第15話 足音を揃えてワルツを


「……これ、本当に受け取っていいの?」


 駅のホームの中、あたしの手の中には、ニクスがつけていたピアス。ニクスの母親の大事な形見。複雑な思いで見つめると、ニクスが微笑んで頷いた。


「テリーに使ってほしいの」

「あたし、この先、耳開けるか分からないわよ」

「それでも、持ってて」

「…ニクス」


 ニクスがあたしの手に手を重ね、ピアスを握りしめさせた。


「言ったでしょ。これは悪いものが近づかないためのお守りだって」

「………」

「君が持ってて」


 ニクスの手袋のぬくもりを感じて、頷く。


「……分かった。貰う」

「うん」

「………ありがとう」

「どういたしまして」

「大事にするから」

「そうしてくれると、僕もお母さんも嬉しい」


 ニクスと見つめ合う。黒い瞳が、今日もきらきら輝いて見える。


「…向こうでも、うまくやれるといいわね」


 ―――ニクスは、親戚の家に移る。

 会った事のない親戚の夫婦の元に、ニクスが身を置く事になった。


(キッドがニクスの親戚を見つけてきて、話を持ち掛けたら、ニクスを引き取ってくれる事になったとか)


 優しい夫婦であると話だけは聞いている。本当にそうであればいいのだが。

 あたしには、この先、ニクスが幸せになれますようにと、祈る事しか出来ない。


「まあ、心配な事は沢山あるけど…」


 ニクスが肩をすくめた。


「何とかなるよ」

「…そうなるように、願ってるわ」


 ニクスが黙る。あたしが黙る。どこかの汽車が発車した。音が鳴り響く。あたし達は見つめ合う。風がなびく。あたしの髪が揺れる。ニクスの前髪が揺れる。


 ニクスが口角を上げた。


「ああ、そうだ」

「ん」

「見せたいものがあるんだ」


 ニクスが、鞄から木箱を取り出した。どこで見たのか、見覚えのある木箱だった。


「約束したのに、見せてなかったでしょ? 僕の宝物。テリーが喜ぶと思って、ずっと見せようと思ってたのに、色々あって、忘れちゃってた」


 テリー、これで君は共犯だ。


「すごい宝物を見せよう」


 ニクスが箱を開けた。あたしは中を覗く。覗いて――――見て、思わず、目を見開く。


(ああ)

(やっぱり)


 目が離れない。


(やっぱり)


 あたしはピアスを握り締める。


(そうだったのね)


「実はね、この宝物が行方不明になっちゃってたんだ。木箱だけ鞄に入ってて。中身が無いって相談したら、キッドさんがお手伝いさんと一緒に、探して集めて来てくれたんだ」


 あたしは黙る。


「ねえ、テリー、これが、僕の宝物だよ」


 あたしは黙る。


「テリーは綺麗なものが好きだから、見せたかったんだ」


 あたしは黙る。


「…………ねえ、テリー」


 ニクスは微笑んでいる。


「人はね、何か想いが溢れた時に、その想いが表に出てしまうんだって。それは喜怒哀楽の喜だったり、喜怒哀楽の怒だったり、喜怒哀楽の哀だったり、喜怒哀楽の楽だったり、全てが溢れた時に、それは出てくる。昔、お父さんが、教えてくれた」


