4話 キムラユウコ

 虚ろな瞳で僕を舐め回すように全身を観察する優子。

 言語中枢に問題が生じているとかの突っ込みは最早しない──というか出来ない。

 こいつにはもうマトモな話が通用しないのだ。


 まさか警察署に行くだけの事がこんなにも困難を極めるとは誰が思っただろう。

 駄目だ出直そう。

 ここから軌道修正するのは無理がある。彼女にエンカウントした時点で全てが破綻した。 こんな事なら何処か別の場所に呼び出しておくなり、事前に策を打つべきだったと後悔するがもう遅い。


「今から叔母さんの家に行くんだ。さっきの電話がそれ」


 嘘の流用だ。

 あり得ないとは思うが万一、ゆかりと優子が話をした時に相違点が生まれるのも避けられる。

 一度本当に電車に乗って状況のリセットを図るしかない。


「何でそんな嘘付くの? あたしには言えない事? あたしに隠し事?あたしは葵に隠し事なんてしないのに、葵はあたしに嘘付くんだ。どうして?なんで?あたしの事嫌い?こんなにあんたの事あたしは好きなのに何で?叔母さんなんて居ないでしょ?葵は天涯孤独じゃない。お母さんとお父さんとお姉さんは事故で死んじゃったんだよね。葵は独りじゃない。葵にはあたしが居ないとダメだもん。何で嘘付くの?」


 ヤバい。ゆかりよりも上位の情報を持ってやがる。

 この状況、どうやって切り抜ければいいのか分からん。

 こういう人間に対して「落ち着け」という言葉は絶対に使っては駄目だ。考えろ。面倒だが考えろ。目の前にいるのは連続殺人鬼かも知れないんだ。


「あ?何で嘘って決め付けてんだよ?」

 僕は優子を睨みつけた。

 キレられる前に、こちらがキレる。これしかない。

「え、あの……」


 動揺し視線を泳がせる彼女を威圧しながら僕は続ける。

「僕を嘘付き呼ばわりか?何の権利があってそんな事言ってんだ?こっちは休日に無理矢理呼び出されて頭にキてるんだ」

「あの、ごめん。怒らないで……ごめんなさい。嫌いにならないで」

「僕の事を好いてくれるのは嬉しいが、僕の行動を制限する様な事は今後一切やめろ。でなければ僕は君との交友関係をやめる」

 一応嬉しいというフォローは入れた。

 これでどうだ?やり過ぎたか?

「そ、そんな……でも葵はそんな事できないよ。葵は優しいもん……」

「優しい人は他人を半殺しになんかしない」

「……本当にごめんなさい。今日は帰るね。嫌いにならないで。ごめんね。嫌いにならないで。ごめんね」

 俯いてそう言う優子の頭を撫でた。


「嫌いにならないよ。僕も少し言い過ぎた」


 そう僕が言うと暗い表情が消え、一瞬で笑顔になった。

 これがボーダー型のストーカーの特徴だ。

 自身の感情が著しく変動する。直前まで怒っていたかと思えば、急に泣き出しだりする。かと思えば一瞬で笑顔になる。

 物事に対する評価も同じだ。

 今はこうして僕の言う事を素直に聞いてくれるが、一度激昂してしまっては僕にもどうする事も出来ない。ヒステリッカーと同じだ。ストーカーの中でも精神疾患が原因であるので、一番危うく扱いが難しい。


「ありがと葵!また明日学校でね!」

 そのままの笑顔で元気一杯に走って駅から離れていった。


 ふう、と一息つく。

 今日は簡単に事を回避出来たが、毎回こういく訳ではない。彼女は単純そうに見えて、結構綿密な計画を企てたりしている。

 アパートのゴミ捨て場で僕のゴミ袋を漁り、僕の生活パターンや買い物の形跡、それから電気代、ガス代、水道代など、全て把握されている事を僕は華先輩から聞いて知っている。面倒なので放っておいているが。

