第2話 トラブルギャンブルデートはいかが(2)
――――テリー。
鳥の美しい鳴き声のような声が、あたしを呼ぶ。
――手袋、ありがとう。
あたしは笑った。
――別にいいのよ。これくらい。
彼は笑った。
――とても、暖かいよ。
あたしは笑った。
――そう。
彼は微笑んだ。
――大切にするね。
あたしは微笑んだ。
――失くしたら、また新しいのを用意してあげる。
彼は首を振った。
「いらないよ」
彼は手袋を頬に押し当てた。
「テリーから貰ったかけがえのない手袋だもん。大切にするよ。絶対に、絶対にこれだけは、僕、失くさない。いつだって手にはめて、夏が来たって、穴が開いたって使うさ。ふふっ! 嘘じゃないさ。本当だよ!」
笑ってる。
微笑んでる。
喜んでる。
大切にしてくれる。
理解してくれる。
優しい子。
あたしの理解者。
手を繋ぐ。
あたしは笑う。
―――も笑う。
だめ。名前、思い出せない。
忘れたくない。
忘れたくない。
でもいない。
―――ス。
だめ。思い出せない。
だめ。忘れてしまう。
ニ――。
思い出せない。
時間が過ぎれば過ぎるほど、忘れてしまう。
優しい思い出が消えていく。
忘れたくない思い出が消えていく。
やだ。忘れたくない。
でも、いない。
どこにも、彼はいなくて、
彼は消えてしまった。
どこにも、いなくなってしまった。
消えていく。
思い出が消えていく。
記憶が消えていく。
ニ―――。
思い出せない。
名前。
待って。
行かないで。
ねえ、
なんで約束破ったの。
ねえ、
なんで。
あたし、待ってたのに。
ねえ、
ニ―――。
ねえ、
どこにいるの。
どこにいったの。
あたし、待ってても、来なかったじゃない。
ニ―――。
……………。
あたしは、
あたしは―――――。
そっと、目を開けた。
(*'ω'*)
(……ん? …どこ、ここ…)
ぼうっとする。見慣れない壁に脳が追い付かない。
(何時だろう…)
(行かないと、あいつが家に来る…)
(あんな変な奴と『婚約してる』なんて知られるのだけは、避けたい…)
「ん…」
掠れた声が出る。だるい。頭が重い。でも、起きないと。
(あいつが来る…)
(何時?)
(ここどこ…?)
体が暖かい。見下ろすと、暖かい毛布に包まれていた。
(…何これ。すごく暖かい…)
(なかなかいい素材じゃない。この毛布)
(安物のくせに…)
(ああ、駄目)
(意識がぼうっとする…)
すーーーはーーーー。
大きく呼吸すると、呼吸が出来た。
(うわ。すごい)
(ちゃんと呼吸できる。すごい)
(ちゃんと胸まで、頭まで空気が回ってくる)
(苦しくない)
(ああ、どうしよう)
(この毛布から出たくない)
(畜生。安物のくせに)
(あ、なんか良い匂いする…)
(何これ…)
(暖かい)
(離れたくない)
(………………)
目を閉じて、意識を放そうとすると、後ろから気配。優しい手が、そっとあたしの肩に触れた。
「………起きた? テリー」
聞き覚えのある声に、瞼を上げる。ぼうっとしながら寝返りを打つと、会いたくなくて、会わなければいけない人物がそこにいた。
青髪の、女の子のように白い肌の、すっとした鼻筋の、大きな、きりっとした目の形。美しい青い瞳。容姿だけ見れば、かなりの美男。
しかし中身は最悪。腹黒だし女たらしだしキザだしナルシストだし欲深いし大嘘つき野郎だし人間の悪い所をかき集めたような少年。
あたしの、自称婚約者のキッドが、仏頂面であたしを見下ろしていた。
「……噴水の前で過呼吸になったんだって? ふん。罰が当たったんだよ。婚約者に新年の挨拶をしなかったから」
「……キッド?」
