第17話 それは春がやってくる頃



 通り魔事件から月日が過ぎ、雪が解けて、春になる頃、キッドから手紙がきた。



 ――拝啓。


 我が愛しき姫 テリー・ベックス


 まず、この手紙を送ることを許してほしい。なぜって、それは、この手紙には私の愛が詰まっているから。テリー。ああ、愛しい君。直接この愛を君に贈りたいけれど、それはかなわない。せめて手紙の中に私の愛を入れておく。テリー。その名前をこうやって書くだけでも愛しさで溢れてしまいそうだ。テリー。君は今、何をしてるんだい? 私の事を想ってくれているのだろうか? 会いたいよ。テリー。寒い風がなくなってきた。つまり、春だ。出会いの季節だ。テリー、また私と出会ってくれないだろうか? 私は待ってるよ。テリーと出会いたい。そして、また一から始めるんだ。お互いに知っている仲だとわかっていても、やり直すんだ。面白そうだろ? そうしたら、また新たな発見が生まれるかもしれない。今度私と会う時は、出会ったところから始めてみよう。どうやって出会ったか覚えているかい? まず、君が私にぶつかるんだ。そして、ごめんなさいと謝ってくる。私はそれを見て、こちらこそよそ見をしていてすみません。お怪我はありませんか? と言う。そして、君が運命の一言を言うんだ。まあ、なんて、素敵なお人なのって。


「そんなことを言った覚えはない!!!!」


 怒鳴って扉を蹴飛ばすと、腹を抱えてげらげら笑うキッドがそこにいた。

 あたしは怒りと寒気で震える手を差し出し、届けられた手紙をキッドに広げて見せた。


「お前! 何が出会いの季節よ! 何が出会いたいよ! こんな夢物語じゃないでしょう! あたしはあんたとの出会いは最低最悪なロマンも塵もへったくれも何もないものだったって覚えてるんだから! よくも選んだ絵本侮辱してくれたわね! よくもあたしの名前を侮辱してくれたわね! このクソ野郎! いんちき商法! くたばれ!!」

「だっはっはっはっはっはっは! 超怒ってる! テリーが超怒ってる! だぁはははははははは!!」

「ああ! もう何なのよ! 呼び出しておいて、その笑い! むかつく! くたばれキッド! まさか、何もないなんてことはないでしょうね! 無駄足なんてことはないでしょうね!?」


