰も紳士なんか見ない。あたしだけじゃない。他のレディの目だって、ハートに変わってしまっているのだから。


「パストリル様! こっち向いてー!」

「パストリル様ーーー!」

「いやん! かっこいい!」

「美しい!」

「はあ、はあ、はあ、はあ…!」


 あたしは息を荒くさせ、ごくりと唾を呑んだ。震える手でキッドの背中を叩く。


「ね、ねえ、キッド、あたしの頬を叩いてちょうだい……」

「………………」

「あ、やっぱいい。あたし、自分で叩くから」


 あたしは自分の頬を叩いた。


「痛い! 夢じゃない!」


 あたしは仮面の中からパストリル様を見つめる。


「美しい! 麗しい! 目の保養! 癒し!!」


 あたしのおめめはきらきらきらきら!


「パストリル様ぁあああああああ!! きゃーーーーーあああああ!!」


 キッドに頭を叩かれた。


「痛い!」


 キッドを睨む。


「何するのよ!」

「……犯罪者相手に飛び跳ねるな」

「馬鹿! 見なさい! ほら、あそこ!」


 指を差す先に、パストリル様がきらきらきらきら!!


「きぃいやぁあああーーーーーー!!!」

「……………」


 キッドが呆れたため息を吐くが、あたしは気にしない。


(まさか、お会いできるなんて…!)


 一度目の世界では、仮面舞踏会にパストリル様は現れなかった。


(歴史が変わった)


 いや、この変化なら全然有りだわ。


(だって、パストリル様が来てくださったのだから!)


 99件目の事件でパストリル様にお会いできるなんて! ……はっ!


(あたし達を見下ろしてる)


 金の瞳があたし達を見て、ふっと笑った。


「きゃああああああああ!! かっこいいいいいい!!」


(麗しい!! 美しい!! 頬が緩む!! おっと涎が!! じゅるり!!)


 荒ぶる胸を押さえることが出来ず、熱い瞳でパストリル様にうっとり見惚れていると、キッドが舌打ちした。


「今に見てろ。自分の行動を後で後悔させてやる」

「はああ…。なんてこと…。このあたしが目を奪われてしまうなんて…。ああ、イケメンすぎてにやけが止まらない…。すごい…。美しい…。初めてお会い出来た…。綺麗…。麗しい…。癒し…。目の保養…。もう死んでもいい…」

「今にわかる。俺の方がかっこいいって。かっこいい俺があの犯罪者を捕まえて」


 ―――――――――ちゅ。


 キッドが、あたしの頬にキスをした。


(…え?)


 薄明かりの中、キッドと目が合う。キッドがにんまりと微笑んで、


「これで絶対、テリーは俺のものになる」


 そう言って、あたしから離れる。歩き出す。その背中に、思わず、呆然と頬を赤らめて、見惚れるあたしがいた。


(キッド…?)


 ダンスホールの会場に走ってくる足音。


「きゃっ!」

「うわあ!」


 歓声だった声が悲鳴に変わる。城の兵士達が総勢で会場を囲んだ。明かりがつく。怪盗が来るのが分かっていたように、上からも、下からも、兵士たちが武器を構え、パストリルを睨んでいた。


 パストリルがきょとんとした。おやおや? と首を傾げた。


「何かおかしい」


 パストリルが呟いた。


「こんな簡単に私をここへ侵入させるなんて、と思いましたが」


 ああ。なるほどなるほど。


「やはり罠でしたか」


 それで、


「逃げ場は無いようですね」


 辺りを見回す。


「窓は固定され、会場は囲まれ、人質を取ろうにも…」


 ドレスに身を包んだ女兵士や、スーツに身を包んだ男兵士が、少女達の周りを囲んでいた。


「なるほど」


 パストリルが笑った。


「私は袋の鼠だ」


 誰だ?