 ねえ、テリー。





「君が、今、泣いているのは、どの想いかな」





「………そうね」



 あたしは、笑った。



「喜怒哀楽で言うなら、喜になるのかしら」



 木箱には、なんて事のない汚い石が並んで入っていた。



「こんなに綺麗な石は見た事がないわ」



 氷の上に、転がっていた石。



「感動してしまったみたい」



 発見したニクスの鞄の横に、転がっていた石。



「涙が、止まらないわ」





 ―――約束の場所で待っている時、ニクスは来なかった。けれど、鞄と、木箱と、この汚い石を、あたしは見ていた。その周りを、くるくる回り滑って、ニクスを待っていた。


 ニクスは既に来ていた。

 約束を守ってくれていた。

 友達のあたしへ宝物を見せに、来てくれていた。


 ただ、一人では暴走した父親を止められなかったのだ。ニクスは為す術もなく、氷の中に引きずり込まれた。


 あたしは寒さに耐えながらニクスを待っていた。暖かさも寒さも失ったニクスがいる事に気づかずに、ニクスの沈む氷の上で、あたしはニクスを待ち、ワルツを踊っていた。


 雪の王は、凍った物を食べた。

 凍ったニクスを食べた。

 凍ったニクスの鞄を食べた。

 凍ったニクスの宝物を食べた。

 食べた命は戻らない。


 ニクスは、あたしの前に、二度と現れなかった。




「ニクス」


 大粒の涙が、溢れる。


「ニクス」


 ニクスを見つめる。


「テリー」


 ニクスが微笑む。


「泣かないで」


 ニクスが笑う。


「僕、笑ったテリーが大好き」


 あたしは頷いて、涙を拭く。あたしなりに笑ってみせる。ニクスも笑みを浮かべて、木箱を閉じて、鞄にしまう。


「どうだった? 僕の宝物。大きくて、ごつごつしてて、綺麗でしょ」

「ええ。すごく綺麗」

「家の前で拾ったんだ。綺麗だなって思って」

「素敵な宝物」

「そうでしょう」

「見せてくれてありがとう」

「いいんだよ。テリーなら」

「あたし、ニクスに何をしたらいい?」

「え?」

「大切な宝を見せてくれたニクスに、何をしたらいい?」

「何もいらないよ」

「何かしてあげたいのに、何も無いの」

「テリー、もう貰ってる」


 手袋が、あたしの手を包む。


「大切にするからね。この手袋」


 鞄の中には、あたしの手紙が入っている。


「向こうに行ったら、学校に通わせてもらえるんだって」

「大変よ。まずは字を覚えないと」

「字を覚えたら、テリーと交換日記の続きをしなきゃ」

「交換日記もいいけど、手紙にしない?」

「手紙か。じゃあ、手紙の書き方を覚えないと」


 風で揺れるニクスの短い髪の毛を優しく握る。


「ニクス、髪の毛伸ばしてみたら? そしたらリボンで髪を結べるようになる」

「えへへ。僕にリボンなんて似合うかな」

「絶対似合う。あたしのリボンをあげる」

「え、テリーのを?」

「ええ」

「本当?」

「あたしのでいいなら、いくつだってあげる。ニクスに似合う可愛いの、いっぱい持ってるから 」

「ふふ。楽しみだな」

「ニクス」

「ん?」

「ごめんなさい」

「何が?」

「男の子だと思ってて」

「しょうがないよ。僕、服装も男の子みたいだし」

「サリアに言われたわ。気づくのが遅いって。気づいてたら、お風呂も一緒に入ったのに」

「じゃあ、大人になったら一緒に入ろうよ」

「そうね。二人だけで旅行に行きましょう。温泉旅行なんてどう?」

「温泉か。入った事ないな」

「あたしが連れて行ってあげる。ニクスなら、どんな場所にだって連れて行くわ」

「その頃は、僕だってお金持ちになってるかもよ?」

「たとえ貧乏だとしたって見捨てないわ。あたし達、ずっと友達よ」

「テリー」


 ニクスが微笑む。


「ありがとう」


 ニクスが笑う顔を見て、口角が上がる。ニクスだけを見つめる。ニクスがぼんやりとあたしを見て、また笑った。


「テリーは笑ってても可愛いね」

「ニクスはいつも笑ってるわね」