 腹を抱えて苦しげに笑う悪魔のようなキッドに言うと、キッドが笑いで溢れた涙を拭いて、あたしを見た。


「ぐふふっ。もちろんだよ。くくっ。お前が早く来てくれるように愛溢れる手紙を書いてあげたんだ。感謝してもらいたいね。ぶふううう!」

「くっ…! 人の顔見ながら、吹き出して喋らないでくれる? とても不快だわ。とても不愉快だわ。とても不適切だわ!」


 怒りで握った拳を震わせると、キッドが笑いを堪えながらにやつく。


「いやいや、お前が喜ぶかと思って、いち早く知らせたんだよ?」

「何が?」

「待ってただろ?」


 あたしが蹴飛ばした扉が開く。あたしは赤い靴に気づかない。

 腕を組み、キッドを睨む。


「何を?」

「待ち望んでいたはずだ」

「何のこと?」




「テリー」




 誰かに呼ばれた。

 か細い、高い声の、少女の声。

 振り向くと、扉が開けられていて、ちょこんと、そこにいた。

 扉を盾に、隠れながら、少し恥ずかしそうに、照れているように、頬を赤らめて、赤い目を、あたしに向けていた。


「…テリー…」


 もう一度、小さな少女があたしを呼ぶ。


「…あの…」


 少女が微笑む。


「入ってもいいですか?」

「おいで」


 キッドが答える。


「テリーに挨拶してあげて」


 小さな少女はこくりと頷く。静かに家の中に入ってくる。赤い靴に、赤いスカート。白いシャツ。白い靴下。髪の毛を二つに結ぶ赤いリボン。


 キッドに斬られた右腕には、黒い義手がつけられていた。しかし、火傷の痕はどこにもない。

 小さな少女は、あたしに向かってお辞儀をする。


「テリーお嬢様、お久しぶりです。私は、ルビィ」


 小さな少女が微笑んだ。


「ルビィ・ピープルです」


 でも、


「小さいから、リトルルビィ、なんて呼ばれてます」


 小さな少女が近づいた。


「あの」


 リトルルビィが、顔を上げた。


「ぎゅってしても、いいですか?」


 赤い目と目が合う。あたしの口角が自然と上がっていく。


「お辞儀、出来るようになったのね」


 すごいじゃない。


「いいわ。ご褒美よ。おいで」

「っ」


 腕を広げると、リトルルビィの目が見開いた。息を呑みこんだ。潤んだ瞳であたしを見つめる。足を蹴った。あたしに飛びついた。言葉通りに、ぎゅっと抱きしめられる。


「テリー!」


 リトルルビィがあたしを思い切り抱きしめる。あたしはそれを受け止め、ぎゅっと抱きしめ返す。小さなリトルルビィが、あたしを締め付ける。


「テリー、テリー、ああ、テリー…!」


 リトルルビィがあたしに顔を埋める。


「会いたかった…」

「そう」

「すごく、すごく会いたかった!」

「嬉しいこと言ってくれるわね」


 リトルルビィの頭を優しく撫でる。


「元気?」


 リトルルビィが頷く。


「怖い事、されなかった?」


 リトルルビィが頷く。


「そう。それは良かった」


 リトルルビィの頭を撫でる。


「久しぶりね。リトルルビィ」

「うん…」


 リトルルビィの顔から、温かな水滴が溢れてくる。あたしのドレスが濡れてしまうが、この子なら構わない。小さなリトルルビィも、命を燃やすことなく、元気に、生きている。


「人間に戻れたの?」


 あたしが訊くと、リトルルビィが首を振った。


「まだ、人間には戻れてないの」


 リトルルビィが顔を上げる。泣いた痕がついている。しかし、赤い目はきらきら光っている。


「私の体、まだ吸血鬼のままなの。血を飲まないと生きていけない。でもね、すごいの。毒の一部は抜けたみたいで、日を当たっても平気だし、聖水も大丈夫。ニンニクも、十字架も平気。お家にも、許可がなくても、入れるようになったの」

「そう」

「あと、唾は健在。ちょっとした怪我なら、舐めれば治せる」

「なるほど」

「後は、その、血を飲みたくなったら、あの、血は飲まないと生きていけないんだけど、なんていうか、似たようなものを飲めば、だいぶ飲みたいっていう欲求は減るようになったの」

「似たようなもの?」

「ドリンクね」


 キッドが答える。


「血液と同じ成分で作られたドリンクがあるんだ」

「…そんなものがあるの?」

「開発した」


 あたしは眉をひそめる。キッドがにこりと笑った。


「嫌だな、俺じゃないよ。流石の俺もそこまでは出来ない。開発班が頑張ってくれたんだ」

「……開発、班?」

「うん! あのね、すごいの! ドリンク飲んだら、欲求が減るの! だから、お昼ご飯みたいな、感じ?」


(なるほど。…理解出来ないけど、なるほど。そういうのが、あるのね。なるほど)


あたしがこくこく頷くと、キッドが肩をすくめた。


「開発班も苦労してくれたみたいだよ。リトルルビィにも血の好みがあるから」

「血に好みなんてあるの?」

「私ね、男の人の血は飲めないの。気持ち悪くなっちゃうから」

「何か違うの?」

「んー、私にもよく分からないけど、なんか、男の人の血って、不味いの!」


リトルルビィが笑顔を浮かべる。決して笑顔を浮かべる内容の話では無いが、あれだけぼろぼろだったリトルルビィは、とにかく、元気そうだ。顔を覗き込むと、リトルルビィはさらに、にぱっと笑う。