「こんな仕掛けを行った頭の切れる方は、どなたですかな?」


 笑った。


「これでは、私はおしまいではないですか」

「そうだよ。今日でお前はおしまいさ」


 こつん、と靴の音が響く。

 さっきまであたしの隣で笑っていたキッドが、歩いていく。


「城に手紙が届いたと聞いて、手を回した」


 キッドは微笑んでいる。


「実にいいタイミングで」


 キッドは歩く。


「お前から予告状が届いた」


 人々が一歩、二歩、後退して、キッドに道を作る。キッドの周りに、距離が出来る。周りがキッドを見た。パストリルもキッドを見下ろした。皆の視線がキッドに集まる。キッドはそれを、愉快だと言うように、笑っている。


「わざと侵入させ、派手に登場させる。うん。計算通りさ。よくもここまで簡単にすんなりいったもんだと驚いているくらいだ」

「ほう。その言い方は、貴方が指示をしたと?」


 パストリルが微笑み、首を傾げる。

 キッドは微笑み、頷く。


 質問タイム。


「貴方がこの件の責任者というわけですね?」

「いかにも」


 質問タイム。


「警察ではない」

「いかにも」


 質問タイム。


「大人ではない」

「いかにも」


 質問タイム。


「まだ子供だ。いや、大人になりかけた子供?」

「いかにも」


 質問タイム。


「貴方が城の兵士たちに、ここまでの指示をしたと?」

「いかにも」


 質問タイム。


「それはそれは、普通であれば出来ないことですね」

「いかにも」


 しかし、残念ながら、


「俺にはその権利がある」






 ―――――ふと、


 ふと、そんな考えがよぎった。


(ん?)


 今までのキッドの行動を思い出した。


(ん?)


 初めて出会った時、キッドが婚約者を求めていた。『肩書』が重要だと。手柄を立てるためにはどうしても重要だと。あたしを婚約者にして、キッドはビリーに会わせた。こんな会話をしていた。


「……どういうことかな? キッド」

「冗談でも嘘でもサプライズでもない。じいや、俺は約束を守った。期限までに婚約者を見つけたよ。さあ、これで怖いものはない」

「キッドや、少し二人で話をしようかのう」

「そんなのは後でいい。俺は約束を果たした。さあ、次はそっちが約束を果たす番だ。俺の権利を主張して、俺の指示に従ってくれるな?」


 キッドは、複数人の『お手伝いさん』を集めて、事件を解決した。


(ん?)


 あたしがいい条件の会社を探している時に、キッドは軽々と言った。


「テリーが作ればいいんだよ」

「会社」

「社長はテリー。でも、社長の代わりに会社をまとめる人間を、俺の方で用意する。で、その会社で、真面目で誠実な人は、誰でも雇える会社を作るんだ。子供でも働ける。前科があっても働ける。どんな事情があっても、条件さえ満たしていれば働けるんだ」

「大丈夫。俺がついてたら、全部上手くいくから」


 約一ヶ月で、仕事案内紹介所が建てられた。


(ん?)


 一緒に遊びに行きたいと言われた時、キッドは手配した。


「ねえ、リトルルビィ、今日はどこに行くの?」

「あのね、スケートに行くんだって!」


 稼ぎ時であろう時期のスケート場を貸し切りにした。ありえない時期に、運営会社から許可が下りた。


(ん?)


 氷の巨人が現れた時、キッドは作戦Aを決行した。


「……何機いるのよ」

「二十機」

「……そんなに用意出来るわけないでしょ。いくらかかると思うのよ」

「でも用意したって」

「誰が」

「キッド」


 小型飛行機を、二十機も用意した。



 そして、


 今、


 怪盗を捕まえるために、


『城の兵士』を使っている。



(ん?)


 こんな考えがよぎった。


 あたしは、一番関わってはいけない人と、婚約しているのではないだろうかと。


(待って?)


 頭が白くなる。


(…待って?)


 眉間にしわが寄る。


(ちょっと待って)


 算数の答えが一つしかないように、キッドの問題に、あたしが予想した答えは一つだけ。


(いやいや)


 その答えは、あたしにとっては、決していけないもの。


(まさか、ね)


 その答えは、あたしにとっては、決して関わってはいけないもの。


(そんなわけない)


 顔が青ざめる。


(ちょっと待って)


 血の気が下がっていく。


(待って)

(待って)

(待って)


 違和感を組み合わせていく。


(待って)