頭をぼうっとさせたまま名前を呼ぶと、キッドが眉をひそめて、また手が動き、優しい手つきであたしの頭を撫で始める。
「大丈夫?」
「……もう平気」
「……まったく。俺は怒ってるんだからな。お前、去年も俺に挨拶に来なかっただろ。今年こそはって思って、ずっと待ってたのに」
「……新年早々、あんたに会いたくなかったから…」
「え?」
ぎょっ、とキッドの目が見開かれる。信じられないとでも言うように。慎重に、あたしに訊き出す。
「……お前、それ、本気で言ってる?」
「…だって、嫌だったんだもん…」
「……何が嫌なんだよ。お前、新年に俺に会えるなんて、幸せ者なんだぞ?」
「なんでキッドに会えるからって幸せなの? そんな事を言うのはあんたを慕ってるレディだけよ。あたしは勘弁」
うんざりして言うと、キッドが頬を膨らませ、どこか拗ねた顔をして、あたしを睨んだ。
「…お前だけだぞ。そう言うの」
「…そうなの?」
「そうだよ。誰もが皆、俺に会えて嬉しそうにするんだ。はるばる広場付近に住んでるレディ達だって、寒い中俺に挨拶しに来てくれたよ。貴族も庶民も関係なく、ね。お守りもたくさんくれた」
「あら、よかったじゃない。今年は何事もなく守られそうね」
「………」
じっと、キッドの目が鋭くなる。じっと、あたしを見つめ、じっと穴が開くほど、あたしを見つめる。
「…何? なんかついてる?」
「……そんなに嫌い?」
「え?」
「そんなに俺のこと嫌い?」
「嫌い?」
「なんでヤキモチ妬かないの? 俺、ヤキモチ妬く女の子って大好きだよ。構ってほしいって可愛い顔してさ。なのに、お前はずっとそんな顔。ねえ、俺が嫌い?」
あ、拗ねてる。そして、あたしの発言を不思議だと思ってる顔。
そうよね。こいつ、顔だけはいいし、皆に優しくて、人当たり良いから、嫌いと言われたことがないんだわ。
(まあ、別にあたしもそういうわけじゃないし)
あたしはキッドから視線を逸らす。
「別にあたし、あんたのこと嫌いじゃない」
「…嫌いじゃないの?」
「でも好きでもない」
キッドが顔をしかめた。
「どっち?」
「キッドには色々お世話になってるし、感謝はしてる。でも、それだけ」
じろりと、キッドを横目で睨む。
「あんただって建前で振舞ってるだけで、あたしなんかに会いたくないでしょう?」
「会いたいから手紙を出した」
「…あのきな臭いやつ?」
「ふふっ」
キッドがおかしそうに笑い、あたしの顔を覗き見る。
「ね、テリーの花、綺麗だった?」
「最悪よ。背筋が凍ったわ」
「昨日のお前もなかなか可愛かったよ」
はっ!!!!
あたしは手紙の内容を、その一言で思い出し、完全に目を覚まし、毛布を投げ飛ばし、上体を起こした。毛布がふわりと宙に浮き、ベッドの端に落ちた。きょとんとするキッドを見上げて訊き出す。
「キッド、昨日のこと、なんで知ってたの?」
「ん?」
「スケートのこと」
「見てたから」
………………。
あたしとキッドが瞬きした。
「いたの?」
「うん」
ひい!
「ひい!」
思ったことが声と悲鳴になって出てきた。
顔を青くしながら肩をびくっ、と揺らすと、キッドがにんまりと微笑む。
「だって、いたんだもん。たまたま。偶然。お前が」
「…………………」
「ふふっ、可愛かったよ。姉君のアメリアヌに手を引かれて怯えるお前も、メニーと手を繋いで氷の上に戻って思いきりすっ転んでたお前も。あれはもうね、最高だったよ」
くくっ。
「腹抱えて笑ったね」
にやにやして言うキッドの顔が憎たらしい。だが、反論は出来ない。
事実、あたしはすっころんで、恥ずかしくて、情けなくて、その後メニーに手を引かれて滑ったけど、どうにも楽しめなかった。
ひたすら、恥と冷たさだけが残ったのだ。
(ぐぬぬぬぬぬ……!)