「大変だったみたいね」

「うん! でも、ほんのちょこっとね!」

「キッドは優しかった?」

「うん! 優しかった」

「そう」

「お作法も教わったの!」

「…キッドから?」

「うん!」


 頷くリトルルビィを見てから、もう一度キッドに振り向く。不審な目で見ると、キッドがウインクした。


「何? お前も、俺から教わりたいの? いいよ。愛の作法を教えてあげる」

「いらない」

「手厳しいな」


 キッドから視線をそらすと、リトルルビィと目が合う。にこにこ輝かしい笑顔をあたしに向けてくる。


(…なんか、すごく懐かれちゃったわね…)


 あたしはリトルルビィの頭を撫でる。あ、すごいにやけてる。もう一度、キッドを見る。


「…これから、この子、どうなるの?」

「罪を償ってもらう」


 リトルルビィが複雑そうに表情を曇らせ、静かに俯く。キッドは微笑んでいるが、その笑みは氷のように冷たい。


「当然だ。ルビィは、命で報いても報いることが出来ないほどの罪を犯した。それはお前も分かってるはずだ。その子供に同情なんてする余地はない」


(確かにそうだ)


 デヴィッドを殺したのは、まぎれもなくこの子だ。


(だけど)


 あたしは見下ろす。小さなリトルルビィは、俯いている。


(この子は、まだ大人じゃない。まだ、小さな子供)


 右も左もわからない、ただの子供。


(あたしとは、違う)


 それなのに、


「大丈夫よ。テリー。そんな顔しないで」


 リトルルビィがそっと手を伸ばす。義手の手が、あたしの頬を添った。


「私、悪い事したって、ちゃんと反省してるの。だから、罪を償えるように、キッドのところで頑張って働いてるのよ」

「…働いてるの?」

「うん。キッドが、私の面倒を見てくれてるの」


 キッドを見ると、キッドが肩をすくめて、微笑んでいた。


「罪を償うには、人の役に立つことをする。これが一番手っ取り早いと思った。吸血鬼の力をうまく利用すれば、俺が追っている事件を、解決まで導いてくれるかもしれない」

「…それは、この子の償いになるの?」

「お前が思っている以上にね」


 あたしはリトルルビィを見る。リトルルビィが微笑んで、あたしの手を握った。あの時とは違って、とても温かい。


 キッドが一言付け加えた。


「危険な事はさせてないよ。そこは安心して」

「…そこは信用してるわ」

「くくっ。嬉しいね」

「ねえ、テリー」


 リトルルビィが首を傾げた。


「…あの、…メニーは元気?」


 あたしは薄く笑い、頷く。


「呆れるほど元気よ」

「私ね、メニーとお友達になりたいの」

「メニーと?」

「うん。…だめ?」

「まさか。遊び相手がいなくてつまらなさそうなの。メニー、喜ぶわ」


 友達がいないと言っていたから、きっと、


「すごく喜ぶと思う」

「…怖がらないかな?」

「大丈夫よ」

「どうやったらお友達になれるかな?」

「お友達になってって言えばいいのよ」

「それで、なれるかな?」

「ええ。大丈夫」


 リトルルビィがあたしと手を繋いだまま、腕を揺らした。


「テリーも、一緒にいてくれる?」

「ええ。いいわよ」

「本当?」

「ええ。でも、友達になりたいって、自分で言うのよ」

「うん!」


 リトルルビィが嬉しそうに笑って、頷く。


「自分で言う!」


 その笑顔に、胸がキュンと鳴る。そして、はっと気付く。


(ああ、そうか)


 これが母性本能というものだ。


(リトルルビィが小さくて、あたしにすごく懐いてるから、あたしの母性本能が、この子を愛しく見せているのだろう)


 多分、


(娘が出来たら、こんな子であってほしいと願ってる自分がいる)


 あたしはもう子供を産める。


(こんな風に子供に懐かれたら、誰だってそう思ってしまうわ)


 繋いだ手が愛おしく思えて、あたしは優しく握り返す。


「義手は痛くない?」


 顔を覗き込むと、リトルルビィが顔を赤らめて、俯いてしまった。


「う、う…んとね…」


(ん?)


