第14話 第九のミッション、スタート


「ねえ、そのヘアピンどうしたの?」


 階段を下りていると、下からメニーとアメリの話し声が聞こえた。あたしはひょいと手すりから下を見下ろす。


 エントランスホールで、アメリがメニーの頭をじっと見ていた。メニーの髪の毛には、あたしがプレゼントした四つ葉のクローバーのヘアピン。


 メニーが嬉しそう微笑みながら俯いて、アメリに答える。


「あの、テリーおね、お姉さまから、貰ったんです」

「え? テリーから?」

「はい」

「ふーん。テリーのセンスにしては可愛いかも」

「えへへ」


 メニーが嬉しそうに笑う。


「気に入ってるんです」

「そうよね。見れば見るほど可愛い気がしてきた」


 テリーから貰ったんだっけ?


「じゃあ、いいわよね。それ、わたしに貸して」


 アメリが堂々とメニーに手を差し出す。妹が姉に物を貸すのは当然だとでも思っているように。それに驚いて、メニーがぽかんとする。


「……え?」

「わたしの髪型に似合う髪飾りがないの。そういうやつ探してたのよね。ね、今日だけだから貸してよ」


 アメリがメニーに笑顔を向ける。


「いいわよね? メニー」

「あ……」


 メニーが首を振った。


「だめ」

「え?」

「これは、だめ」


 メニーがヘアピンを手で隠した。その行動に、アメリがむっとする。


「いいじゃない。別に。壊したりしないわ。今日だけよ」

「だめ」


 メニーが一歩下がった。アメリが顔をしかめた。


「なによ。独り占めする気?」

「だ、だって、これ、貰ったから……」

「いいじゃない。あんたよりもわたしの方が似合うわよ」


 アメリが手を伸ばす。メニーが避けるように、また一歩と二歩、後ろに下がる。


「だめ」

「なによ」

「これは、だめ」

「いいじゃない。少しくらい」

「だめ」

「わたしに逆らうの?」


 アメリがメニーを睨んだ。


「わたしは長女なのよ!」


 メニーが縮こまり、首を振る。アメリがイラっとしたように、顔を怒りに歪ませた。


「お前、よそ者のくせに、生意気言っていいと思ってるの?」

「……ん……」

「お前は身寄りが無いから、ママが親切心でこの家に置いてやってるんじゃない!」


 よそ者のくせに!


「わたしに逆らったら、ママに言いつけてやるから!」


 ――直後、アメリの上から水が落下した。ばしゃーん! と音を立てて、アメリが水に濡れ、上から下までぐちゃぐちゃになる。


 メニーが呆然とする。

 アメリも呆然とする。

 二人とも、なにが起きたかわかっていない。

 二人が同時に、ゆっくりと、顔を上げる。


 その先に、バケツを持ち上げたあたしがいた。


「お姉ちゃん……!」


 メニーが目を見開き、驚いたようにあたしを見上げる。あたしはじー、とアメリを見下ろす。


「ちょっとは反省した?」


 あたしはバケツをその場に投げて、優雅に階段を下りる。


「アメリ、悪いことをすると天罰が下るのよ」


 アメリが俯いたまま黙る。


「あんたの借り癖、すごく悪いところよ。今すぐにやめた方がいいわ」


 トラブルの種になるし、


「あたしが貸したカチューシャ、よくも捨ててくれたわね。ゴミ箱で見つけて、はらわたが煮えくり返ったわよ」


 大広間に下りて、メニーを背に、アメリの前に立つ。


「ちょっと」


 腕を組んで、アメリを睨む。


「アメリ、聞いてるの?」

「よくも」


 アメリが大きく息を吸って、叫んだ。


「よくも、わたしに水をかけたわね!! テリー!!!」


 突然、アメリがあたしの胸を突き飛ばし、あたしは床に転ぶ。


「痛っ!」


 アメリを睨む。


「なにするのよ!」

「あんたがなにするのよ!!」


 アメリがあたしの上に被さる。あたしも負けじとアメリに爪を向ける。


「なによ! この!」

「よくも水をかけて!」

「あんたが悪いんでしょ!」

「うるさいのよ! お前!」

「なによ! てめぇの方がうるさいじゃない!」

「なんですって! この!」

「なにがよそ者よ! 血の繋がりがないことを言い訳にメニーを虐めないでくれる!?」


(お前のせいで死刑にされたらどうするのよ!)


