第12話 雪の王(4)
ぼろぼろのあたしの姿を見た途端、リトルルビィが顔を青ざめた。
「きゃーーーーーーーー!!!!」
キッドのお手伝いさんの間を潜り抜け、リトルルビィがあたしを抱きしめる。
「酷い!!」
リトルルビィがキッドを睨みつけた。
「テリーに何したのよ!」
リトルルビィがかかとを上げて、あたしの頭を撫でた。
「ああ! テリーの目が充血してる! 酷い! テリーの可愛くてプリティなおめめを、こんな風にするなんて! なんて鬼畜なの! あまりにも残酷よ!」
リトルルビィが牙をキッドに向けた。
「その血、吸いつくしてやる!!」
「やめなさいって」
リトルルビィの腰を掴んで、頭をぽんぽんと撫でる。すると、リトルルビィがすぐにあたしの胸の中で大人しくなった。
「ふへ…テリー…良い匂い…」
「あんたはしばらくあたしの膝にいなさい」
「はーい!」
リトルルビィがあたしの膝の上に乗ったまま、作戦会議が始まる。誘拐事件の時のように、大勢が家の中にぎゅうぎゅうに詰め込み、キッドがホワイトボードに字を書いていく。
『雪の王国を支配せよ!』
「テリーに聞いた情報と、俺達の情報を組み合わせて、整理しよう」
キッドがホワイトボードに記していく。
「今回の舞台は、とある雪の王国だ。ここでは、トンネル工事が行われていたが、ある事をきっかけに、工事が中断された」
原因は、鏡。
「鏡は非常に危険であるものだと分かっている。おそらく、呪いの飴と似たようなものだろう。俺は、呪いの鏡と呼ぼう」
呪いの鏡はトンネルの中に置かれている。
「この鏡を見た人は鏡に魅了され、体が凍り付く。そのせいで、工事現場の作業員は全員亡くなった」
地震が起き始めたのは、トンネル工事が中断されて、ほんの数ヶ月後、雪が積もり始めた頃だ。だが、その頃は、まだほんの小さな揺れだった。
「だんだん大きな地震が多くなってきた。そこで、俺は異変を感じ、調べる事にした」
それが、数週間前のこと。
「そして、登場人物だ」
ニクス・サルジュ・ネージュ。12歳。
母親は既に他界。半年前に父親が失踪。住む家は無し。ミセス・スノー・ベーカリーの従業員として働いている。
「ニクスがトンネルに出入りしているのを目撃して、俺達はニクスを調べ始めた。そこに登場人物その二」
テリー・ベックス(俺の婚約者)。
ニクスをナンパし、見事にその心を射止める。ニクスと毎晩遊ぶ相手になる。
「ねえ、その書き方どうにかならないの?」
「テリー、なんぱって何?」
「リトルルビィ、あんたは知らなくていいの。分かった?」
「はーい」
キッドが無視して話を進める。
「俺は正直、ニクスを疑ってた。彼女が中毒者ではないのかと思っていたわけだ。しかし、真実は違った」
机の上に、ニクスの鞄が置かれる。
「テリーの証言によると、ニクスの鞄の中にある手袋には、飴が入っていた。それを、見えない巨人が食べたと言う」
呪いの飴。
「見えない巨人こそが、中毒者」
キッドがホワイトボードに書いた。
見えない巨人(雪の王)。
「雪の王の正体は、失踪したニクスの父親の可能性が高い」
キッドがニクスの名前の横に付け足した。
ニクス・サルジュ・ネージュ(雪のプリンセス)。
「そして、テリーのお婆様の助言によると、呪いの鏡の持ち主は、雪の王と雪のプリンセス、つまり、それがネージュ親子というわけだ」
これもテリーの証言だ。
「呪いの鏡は、どうやら持ち主は呪わないらしい。だから今までニクスは魅入られなかった」
ここからが、俺の推測だ。