 この子は随分照れ屋で恥ずかしがり屋なのね。さっきから俯いてばかり。目を逸らしてばかり。


(そのくせに手だけは握ってくる)


 何それ。なかなか可愛いことしてくれるじゃない。


(メニーじゃなくて、この子が妹なら良かったのに)


「どうしたの? リトルルビィ」

「……あの……」

「ええ」


 あたしは口角を上げて、リトルルビィを見つめる。


「何?」

「…………」


 リトルルビィが頬を赤らめて、黙る。あたしを見つめたまま黙ってしまう。

 それを見ていたキッドの指が、ぴくりと揺れた。


「……うーん。……なんか」


 キッドが立ち上がった。


「不穏な空気だ」


 あたしとリトルルビィの間に割り込んだ。


「妬けるね」


 べりっと、あたしとリトルルビィを、キッドが剥がして、間に入ってきた。手も離れてしまう。


(は?)


 見上げれば、キッドがあたしに向かって、イタズラな笑みを浮かべていた。


「ん?なんだ?テリー。俺に言いたいことがあるみたいな顔」

「大人げない」

「結構。愛しいお前を、雇い始めたばかりの女の子に取られてるんだ。俺の嫉妬の炎がめらめら燃えてもくるもんさ」


 呆れて鼻で笑い飛ばす。何が嫉妬の炎がめらめらよ。


「何よ、嫉妬って。あんたみたいな奴に言われても、あたしは何もときめかないわよ」

「ときめく、ときめかないの問題じゃない。問題は俺の気持ち。心だ。テリーに対する独占欲が、疼いてしまうんだ。全て、お前が愛しいが故にね」

「気持ち悪い」

「照れ隠しも可愛いよ」

「照れてない」

「あの時もそうだった」


 キッドがあたしの顎を優しく掴み、うすーく、微笑んだ。


「あの時も、お前は照れて逃げ出した」

「…何の話?」

「俺はお前と会う度に思ってるんだ。ねえ、テリー。―――誕生日の時の続きは、いつしようか?」


(っ)


 その言葉を言われた途端に、さっと、あたしの血の気が一気に下がった。


 誕生日。

 赤い服を身にまとった魔法使いがプレゼントを子供たちに配ってくれるイベントの前日。


 パーティーに招待されて、行ったあたしは、キッドを祝って、お祝いされて、そして、やらかした。


 続き。


 そのワードを聞いた途端、あたしは眉をへこませ、首を傾げた。


「ぷぇぇえええ?」


 11歳スイッチ、オン。


「何のことーー? 何の話ーーー? 何のトゥービーコンテニュード? あたしー、覚えてなーい」

「良いところで逃げておいて、よく言うよ」

「あたし、しーらない!」


 ぷいっ、と顔を背けると、キッドに手首を掴まれた。


(うっ!)


 振り向くと、キッドはにこにこ笑っている。


「テリーってば、しらばっくれる気? …まあ、お前はシャイだから仕方ないかもね。でも俺は鮮明に覚えているから、安心して? なんだったら、どんな状況だったか、耳元で囁いて説明してあげようか?」

「……あ、あたし…、し、しらない……」

「ああ、仕方ない。そういうことなら、実践してあげよう」


(えっ)


 キッドに手を引っ張られる。リトルルビィとの距離が、かなり遠くなる。


「ぎゃっ!」


 キッドがソファーに座る。膝の上に座らされる。リトルルビィがぽかんと、あたし達を見る。


「ちょっと!」


 キッドの手に、腰を押さえられる。


(ひっ!)


 キッドが抱きしめてくる。


(ぃいいいいいい!!)


 あたしはキッドの体を前に押す。


「お前! やめろ!」

「いいじゃん。見せつけてやろうよ」


 はっと振り向く。リトルルビィがきょとんと見ている。


(いいいいいいいい!!)