「僕、いつもなんて笑ってないよ」

「でも、笑ってるわ」

「だって、テリーといると嬉しいから」

「ニクス、あたしも、…あたしも嬉しいわ。ニクス」

「ふふ。お揃いだね」

「当然じゃない。友達なん…」


 言い終わる前に汽車が鳴る。あたしとニクスの視線がはっと汽車に移る。また、視線がお互いに戻る。


「…そろそろ行かないと」

「そうね」


 ニクスとあたしが、お互いの手を強く握りしめる。


「元気でね。テリー」

「手紙書くわ。ニクス」

「うん。字、読めるようにしておくから」

「いっぱい書くから」

「僕も」

「ニクス、また会えるでしょう?」

「必ず会えるよ。テリー」


 だって、


「僕達は、ずっと友達なんだから」


 手が離れる。

 ニクスが微笑んで、大きなトランクを持って、汽車に乗る。

 ニクスが中に入って、席に座る。窓を見る。

 あたしはニクスについていく。窓から席についたニクスを見る。

 ニクスが窓を開けた。

 ニクスが手袋を外して、手を伸ばす。

 あたしも手を伸ばす。

 素手で握り締め合う。

 汽車が汽笛を鳴らした。

 扉が閉まる。

 汽車がゆっくりと動き出した。


「テリー」


 あたしの足がゆっくりと動き出す。


「ニクス」


 汽車が速度を速める。

 あたしは歩く。汽車を追う。走る。汽車を追う。必死に手を握り締める。


「ニクス」

「テリー」


 手を握る。


「テリー」

「ニクス、あのね」


 あたしは走る。


「テリー、会いに来るから」

「ニクス、ねえ、」

「テリー」

「ニクス、あの、ニクス、あたし」


 あたしは握りしめる。


「ニクス!」


 腕が伸びる。


「あたし!」


 手が、離れる。




「大好きよ、ニクス!!」




 叫ぶと、ニクスが笑った。


 ふわりと微笑んで、

 嬉しそうに笑って、

 知ってるよと言いたげに笑って、

 無邪気に笑って、

 雪のように輝く笑みを浮かべて、

 あたしに、大きく手を振る。


「テリーーーーー!」


 ニクスが叫んだ。


「テーーーーーリーーーーー!!!!」


 あたしは見つめる。

 ニクスが大きく、大きく手を振る。

 汽車が行く。

 ニクスが遠くなっていく。

 手を伸ばしても届かない距離になる。

 汽車が線路を走っていく。

 あっという間に小さくなる。

 どんどん離れていく。

 どんどん見えなくなっていく。


 ニクスが、行方不明ではなく、親戚の家に行くために、旅立っていく。


(ニクス)


 風が吹くと、あたしのポニーテールが揺れる。


(ニクス)


 綺麗なピアスを大切に握り締める。


(ニクス)


 目を閉じる。


(大好き。ニクス。ずっと、ずっと大好き)


 やっとあたし達、約束を果たせたのよ。


(宝物、見せてくれてありがとう)


 でもね、ニクス、約束なんてどうでもいいのよ。


(あたしは)


 ニクスがあたしに笑ってくれるだけで、幸せな気分になるのだから。


(それだけでいい)

(それだけでいいの)


 ニクスが生きているだけで、


(満足よ)


 あたしは瞼を上げた。駅の時計を見上げる。


(…帰らなきゃ)


 門限を守らないと、今度こそ怒られて閉じ込められてとんでもない事になる。

 時間に余裕があるうちに帰ろう。で、課題をやる。


(勉強しよう)

(ニクスと手紙を交換しないと)

(ニクスに間違った字を見せるわけにはいかない)

(もっと知識を脳に詰め込んで)

(ニクスと一緒に大人になる)

(やり直そう)

(あたし達の時間を、やり直そう)


 もう、汽車はいない。


(帰ろう)


 あたしは歩き出す。


 汽車が行った道とは反対の出口に向かって進む。改札を抜けて、階段を歩いて、駅の出入口を出る。そのまま人混みの中歩いていると、傍に足音が聞こえた。あたしの足と同じタイミングで歩いている。足音が重なる。それを楽しんでいるように、足がついてくる。


(………)