 駅前のベンチまで移動し一度座り、溜息をつく僕。


「お疲れ様です」


 そう言われた方を向く。

 御白井華先輩が漆黒の服を身に纏い、黒い日傘を差して立っていた。片耳にはワイヤレスイヤホンが付けられている。


 次から次へともういい加減疲れたぞ。

「あー、うん」と、適当に返事をした。

「今日は厄日ですね。死亡フラグを二本立て続けで折るとは、本当に貴方の脳細胞はとても優れています」

 そう言いながら日傘を畳み、僕の横の狭いスペースに無理矢理に座る華先輩。


「暑苦しいから離れろ。あとその黒い服も暑苦しい」

「これはゴシック&ロリータと言うのですよ。可愛いではありませんか」


 フリフリの喪服だろ、と言おうと思ったがやめておいた。今日は彼女に結構助けられたので毒吐くのは流石に失礼だ。


「まあ、可愛いけどさ」

「そうでしょう?しかし大事になってきましたね。これからどうなさるおつもりで?」


 彼女は他の三人のストーカーとはやはり一線を画す存在だ。僕がこうして褒めても、何も感じていない様だし。単純にこのゲームに参加しているというだけなのかも知れない。


「今から警察署に行く。優子も排除出来た訳だし華先輩も付いて来てくれ。それから神代はどうしてる?」

「分かりました。少し待ってください」


 そう言って黒い斜め掛けのポシェットからタブレットを取り出し操作しながらイヤホンを耳に押し付けた。


「……部屋から出た様です。私の盗聴器とカメラも幾つか破壊されましたので、何処にいくつ何を設置されたのかまでは分かりません」

「不味いな。移動しながら話そう」


 神代がこの辺りに現れないとも限らない。

 彼女の家は警察署と間逆の方向にあるので、おそらく大丈夫なはずだ。

 万一鉢合わせても神代ならまだ対応が楽だ。動くなら今しかない。


「分かりました」

 僕が立ち上がると、華先輩も直ぐに立ち上がった。そしてほんの少し早足で歩き出す。


「葵さん、部屋へ戻る時、私も同時に入らせて下さい。『疲れたーあれ、停電か?』と言ってくれると有難いです。そう言ったと同時にブレーカーを一度落として、私の合図と同時にブレーカーを上げてください。その後、盗聴器が再起動をしている最中にジャミングをしながら部屋の中を私が捜索して機器を即座に破壊します」

「どうせなら君のものも取っ払ってくれると有難いんだけどな」

「それは駄目です。葵さん、私はこのゲームに勝つ為に参加している訳ではないのですよ。全ては貴方の身の安全の為です」

「僕は別にいつ死んだって構いやしないよ」


 もう、失うものなど何もない。家族が死んだ日に僕は全てを捨てた。


「私は貴方が心配なのです」

「分からないな、その心が。そもそも僕と君は話した事も無かっただろ」

「貴方は本当に自分の存在を勘定しない方ですね」

「さて、まるで意味が分からんな。何が言いたいんだ?」

 そう言って僕が彼女を見ると、口元を隠して笑っていた。


 口元を隠すという行為は、心理学では嘘を吐く時というのが通説だ。しかしこの場合は違うな。恥じらい……と捉えるのが正解か。

 確か彼女の実家は資産家だったはずだ。育ちの良さから来る行為と解釈しておくか。


「この世には大きく分けて二種類の人間が存在します。愛されたい人間、そして愛したい人間。その二種類の人間がお互いの欠けた部分を埋めあいます。愛したいと願う人は、愛されたい人を愛し、愛されたいと願う人は愛したい人を愛します」

「へぇ」


 イマイチピンと来ない話だった。愛されたい気持ちも愛したい気持ちも僕には理解出来ない。そもそもそんな物はない。

 自分の事だって僕は愛してない。


「それでは愛とは何か。ここで一つ疑問を呈しましょう。葵さんは愛とは何だと思いますか?」

「愛とは自己の存在の証明手段に過ぎない」

 僕の返答に目を丸くする華先輩。


「素晴らしい回答です。私の見解と合致します。人は愛を自分を支える道具として利用しているに過ぎません。故に他人を愛す事以前に、自分を愛している事が人間の大前提です」