「中毒者の特徴は、必ず皆、不幸のどん底にいる。そして、極限状態である。ネージュ親子は貧困民だった。ネージュ氏は、日々のストレスを少なからず感じていたはずだ。体も弱かったらしい。何度か無免許の医者に診療された形跡も残っている。そんな時に」
リトルルビィと同じように、
「目の前に、例の魔法使いが現れた」
呪いの飴を、渡された。
「ネージュ氏は飴を舐めた。そして、とうとう呪われた」
精神的に追い詰められていた彼は、持ち主でありながら鏡に魅了され、飴に魅了され、呪いに呪われた。
「そして、何かがあって、鏡が無くなったんだ」
ネージュ氏は、鏡を見つけてくるという手紙をニクスに書き残し、鏡を探しに行った。
「ニクスはネージュ氏を追った。そして見つけた」
ただ、その時には、もうニクスの父親は、呪いに呪われ、既に雪の王となっていたのかもしれない。
「テリーから聞いた話によると、飴を舐めると、雪の王は気分が落ち着くと言っていたそうだ。つまり、ただの人間じゃ無くなった父親の気分を落ち着かせるために、ニクスが呪いの飴を渡していた」
キッドがリトルルビィを見た。
「リトルルビィ、飴って、瓶か何かに入ってるのか?」
「ううん」
リトルルビィが首を振る。
「気がついたらあるの」
「どこに?」
「目の前に」
ちょこんとどこかに必ずあるの。
「舐めたい時に出てくる。だからいつでも舐めれるの」
「だとすれば、ニクスも魔法使いに会ってる可能性が高いな」
だが、話は聞けない。
「彼女もとうとう呪われて、意識不明の重体だ」
ニクスの左胸は、氷で覆われている。
「鏡の持ち主であるネージュ氏は、今や雪の王国のキング。そして、プリンセスであるニクス姫は呪われて寝込んでしまった。じゃあ、一体誰が鏡の呪いを解くんだ!」
キッドがホワイトボードに赤ペンであたしの名前を覆った。
「ここにいる」
テリー・ベックス(俺の婚約者)。
「ニクスが呪われた理由はここにある。持ち主の権利をテリーに譲ったらしい。だから鏡を見たテリーは平気で、ニクスが呪われた」
キッドがペンに蓋をして、ホワイトボードのペン置きに置いた。
「だが、おかしいと思わないか? ニクスは呪いの事を知っていたはずだ。近づこうものなら、持ち主で無い自分は呪われてしまう。それを知っていたにもかかわらず、呪われてしまった。さあ、なぜだと思う?」
キッドが黒いペンで鏡の絵を描いた。……下手くそな絵ね。子供の落書き?
「呪いを砕くには、方法は一つ。根源を壊す事だ。よって、鏡を割る事が出来れば、呪いは解ける」
キッドが息を吐いた。
「おそらく、ニクスは壊そうとしたんだ。父親が毒に侵され、暴走を始め、自我を失いかけている事に気付いた。だから、手遅れにならないうちに、鏡を割ろうとした」
そして、
「鏡を見てしまった」
呪われた。
「ニクスは番地から番地へ移動する事が出来た。これも俺の予想だが、多分、父親だ」
雪は父親そのもの。
「ニクスは父親の雪に乗って、移動をしていた。だからあり得ない移動が出来た。そして、ずっと父親の傍にいたからこそ、彼の異変にも気づいた」
ニクスは呪われた自覚がないまま、いつものように父親の暴走を食い止めようと、声を荒げた。落ち着いてと叫んだ。父親はニクスを掌に乗せて、いつものように娘を愛でた。その連絡を受けた俺達が現場に向かった。その間、ニクスは呪いに蝕まれながらも、必死に自我を失いかけている父親を見張っていた。そこへテリーが現れた。
ニクスはとうとう、体力も精神力も限界に追いやられ、倒れた。
国も、父親も、友達も、一人で全てを守ってきた小さな英雄は、英雄にはなれず、力尽きてしまった。
「ま、あくまで推測だ。そうじゃないかっていう、俺の推測」
キッドがにやりと笑って、あたしを見た。