充血する目でキッドを睨むと、それを受け取ったキッドが余裕のある笑みを浮かべ、首を傾げた。
「ねえ、苦手なの? スケート」
「………慣れてないだけよ」
視線を泳がし、キッドから目を背けると、ふふっと、またキッドが笑う。
「駄目だよ。テリー」
「…何よ?」
「俺を見て」
「……見たくない」
「お前さ、本当にわかりやすいね。図星を突かれたら必ず目を逸らす」
「……………」
「むっとしても駄目。俺の前にいる以上は、俺だけを見てよ? ん?」
可愛くねだるような声を出したと思えば、ぐいっとあたしの顔を無理やり自分に向けた。不意打ちに驚いて、思わずキッドに目を合わせる。
黒に近い、闇に近い、その青が、あたしの目を見て、あたしの中身を知ろうと、覗き込んでくる。
(…この、覗かれてる感覚が嫌なのよ)
じっと睨みつけると、キッドがおかしそうに笑った。
「あはは! やっぱりテリーだ。お前は俺を睨むのが好きだねえ」
「…うるさい…」
「ふふっ、ねえ、テリー。明日空いてる?」
「明日?」
キッドが微笑んで言った。
「デートしようよ」
16歳になった男の子が、12歳の女の子をデートに誘ってる。
おかしな光景に見える。いや、普通か?
……いや、普通じゃない。だって、16歳と言ったら思春期で、せめて口説くとしても、年の近い13歳14歳とか、同じ16歳とか。12歳はありえない。色気も出てくる16歳、年上すら狙ってもいいはずの年頃。
まるで知り合いのお兄ちゃんが、妹のようなあたしを誘っているような光景。
妹のような。
………………ほう。なるほど。
(キッドは、あたしを妹のように思っている?)
なるほど。
遊び相手がほしいのか。
……なるほど。
(………………)
そっと、キッドの頭に手を置いて、撫でる。
「ん?」
キッドが突然のあたしの行動に、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
あたしは哀れなキッドの頭を撫で続ける。
「……キッド、あんた、友達がいないのね…。だから言ってるのよ。レディに変な口説き文句ばかり言ったら駄目って…」
「…ふふっ。なーに? 俺、もしかして慰められてるの?」
「遊び相手がほしいなら、リトルルビィを誘ってあげて。あの子、平日はずっと働いてるんですって。あんなに小さいのに、可哀想…」
「ちょっとー? 婚約者の前で、他の子の話をするの? やめてよね。特にリトルルビィは」
「なんでよ。あの子はあんたと違って良い子じゃない」
「あいつ、お前のことなんて言ってるか、知ってるだろ?」
―――テリーは、私の、運命の人よ!
―――テリー、私も…私も、テリーの事…、
―――…あ、あいしてる…!