 キッドの言葉を思い出す。


「だって、結婚しちゃえば問題ないから」

「お気に入りのテリーの夢を叶えてあげようかなって思っただけだよ」

「だってさ、お前、将来の夢は、『王子様と結婚する』ことなんでしょ?」



 ―――――――――頭の中が、白い。




「国民を守る義務も」

「国民を困らせているお前を拘束する義務も」

「俺には存在する」


 よって、


「俺と、国の方針で、今夜、お前を捕まえる」


 パストリルが笑った。


「ほう。これは面白い」


 仮面に隠れた目を、隠れてない目を、キッドに向ける。


「私は貴方を初めて知り、初めてその存在を知りました。さて、そろそろ、この私めに教えていただきましょう。貴方は何者ですかな?」


 皆が、キッドを見た。


「本当は来年辺り、もっと素朴な会場でやりたかったんだが、残念だ」


 キッドが仮面をつけたまま笑った。


 あたしは、キッドを知らない。

 一度目の世界で、彼は死んだから。

 あたしを庇って死んだから。

 彼には二歳年齢の離れている弟がいる。

 キッドは今年で17歳。

 弟。


 …………。



 ――――『リオン殿下』って、今、いくつだっけ…?



 汗が噴き出る。


 目玉が揺れる。


 視界がかすんでくる。


 体が緊張で震え出す。


 息が乱れてくる。


 キッドと初めて会った時、違和感を感じた。


 どこかで会ったことがあると思った。


 誘拐事件で庇われたから、ずっとそのことだと思った。


 思い出せ。


 あたし、どこかで王族の写真を見たことがあるのよ。


(写ってた)


 三人じゃない。四人だ。


(どこだっけ? どこかで見たのよ)


 いや、どこで見たかは問題ではない。問題なのは、キッドだ。


 思い出せ。彼の顔。

 あったじゃない。違和感。

 あったじゃない。面影が。

 会ったことはなかった。

 見たことはあった。


 昔、どこかで見た写真で。


(………?)


 写真、写ってたっけ…?


(いや、写ってた)

(あたしはリオン様しか見てなかったけど、写ってたのよ)


 待って。そんなの聞いてない。一度目の世界では、そんなこと。


(………公表しないで当然なのよ)


 だって、彼は、この時点で本来死んでいる人間なのだから。


 あたしの読み通り、


 公にされていないとすれば、

 公に発表されていないとすれば、

 彼はいなかったことにされていたとすれば、


 この状況は、





「俺はキッド」





 キッドは、仮面を外した。その顔は、誰よりも美しく、艶やかで、色っぽく、たくましく、かっこよく、満面の笑顔だった。





「キッド・ロバーツ・イル・ジ・オースティン・サミュエル・クレア・ウィリアム」




 ―――つまり、




「この国の『第一王子』さ!!!」





 剣を引き、怪盗に向ける。『王子様』が笑った。


「王子の命により、今から貴様を捕獲する!」


 叫ぶ。


「やれ!!」


 その一言で、兵隊が動き出す。

 その一言で、人々が歓声をあげた。


 突然、突如、急に姿を現した王子の存在に、驚きと、黄色い悲鳴と、歓声と、喜びと、興奮の叫び声。兵隊の叫び声。人々の興奮の声。人々の歓喜の声。

 王子の美しさに、女性陣の目がハートに変わる。

 王子の美しさに、男性陣が胸を押さえて倒れる。

 王子の美しい命令に、兵隊は『完全勝利』を誓ってパストリルに襲い掛かる。


 声が聞こえる。悲鳴が聞こえる。叫び声が聞こえる。歓声が聞こえる。ざわざわ聞こえる。ざわつく会場ががやがやと響き渡り、



 あたしは一人、その光景を、静かに見ている。




 パストリルはにんまりと口角を上げ、笛を取り出し吹いてみせる。ぴゅう、と笛の音が鳴る。直後、窓から地面に飛び降りる。瞬間、びゅんっとすさまじい風が吹き、襲い掛かろうとしていた兵隊が怯む。令嬢や坊ちゃん達が慌てて後退し、隙間が出来る。風が吹き止むと、パストリルが地面に着地した。手には、どこかの兵士から盗んだ剣が。キッドの手には、引き抜かれた剣が。


