第15話 お腹のすいた狼さん(4)



(………畜生……。……だるい……)


 血が少なくなったせいでくらくらする体を休ませるために、キッド達が張ったテントで休憩する。焚火が暖かい。メニーが手を当てる。クロシェ先生は手を擦らせる。

 あたし達が休憩している間に、デヴィッドの死体が病院に運ばれ、あたしがすぐに輸血出来るよう、また違う病院に手配される。


 指示は、全てキッド。


(仕事が早すぎる…)


 別のテントにいるキッドを見る。


(またキッドの謎が増えた…。あいつ、本当に何者…?)


 キッドがちらっと、あたしを見た。目が合う。キッドがにんまりと笑い、手招きする。あたしは無視する。キッドがくすりと笑って、こっちに歩いて来た。テントを覗き込んでくる。クロシェ先生とメニーが振り向いた。


「失礼」


 あたしの肩を掴んでくると同時に、睨みつける。


「触らないで」

「この子を借りてもいいですか?」


 クロシェ先生が心配そうにあたしの背中を撫でる。


「テリーに、何かご用ですか?」

「ええ。大事な話が」

「貧血気味ですから、無理をさせないように」

「大丈夫です」


 メニーがじっとキッドを見る。キッドが視線に気づき、メニーに微笑んだ。


「大丈夫だよ。何もしないから」


 キッドがあたしの手を握った。


「テリー、ちょっとおいで」

「…くらくらするから、やだ」

「うん。だから動かないで」


(あ?)


 キッドがひょいと、あたしを腕に抱えた。


「っ」

「よいしょー」


 突然のお姫様抱っこに、メニーがぽかんとした。クロシェ先生が頬を赤らめ、口を押さえた。


「まあ。最近の子はすごいわね…」


(クロシェ先生! 公共の場でこんなことするのは、こいつだけです!!)


 あたしは強制的にキッドに拉致される。キッドに抱えられたままテントを移動し、焚き火の前の椅子にキッドが座り、その膝の上に座らされる。周りから微笑ましげに見られる。視線が痛い。あたしは低く呟く。


「……なんで、あんたの上に座らなきゃいけないのよ」

「くらくらするって言ってたから、愛しの俺が看病してあげないと、と思って」

「くたばれ。あたしに何の用よ」


 キッドから顔を逸らす。そのタイミングで、目に入った。


(…あ)