 アメリがあたしの胸倉を掴む。


「うるさいのよ! テリーのくせに!」

「アメリだってすごくうるさいじゃない!!」


 あたしはアメリの胸倉を掴み、髪の毛を引っ張る。アメリも負けじとあたしの髪の毛を引っ張る。


「お前なんかこうしてやる!」

「お前だってこうしてくれるわ!!」


 二人で取っ組み合いになり、もみくちゃになる。騒ぎに気付いた使用人たちが集まってくる。しかし誰にも止められない。それほどあたしたちは大暴れしている。髪の毛を引っ張る。引っ張られる。


「テリー!」

「アメリ!!」

「おやめなさい!! はしたない!」


 怒鳴り声がエントランスホールに響いた。

 あたしとアメリが振り向く。使用人たちがはっと息を呑む中、ママが怖い顔で歩いて来た。


「何事ですか。全く。貴族の娘がそんな風に暴れるなんて、一体、何を考えてるの」


 ママが腕を動かす。


「二人とも、立ちなさい」


 あたしたちはちらっとお互いを見る。


「「……」」


 体を離し、ゆっくりと立ち上がる。ママがあたしたちの前で仁王立ちになる。


「説明なさい」

「ママ、メニーが悪いのよ!」


 アメリがしてやったりと声を出す。


「メニーが意地悪なの! わたし、ヘアピンを貸してって言っただけなのに、やだって言うのよ!」

「ちゃんと断った理由があるわ」


 あたしが横から補足する。


「それはあたしがメニーにプレゼントしたものなの。大切にしてって言ったの。だからメニーは人に貸さずに、大切にしようとしたんだわ」

「わたしだって大切に借りるわ!」

「あたしの貸したカチューシャを捨てておいて、よくもそんなこと言えるわね!」

「知らないわよ、そんなの!」

「あんたが捨てたくせに、知らないで終わらせないでくれる!?」

「なによ!」

「あんたがなによ!」

「お黙り。二人とも」


 ママが静かにあたしたちの会話を切り裂く。ママの視線が動く。


「メニーは?」

「ん?」

「え?」


 アメリとあたしが辺りを見回す。メニーがいない。


「え?」


 きょとんとすると、廊下から駆け足。しばらくすると、ギルエドとメニーが走ってきた。ママを見て、メニーがはっとして立ち止まる。ギルエドがママに寄ってくる。


「奥さま」

「メニーに呼ばれてきたのね?」

「ええ。アメリアヌお嬢さまとテリーお嬢さまが喧嘩をされているから止めてほしいと」

「私が来たので結構よ」

「ははっ」


 ギルエドが頭を下げる。ママがアメリ、あたし、最後にメニーを見る。


「三人とも、部屋に来なさい」


 そう言って、静かに廊下を歩いていく。アメリがあたしを一瞬睨んで、ママについていく。あたしはメニーに振り向き、指で『行くわよ』と合図を出して、歩き出す。メニーが頷いてから歩き出す。ギルエド含む、使用人たちが口を押さえてあたしたちを見届ける。


 エントランスホールに、静けさが戻った。



(*'ω'*)



 窓の光が微かに零れるママの書斎に、アメリ、あたし、メニーが並んで立つ。椅子に腰をかけ、ママがあたしたちを見つめる。


「お母さまは呆れています。分かりますね?」


 ママがため息を出す。


「貴族としての嗜みを心掛けろといつも言っているでしょう。あんなにはしたなく暴れて、恥を知りなさい」


 アメリが背筋を伸ばして黙る。あたしはイライラして黙る。メニーはぎゅっと唇を結んで黙る。


「メニー」


 ママがメニーを呼ぶ。メニーが返事をする。


「はい、お母さま」

「ヘアピンくらいなんですか。お姉さまが貸してほしいと言うのであれば、貸してあげなさい」

「……」


 メニーが視線を地面に落とす。


「はい、お母さま」

「ママ」


 あたしがママを睨む。


「今の話を聞いてなにも思わなかったの? 説明したでしょう? これはあたしがあげたヘアピンなのよ。メニーは大切に使ってただけ」

「テリー、アメリアヌが貸してというのであれば、貸してあげるべきだわ。長女だし、お前もアメリアヌに貸してあげるでしょう?」

「それでいくつの髪飾りとネックレスが行方不明になったと思ってるのよ。昔からよ。アメリは人のものを欲しがる癖があるのよ。ここで断っておかないと、あたしがあげたヘアピンまで犠牲になるわ」