 パストリルがキッドに背を向け、

 キッドがパストリルに背を向け、


 ―――お互いに、振り返った。


 剣が弾く。キッドとパストリルが、剣の刃をぶつかり合う。

 どちらも、なぜか、何が面白いのか、目を見開いて笑っている。

 ぎりぎりと音を鳴らして、がちんと、音が弾いたと思えば、パストリルが剣を突き出す。

 避けて、キッドがその剣の刃に、自分の剣の刃を滑らせ、パストリルに剣を突き出す。パストリルがそれを弾いて、お互い距離を離し、また走り込み、剣の刃がぶつかり合う。


 切り込み、弾き、避けて、滑る。


 またぶつかり、刃と刃が重なり、キッドが笑った。


「あはは! そんな剣捌きで俺と戦えると思ってるの? いい? 剣の練習じゃないんだよ!」


 弾いた。距離を開けて、パストリルが笑った。


「くすす! やはり王子というだけありますねえ! 今まで味わったことのない強さだ!」

「残念だけど、俺、すごーく強いんだ。お前なんかに負けないよ」

「面白い。では、これではどうですかね?」


 剣を捨てて、パストリルがキッドに拳銃を向ける。引き金を引く。

 キッドが目を見開いて笑った。走りこんで、剣で、銃弾を斬りつけた。火薬で飛んだ弾が二つに割れ、その場に落ちる。

 それを見たパストリルが笑った。もう一度引き金を引いた。どん、どん、と、二回撃った。のに関わらず、どこかに流れ弾が当たることもなく、キッドが二発斬りこみ、一歩出て、走り、パストリルを斬りつける。銃が刃に当たり、また押さえ込む。二人が笑う。何が面白いのか、何がそんなに興奮するのか、全然理解が追い付かないが、二人はこの戦いを楽しんでいるように見えた。そして、本気で相手を負傷させる、もしくは、殺すことを目論んでいるのも見てて分かった。


 剣と銃が弾いた。距離が離れる。また撃つ。斬る。パストリルが避ける。パストリルが撃つ。今度はキッドが避けた。斬る。撃つ。斬る。撃つ。斬る。笑う。笑った。笑い声が響く。弾いた。パストリルの腕が上がった。構える前に、キッドの剣の刃が、パストリルの首の寸前で止まった。


 どちらも動きが止まる。


 空気が冷える。


 周りが静かに、息を呑む。


 キッドが睨む。笑っている。

 パストリルが固唾を呑む。笑っている。


「終わりだ」


 キッドが低い声で言い放つ。ふっと、パストリルが微笑み、銃を地面に投げた。


「なるほど。お強い。本当にお強い。尊敬に値します。これほどの強さは見たことがない。お若い王子の戦い方とはとても思えない。予想外の強さ。手が出ません。完全に侮っておりました」

「おっと? 警察が手をこまねいてきた大悪党がこれで降参か?」

「まさか。これで終わる私ではございません」

「だろうね。どんなマジックを見せてくれるの?」

「くすすっ、そうですね…」


 ちらっと、怪盗が金色の光る目を、とある方向に向けた。目に入ったのだろう。あまりに目立ってて、あまりに美しかったから。


「人質でも、取りますかね?」


 直後、あたしははっとして、顔を引き攣らせた。


「リトルルビィ!!」


 叫ぶ。聞こえたらどうにかしてくれると願って、地面を蹴った。その瞬間、パストリルがのけ反った。キッドが斬りつけた。パストリルが避けた。


 距離が開いた。


 キッドがまた斬りつける前に、パストリルが笛を鳴らした。ぴゅう、と笛が鳴る。すさまじい風が起きる。台風のような、竜巻のような、強い風が起きる。皆怯む。あたしの足が止まった。髪がなびく。顔を背ける。叫ぶ。


「ルビィ!」


 風が止む。慌てて顔を上げる。そこに、すでに、パストリルがいた。顔を覗き込んで、金の瞳を少女に見せている。


「失礼」

「っ」


 少女が顔を押さえられ、その目に囚われる。


「失礼!」


 あたしは人を押しのける。


「通して!」


 あたしは走る。


「お願い! 退いて!!」


 あたしは手を伸ばす。


「メニー!!」


 手を伸ばす。


「メニー!!!!」


 メニーはパストリルに顔を押さえられている。


「このっ!」


 地面を蹴った。


「メニッ…!!」


 固まるメニーの体を突き飛ばそうと飛び込んだ瞬間、その場にいたはずのメニーはいなくなった。


(はえ!?)


 消えた!?