 保護されて、縄で縛られて、拘束されながら意識のないリトルルビィが馬車に運ばれていく。眺めていると、キッドが後ろからあたしを抱きしめ、肩に顎を乗せてきた。


「心配?」

「…どこに連れて行くの?」

「ちょっと遠く」

「…………」

「大丈夫だよ。安全なところだから」


 キッドの手があたしの手の上に重なる。


「あの子は中毒者だ。まずは体内の毒を抜かないと」

「…中毒者」

「そうだよ。そう呼んでる」


 リトルルビィを乗せた馬車が動き出す。キッドの声が、あたしの耳に響く。


「毒を体に入れ込んだ者。中毒者」

「毒は、体を壊す」

「毒は、人間を壊す」

「毒は、心を壊す」

「毒は、脳を壊す」

「あの場に誰もいなければ、あの吸血鬼は、あの獣のまま、飢えたまま、あのまま一人で、あのまま孤独に、あのまま見つかることなく、あのまま死んでいたよ」

「ほら、お前も前に見ただろ? 誘拐犯」

「すごい体になって、お前もびっくりしてた」

「そう。あれが中毒者。人間の体に毒が耐え切れなくなって、暴走した姿」


 半年前の、人間じゃなくなった姿の誘拐犯を思い出す。

 キッドがくくっと笑って、さらにあたしを抱きしめる。


「怖い?」

「怖くはない。ただ、不気味だわ」

「そうだね。すごく不気味だね」


 キッドが笑う。あたしは顔を俯かせる。


「もういい。聞きたくない」

「説明した方がいいと思うんだ」

「なんで?」

「その方が、お前も楽だろ?」

「これ以上、何を背負わせるつもり?」

「背負わせるなんて、そんなつもりないよ。嫌だな。テリーってば」


 俺はただ、


「お前を心配してあげてるんだよ」


 お前があの吸血鬼を心配しているように。


「良い子だから、よく聞いてて」


 キッドがあたしに何かを背負わせようとしている。あたしは断ってるのに、キッドが許してくれない。


「なんて言ったらいいかな?」


 簡単に言えば、


「呪われた人、みたいな感じ?」


 リトルルビィは言っていた。

 魔法使いさんが現れた。

 飴をくれた。


「中毒者に共通していること、それは皆、飴を舐めているということ」


 実は、それが呪いの飴なんだ。


「テリー、知らない人から飴を貰っても、舐めちゃいけないよ。それは呪いの飴かもしれないからね」


 中毒者は飴を舐めて呪われる。


「毒は体を蝕む。時間が経てば経つほど、取り返しがつかなくなっちゃうんだ」


 でも、


「毒の浸食が遅ければ、間に合う可能性もある」


 あたしはキッドに振り向く。キッドは微笑んでいる。


「……間に合わなければどうなるの?」

「…ああ、そんな顔しないで。不安にならなくても大丈夫だよ。ハニー」

「ふざけないで」

「くくっ。…あの子は、大丈夫じゃないかな。注射に入ってる薬が効いてるみたいだったから、しばらく、毒を抜くためにこっちで面倒見させてもらうよ」


 ああ、それと、これも言っておこうかな。


「さっき、俺のお手伝いさんが城下町で見つけた」


 瓦礫だらけの廃墟になった古いお家。家の形はすでに原型を保ってない。屋根もない家。穴が掘られた。穴は階段になってた。地下に繋がってた。そこに、真っ暗な部屋のベッドの上に、二ヶ月くらい放置されてたであろう男の子の死体が、置かれていた。

 触った途端、体が全部灰になったんだって。怖いねー。


「…………」

「灰の一部は回収できたらしい」


 キッドがくすりと笑った。


「お墓を作ろうと思うんだ」


 孤独だった兄妹のために。


「また今度、手紙に墓地の場所を書いて送るよ。行っても良いし、行かなくても良い。お前には何も関係ない話だしね」

「………」

「お前の言う通りだよ」


 リトルルビィ。小さな少女。


「あの子は、ただ巻き込まれてしまっただけだ」


 だけど、あの子は人を殺した。


「何人も殺した」


 その罪は消えない。


「お前のところの使用人も殺された」

「……………」

「デヴィッド・マルカーン」


 ずいぶん長い間、働いてた使用人なんだね。


「すぐに葬式を開いてあげて」

「言われなくたって分かってる」


 あたし達のことを、お嬢ちゃま、と呼んでいた使用人。いつまで経っても痩せることをしなかった。食べることが好きだった。笑顔が素敵だった。馬が大好きだった。無邪気な人だった。

 デヴィッドが死んだ。

 クロシェ先生の死が移った。

 デヴィッドは、もう帰ってこない。


「…………ママに、すぐ電話する」

「それがいいと思うよ」


 キッドがあたしの髪の毛を撫でた。気持ち悪いわね。放してよ。


「…おっと」


 キッドの目が細くなる。

 優しく手をあたしの首筋に置いて、割れ物を扱うように指を滑らせてくる。


「傷が残ってるよ。ここ」


 キッドが顔を近づけさせた。


(え)