 わざと足のリズムを崩すと、それすらも合わせてくる。また歩く。合わせてくる。ついてくる。小走りで進んでも、ついてくる。

 清々しい気分だったのに、台無しだ。


 一気に、不機嫌になった。


「しつこい」


 低い声で、唸るように言うと、後ろにいたキッドが、帽子を深く被って、笑った。


「感動のお別れは済んだ?」

「関係無いでしょ」

「冷たいなぁー? 俺の婚約者様は」


 キッドがあたしの横に並ぶ。

 楽しそうに笑うキッドを、ぎろっと睨む。


「何よ、また尾行ごっこでもしてたの?」

「愛しい人が何やってるか気になるじゃないか」

「何が愛しい人よ。思ってもないくせに」

「思ってるよ。心から。今日も愛してるよ。テリー」

「ほざけ」


 ふん、とそっぽを向いても、キッドは口角を上げて微笑んでいる。


「ねえ、テリー」


 キッドの声があたしを呼ぶ。

 黙って振り向くと、キッドと目が合う。

 にんまりと微笑むキッドが、可愛らしく首を傾げて、訊いてきた。


「今回で俺の事、だいぶ嫌いになったんじゃない?」


 ―――あたしは、きょとんと瞬きをした。


「…なんで?」

「んー?」

「元々好きじゃないって言ってるでしょ。馬鹿」

「だとしてもさ」


 キッドが笑う。


「ニクスの父親を殺したのは、間違いなくこの俺だよ?」

「………」


 あたしは俯いた。


「それは、違うでしょ」

「何が違うの? じゃあ、何がネージュ氏の死因は何?」

「………ああしなきゃ、あたしが死んでた」


 ちらっと、キッドを見上げる。


「…暴走してたわ」

「ああ」

「殺すしかなかった」

「ああ」

「……他に方法なんてあった?」

「無いね」


 キッドははっきり言った。


「あの時、たとえお前じゃなくても、リトルルビィがやられてても、他の人でも、俺、殺したと思うよ」

「注射は打ってた。リトルルビィの時と同じように」

「ああ。しっかりと打ったよ」

「でも、…あれは、…人間の目に見えなかった」

「進行が進み過ぎたんだ。あの薬も完璧じゃない。あくまで、人間の研究者達が作ったものだから、魔法使いの飴には…」


 キッドが肩をすくめた。


「呪いには、勝てない」

「…じゃあ、しょうがないじゃない。どうしようも出来なかった」


(確かにキッドは得体が知れないし)

(尾行するし)

(地下に隠れてるし)

(ストーカーだし)

(嘘つきだし)

(隠し事多いし)

(信用なんか出来ない)

(……けど)



 キッドがいなかったら、ニクスは助からなかった。



「何よ。落ち込んでるの?」

「お前に嫌われて落ち込んでるよ」

「嘘つき」

「人間はいつだって嘘つきさ」


 足を揃えて歩く。


「…ニクスの宝物、拾いに行ってくれたって聞いたわ」

「綺麗な石だったね」

「ええ」


 頷く。


「……キッド、あんたにしてはよく頑張った方よ」

「評価してくれるの? これは嬉しいね」

「ニクスのために、色々してくれたじゃない」

「ニクスのためじゃない。せめてもの償いさ」

「元々殺す気は無かったわ」

「当然だ。治療出来る余地があるなら、時間がかかってでもやってる」


 でも、手遅れだった。


「そうなったら、誰にも止められない」


 止められる内に止めておかないと、こっちがやられる。


「他に方法なんて無かった」


 殺す以外の選択など存在しなかった。


「…じゃあ」


 あたしはキッドを見る。


「…………嫌いになる理由なんて、無いじゃない」


 ―――――。


「じゃあ、好きになった?」


 にんまりとして顔を覗き込んでくるキッドに、ぱーん! と平手打ちをする。キッドが頬を押さえる。


「痛い!」

「ふんっ!」

「あはは! もう! テリーは猫みたいだね! でれたと思ったら叩かれた!」

「でれてないけど」

「素直になりなよ。テリー。本当は俺のこと、大好きなんだろ?」

「けっ」


 ウインクしてくるキッドを無視して早足で一歩前に出る。


(人が同情してやれば調子にのりやがって!)