 あたしはにやつくキッドに振り向く。


「お前! 小さな子供の前で! なんて破廉恥極まりないことを!」

「お前も子供だろ」


 キッドがあたしの腰と顎を押さえ、あたしの耳に唇を近付けた。


「沢山、囁いてあげる」

「っ!」


 びくっ、と肩が揺れる。キッドがくつくつ笑い出す。


「耳が弱いなんて、可愛いね、テリー…」

「ちょ、何をっ」

「ふう」

「ひゃっ」


 体がまた揺れる。キッドが笑い、あたしを抱きしめて離さない。


「や、やめ…!」

「思い出して、テリー。俺とお前、二人きりで、いけないことしたじゃないか」


 キッドの手が、あたしの首に触れた。あたしの肩が、またぴくりと揺れる。


「やめっ…」

「思い出した?」

「うるさい…」

「テリー、耳赤いよ。思い出して、興奮してきちゃった?」

「は、はぁ? お、おまえ、何言って…」

「俺は」


 キッドが囁く。


「すっげー、興奮してきた」


 低い声を鳴らす。囁く。吐息が、あたしの耳にかかる。


(……くすぐったい……っ)


「テリー」


 顎を掴まれる。


「続きを」


(あっ)


 キッドが顔を傾げる。唇が近付く。あたしの顎を、押さえる。


(あ、き、キス、される…)


 あたしはぎゅっと目を瞑る。


(き、キス、やだ!)


「………んっ!」


 ぎゅ、と目をつむる。ぎゅーーーっと瞼を閉じる。唇に、感触はない。チラッと瞼を開ける。頰に、柔らかい唇がくっつく。


「ちゅっ」


(ん?)


 きょとんと、瞬きする。

 キッドもきょとんと、瞬きしていた。

 いつのまにか、リトルルビィがあたしとキッドを引き離し、あたしを腕に抱え、あたしの頰にキスをしていた。


(え? 何この状況)


 リトルルビィにお姫様抱っこされてる。


(………)


 え? 何この状況?


 リトルルビィを見れば、リトルルビィは頰を赤らめて、にこにこしている。


 キッドがくすっと笑い、ソファーに座り直した。


「リトルルビィ」


 リトルルビィがあたしを抱えたまま、キッドに顔を向ける。キッドが腕を広げた。


「テリーを俺に返して」

「いや」


 即答。

 キッドがまた笑う。


「リトルルビィ」

「うん」

「俺達の邪魔をしないでくれる?」

「邪魔?」

「うん。お前、邪魔してるんだよ」

「………何言ってるの?」


 リトルルビィが抱えたあたしを引き寄せる。


「私、邪魔なんてしてない」

「俺から愛しのテリーを引き離した。罪人め。分かったらテリーを俺に返すんだ」

「邪魔してるのは、キッドの方じゃない」


 ……………。


(ん?)


 キッドがぽかんとした。

 あたしもぽかんとした。

 リトルルビィがあたしを見た。


「テリー」


 リトルルビィが、あたしをうっとりと見た。


「そうよね? テリーは、キッドよりも、私とお話ししたいでしょう?」

「……ん」


(まあ)


「そ、そうね」

「うん。話そう」


 リトルルビィがあたしの頰に、頰を押し付ける。


「いっぱいお話ししよう? テリー?」

「躾が足りなかったか? リトルルビィ」


 キッドが足と腕を組み、リトルルビィを睨みつける。


「リトルルビィ、こういう場合の時は、主人が怒らないうちに、腕にあるものを返すべきだ。今なら許してやる。さ、俺に返しなさい」

「いや」


 リトルルビィが、あたしをぎゅっと抱いた。キッドの片目がぴくりと動いた。


「リトルルビィ」

「テリーを物みたいに扱わないで」

「物みたいじゃない。そのレディは俺の物だ。さ、返して」

「返さない」

「リトルルビィ」

「テリーは、キッドの物じゃない」


 リトルルビィが、可愛い頬を赤らめて、あたしの胸に顔をすりつけ、


「テリーは」


 可愛い声で、はっきりと、言った。




「私の、運命の人よ!」




 ………………………。



 あたしとキッドが黙った。

 ぽかんとした目で、リトルルビィを見つめる。

 キッドが固まる。

 あたしが固まる。

 リトルルビィがあたしを抱きしめる。


「私、確かにあの時、どうかしてた。一人でいるのがとにかく寂しくて、誰かに傍にいて欲しかった。だからきっと、テリーのことをお兄ちゃんに重ねてた部分もあったの。私、テリーに依存しそうになってたのよ」