「ちゅ」


 ぷに、とキッドの唇が、あたしの首筋に触れた。


「ぎゃ!!」


 あたしは逃げ出す勢いで暴れ出す。


「何するのよ! このすけべ!」

「くくくっ! また照れてる。テリーってば、まだキスに慣れてないんだ?」

「ふざけんな! あたしはね! ママからたくさんの愛をもらって生きてるの! キスくらい何よ! キスくらい慣れてるわ!」

「ちゅ」


 キッドがあたしの頬にキスをした。あたしは硬直し、石化した。キッドがきょとんとして、あたしの頬をつんつんと指で押した。


「ああ、なんてことだ。お姫様が石になっちゃった。仕方ない。愛のキスで呪いを解こう」


 唇を寄せてきたキッドの唇を手で押さえる。鋭く睨み、低い声で唸る。


「くたばれ」

「はははは。ほうへひーっへは、へへははんはんははは」

「何が照れ屋さんよ。ふざけんな。照れてないわよ。お前からのキスが気持ち悪くて思考が停止しただけよ」


 キッドの口から手をどかして、コートでごしごし拭う。


「ああ、あたしの手にキッドの菌がついたわ。最悪。早く家に帰って手を洗いたい」

「その前に病院だ。輸血も大事だけど、傷だらけだし、ちゃんと手当てするんだよ」

「あんたに言われなくたって、わかってるわよ。貴族令嬢のお肌に傷が残ったら大変だわ」

「大丈夫。何かあったら俺が貰ってあげるから」

「あんたとなんてごめんよ」

「傷つくな」


 キッドの手が優しくあたしの頭を撫でだす。


(…なんか、こいつのペットになった気分…)


 キッドが好きにあたしの頭を撫でていると、あたしの額の傷に気付き、目を向けた。


「あれ? テリー、ここも怪我してる」

「…押さえられたのよ。あの子に。…最初襲われた時に」

「ああ、あの時か。必死に抵抗してたもんね。お前」

「そうよ。死に物狂いで………」


 ―――ん?


「……そうだ。あんた、いつから、あそこにいたの?」

「ん? いつからって?」

「あたしがあの子に襲われた時、助けに来たじゃない」

「…あー、うん」

「よく助けに来れたわね。その前に解散したのに」

「だって、あの男、吸血鬼じゃなかったじゃん」


 あたしはキッドを見た。

 キッドは微笑む。

 あたしはキッドを見た。

 キッドはにこりと笑う。

 あたしは眉をひそめた。

 キッドの口角がさらに上がる。


「最初から見てたよ」


 だって、後を追いかけてたんだもん。


「デヴィッドが殺されるところも、はっきり見てた」


 本人が気付かないうちに、ルビィが一瞬で仕留めた。馬車の中にいた、女の血を求めて。


「なぜか、男の血は飲まないんだ。なんでだろうね?」


 リトルルビィはクロシェ先生を狙った。


「思った通りの『追記事項』があった。うん。流石、俺。勘が当たったな。追いかけて正解だった」


 決して彼は、ボディーガードのためにあたし達を追ったわけではない。

 彼は追記事項を求めた。

 彼は手柄を求めた。

 彼は欲深い。

 彼は卑怯だ。

 彼はあざとい。

 彼は嘘つきだ。


「…通り魔の犯人が、吸血鬼だってこと、最初から分かってたの?」

「うん。でも、あの男も結果的に中毒者だったわけだし、回収できて良かった。ただ、俺たちが探していたのは、あの男じゃなかった。赤色に敏感な、小さな吸血鬼さ」


 キッドの手があたしの頭から、髪の毛に移動して、持ち上げる。丁寧に撫でる。


「ほら、見てみなよ。お前の髪の毛。素敵な色だね。変わった赤色だ。このコートは茶色だけど、ドレスは赤いね。お前、赤いドレスよく着るよな。被害者って、皆そうなんだ。赤色を身に着けているんだ。俺達が追っていた小さな吸血鬼は、もうとにかく赤色に敏感なんだ。もしも小さな吸血鬼が、お前を街中で見つけていたら、お前も標的の一人になってるんだろうな、って思ってたんだ」


 だから、俺、訊いたよね?


「お前を泣かした奴は誰だ、って」



 ―――何があった? 何か見たのか? 何か怖い目にあったのか?



 キッドは、冷静じゃなかった。

 キッドは、あたしに質問攻めをしていた。

 キッドは、興奮していた。

 キッドは、パニックになってるあたしに気付かなかった。

 キッドは、手柄だと思った。

 キッドは、また別の形であたしを利用しようとした。

 キッドは、今回もあたしを利用した。

 結果、中毒者、小さな吸血鬼のルビィは発見された。


(ああ、そういうこと)


 あたしは、利用されたんだ。


(なるほどね)


 わかっている。キッドはそういう奴。


(そうだった)


 あたし達は綺麗な関係じゃない。


(頼りになるなんて、馬鹿みたい)