「だろうな」

「人は自己愛無しには生きられない生き物です。自己肯定を失った人間は、破綻します。つまり自殺するという事です」

「なるほどそう言われるとそうかもな」


 しかしこの話の筋が見えてこない。一体何の話なんだ。今日の礼も兼ねて大人しく聞いてはいるが……。


「しかしここに、世の全てを愛していないにも関わらず自殺していない人間がいます。それが貴方ですよ、繭墨葵さん」


 そういう風に話を帰結させるか。頭の良い人間の話は回りくどいから面倒だ。


「別に面倒だからしないだけだ。気が向いたらするよ」

「断言します。貴方は──人格欠落者です」

「へぇ」

 普通に感心した。

 このままゲームが進めば最終日のプレゼンで優勝するのは間違いなく彼女だ。

 僕は行動原理のない人格欠落者。それが唯一の正解だ。いかに生活パターンを把握された所で、それを理解出来なければ何の意味もない。


「自覚があったのですね」

「まあ、自分が狂ってる事は前から分かってた。けど、こう理論立てて説明されるのは初めてだから驚いた」

 最早僕より彼女方が僕の精神構造を理解出来ているのではないだろうか。

「そうですか。狂ってる事を自覚してる人間、ですか。やはりこのゲーム、もとい事件は予定調和という事かも知れませんね」

「どういう意味だ?」


 僕の頭が彼女の理解について行けない。

 殺人事件が予定調和だとでも言うのか。決められたシナリオをただ進む演劇の様な物だと?決定論者なのかこの女は。

 現状、こうして僕に理性的に助力してくれてはいるが、彼女もストーカーであるという事は客観的に考えても明らかだ。電波系のストーカーだったのか。


「少し前まで話を戻しましょう。貴方は何も愛していない。つまり、無、零、いえ自身を愛していないという点からマイナスとさえ言えます。人は愛し合い互いの欠けた部分を愛で補い合うと言いましたよね。恐らくそれが今の状態です」

 何だか煙に巻かれた様で理解が及ばない。

「もう少し簡単に説明しろ。僕は馬鹿なんだ」


 そう僕が言うと桃色の薄い唇をまた手で隠し、可愛らしく微笑む彼女。


「有り体に言えば、貴方が人として欠け過ぎているが故に、余りある愛が貴方に一斉に押し寄せている、という事ですよ」

 そういう事か。何となく話が見えてきた。

「つまり本来、愛し合う事によって補い合い十割になれるはずの人間の片方が極端にマイナスに振り切っているから、もう片方──つまりストーカー四人が通常以上の愛を僕に与えようとしているという意味か」


 つまりこれは僕が生きていれば必ず引き起こされる可能性があったという事だ。僕はその可能性を常に持っていた。

 故に予定調和か。


「正解です。それはいつ始まっても……いえ、いつ崩壊し始めてもおかしくなかった。ただあのゲームがキッカケだった。それだけです」

「そうか……ゲームという免罪符を手に入れたから、彼女達は動き始めたんだな」


 元々、あの放課後の雑談会こそが異常だったんだ。図書委員という共通点こそはあったが、皆趣味嗜好も性質もバラバラだ。もし全員が同じクラスになったら、全員が全員違う友人グループになるだろう。