 飛びこんだあたしの体が地面に転がった。


「いだっ!!」


 滑ってきたあたしに、アメリが悲鳴をあげた。


「ひゃっ! テリー!」

「アメリッ…! メニーは!?」


 あたしとアメリが顔を上げた。

 皆が真っ青になって顔を上げている。

 キッドも鋭い瞳で、兵隊と共に見上げていた。


 月の光が漏れる丸い窓から、怪盗と、その腕に捕まった、ぐったりするメニーの姿があった。


(ちょ、ちょっと待って…)


 あたしの血の気が下がる。


(こんなこと、一度目の世界では起きなかったじゃない…)


 パストリルが満足そうに、にやりと笑って、キッドを見下ろした。


「キッド殿下、勝負をいたしましょう。私はこの少女の心を奪い、人質としていただくことにします」


 キッドは睨んでいる。


「別の舞踏会にて、お会いしましょう。その時に、私を捕まえられたらこの可憐な少女は無傷で返します」


 でも、捕まえられなければ、


「私はこの少女に何をするか、わかりませんよ。そうなると、貴方の信頼は一気に落ちる。ええ、盗みましょう。王家の宝。貴方の『王子としての証』をね」


 くくっ、と、キッドが笑った。


「……面白い。受けてたとう」

「キッド様!」


 兵士の一人が、キッドに叫ぶ。


「お止めください! 危険です!」


 キッドは余裕の笑みを見せて、パストリルを見上げる。


「俺は不可能を可能にする。いいだろう。どこの舞踏会でお前が現れるか予想して、お前を捕まえる。それで全部解決だ」

「仰る通り」

「ただし、人質は返してもらおう。その子は知り合いなんだ」

「ほう。さすが殿下。こんな美しい娘が知り合いにいらっしゃるなんて、縁にも恵まれている」


 余計に駄目です。返しません。


「この子は人質ですから」


 でも私は優しいので、


「ご安心を。王子様。ヒントを残します」


 唄遊び。


 パストリルは、大きく息を吸って、唄った。



 鼠に悩む国の町

 とある日男がやってきて

 全ての鼠をけちらした

 金貨五枚のお仕事さ

 しかし金貨は貰えずに

 人間皆男を無視した

 怒った男は笛を吹き

 子供を連れていったのさ

 子供は手紙を残したよ

 海を泳ぐと書いたのさ

 散歩に出ると書いたのさ

 三日月の夜には月明かり

 光り輝く貴方に会いたい




「さらば!」


 笛が鳴る。風が吹く。目を閉じる。顔を覆う。あまりの風の強さに皆の仮面が外れた。


 そして、




 とても静かになった。


 そっと、目を開けると、パストリルと、メニーは消えていた。

 ダンスホールは元通り。外傷はない。何もない。


 ただ、風が吹いて、どんちゃん騒ぎして、メニーが消えた。メニーが誘拐された。


 メニーが、いなくなった。


「…何ということだ」


 誰かが、あんぐりと呟いた。


「誘拐されたぞ」


 誰かが呟いた。


「どうするんだ」


 誰かが呟いた。


「怖いわ」


 誰かが呟いた。


「一体どうやってあの子を取り戻すんだ」


 皆の不安な声がざわついた。


 しかし、その中で、落ち着きのある声が高らかに。


「ご安心を。皆様」


 王子様が、呟いた。


「私が何とかしてみせましょう」


 王子様が笑った。


「必ずや、あの大悪党を捕まえ、皆さんに信頼と安心をお届けします。私はキッド。第一王子。今こそ、私の実力を、皆様にお見せいたしましょう!」


 その一言で、ダンスホール内が、歓声と拍手に包まれる。

 皆が喜び、興奮し、キッドを見る。見つめる。うっとりする。見惚れる。皆が叫んだ。


 キッド殿下万歳! キッド殿下万歳! キッド殿下万歳! キッド殿下万歳! キッド殿下万歳! キッド殿下万歳! キッド殿下万歳! キッド殿下万歳!


 キッド、第一王子様、殿下、万歳!!!!!!!!!