 理解してたじゃない。キッドがそういう人だって。


(それを承知で、あたしはキッドを頼ったんじゃない)


 あたしを抱きしめたのだって、

 あたしを慰めたのだって、

 あたしの背中を撫でたのだって、

 あたしの頭を撫でたのだって、

 もう大丈夫という言葉だって、

 温かい言葉も、ぬくもりも、気遣いも、

 全部、全部、


 全ては、自分の手柄のため。


 キッドは、そういう人だ。


 そういう奴だった。


(わかってたじゃない)


 あたしは目を伏せた。


「……そんなことだろうと、思った」

「ん? 何がそんなことだと、思ったの?」

「あたしを利用したのね」

「俺がお前を餌にしたって?」


 くくくっ。テリーってば。


「何を勘違いしてるのかな?」

「勘違い?」

「デヴィッドのことは悪かった。気配があればすぐにでも助けだしたかったんだけど、相手が悪かった。あの吸血鬼に、俺も、周りもなす術がなかったんだ」


 でも、


「お前の大切なメニーが襲われても、ミス・リヴェが襲われても、テリーだけは何としてでも、助けるつもりだったんだよ」


 だって、テリーは俺の希望だから。


「テリーがいなくなったら、俺、困っちゃう」


 婚約者がいなくなる。


「困るよ。本当に困るんだ。だから、本気で心配してたんだ」


 テリーが泣きついてきた。


「怖い目にあったんだと思って」


 じゃあ守らないと。

 俺の婚約者を消すわけにはいかない。


「頼ってくれてありがとう」


 キッドが笑う。


「嬉しかったよ。テリー」


 キッドが笑う。


「すごく嬉しかったよ」


 お陰で中毒者が捕まえられた。婚約者も健在だ。


「お前の意外な一面も知れた」


 泣き顔も可愛かったよ。

 頼ってくる姿勢も可愛かったよ。

 ああ、飽きないなぁ。テリー。


「大好き。これからも愛してるよ」


 ―――ちゅ。


 キッドがあたしの額にキスをした。


 非常に冷たいキスをした。


 そこに感情はない。

 そこに愛情はない。

 そこに同情はない。

 そこには自分しかない。


 キッドは弄ぶ。あたしはキッドの玩具だ。キッドは振り回す。あたしの心を振り回す。他人を振り回す。それを正義のためだと決め込む。


 キッドはそういう人間だ。


(だから、お前なんて信用できないのよ)


 顔を俯かせる。キッドを視界から外した。


(二度と信用するもんか)


 ただ一つだけ、信じるとすれば、


(婚約者であるあたしを、失くしたくないのは確かのようね)


 あたしはキッドの婚約者。

 キッドはあたしのボディガード。


(どんな形であれ、あたしを守ってくれる)