 でも、違うの。


「これは、依存じゃないの」


 私は気付いちゃったの。


「テリーの言葉で、この気持ちに気付いたの」

「テリーの言葉で、私が抱く想いに気付けたの」


 テリーが私に魔法をかけた。


「テリーが私に言ったのよ」


 魔法の言葉。




「愛してる」



 テリーが言った。



「愛してるわ。ルビィ」



 ぎゅっ。



「だから、もうやめて」



 その言葉が、そのぬくもりが、私に衝撃を与えた。雷が落ちてきた。電気が走った。銃で頭を撃たれたような感覚。そう。私は気付いちゃったの。これは依存じゃない。これはご飯じゃない。これはお兄ちゃんじゃない。


 この人は、

 この人こそが、


「私の、運命の人なんだって…」


 リトルルビィの頰がさらに赤らんだ。


「テリーの血、甘かった。誰よりも甘かった。極上の味だった。でも、私、我慢したの。テリーが我慢してって言ったから」


 私を止められた。


「止めてくれた」


 暴走を止めてくれたのは、テリーだけだった。


「私をコントロール出来るのは、テリーだけなのよ」


 テリーのいうことなら、私、何でも聞いちゃう。


「それは、テリーが、私の運命の相手だから」

「私とテリーの小指に、赤い糸が結ばれてるから」

「私とテリーは、二人で一つなの!」


 運命の赤い糸で、がっちり結ばれた二人なの!


「だから邪魔しないで!」


 リトルルビィの赤い目が、鋭くキッドを睨む。


「テリーは、キッドの物じゃない!」

「テリーは!」

「私のものよ!!」


 …………………。


 あたしは固まる。

 キッドを見る。

 キッドがあたしを見る。

 キッドとあたしが同じ表情をしている。


(?????????)


 リトルルビィが、あたしの顔を覗き込み、にこっと微笑んだ。


「テリー、私、将来お金持ちになるの。だって、テリーはお嬢様だから、一般人の暮らしはできないでしょう? だから、お屋敷建てて、二人で住むのよ」

「???」

「ダブルベッドで一緒に寝て、一緒に起きて、一緒に生活するの。生活サイクルも、ドレスも、髪型も、お揃いにするの」

「??????」

「テリーは何もしなくていいよ! 私がいっぱい稼いでくるから! テリーはただ、私の隣にいてくれたらそれでいいの。それでね、あのね、えっとね、…頭を撫でてほしいな」

「?????????」

「夜寝る時は、こうやって、ぎゅって抱きしめて、お互いの存在を確かめ合って寝るの。それで、ずっと、ずっと幸せに暮らすの」


 リトルルビィの瞳がハートでいっぱいになる。


「テリーは言ってたよね? 私の思いを受け止めてくれるって」

「…………」

「テリーは言ってたよね? 私を抱きしめてくれるって」

「……………………」

「テリーも感じたんでしょ? 私達、きっと結ばれる運命なのよ…」


 出会うために出会った二人なのよ。


「好き」


 リトルルビィが言った。


「私、テリーが好き…」


 可愛い声で、リトルルビィが、微笑んで、その赤い瞳と、白い肌をほんのり赤らめて、


「…大好き」


(あ)


 ――――ちゅ。


 あたしの首筋に、リトルルビィがキスをした。あたしは呆然と固まる。リトルルビィはすりすりしてくる。


「テリー、私も…私も、テリーの事…」


 そして、絞るように、言った。


「…あ、あいしてる…!」


 ぽっと、照れて困ったように眉をひそめて、真っ赤になった顔をあたしに埋めて隠すその行動は、本当に可愛い。男の子が相手なら、メロメロに落ちるまで、一瞬で恋に落ちた事だろう。



 ――――――――――だが、



「……………あの、リトルルビィ?」

「ん?」


 驚きすぎて、あたしは、それを、ぽっと、つぶやいた。


「あたし、女よ」


(違う! そうじゃない!)