頬を赤らめる、可愛い吸血鬼を思い出して、ふっと笑ってしまう。
「可愛いじゃない。メニーと同い年とは思えないくらい、二歳年下には見えないくらい子供に見えて、とっても可愛い。あたし、ママになるならああいう子のママがいい。ずっと可愛がるわ」
「好きの対象が俺なら、俺だって少しは可愛がったさ。でも、人のものを取ろうとするのは良くない。俺は気に入らないね」
「何それ。自分が好かれてないからって拗ねないでくれる?」
「別に拗ねてないよ。そうじゃなくて」
キッドが真面目な顔で、頭を撫でるあたしの手を取り、自らの胸に押し当て、向かい合うあたしを、その熱い眼差しで見つめる。
「俺のテリーが、俺以外に取られそうになるのが嫌ってこと。お前は、俺だけのものだろ?」
その言葉に、
嘘があって、
その言葉に、
心はない。
じっと、睨む。
「………よくもそれで女の子が落とせると思うわね。キッド」
「………あれー?」
くすっとキッドが笑う。
「いつもならこれで興奮して喜んでくれるんだけどなあ。お前くらいの女の子」
「気持ち悪い。離して」
手を払おうとすれば、キッドの細い手が、どこから出しているかわからない力で、あたしの手を握り続ける。
「やだ。離さないよ。テリー」
「何よ。もう話は済んだでしょ。あけましておめでとうございました!」
「その言葉を聞くために何週間待ったと思ってるの? ねえ、デートしようよ。するって言うまで離さない」
「相変わらずしつこい奴ね! あたしなんかより、もっと、…そうよ。たとえば、スケートの上手い女の子とデートすればいいじゃない!」
「そうだよ。お前が相手してくれないから、俺、何度もあのスケートリンクで女の子達と遊んだよ」
「あら! よかった! 貴方、友達がちゃんといたのね! じゃあ、その子達と遊びに行きなさいよ! ハーレムで良かったわね! 最高! ベリーにハッピーね!」
手を離そうと、思いきり腕を振るが、全く離れない。キッドはにこにこ笑みを浮かべ続ける。
「安心して。ちゃんとそれはお友達。浮気じゃないよ」
「平気! あたしのことなんて構わないで! あたしよりもお友達を大事にしてあげて! うふ! お友達大事に出来るお兄ちゃんって素敵! さあ、どうだ。これで満足!? 早く手離してよ! この接着剤野郎!」
腕を上下に振るが全く離れない。キッドはにこにこしている。
「何言ってるの。本命のテリーと遊ばないなんて、そんな理不尽な事ないだろ? 俺はお前を愛してるんだよ。友達よりも、お前が大事。ねえ、テリー。遊ぼうよ。この俺と」
「いい! 結構! あたし、冬は引きこもりたいの!」
腕を左右に振るが全く離れない。キッドがあたしの言葉に反応した。
「え? どうして? 寒いから?」
「そうよ! 冬は冬眠シーズン! 動物は皆、引きこもりたくなるのよ! だから結構!」
「へえ? ってことは、冬のテリーは冬眠シーズンってこと?」
「ええ! あたし、冬は活発にならないの! お布団とお友達になって、芋虫みたいに包まるのを趣味としてるの! そんな女の子嫌でしょ! 分かったらさっさとこの手を離しなさいよ! このもみの木野郎!」
「へーーーーえ?」
キッドが、にんまりと口角を上げた。
「そっか、そっか。それは、とても都合がいいね」
「え?」
「俺も今、冬眠シーズンなんだ」
キッドが手を伸ばす。あたしが放り投げた毛布を掴み、ふわりと宙に浮かせた。あたしとキッドの上に、毛布が下りてくる。頭からあたし達を包む。暗闇の中、あたしとキッドが二人きりで毛布の中。キッドが顔を近づかせ、あたしの目を覗き込んで、囁く。
「このまま、二人で冬眠しようか」
「………………………」
「毛布の中なら、誰にも見られない」
ねえ? テリー。
「ここで、俺がお前にどんなえっちな事をしたって、止める人はいないよ」
その瞬間、あたしの目が見開かれ、ぞっと顔を青ざめて、毛布をぽーーーーん!! と投げ飛ばした。後ろに後ずさると、手を握るキッドもついてきて、ひい! と悲鳴をあげた。
キッドは笑う。笑っている。ずっと、にこにこと、笑っている。
「どうしたの? テリー? 俺と冬眠しようよ」
「いいいいいいいいい!!! ビリー!! ミスター・ビリー!!!!」
「あはは! 残念だね! あいつは家の前の雪かき中だよ! テリー!!」
まるでその笑い方は、魔王の笑い方。
にっこにこと笑うキッドは、悪魔、魔王そのもの。
左の壁に手をつけて、右手はあたしの手を握る。強く。それは強く。
(に、逃げられない…!)