 そっちが利用するなら、あたしだって利用してやる。


「キッド」

「ん?」

「お願いがあるの」

「何?」

「叶えてくれる?」

「いいよ。愛しいお前の願いなら、俺が叶えてあげる」


 キッドが微笑む。あたしを優しく抱きしめ、耳元で、囁いてきた。


「言ってごらん」


 俯いたまま、目を伏せたまま、あたしは答える。


「……………ルビィに、優しくしてあげて」


 あたしはひたすら足元を見つめる。


「愛情を持って、あの子に接してあげて」


 あたしはいらないから、その分を、あの子にあげて。


「あたしの願いよ」


 顔を上げる。キッドに振り向く。キッドは微笑む。―――あたしも笑う。にこにこと笑う。キッドもニコニコ笑う。にこにこにこにこ笑って、


「お前さ」


 キッドが言った。


「俺以外には優しいんだね」


 キッドの目が冷たくなる。

 冷たい目で、笑う。

 冷たい目で、あたしを見る。

 自分を利用しようとするあたしを、冷たい目線で見つめてくる。

 けれどあたしは笑う。

 キッドと一緒に、仲良く笑う。

 そこに感情はない。

 そこに愛情はない。

 そこに嘘はない。

 そこには嘘しかない。


「いいよ」


 キッドが頷いた。


「俺もそのつもりだったし」


 キッドが頷く。


「あの子はまだ9歳の小さな女の子だしね」


 キッドが頷いた。


「いいよ。ちゃんと俺が面倒見てあげる」


 キッドが首を傾げた。


「それで満足?」

「ええ」

「それがお前の願い?」

「ええ」

「そう」


 じゃあ、いいよ。


「俺が叶えてあげる」


 お前の言うとおりにするよ。


「ルビィのことは任せて」


 俺が責任もって、面倒を見よう。


「じゃあ、テリー、お前の願いを叶える俺に、ご褒美ちょうだい」

「……また?」

「お前の願いを叶えてあげるんだから、見返りくらい求めてもいいだろ?」


 ああ、


「大丈夫。難しいことは要求しないよ。今のお前は怪我人だから、本当に簡単なご褒美で許してあげる」


 キッドがあたしの頬に手を添えた。


「このまま見てて」


 キッドの青い瞳があたしを見つめる。


「俺の事、ちゃんと見て」


 キッドがあたしの体を横にした。嫌でもキッドの顔が近くなる。


「目を逸らしちゃ駄目」


 キッドがあたしを見つめる。


「俺を見てて」


 あたしは言われるとおりにする。


「そう。良い子だね」


 キッドが満足そうに微笑み、あたしの頭を撫でた。


「ちゃんと俺だけを見つめて、良い子だね。テリー」


 あたしは見つめる。

 じっとキッドだけを見つめる。

 キッドは笑う。

 満足げに笑う。

 だからあたしは、言われた通りにする。

 キッドに利用される。


「その目、好きだな」


 キッドの顔が近づいた。


「お前の目ってさ、なんか違和感を感じるんだよな」


 なんて言うの?