「大切に借りるもん」


 アメリの言葉に、あたしはアメリを睨む。


「あんた、そう言ってあたしの貸したもの、ほんの少ししか返ってきてないのよ。いい加減にしなさいよ」


 ママに顔を向ける。


「ママはどう思うわけ? アメリアヌに真珠のネックレスを貸してって言われたら貸すの?」

「必要であれば」

「今は必要ないわ。屋敷にいるんだから」

「だったら失くす可能性もないじゃない。ヘアピンくらい貸してもいいはずよ」

「ヘアピンくらい?」


 あたしはママに近づく。机の前から、座るママを睨む。


「あたしがお小遣いで買ったヘアピンよ」

「そのお小遣いは誰から受け取ってるの?」

「ママよ。でも貰った以上、あたしのお金だわ。あたしのお金で買って、メニーにあげたの。あたしも、それをアメリに使ってほしくない」

「テリー、貴族令嬢として、もっと心を広く持ちなさい」

「そうね。ママがもっと心と視野を広くして物事を考えるようになったら、真似してあげてもいいわよ」


 ママがあたしを睨んだ。


「なんですって?」

「原因がメニーだから、メニーを悪者にする気なんでしょう」

「何を言ってるの」

「今回の騒動があたしだったら、ママはそんなこと言わないわ。いつもみたいに言うんでしょ。新しいのくらい買ってあげるって。それであたしとアメリをショッピングに連れて行って、誤魔化すのよ」

「テリー」

「そんなにメニーが気に入らない?」

「テリー」

「なぜか教えてあげようか?」

「テリー」

「メニーが、これ以上綺麗になることを恐れてるのよ」

「テリー」

「メニーが自分以上に美しいから、ママは怖いのよ。自分よりも自分の娘たちよりも美しいメニーがこわ」


 ママが立ち上がり、あたしの頬を叩いた。凄まじい力に、あたしの体が思わず床に倒れる。アメリが驚いて、思わず身を縮こませた。メニーが驚いて、思わずあたしに駆け寄った。


「お、お姉ちゃんっ……!」

「お姉ちゃん?」


 ママがメニーを睨んだ。


「なんて言葉遣いなの! メニー!」

「あ……」

「やめて!」


 思い出す。様々な思い出が蘇る。当時ならば怖かった。怒ったママがとても恐ろしかった。だが、あたしはもう大人だ。年齢が近い女に、それもママに、とよかく言われても、殴られても、もう何も怖くない。こんなところで怯まない。むしろ、ママは今のであたしの反抗心への引き金を引いてしまった。だったらと、あたしは顔を上げて、ママを睨む。


「言葉遣いなんてどうでもいいじゃない! その前に、その態度どうにかしなさいよ!!」


 あたしは立ち上がり、ママの机のものを横に流して、地面に落とす。書類や、花瓶が全て地面に落ちて、割れて、濡れる。ママがはっと息を呑み、目を見開いて、睨むようにあたしを見下ろした。


「テリー!」

「ママが自分のことばかり考えてるから、屋敷の空気が悪くなってること、わからないの!? 自覚してよ!!」


 当時のあたしは嫌だった。時が経てば経つほどピリピリしてくる空気。よどんだ屋敷の空気。意地悪なアメリ。イライラしたママ。その中で、ぽつんと立って掃除するメニー。


「今の状況、ちゃんと理解してよ! なんでわからないの!?」


 血の繋がりがないメニーを屋敷に置くと決めたのはママだ。


「言葉に責任持ちなさいよ!!」


 あたしはママの目を見て、机を叩いた。


「母親でしょう!!!!!」


 ママが怒りに顔を染めた。


「お黙り!!!!!!」


 ママがもう一度手を上げる。メニーがあたしの腕を抱いて、縮こまる。あたしはママを睨む。ママの腕が振り下りる――前に、ドアが叩かれた。


「奥さま」


 早口のギルエドの声が聞こえる。ママがドアを睨む。


「ギルエド、今は家族で話をしているの」

「旦那さまのお知り合いの方からお電話です。……会社の経営について、お話をされたいと……」

「……。……。……」


 ママが静かに手を下ろし、腹の前に手を戻した。一度、深い呼吸をして、瞼を下ろす。


「お入りなさい」


 ギルエドがドアを開けた。


「仕事の電話です。お母さまは働かなければいけません」


 ママがあたしとメニーを睨む。


「テリー、部屋にいなさい。メニーも部屋から出てはいけません」


 ママがアメリを見る。


「アメリアヌ、後でお母さまとショッピングに行きましょう。質のいい髪飾りを買ってあげるわ」

「はい、ママ!」


 アメリアヌがにやあ、と笑って返事をする。


「話は終わりよ」


 ママがそう言って歩き出す。あたしとメニーを無視して毅然と歩いて、部屋から出る。アメリが勝ち誇ったような笑顔であたしたちを見る。メニーがあたしの腕を抱いたまま、ぼそりと呟いた。