いいや、あたしは負けない! 負けるはずがない!
(だって、あたしはこいつより、倍以上生きてる年上のお姉さんだもの!! 中身だけは!!)
笑うキッドをキッ、と睨みつけてやる。身分の差を教えてやるわ! 華麗に断ってやるわ! 凛と、毅然と、かっこよく! 貴族とは常に気を強く持つのよ!
決めてやれ! テリー・ベックス!
「ここここここ、この、このテリー・ベックスを、デートに誘うなんて、じゅ、10年、いえ、20年早いわよ!! あ、ああ、あたしを、さ、さそう、誘うなら、メニーを、もぉ、もしくは、アメリをしょ、紹介するわ! さささ、さっさとそれで、その欲求不満を解消してよ!!」
「くくっ。いいねえ、俺、声がぶるぶる震えても威勢のいいテリーが好きだよ。愛してるよ。ハニー」
「いいいいいいいいいいい!! やめて! 気持ち悪い!! やめて!! やめろ!! 今すぐに!」
顔が引きつれば引きつるほど、キッドの笑い声が大きくなっていく。
「ねえねえ、テリー、俺、もっと、お前に愛を囁きたいよ。お前を口説きたいんだ」
「けけけけけ、結構よ。結構! ほら! 愛を囁けば囁くほど倦怠期って近くなるのよ! 知らないの!!?」
「あははは! そんな話聞いたことないなあ!」
「そ、それに、それに! ほら! あの、本当に、あの、もっと聞きたがってる子がいるでしょう? あんた、今年で何人に告白されたのよ!」
「年明け一気に二百人!」
自信満々に言うキッドに、拍手を送る。
「きゃー! すごい! モテる男は違うわねー! よっ! 色男ー! よし、じゃあその二百人を口説き落とせばいいわ! さ! 行ってらっしゃい! あたしみたいな小娘なんて気にせずに!」
「何言ってるの? 将来結婚する想い人を放って、お友達と遊べと言うの? 紳士として、それは良くないと思うんだ」
ちょっと待ったあああああああああああああああ!!!
「き、キッド、おま、か、かお! 顔近い!」
「なんで? 顔が近くないと、何も出来ないでしょ?」
「お、おっほほほ! な、何する気なのよ? やーね! お兄ちゃんったら! 冗談きつすぎー! やばすぎー! おほほほほほほ!」
「何って…」
くすっと笑って、あたしの頬に、キッドがそっとキスをした。
「っ!」
びくっ、とあたしの体が揺れて、縮こまる。ぎゅっと首をすくめれば、またキッドが笑い、あたしの顎を掴んで自分に向かせる。
「ほーら。テリー。もっといけないことしちゃうよ?」
「………っ」
「ね? デート、行こうよ」
「……や……」
やだ、と言おうとした瞬間、キッドが、その形のいい唇をあたしに向けてきて、ぞっとしたあたしの手があたしの口を守る。掌に、キッドの唇が当たる。
むに。
キッドが、ちらっと、目を開けて、口を手で守るあたしを見る。目が合う。
「………………………」
「………………………」
そして、にっこりと微笑んで、その手にもう一度、キスをする。
――――ちゅ。
「ひゃっ!」
情けない悲鳴をあげると、くすくす、いやらしい笑い方を、キッドがする。からかってる。絶対からかってやがる。こいつ、いつか目にもの見せる。絶対に。
メラメラと復讐に燃えるあたしに、キッドが落ち着いた声で言った。
「ねえ、行こうよ。テリー。本当に、ちょっと遊ぶだけ」
「…………………………」
「………駄目?」
「……………………」
「ふーん」
キッドがぽつりと呟いた。
「………だったら、メニーも連れてきていいよ」
「……え?」
きょとんと瞬きして、キッドを見る。キッドは至って落ち着いている。
「二人きりが嫌なんだろ? 連れて来ればいいさ」
(…メニーを連れていく?)