「テリー、何歳だっけ?」

「………11歳」

「それ本当?」

「…何よ。20歳に見える?」

「何だろう。見た目じゃないんだよな。目だよ。目。目が11歳に見えないんだ」


 純粋な子供の目に見えない。


「なんでかな?」


 キッドは考える。


「全然わからない」

「あたしもあんたの言ってることがわからないわ」

「うん。俺も俺の言ってることが分からない」


 変だね。


「テリーといると、とっても変なことを考えてしまう」


 面白いね。


「テリー、これからも婚約者を続けてね」

「約束は守るわ。あんたが裏切らない限り」

「俺も守るよ。お前が裏切らない限り」


 キッドがあたしの手を握った。あたしも握り返す。キッドがあたしを見つめる。あたしはキッドを見つめる。


 キッドがあたしに訊いてきた。


「……ね、本気で俺の事、好きになってみない?」

「やだ」

「くくっ。手厳しいな」

「あたしのことは形だけでいいから、とっととふさわしい相手見つけなさい」

「んー…。…俺、しばらくテリーだけでいいかな。知れば知るほど面白いんだもん。驚くべきお婆様の助言とか? …くひひっ。ねえ、他には何かないの?」

「ご期待に添えず申し訳ないけど、あたしに身についてるのは助言の件だけよ。これ以上は何もない。面白い事も、変な事も」

「そうは思わない。俺はもっとテリーを知りたい」

「知ってどうするの」

「どうするんだろうね」

「いらない情報は取り入れないべきよ」

「知識として知る分にはいいと思うんだ」

「あんた、変よ」

「テリーも変だよ」

「あたしは変じゃないわ」

「だって、俺がここまで興味持つのはすごく珍しいんだよ」

「あんたが興味あるのは自分の手柄と可愛い女の子だけでしょ」

「そう言うテリーはどんなことに興味があるの?」

「そうね。憧れの王子様がいつ頃あたしを迎えに来てくれるのか、考えることかしら」

「王子様?」


 キッドが訊き返した。


「へえ。憧れの王子様に、迎えにきてもらうんだ?」

「来たら白馬に乗せてもらうわ」

「なるほど」

「…もういい? 目が痛くなってきた」

「目が痛くなってきた? なら、なおさら俺を見ないと」

「なんで?」

「俺は目の中に入れても、痛くない存在だから」

「目が凍死したわ。ああ、もう何も見えない」

「ならば仕方ない。俺が暖めてあげるよ。その冷えた瞼にキスをしてね」

「くたばれ」

「照れ隠しは愛嬌だ」

「照れてない」

「じゃあ恥ずかしいんだ」

「恥ずかしくない」

「お前は素直じゃないから」

「あたしは素直よ。正直者よ。お前と違ってね」

「テリーが素直で正直者? ふふっ。寝ぼけてるの?」


 あたしはむすっと頬を膨らませて、キッドを睨んだ。キッドがあたしの顔を見て、ぶふっと吹いて、あたしの頬に両手を挟める。あたしの口から、中の空気がぼふんと漏れた。キッドがクスクス笑う。あたしは睨む。キッドは笑う。あたしはため息を吐いた。


「……一つだけ、正直に言ってあげる」

「うん?」


 あたしはキッドに向き直る。キッドをちゃんと見上げる。


「助けてくれてありがとう」


 キッドがいなかったから、クロシェ先生は確実に死んでいた。

 また、あたしは先生を失っていた。

 そして、リトルルビィは止められなかった。

 あたしもメニーも死んでいた。


「あたしを助けてくれたの、キッドが初めてだった」


 誰も助けてくれなかったのに。

 誰も頼れなかったのに。

 どんな理由であれ、キッドがいたから、あたしは助けを呼べた。


「それだけは感謝する」


 キッドを見つめる。


「…本当にありがとう」


 手を握る。

 手を握られる。

 キッドは微笑む。

 さっきよりも、優しく、柔らかく微笑んだ。


「どういたしまして」


 あたしの言葉に反応したように、なぜだか、どうしてか、とても、嬉しそうに笑った。


「手紙を書くよ」


 キッドが言った。


「俺の誕生日、もうすぐなんだ」


 テリーもおいで。


「毎年パーティーをするんだ。招待するよ。その時に、俺のこと祝って。俺も出来なかったテリーの誕生日を、その時に祝うから」

「…それは、いい…」


 断ると、キッドがにこっと笑った。


「『いい』ってことは来るんだね? そうか。それはよかった」

「え、何言ってるの?」

「え?」

「違う。いいって、そのいいじゃない」

「え?」

「だから、結構って意味の…」

「え?」

「え?」

「え??」

「……………」

「え??????」


 キッドが目で訴えてくる。可愛く首を傾げて、微笑んで、あたしに目で伝える。


 来 る ん だ ろ ? 


「…………………暇が、出来たら」

「意地でも空けておいてね」

「………………」

「楽しみだね」


 キッドがニコニコ笑う。あたしの顔が引き攣る。キッドの手と、あたしの手が握られている。キッドがあたしを見つめる。あたしは目を逸らした。キッドがあたしを見つめる。あたしは目を伏せた。キッドが身を前に倒した。あたしの手がさらに握られた。気配が近くなって、あたしは顔を上げる。


 キッドの唇が、あたしの唇の近くにあった。


 キッドが顔を傾け、あたしの手を握って、ぽかんと固まるあたしに身を寄せる。


 あと数ミリで、唇がくっつく。




 ―――その前に、後ろから声。




「お姉ちゃん」


 はっと、目を見開き、振りむいた。キッドの唇が空振り、あたしの頭にくっついた。ごつんと、キッドの口と、あたしの頭がぶつかった。


「いたっ」


 キッドが口を押さえた。あたしは振り向いたまま見る。メニーがテントを覗き込んでいた。


「そろそろ行かないと、暗くなっちゃう」

「ええ。そうね」


 あたしはキッドの膝から下りる。キッドと手が離れた。少しふらつく。横からメニーがあたしの腰を掴み、支えた。


「お姉ちゃん、大丈夫?」

「ただの立ち眩みよ」

「馬車の準備も出来たって。行こう」

「ええ」


 あたしはキッドに振り向く。メニーもキッドを見た。キッドがにこりと笑う。あたしは手を上げた。


「じゃあね。キッド。今度こそお別れよ」

「うん。またね。テリー」


 それと、


「メニーも、道中気を付けて。いつどこで野蛮な狼が可愛い君を狙ってるか、わからないから」

「…う…」


 人見知りのメニーが、あたしの後ろに隠れた。


(ちっ!)