「お前なんか好きじゃないわよ! ばーか!」


 むかむかして、腹が立って、イライラして、歩き出すと、キッドがまだついてくる。


「ねえ、テリー。手繋いで歩こうよ」

「お前の目は節穴なの? 見えないの? あたしは今、手に大切なものを握り締めてるのよ」

「ん? 何持ってるの?」

「………」


 あたしは立ち止まる。キッドも立ち止まる。あたしはキッドを見上げた。キッドはあたしを見下ろす。


「いいこと。これは自慢よ」

「へえ、自慢ね」

「心からの友達がいないあんたへの自慢よ。見てごらんなさい」


 ぱっと手を広げて見せれば、キッドが微笑ましそうにそれを見つめる。


「わあ、綺麗な色。ニクスから貰ったの?」

「………」


 ニクスのピアスが褒められて、ほんの少し、心が温まる。そっと、ピアスを見下ろす。


「…お母様の形見なんだって。お守り代わりに、持っててって、ニクスが」

「耳開ければ?」

「……まだ。もう少し大人になってからにする」

「お前、耳敏感だからな」


 くすっと、キッドが笑い、また顔をずいっと近づけて、あたしの耳に囁く。


「俺がやってあげようか?」

「キッド、絶対痛くするから嫌だ」

「なんだよ。優しくしてあげるよ」


 じろっと、キッドを睨む。キッドは微笑んでいる。

 優しく、本当に王子様のように、整われた顔が、あたしに向けられている。

 にこにこと、微笑ましく、美人で、美形で、お人形みたいで、何を考えているかわからない目が、あたしを、見つめる。


「………………………気持ち悪い」


 呟くと、キッドが腹の底から爆笑しだした。


「あっはっはっはっはっはっはっ! 俺にそんな事言うのはお前だけだよ!」

「どうだか」

「くくくっ、やっぱり飽きないなあ! テリーは! くひひひひ!」


 あ。


「褒めるの忘れてた」


 そっと、あたしの髪の毛を、一束、掴んだ。


「今日も似合ってるよ。ポニーテール」

「…そろそろ髪型変えようかしら。あんたに褒められて、ポニーテール嫌いになりそう」

「何言ってるの。俺に褒められるって、すげえ名誉な事なんだよ」

「何が名誉よ。自意識過剰の勘違い野郎」

「んー。そんなことを言う口は、」


 キッドがあたしの頬に手を伸ばす。ぎゅーーーーっと、掴む。


「この口かー?」

「ううううううううう!!」

「あっはは! ブースー!」

「キッド!!」


 手を払うと、キッドがおどけて、また笑う。あたしは顔を真っ赤にさせて、キッドに怒りをぶつける。


「ほんっとう! あんたのどこがいいのよ! 街のレディたちは皆おかしいわ!」

「むふふー! 俺は皆に優しいからね。でも、こんな風に構ってあげるのはテリーだけだよ。お前は特別だからね」

「何が、何が特別よ! ふざけやがって! 16歳のくそがきのくせに!」

「おいおい、お前だって12歳だろ? 俺よりもくそがきじゃん」

「もういいのよ! そのくだりは! もういいのよ!!」

「あ、そういえばさ」

「今度は何よ!!」



「あの震源地、雪祭の会場になったんだって」



 キッドがにししと笑う。それを、あたしはむすっとして見上げる。


「…で?」

「前の埋め合わせが出来てない」

「…別にいらない」


 そう言って、ニクスのピアスを優しく握り締めて、再び歩き出す。キッドは、その後ろをにやつきながら、ついてくる。


「ねえ、テリー。どう? この後行かない? 巨大な雪像がすごいんだって」

「あんたと二人で?」

「いいだろ? 久しぶりに俺も遊びたいんだよ」

「二人は嫌だ」

「なんで?」


 ……………。


 視線が、靴元に下がる。


「デート」

「ん?」

「…………したことないから」


 俯いて、ぼそっと、呟く。

 キッドの足が止まった。あたしは足を進めた。


 直後、思った。


 ――――逃げろ。


(あたし、今、とんでもなく恥ずかしい告白をした気がする)

(しかも、言ってはいけない人に言った気がする)

(いいのよ。別に恥ずかしい事じゃない。12歳の女の子が殿方とデートしたことないなんて、どこにでもある話よ)


 あたしは言う相手を間違えた!


(信用できない奴に)

(頭がおかしいと思ってる奴に)

(口が滑った)

(これは、逃げないと駄目なやつだわ)

(逃げるが勝ちよ。人生ってね、全て、逃げたもん勝ちなのよ!)


 ダッ、と走り出す、前に、足が止まった。キッドに手首をがっちりと掴まれた。痛い。痛いくらい掴んでくる。


「……………………」


 黙る。

 ひたすら黙る。


(………お家に、帰る…)

(もう…帰る…!)