メニーを?
なんで?
あたしのこめかみに、青筋が浮き出る。
(なんであの憎き女を遊びに連れて行かなければいけないの……?)
(メニーとキッド? 何それ? あたしのストレスが溜まる一方じゃない)
(でもキッドと二人きりは絶対嫌だ。死刑になるとしたら迷うけど)
(迷うくらいなら打開策を考えよう)
(打開策……)
!!!!!
あたしはひらめき、目を輝かせて、提案する。
「だったら!」
キッドが微笑む。
「リトルルビィも連れていきましょう!」
キッドが微笑んだまま、硬直した。
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………本気で言ってる?」
「ええ!」
「………………それで、来るんだな? お前も」
「ええ!」
「……………………はあ、だる」
キッドが一気に表情を崩し、ため息をついた。それを見たあたしはむっとし、眉をひそめる。
「何よ。いいじゃない。メニーとリトルルビィは友達なんだし」
「俺はテリーと遊びたいの」
「四人で遊びに行ったらいいじゃない! 数が多い方が、あんたも楽しいでしょう? 女の子がいっぱいいて嬉しいでしょ! 子供だけど!」
「あのね、俺が誰でもかれでも好きだと思ったら、それは大きな間違いだよ。テリー」
「あたしをそうやって口説き落とそうたってそうはいかないんだから! あたしはね、キッドだけにはなびかないのよ。キッドだけには!」
「へえ! 言ってくれるね!」
キッドがあたしの手をようやく離し、立ち上がり、前髪をすくい上げ、あたしを見下ろした。
「いいか? テリー。俺はね、駆け引きやギャンブルが大好きなんだよ!」
「何よ! トランプでもやろうっての!?」
「こうしよう。俺は明日のデートで、お前のハートを射止めて、俺のものにしてみせる!」
「はっ! 16歳のくそがきの分際で! やれるものならやってみなさいよ!」
「言ったな? 言ったな!? テリー! この俺の挑戦を受けたな!?」
「ええ! 言ったわよ! いいわよ! 望むところだわ! あたしのハートを射止められるなら、やってごらんなさいよ!」
「よーし! 交渉成立だ! 明日、十時に噴水前だ!」
「いいわよー! やってやろうじゃな……」
あれ、
これ、
結局出かけることになってるんじゃ…。
はっと、気づいた時には、―――キッドはにやりと、微笑んでいた。
「よし」
「………」
「楽しみだね。テリー」
黒い笑みを、浮かべて、キッドは、笑い出す。
ふっふっふっふっふっふっふ。
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!!」
(策士だ…)
(鬼だ…)
(悪魔だ…)
(こいつやばい…)
(やっぱり、ヤバい奴だ…!)
ぞーーーーーーっと背筋が凍り付くのを感じる。
(ああ、なんで、なんでこうなったの…?)
なんでこんな奴と、婚約者の約束なんかしちゃったの。
あたしは、あたしはただ、
将来起きる死刑を、回避したいだけなのに!!!