「くくくく、」

「あはははは!」

「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」

「はぁーーーーはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!!!!」


 キッドの、笑い声が、喜びが、歓声が、興奮の声が、会場内を包んだ。





 ―――――足が痛い。

 ―――――腰が痛い。

 ―――――腕が痛い。



 そっと、顔を上げる。皆が興奮している中、心を揺さぶられている中、仮面が外れようが、ルールを破ろうが、誰も、気にする人はいない。仮面が取れて、風が吹いて、飛ばされて、どこかにいったようだった。探すにも、興奮で叫んでいるこの人混みの中で、探せない。あたしは素顔のまま、顔を曇らせた。


(…………リトルルビィは、どこ…………)


 足が痛い。転がった体を起こして振り返ると、ヒールのかかとが欠けていた。足を動かすと、ツキン、とした痛みがあった。ひねったみたいだ。屋敷に戻って、湿布を貼ってもらおう。酷い目に遭った。


 ……本当に酷い目に遭った。


 体が痛い。メニーは誘拐された。過去が変わった。未来が変わる。緊張が走る。動悸が激しい。ところでルビィはどこ? 心に冷たい風が吹いたようだった。冷えている。体が冷たい。頭が真っ白だ。


(……ルビィ……)


「テリー! 大丈夫? 怪我は?」


 アメリがあたしの視界に入った。しゃがみこみ、あたしの顔を覗く。あたしは黙り、アメリを見つめる。


「テリー?」


 アメリを見つめる。


「大丈夫?」


 アメリが心配そうに訊く。


「メニーのことは大丈夫よ。あの、王子様が、いきなり、第一王子が、現れて」


 えっと、


「リオン様じゃなくて、あの人、キッド? 殿下、っていう人が、現れて」


(ああ)


「リオン様のお兄様? 私、知らない。見たことない。初めて知った。こんな、胸が高鳴ったの、初めてよ。本当に、なんて美しいの…」


(ああ)


「王子様が、殿下が、何とかしてくれるって! 見た? あの大怪盗と戦ってた姿! かっこよかった。なんていうか、かっこいい、とかじゃなくて、目が離せられなくなる、ってこういうことを言うの? 衝撃的なひと時だった」


(ああああああ)


「テリー、すごい、あんな人が現実にいるなんて、あんな、綺麗な、美しい人間、すごい…、なんて、なんて言ったらいいのかしら…」


(やめて)


「とにかく」


(やめて)


「メニーは」


(やめて)


「キッド殿下が」


(やめて…)


「助けてくれるって」


 ―――――――――やめて!!!!!!!


 その声を拒否するように俯くと、





 会場が、突然静かになった。





 こつ、と足音だけが聞こえる。


(何?)


 こつ、と足音が響く。


(静かになった)


 こつ、と足音が響く。


(何?)


 こつ、と足音が響く。


(どうかしたの?)


 こつ、と足音が響く。


(メニーが戻ってきたの?)


 布の音が聞こえた。


(何?)


 顔を上げた。




「美しいレディ」




 目の前に、跪いて、あたしを見つめる、王子様がいた。


「大丈夫?」


 手を差し出してきた。


「立てますか?」


 王子様があたしに言った。


「なんて美しい人だ」


 王子様があたしに言った。


「どうか、お手を」


 プリンセス。




 キッドが、にしし、と、無邪気に笑った。



「……どうだ? 俺に惚れたか?」




 次の瞬間、


 あたしは握っていた拳を、キッドの頬に勢いよく、強く押し当てた。

 直後、キッドが吹っ飛ぶ。

 直後、皆が驚く。

 直後、皆の目が丸くなる。

 直後、皆が唖然とした。


 ―――――あたしが「ぐー」で、王子様を殴ったから。


「きゃああああああああああああああ!!!」


 悲鳴が上げられた。


「ててててて、テリー!?」


 アメリの裏返った声が聞こえた。


「あんた、なんてことを!!」


 アメリが気絶しそうなくらい、顔面蒼白になる。


「ぎゃあああああ!!! 殿下あああああ!!」


 兵士達が全員叫んだ。


「王子様ああああああ!!!」


 男性陣が悲鳴を上げた。


「あのご令嬢、何を!!!」


 女性陣が悲鳴を上げた。


「殿下!!」


 兵士が駆け寄る。


「えっ!? あれ!? テリー様!?」


 見たことのあるキッドの『お手伝いさん』が、兵士の格好であたしを見て、目を丸くした。


「一体、どうされたのですか! テリー様!」

「殿下!」

「殿下、お気を確かに!」

「あの小娘、よくも殿下に!」

「テリー様、とりあえずその拳を和らげてください!」

「リオン様!」

「大変なことが!」

「キッド殿下が!」

「落ち着いてください! テリー様! さあ、もう大丈夫ですから!」

「ビリー様!」

「リオン様!」

「キッド様が!」

「キッド殿下!」

「キッド殿下!」

「キッド殿下!!!!」


 ああ、


 あああああ、


 ああああああ、うるさい。


 うるさいうるさいうるさいうるさい。


「っ!!!」


 自力で立ち上がる。


 騒ぎの中、キッドを睨む。キッドがあたしを見上げる。

 その目には、何が起きたのか分からない、と主張されていた。

 その目には、疑問が湧いていた。

 その目には、あたしが映し出されていた。

 その目には、どうしたの? と言葉が綴られていた。


 ―――どうしたの? テリー?