(いや、言うべきところはあってる。じゃなくて)

(どこから何から言えばいいの…!?)

(どこから突っ込めばいいの!?)

(違う! 落ち着いて! あたし! この子は、何も知らないから! まだ何も知らない無知な女の子なのよ!)

(動揺せず、きちんと教えれば…!)


「…えへへ」


 それでも、リトルルビィが、幸せそうに、でれでれと笑った。


「テリーなら、もう何でもいい。好き。大好き。好き。好きよ。テリー」

「ん……んん……えっと……」

「好き」


 リトルルビィが微笑む。


「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き!」


 大好き!


「んふふっ! テリィー!」

「ぎゃっ!」


 9歳とは思えない力で、リトルルビィがあたしを抱き締める。

 顔が赤いリトルルビィ。顔が青いあたし。きらきら光るリトルルビィの目。その目に映るあたしの顔は、引きつっていた。血の気も、下がっているのは間違いないようだ。


「り、リトルルビィ…。お、落ち着いて…。自分の胸に手を当ててみて。それは、恋じゃない。親愛よ」

「深愛? ああ、素敵な言葉。そうね。私とテリーは、深く深く愛し合ってる深愛者同士よね」

「お…おおお…おおおお?」

「テリー、私のお嫁さんにしてあげる。ずっとずっと幸せな場所で、テリーと私の二人だけの世界で、ずっと一緒にいるの。それこそが、私達の幸せなの。テリー。私達の幸せは、そこにあるの。大好きなテリーと、テリーが大好きな私の、二人だけの世界…」

「えええええっとおおおおお…」

「好きよ。好き。好き好き。好き好き。テリーが好き。好きなの。テリー。テリー好き。テリー可愛い。好き。大好き」

「…えーーーーーーーーーーーーーーーーーっとーーーーーーーーーーー…………」

「テリーが嫌がることしないよ? ずっと守ってあげる。甘やかせてあげる。キッドみたいに胡散臭い事言わない」


 それに、


「……キッドよりも、私の方がずっと可愛くて良い子だよ? だから、テリー、私と……」


 気が付けば、リトルルビィの赤くて小さな唇が、あたしに近づいていた。


「私と、ずっと一緒に…」


 ――――その瞬間、あたしの体がリトルルビィから離れた。リトルルビィの唇が空振った。


「んむ!?」


 リトルルビィが慌てて見上げる。あたしは持ち上げられている。

 キッドの腕に。


「………」


 あたしは固まる。

 リトルルビィが顔をしかめた。

 キッドはにこりと微笑み、持ち上げたあたしを腕に抱え直した。


「おぶっ」

「やめてくれないか? リトルルビィ。俺達の間にお前が入る隙間は『一ミリ』だってないよ」

「…キッド、何言ってるの?」


 ぎろっ、と、大人げなく、キッドの目がリトルルビィを睨みつける。しかし、キッドの口角は上がっている。笑っているのに、笑っていない。そんな目でリトルルビィを見下ろす。


「お前こそ何言ってるんだ? 人が優しくしていれば、つけあがるのはよろしくないぞ?」

「何よ。キッド。お友達を取られそうだからって、大人げない」

「お友達?」


 ふふっ! とキッドが笑い、あたしを引き寄せ、あたしの頭にキスを落とした。


「ちゅ」

「うっ」


 あたしが縮こまると、キッドがいやらしく微笑み、満足げに笑い、リトルルビィに見せつけるように、あたしに頬をすり寄せてきた。


「俺とテリーは愛し合う婚約者同士なんだよ。お友達? くくっ。何言ってるんだ。お前?」

「え?」


 リトルルビィの目が、不信感いっぱいの目でキッドを見つめた。


「婚約者? 何言ってるの?」

「ああ、…可哀そうに。初恋を失恋で終わらせてしまうから、信じたくないと思うけど、その通り。俺達は婚約者なんだ。結婚を誓い合ってるんだ。愛し合ってるんだ。あー。まったく、駄目だよ。リトルルビィ。お前がいくら可愛いからって、誰でもかれでも、同性の、しかも既に俺の婚約者であるテリーに言い寄ってくるなんて……」