「………で、テリー」
「………」
「顔がまだ青いから、とりあえず、下でココアでも飲まない?」
「…ココア?」
「うん」
「……牛乳、ある?」
「入れてあげるよ。たくさんね」
「飲む!」
「うん。おいで。美味しいの、作ってあげる」
差し出されたキッドの手を掴んだ。
(*'ω'*)
「で? どこに行くの?」
ガラス玉のような瞳を向ける少女が訊いてくる。
少女の頭には大きなとんがり帽子。身を包む大きなマント。銀のパンプス。
魔法使いのドロシーが、パパの書斎の暖炉の前で、『覚えている範囲で出来事を書き綴ったノート』を確認するあたしに、にんまりと微笑む。
「ねえ、テリー。これは、あの王子様がくれたチャンスかもしれないよ?」
「王子様ってキッドの事? ちょっと、やめてくれる? あいつは王子様じゃなくてペテン師よ。ぺがつく天使のようなぺ天使ならぬ天使な悪魔よ。魔王よ。魔王」
顔をしかめて言うと、ドロシーはむふふと笑う。
「だってさ、メニーを連れて行っていいんだろ? これはメニーとの仲を深める重要イベントじゃないか!」
「だからこそ気を張ってるんじゃない。まだリトルルビィがいてくれるだけマシよ…。…あの子が来られたら、の話だけど…」
「なんだい? 吸血鬼に予定なんてあるのかい?」
迷わずこくりと頷く。
「ドロシー、リトルルビィってね、すごく忙しいのよ。平日はずっと働いてるの。たまにお休みとかもあるみたいだけど、将来のために人生経験をさせるって、キッドが色んなところにあの子を連れて行ってるのよ。この間、子供なのにレジ打ちもやったって聞いたわ」
「へえ。…吸血鬼が、レジ打ち…」
ドロシーが複雑そうな顔をした。一方、あたしはでれんと頬を緩ませる。
「あの子ね、本当に可愛いのよ。人懐っこくて。あたしのこと、テリーテリーって、うるさいくらいに呼んでくるの。たまにうんざりする時もあるけど、なんていうか、あの子だけは憎めないのよね」
あたしにとっての癒しだ。まるでペットのような感覚。
「メニーもあれくらい可愛げがあったら良かったのよ。そしたらあたしだってメニーを心から可愛がれたわ」
「メニーは可愛いよ。テリーが一方的に憎んでるだけさ」
ぎろっと、ドロシーを睨み、親指の爪に噛みつく。
「当たり前でしょう。誰が人を死刑にした女を恨まないでいられるのよ。しない奴は気が狂ってる。人間じゃないわ」
「ふふふ。でもテリー。それも明日で克服できるかもしれないよ? 君にはたくさんの課題がある。君が少しでもメニーを好きになれたら、将来の死刑という道は消えていく。いいじゃないか。そのキッドっていう子に感謝だね」
「ドロシー、思い込みってあてにならないわよ。もうあたしは、思い込みなんてしない。昨日のあたしは騙されたのよ。あんなのはただの自己暗示よ」
「あはは! テリーは自己暗示を舐めてるようだね! 自己暗示ってすごいんだよ? 好きだ好きだと思っていれば、自然と愛着もわいてくる。メニーが愛しくてしょうがなくなるよ!」
「おえっ」
「吐かない」
「チッ」
「舌打ちしない」
「何よ…。あたしは行きたくないのよ…。こんな寒い季節に、何がデートよ。よくもあいつ、このあたしをからかってくれたわね…。畜生。ふざけやがって…」
「じゃあ、テリー。明日のミッションはどうするの?」
「………」
あたしは親指の爪を噛み、もう一度、ノートに目を向ける。
あたし 12歳
メニー 9歳(二月で10歳)
・家庭教師が一週間ごとに変わる。誰一人信用せず勉強を怠る。
・家族仲は最悪で、反発して一人で街へ出かけることが多くなる。
・冬に期間限定でスケートリンクが城下町に建てられ、スケートの才能のなさを実感する。
・美味しい美味しいベーコンチーズパンが流行り出す。
・この時期の冬は地震が多い。
あたしは目で文字を追う。
(家庭教師が一週間ごとに変わる)
クロシェ先生がいなくなった屋敷には、新しい家庭教師が来るが、誰もあたしに合わない。勉強はするが、してもしなくてもつまらなくて、何も楽しくなくて、あたしは勉強を怠ることが多くなる。アメリも然り。
(街へ出かけることが多くなる)