 ぶりっ子づきやがって!


(でも、男ってこういう女の子らしい子が好きなんでしょう?)

(あたし、わかってるのよ)

(だからメニーみたいな女がモテるのよ)

(ああ、むかつく)


 結局、メニーは生きてるし。


(…くそ)


 あたしはまた、こいつの良いお姉さんを演じなければいけないようね。

 あたしは優しく、メニーの背中を撫でた。


「行きましょう、メニー。あんな奴、放っておいていいから」

「…う、うん…」


 メニーが歩き出す。あたしも一緒に歩き出す。もうキッドには振り向かない。二人で馬車に向かう。デヴィッドはいない。キッドのお手伝いさんとやらが、御者をしてくれるそうだ。


(…デヴィッド)


 いるはずの使用人がいない。

 彼は、もういない。

 二度と戻ってこない。


(……………)


「…おねえちゃん」


 メニーが声をかけてきた。あたしの目が、自然とメニーに向けられる。メニーの青い瞳があたしを見ている。


「あの、…さっき」


 メニーがゆっくり歩く。


「さっき、その、…あの子に、襲われた時」


 メニーが白い息を吐いた。


「あの子、私を狙ってた」


 でも、


「お姉ちゃん、分かって、私を突き飛ばしたんだよね」


 メニーが微笑む。


「…ありがとう。助けてくれて」


 それだけじゃない。


「あの子が、ばけものみたいになった時、追いかけてきて、逃げて、私が動けなくなった時に、お姉ちゃん、逃げないで、残ってくれた」


 それが、申し訳なくて、


「嬉しくて」


 メニーが俯いた。


「ありがとう。お姉ちゃん。私、本当に嬉しかったよ」


 メニーがあたしの手を握った。


「一人は皆のために。皆は一人のために」


 メニーが薄く微笑んだ。


「良い言葉だね」


 あたしとメニーの足がゆっくりと動く。


「お姉ちゃん、具合悪くない?」

「…メニーも、足、大丈夫なの?」

「ただの捻挫だよ」

「早く病院に行きましょう」

「そうだね」


 馬車の扉が開く。クロシェ先生が待っている。あたし達を見て、手を伸ばす。


「行きましょう。二人とも」


 クロシェ先生が生きている。笑顔を浮かべている。


(終わった)


 終わったのだ。


(あたしは、やり遂げたのよ)




 罪滅ぼし活動ミッション、クロシェ先生の死を回避させる。




(守り切ったわ)


 馬車に乗ると、クロシェ先生があたし達を抱きしめた。


(デヴィッド)


 暖かい。

 クロシェ先生は生きている。


(ごめんなさい)


 終わったのだ。


(…ごめんなさい)


 あたしとメニーも、クロシェ先生を抱きしめ返した。


(………ごめんなさい)


 それでも、あたしにはクロシェ先生が必要なのだ。


(…………………)



 ごめんなさい。デヴィッド。




 罪悪感が、消えない。














「いやー、じいや、まいったよ」

「ん? テリー殿ですか?」

「妹の方」

「…と言うと?」

「厄介そうだよ。あの子。良い感じのところで入ってきたり、テリーの背中に隠れたふりして、ずっーーーーと俺を睨んでくるんだ。それも、初めて会った時から、ずっと」

「また貴方が何かしでかしたのでは?」

「ちょっと、じいや。何でもかんでも俺のせいにしないでくれる? 俺は、ちょっとテリーと交流を深めていただけだ。迎えに来てまで邪魔してくる? なんだか、軽く殺意も感じた気がする」

「姉君の心配をする、良い妹君ではないですか。殺意なんてとんでもない。…気のせいじゃないか? キッドや」

「気のせいね。だったらいいけど」


 全く。不思議だな。


「じいや、本当に不思議だよ。テリーは。あいつに関われば関わるほど、物事が面白く変わっていく。追っている中毒者もきちんと見つかる。…メニーだっけ? くくっ。テリーを心配ね? それで」


 あんな目で、俺を、睨んでくるなんて。


「俺はね、駆け引きが好きなんだよ。あんなことされたら、……ふふ、燃えてきちゃうじゃないか」








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