「え? でもそんなこと言ったら、キッドだって、お――」


(え?)


 何かを言う前に、キッドがこれまでに見たことがないほど、即座にリトルルビィの口を手でふさいだ。あたしは地面に放り投げられる。


「いだっ!」


(テメェ! 何するのよ!)


 あたしは優しく自分のお尻を撫でる。顔を上げると、リトルルビィが目を見開き、すさまじいほどキッドを睨みつけていて、一方、キッドも見たことがない剣幕でリトルルビィを睨んでいた。


「ほんっっっとうに! お前はろくな事を言わないな! リトルルビィ!」

「むーーーーーー!」

「俺は女の子には優しいんだよ! でも珍しいね! テリー以来だよ! ここまで憎いと思ったクソガキは!」


(ああん!?)


「がぶっ!」

「痛い!」


 ぱっと手を離したキッドを横目に、リトルルビィが一瞬にしてあたしを抱きしめ、あたしの小さな胸に満足そうに顔を埋めた。

 はっ、とキッドが息を呑み、慌てて振り向き、その光景を見て、拳を握った。


「お前!」

「やーあ! テリー! あいつこわぁーい!」

「俺のテリーから離れろ! こいつ! 後でお仕置きだ!」

「乱暴者は嫌われるんだよ。キッド」

「しつこい奴は嫌われるんだぞ。リトルルビィ」

「大人げない!」

「まだ子供だからな!」

「開き直るの最低!」

「最低で結構! 俺のテリーに触るな!」

「私のテリーだもん!」

「早く離れろ!」

「やだもん!」

「リトルルビィ!!」


 ぎゃんぎゃん喧嘩を始めた二人に呆然としていると、テーブルにティーカップが置かれた。はっとして見れば、何もないように休憩に来たミスター・ビリーが椅子に座り、暖かそうな紅茶を飲んで、ほっと一息ついていた。


(な…慣れている…!)


「ずいぶんにぎやかになったものじゃ…」


 ずずっ、とゆっくりと、紅茶を飲む。

 その姿に、尊敬という言葉が思い浮かぶ。


(ああ、いいな…。…あたしも紅茶飲みたい…)


 腕を掴まれ抱きしめられ、二人はまだ言い争いをしている。


(なんでこんなことになってるんだろ…)


 わけのわからない状況は、返って冷静になっていく。


(キッドは自分の所有物が取られて怒ってて)

(リトルルビィはお姉ちゃんを取られてて怒ってて)


 ああ、やっぱり、


(あたしは何も悪くないわね)


 そそっと離れる。離れたら二人が掴み合いになる。取っ組み合いになる。大人げないキッドと吸血鬼のリトルルビィが言い争う。


「うるさい奴らだわい」


 あたしはミスター・ビリーの隣に避難した。


「テリー殿、紅茶はいかがかな?」

「いただいていい?」

「ここは騒がしいが、よろしいかな?」


 キッドとリトルルビィが暴れ出す。

 うるさい。騒音。騒がしい。賑やか。


「本当。騒がしいわね」


 でも、


「悪くない騒音だわ」


 ミスター・ビリーがティーカップを差し出した。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 耳には、キッドと元気になったリトルルビィの声が響く。

 怒鳴り声。叫び声。キッドが剣を振り回す。リトルルビィが爪を振り回す。


(落ち着かない奴らね)


 あ。


「…なかなか美味じゃない」


 微笑むミスター・ビリーの横で、あたしは優雅に紅茶を飲んだ。





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