「……ごめんなさい……。お姉ちゃん……」


 ぶるぶる震えて、涙を堪えている。


(チッ)


 あたしは内心、舌打ちをする。


(ママがここまでわからず屋だとは思わなかったわ)


 駄々っ子の子どもみたい。


(改めて思うけど、うちの家族、プライドだけは高くて、それ以外なにもないのね)


 ある程度、仲のいい家族だと思っていたけど、


(改めて見ると)


 家族なのに、空っぽだ。


「……。……アメリとママはショッピングに行くみたいだし」


 あたしはメニーの手を繋いで歩き出す。


「あたしたちは部屋にいましょう。メニー」

「……はい……」


 にやけるアメリを無視して、メニーの手を引っ張って歩き出す。ママの部屋から出る。


(家族について話したことなんて、なかったわ)


 歩きながら、そんなことを考える。


(あたしはママが怖かった。ママが厳しいママだったから)

(ママの言うことには、はい、ママ。って答えてた)

(それが正しいと思ってた)

(ママの言うことさえ聞いてれば、幸せになれると思ってた)


 あたしたちは幸せにはなれなかった。


(待っていたのは)


 死刑。


(メニーを家族として受け入れるだけなのよ)


 なんでこんなに話が捻じ曲がる?


(ママがメニーのママになればいいだけなのよ)


 なんでこんなに話が捻じ曲がる?


(アメリがメニーのお姉ちゃんになればいいだけなのよ)


 なんでこんなに話が捻じ曲がる?


(あたしの家族は)


 こんなにも、心が狭かったの?


「お姉ちゃん……」


 メニーの声が耳に入り、立ち止まる。振り向く。メニーが涙目であたしを見つめている。


「腫れてきてる……」


 そっと、頬を触られる。


(あ、そういえば)


 なんかひりひりしてきた。


「ねえ、サリアに見てもらおう? 薬あるかも……」

「……そうね。流石に貴族令嬢がおたふくみたいに頬が膨らんでるのは嫌だわ」


 部屋に戻ったら、呼び鈴の紐を引っ張ろう。


「お姉ちゃん、痛い?」

「大丈夫よ。これくらい」


 あたしは再び歩き出す。メニーの手が頬から離れる。


「お姉ちゃん、ごめんね。わたしのせいで……」

「あんたのせいじゃないわよ」


 うちの家族がおかしいのよ。


「改めて思った。ママもアメリも変よ」


 気付かなかった。だが、思う。これだけじゃない。あたしには、まだ気づいてないことがあるかもしれない。


「メニー、頰を見てもらう前に、あたしは少しの間、消えるわ」

「え?」

「その間、あたしの部屋の留守番を頼める?」

「どこに行くの?」

「えっとね」


 あたしは考えて、メニー好みの答えを出す。


「魔法の国に行ってくる」

「魔法の国?」


 青い目がきょとんとする。あたしは歩き続ける。


「それ、どこ?」

「どこかしらね?」


 とぼけて、あたしはメニーを連れて歩いていった。



(*'ω'*)



 開かずの間であたしはソファーに座る。向かい合う。


「ねえ、訊きたいの」


 見てきたあんたならわかるでしょう。


「あたしの家族は、どんな家族?」

「質の悪い毒家族」


 向かいのソファーに座るドロシーは、容赦なく答える。


「人を傷つけることをなんとも思わない。それが当たり前だと思っているプライドだけ高い、自分たちのことしか考えていない、自分たちさえ楽しく暮らせれば何が起きたってどうでもいいっていう人間が集まった家族」