「可哀想なニクスは呪われしまった。でも、今の鏡の持ち主はお前だ。つまり、今のテリーなら、鏡を割る事も出来るかもしれない」
キッドがウインクした。
「でしょ?」
「あんた、あたしを危険地帯に放り込むわけ?」
「安心して。傍にはリトルルビィを置く」
「…リトルルビィがまた呪われたらどうするのよ」
「だから、鏡が見えない位置までついていってもらう。それからは、お前が鏡を割る。簡単な仕事だ」
それに、テリーは拒む事が出来ないはずだ。
「ニクスを大事に思うお前なら、ニクスを助けるために、鏡を割るくらい、容易いはずだ」
でないと、
「一人で、危険地帯に行ったりしない」
キッドが、にこりと笑う。
「だろ?」
「…………」
あたし、こいつのこういうところ嫌い。人の良心を利用しやがるこういうところ。
(それだけじゃない)
こいつはただの人間。ただの一般人。平民。おじいちゃんと二人暮らしのただの坊ちゃん。
(そのはずのくせに)
なんで『呪い』の事を、ここまで察して、知り尽くしているのだろう。
(キッドの謎がまた増えてしまった…。ああ、嫌だ嫌だ…)
「……追い詰められてたのね」
リトルルビィがホワイトボードをじっと見て、呟いた。
「気持ちは分かるんだ。…お兄ちゃんもそうだったから」
リトルルビィがあたしの手を握った。
「……私を守ろうとして、心が追い詰められたのよ」
そこに、付け込むように、魔法使いが現れた。
「…………」
リトルルビィがあたしに振り向いた。
「テリー」
「ん?」
「ニクスは、何も悪くない」
リトルルビィが眉を下げた。
「巻き込まれただけ。そうでしょう?」
「ええ。そうよ」
ニクスは、ニクスの父親は、
「あんたと一緒。巻き込まれただけよ」
貧しくも平和な暮らしをしていた親子に降りかかった悲劇。
「ニクスは、巻き込まれただけ」
呪いを配る魔法使いが、不幸の種を撒いた。
(……何のために……)
考えてもあたしには分からない。歴史の事を考えれば、人間に対する復讐とも捉えられるが、ドロシーを見る限り、そうでもない気がする。
(ドロシーだけが例外なのかも)
あいつはメニーと親友だから、人間を助けてるだけかもしれない。
(あたしの事だって)
「テリー」
名前を呼ばれて、瞬きをする。キッドがあたしを見つめている。
「ねえ、お前のお婆様に訊きたいんだけどさ」
「…何?」
「動くのは、今日の方がいいの?」
キッドが微笑む。あたしは時計を見る。針が動くのが見えた。あたしは瞼を閉じる。瞼を上げる。キッドを見る。
「今すぐ動いた方がいいわよ」
リトルルビィがあたしを見る。
「20時…50分くらい、かしら」
大人達が時計を見た。
「大きな地震が起きるって」
キッドがあたしに微笑む。
「雪の王が現れて、消える」
それを逃したら、
「メニーも、ニクスも、」
今、凍ってるキッドのお手伝いさん全員、
「くたばるわよ」
「急ごう。救世主の予言だ」
キッドが手を叩いた。
「これより、全員持ち場に移動開始。作戦Aを行う!」
キッドがビリーを見た。
「じいや」
「手配済みじゃ」
「ありがとう。じいやはここに残って、ニクスを」
「御意」
「リトルルビィ、テリーの傍に」
「御意!」
「テリーは……」
キッドがにこりと笑って、あたしに差し出した。
「これを持って」
「………何これ」
「これで鏡を割るんだ」
あたしはキッドを見上げた。
「これで割るんだ」
キッドが、それを差し出して、にっこりと、確信のある笑みを浮かべた。
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