 体が震えているのは、恥ずかしいからじゃない。寒いからだ。

 顔が熱いのは、恥ずかしいからじゃない。運動がしたいからだ。

 歯を食いしばってるのは、恥ずかしいからじゃない。力んでいるからだ。


「…帰る…! もう帰る…!!」


 震えて、上擦った声で言うと、キッドが口角を上げる。


「逃がさないよ」


 引っ張られて、正面からキッドに向き合う。腰を掴まれて、顎を掴まれて、クイ、と上げられて、キッドの、どこか愉快げな、嬉しそうな、わくわくしたような、綺麗な笑顔が、あたしの目に映る。


「行こう。テリー。スケートの時みたいにリードするからさ」


 ―――その笑顔が、非常に、


「…………胡散臭い」


 キッドが満足そうに笑う。


「くくっ、お前さ、やっぱり俺のこと大好きだろ」

「好きじゃない」

「やー。可愛いなあ。愛しいよ、テリー。いやあ、いいね。くくっ。ねえ、俺の好きなとこ一個だけ教えて?」

「好きじゃないって言ってるでしょ」

「一個でいいからさあ」

「断る」

「照れちゃって可愛いんだから」

「うるさいわね…。蹴るわよ…」

「そんなこと言えるのも、今のうちだけだぞー?」

「離してよ」


 キッドの肩をぐっと押すと、キッドがにんまりと笑う。


「駄目。離さないよ。お前が俺とデートするって言うまではね」

「…門限あるから」

「じゃあ、ちょっとだけ歩こうよ」

「……………」

「ね?」

「……………」


 じゃあ、こうしよう。


「練習」

「練習?」

「そう。俺との婚約を破棄した後に、好きな男と突然デート、の方が困るだろ? そうならないための、練習」


(…………)


 あたしは視線を逸らし、頷く。


「………………。……れ、……練習なら…」

「うん」

「………行って、あげなくも無い……」

「あはは! 結構! 行こうよ!」


 そう言って、キッドがあたしの体を放して、あたしの、ピアスを持っていない方の手を握り、歩き出す。それに、ついていく。そして、微笑みながらあたしに振り向く。


「でもさ、テリーには練習なんて必要ないと思うよ」

「なんで?」

「だって、結婚しちゃえば問題ないから」

「キッドと?」


 睨むと、キッドが笑い出す。


「お気に入りのテリーの夢を叶えてあげようかなって思っただけだよ」

「夢?」

「だってさ、お前、将来の夢は、『王子様と結婚する』ことなんでしょ?」

「………はぁ? 何? あんた、自分が王子様って言いたいの? うわっ。最悪。一体、何の事言ってるの?」

「なんだよ。ニクスに言ってたじゃん。お前が」

「…いつ聞いてたのよ」

「さーあ? いつだろうねー?」


 その笑みには、嘘があって、嘘がない。

 あたしは顔をしかめて、そっぽを向いた。


「友達同士の会話よ? 冗談に決まってるでしょ! あたしはベックス家を継ぐんだから。勝手なこと言わないで」

「怒らないでよ。もう見張りは解除したからさ」

「プライバシーの侵害だわ! 次やったら警察と城の兵士に訴えてやるからね!」

「テリーってば、もー。許してよ」

「知らない!」

「ごめんってば」

「ふんっ!」


 握られた手は離れない。

 繋がれた手は離れない。

 不信に思うその手を握れば、握り返される。

 キッドは笑顔だ。

 あたしは視線を逸らす。

 キッドが止まった。

 あたしの足が止まった。

 キッドが屈んだ。

 あたしは不思議に思って見上げた。


 ―――――ちゅ。


 キッドがあたしの頬にキスをした。


「……………………」


 黙って、キッドの手に爪を立てた。


「いたたたたたっ!!」

「…………………」

「無言の攻撃! これはっ、あははは! テリー! 無言! あははは! 手がいてえ!! ははははは!! あっはっはっはっはっはっ!!!」


 痛いくせになぜか爆笑するキッドがいて、俯いた顔を真っ赤にして歯を食いしばるあたしがいて、


 汽車では、これから幸せになるために奮闘するニクスが、空でも見上げているだろう。


 手紙には、雪祭のことも書こう。

 これから春がやってくる。

 これから夏がやってくる。

 これから秋がやってくる。

 手紙を書こう。

 沢山書こう。

 読めないくらい書こう。

 書いて、書いて、書きまくれば、

 きっと、いつか読んでくれるかもしれない。


 だから、想いでいっぱいの手紙を、

 あたしのたった一人の友達に、沢山書こう。




 春は近づく。

 太陽は暖かい。

 孤独な心に枯れて凍ったテリーの花が、少しだけ、ほんの少しだけ、雪の笑顔によって氷が溶けた。


 そんな気がした。








 三章目:雪の姫はワルツを踊る END

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