 あたしは視線を落とす。ドロシーはあたしを見つめる。


「急にどうしたの?」

「ずれを感じる」


 今のあたしの考え方と、ママの考え方、アメリの考え方に、ずれがある。


「当てはまらないの」


 どんなに話し合っても、ずれが合致することはない。


「ママはママで、アメリはアメリ。あたしが知ってる二人だわ」


 だけど、なにか違う。


「ママは厳しいけど、それでも優しかったわ。愛情も感じてた。アメリは意地悪だけど、決してあたしを嫌ってはいない。そういうお姉ちゃんだったわ。あいつは」


 あたしは改めて、端から自分の家族を見る。


「でも、なんだろう。なにか、違う気がするのよ」


 当時、あたしが見てきた家族。

 今、あたしが見ている家族。


「あの頃なら、あたしの言うこと、ママは解決してくれたわ」


 ショッピングに行きましょう。テリー。新しいのを買ってあげるわ。


「違う。そうじゃないのよ」


 誤魔化しじゃない。ママにわかってもらいたいだけ。


「理解が」


 中身が、


「お金の問題じゃなくて」


 中身が、


「理解をしてくれない」


 メニーを家族にしましょうよ。


「それだけなのよ?」


 メニーを家族にしましょうよ。


「あたしはそう言ってるだけなのよ」


 メニーを家族に置くと決めたのはママ。


「自分が言った言葉に、責任を持ってくれない」

「そういうつもりじゃなかったんだ。当然だよ」


 ドロシーは淡々と答える。


「夫人は、あくまで、メニーを同居人として置くつもりだった。みすぼらしい格好をさせて、屋敷の仕事を与える。その予定だった」

「それを止めて、違うプランでいきましょうって言ってるだけよ」

「テリー、君、夫人と話したんだろ?」


 なら、わかってるじゃないか。


「君のママは、メニーを愛してない」


 君が言ってるのは、どうでもいい赤の他人の娘のメニーを、家族として愛してと強要している。


「急には無理さ」


 理解が追いつかない。


「なんで急に君がそんなことを言い出すかも理解出来ない」


 夫人は混乱している。


「自分の価値感も、考えも、この先も予定も、全部君がひっくり返してしまったんだ」


 軌道修正が出来ないほどに。


「夫人は混乱しているんだ」


 姉君も同様。


「アメリアヌも混乱している」


 どうしてこんなことになったのか理解出来ない。


「今までと違うシステムに、アメリアヌも理解が追いついてない」


 君は今まで守られてきたベックス家にとっての当たり前のルールを、変えてしまっているんだよ。


「それをどうして理解出来る?」

「それをどうして対応出来る?」

「無理さ。無理無理」


 君に出来ることを伝えてあげよう。


「待つんだ」


 時間をかけて、


「ゆっくり、アメリアヌも、夫人も、理解が追いつくまで」


 時間をかけて、


「君が待つんだ」

「そんな時間無いわ」


 あたしは否定する。


「あと六年しかないのよ。メニーは王子さまと出会う。出会った時に、この環境が続いていたら、メニーはまたあたしたちに恨みを持つわ。また死刑にされる」

「テリー、君は未来を覚えているからわかるけどね、何も知らない人たちにとっては、なぜ君がそんなに必死なのかわからないんだよ」


 そして急に自分たちのルールが変えられたら、


「それは、どうにも出来ないよ」

「どうにかするのよ」

「出来ないよ」


 だって、ここは貴族の家。


「出来ないよ。テリー。君の家族は、こういうこと、慣れてないんだ。道端にいるホームレスに突然靴を舐めろって言われて、君、出来るかい?」

「……」

「テリー、焦らないで」


 まだ大丈夫。


「まだ、始まったばかりなんだ」


 時間をかけるんだ。


「時は、必ず来る」


 君が罪滅ぼし活動を行う中で、


「必ず来る」


 それを待つんだ。


「待つことしか出来ないの?」

「今のところはね」

「なにも出来ないの?」

「今のところはね」

「あたしはメニーと仲良く遊んでろっての?」

「そうだよ」

「あたしは、メニーから解放されたいわ」

「ほらね、君も同じじゃないか」

「なにが」

「環境に混乱して追いついてない」


 混乱してるからこそ、焦ってる。


「焦りはいつだって、命取りさ」


 ドロシーは微笑む。


「テリー、君たちには時間が必要なんだ。メニーを受け入れる時間がね。夫人なんて、何十年もこれで生きてきたんだ。今更そんなこと言われても、対応が出来ないのは当然だ」

「……」

「テリー、落ち着いて」


 時間はまだあるよ。ボクが保証する。


「大丈夫。落ち着いてちゃんと今の状況を、君も理解するんだ」


 君の現状を、君の家族を、この環境を。


「君もちゃんと理解するんだ。時間をかけて」


 あたしは黙る。ドロシーはあたしに微笑む。


「大丈夫。落ち着いて」


 あたしは瞼を下ろす。ドロシーは微笑み続ける。


「時間は、まだ動き始めたばかりなんだ」


 落ち着いて。


「まだ、その時じゃないだけだ」


 落ち着いて。


「ちゃんと理解するんだ。テリー」


 時間の針は、ゆっくりと動く。もどかしいほど、ゆっくり動く。あたしも混乱している。


 メニーという存在に、あたしの家族が混乱している。


(……しんどい)


 メニーに振り回される。


(もう、やだ……)


 あたしはいつになったら、この苦しみから解放されるの。



 そう思って瞼を上げた時、もうドロシーはいなかった。


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