この時の家族仲は最悪。
ママはいつでも不機嫌で、アメリは意地悪。メニーはお可哀想な顔をして気丈に振舞っている健気な姿。ヴァイオリンは怒られてばかりで、勉強もお作法もつまらない。正に憂鬱期。この鬱憤をどこに晴らしていいか分からず、あたしは一人で屋敷を抜け出し、遊び歩くことが多くなった。
(スケートの才能のなさを実感する)
昨日と同じ。今年からスケート場が建てられ、今後毎年冬になるとスケート場が開かれるようになる。ただ、お尻に氷がついた時の感触が忘れられなくて、スケートをするたびに生まれたての小鹿のようになってしまう。
あたしが華麗にスケートをすることは、今後もないだろう。
(美味しい美味しいベーコンチーズパン)
これ。すごく美味しいの。新しくパン屋が出来るのよ。そこの目玉商品。一人で街を歩き回っている時、これを食べて歩くのが日課だったほど、大好きなパンとなる。ああ、やっと食べれるのね。待ち遠しいわ。
(地震)
この時期、地震が異常なほど多くなる。なぜだかは知らないが、この時期だけ。雪が解けて春になれば、地震はいつの間にか収まった。
(違和感はない)
ちゃんと歴史は正しく繰り返されている。
スケート場もちゃんと設立された。あそこは今後イベント会場やコンサート会場などで使用されることになる。
(ただ)
デート。
(キッドが生きてるせいで、色々と変化してる)
デート。
(デートね)
あたしは鼻で笑う。
(デートか)
あたしはくすっと笑う。
(デート…)
あたしはうなだれる。
(したことないのよね。デート)
一度目の世界でも、
(あたし、デートなんてしたことなかった)
だってあたし、18歳で牢屋に入るのだもの。
(誰かと恋に落ちる前に)
王子様。
(あの人がメニーを選んでから)
リオン様。
(待ってたから)
どんな時も、あの人だけを見ていたから。
(恋なんて)
(デートなんて)
あたし、まじでしたことないのよね。
(………くそ)
キッドにからかわれる光景が目に浮かぶ。
「……………行きたくない」
「テリー、大丈夫?」
「大丈夫じゃない。あたし、明日、急にお腹が痛くなったって言おうかしら」
「逃げるんじゃない! これこそ、罪滅ぼし活動にもってこいじゃないか! テリー、行くんだ! 気合を入れて、罪を償ってくるんだ!!」
「えー」
「不満そうな顔しない!」
「チッ」
「舌打ちしない!」
「かぷかぷ」
「親指の爪を噛まない!」
「やだ…」
あたしはうなだれる。
「やだ。本気で嫌になってきた。行きたくない…。行きたくない…」
「テリー。元気を出して!」
ドロシーがあたしに歩み寄り、後ろから肩をぽぽぽぽぽ! と叩きだす。
「行きたくないと思うから行きたくなくなるんだよ! ほら、君は行きたいんだ。本当は行きたいんだよ!」
「そうやってまたあたしを騙す気? もう騙されない。自己暗示なんて嫌いよ」
「もう。そう言わずにさ。ミッションを決めておけば、なんとかなるよ。さ、決めておこう。明日のミッションはどうしようか?」
ドロシーに諭され、ため息を出す。親指の爪を再び噛み、呟く。
「……………遊ぶ…」
「ん?」
「子供らしく、『楽しく、遊ぶ』」
絞り出すように言うと、沈黙。
ちらっと見上げれば、ドロシーがにこりと笑っていた。
「いいじゃないか!」
星のついた杖を、くるんと回した。
「遊んでおいで!」
ドロシーの銀色のパンプスがきらりと光る
「この世界において、純粋に楽しそうな君を僕は見たことがないよ。せっかくの機会だ。行っておいで! 全部忘れて遊んでおいで! 子供に戻ったつもりでさ!」
「…あのメンバーで?」
「テリー、遊べば気分は自然と楽しくなるものさ。さあ、今日も復唱を! 愛し愛する。さすれば君は救われる!」
あたしは不満いっぱいの顔で呟く。
「愛し愛する…さすれば…君は救われる…」
「元気よく!」
ドロシーの言葉に、元気よく、やけくそになって、復唱した。
愛し愛する! さすれば君は救われる!
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