 いつもの、その目が、その軽い目が、とんでもなく、すさまじく、憎くて、憎くて、

 憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて、


 あたしは枯れた声を出す。


「……ばれ」

「え?」


 キッドがぽかんと、間抜けな顔で訊き返す。だから、聞こえるように、よく聴こえるように、怒鳴った。


「くたばれっっっっ!!!!!!!!!!」






 その場にいた全員が、一斉に黙った。

 会場内が、また静寂に包まれた。

 キッドと目が合う。


(あ)


 あたしは、思った。


(やってしまった)


 キッドが、見ている。

 王子様が見ている。

 王子様があたしの顔を認識している。

 王子様が不思議そうな目をしている。


 ―――え? どうしたの?

 ―――――どうしてそんな目をしてるの?



 いつもの、その目が、軽い目が、とんでもなく、すさまじく、憎くて、―――――怖くて、怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて、


 あたしは一歩下がった。


「……終わり」


 全部、


「…全部おしまい」


 ふふっ、と笑ってみせる。


「さようなら」


 二度と、


「あたしの前に現れないで」


 静かに、キッドから視線を逸らして、あたしは歩き出す。

 足が痛い。引きずるように歩く。靴を脱いだ。拾って、裸足で歩く。

 周りの人たちが退く。

 隙間が出来て、一本道になる。

 出口まで遠い。

 視線が痛い。

 痛いけど、気にならない。

 そんな場合じゃない。

 あたしはここにいたくないのだ。

 怖い。

 怖い、怖い、怖い、怖い。

 あたしを、死刑に、死刑を決めた、王族を、あたし、殴った。殴ってしまった。

 やっぱりここは、ろくな目に合わない。

 どうしよう。

 逃げなきゃ。

 逃げなきゃ。


 早く、逃げなきゃ。


 殺される。


 出口を見る。遠い。まだ、距離がある。早く、早くここから、逃げたい。

 足が、歩いて、歩くから早足になって、早足からもっと早くなって、駆けだして、走るになって、走って、あたしは、泣きそうな顔で、顔を汚く歪ませて、走って、会場から走り去った。







「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」








「待って」






 声が、響いた。



「待って」



「待って」


「待って」


「待って」

「待って」

「待て」



「待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って」


 叫ばれた。


 待て!!!!!!!!!!


 止まれ!!!!!!!!!



「待て!! テリー!!!!!」







 その声に振り返らない。その足音に振り返らない。あたしは走る。足が、進めと言っている。痛いけど、ツキツキ痛むけど、


 ここから出ないと、死んでしまうと、今にも悲鳴をあげてしまいそうなのだ。








「…………あーーーーーー。ごほん! どうも。皆様。えーーーだいいち…えーーー第二王子の、リオンです。どうも。えー…落ち着いてください。彼に関しての説明はまた後日ということで。だから、あの、えーーー……別に隠してたとかそういうわけではなくてですね……。ははっ。まあ。何というか…。あはは。…くそ…。…いつかこうなると思ってたんだよ…。あの馬鹿……。……えー、詳しくは私の父である、ゴーテル陛下より……え? あ? 父上!? 父上がいない!? 母上もいない! は!? 裏に行った!? まずいって。お前、連れて来てよ。じいやでもいいから。……いいから早く行けよ! 連れて来いって!! 早く!! あっ、……ごほん。……はい。質問ですか。何でしょう。私がお答えしましょう。……怪盗パストリルにさらわれた少女に関して? え? ああ…、……何? どこのご令嬢? ………ご心配なく! 必ずしも、我々が全力で救出に備えて…詳しいことは…あの、また……えー、また後日……後日とはいつか? そうですね……。えーーと、………えーーーーーとーーーーーーー……………」



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