 活発でサバサバしていてクラスの中心にいる木村優子。

 根暗で大人しいイジメられっ子気質の神代由衣夏。

 男子にチヤホヤされていて同性に嫌われやすい神山ゆかり。


 考えてみればこの三人が仲良く、それも放課後に態々集まって雑談なんてするのはおかしい。

 僕は気付いて居なかっただけだ──彼女達の好意に。


「──そうです。あの集まりは貴方を起点とした火薬庫でした」

「そして葵日記が火花になった訳だ。そしてドカン。それが今の状態か」

「その通り。勘違いなさならない下さいね、貴方は悪くないですし、馬鹿でもありませんよ。ただ──欠けていただです」

「だとすれば華先輩、君の目的は何なんだ?」

「一番初めに仰ったはずです。私の目的は貴方の身の安全。貴方を守るのが私の目的ですよ」


 身体の挙動におかしい点はない。恐らく彼女は嘘を付いていない。

 それに理屈も通っている。僕の全てを監視するという事は僕を護衛する事と同じ事だからだ。

 恐らく突然現れてゲームに参加すると言い出したのも、危機感を察しての事だったのだろう。

 だが、そんな心配はもう不要だ。現状を把握出来た今、僕に出来ることは一つしかない。


「分かった。警察署に行くのはやめだ」

「どうしてですか?」


 珍しく驚きを露わにする先輩。

 普段はずっと無表情だから、少し僕も驚いた。


「これは僕の存在が原因って事だろ。僕が犯人みたいなものだ。だとしたら万一警察に捕まったら彼女達が可哀想だ」

「何をするつもりですか」

「もし通り魔殺人が僕と全く関係が無かったのだとしたら、華先輩。後は任せるよ」

「まさか……」と言いながら僕の腕を掴む彼女。

「今夜、僕は自殺する。良い機会だ。生きてるのも面倒になって来てたしな」

「駄目です!それでは何の解決にもなりません!」

 声を荒げる先輩。取り乱す事なんてないと思ってた。

「僕は別に事件の解決なんて望んでないよ。別になにがどうなったって僕の知った事ではない。でも人が死ぬってのは良くない事だけは何となく分かる。それが罪無き人ならば尚更だ」


 そう言って空を見上げた。

 雲一つない夏の青い空に白い太陽が輝いていた。美しいとも眩しいとも暑いとも鬱陶しいとも感じない。何も感じない。

 ああ、面倒だ。生きてる事も死ぬ事も面倒だ。何もかもが面倒だ。


「……どんな人生を送ってくれば貴方の様な人間が出来上がるのか皆目見当も付きません」

「別に普通だよ。僕は弱い人間だから全部捨てただけの事だ」

 心を、捨てただけだ。


「『あの子』が自殺なんて馬鹿げた事を望むとは思えません」

「あの子って誰だ?」


 一体誰の事を言ってるんだろう。優子か?ゆかりか?神代か?

「分からないのであれば構いません」

 よく分からない事を言うな。まあいいか。

「なあ華先輩、世の中で強い人間ってどういう人の事を指すと思う?」

「それは……どんな逆境の中でも自身の意思を貫き通す力を持つ人間の事ではないかと」

「一般論ではそうだな。しかし何かを持ってるって事は、それが壊れる可能性もあるって事だ。そんな不完全な状態を果たして強さとは呼べるのか?では強い人間とは一体何なんだ?」

「…………」

「それは失う物のない人間だ」

「失うものの……ない……」

「と、そんな話もどうでもいいか。文房具屋で万年筆とレターセットでも買って帰るか」

 遺書でも書いとかないと第四の事件だと思われる可能性がある。

 遺書の内容はそうだな……「通り魔の犯人は僕です」とかでいいだろう。

 やり残した事は……自分でも驚く程何もないな。死に方はどうするかな、首でも括るか。


「決めました。貴方を守るだけというのはもうやめます」


 トリップしていた意識を華先輩に向けると、真っ直ぐに僕に目を向けていた。

 美しい、と思う。死ぬ前に会う人がこんなに美人だなんて僕は幸せ者だな。


「そうか。そうした方がいい。一ヶ月以上無意味な事に付き合わせて悪かったな」

 そう言って近くの文房具屋目指して歩き出そうとするが、僕は彼女に手を引かれて立ち止まった。

「どうした?」

「──この事件、即座に全て私が解決してみせます。誰も警察に捕まる事なく事件が収束するのであれば貴方は自殺する必要は無いですよね?」

「まあそうだな、今の所は。でも僕が生きてる以上、こんな事が何度起きてもおかしくないという事が理解出来た。故に今後は保証できない」


 僕の存在は周囲を狂わせる。そんな害悪は生きているだけで迷惑だ。


「……私が貴方を必ず救ってみせます。絶対に自殺なんてさせません」


 そう言った彼女の瞳には決意が宿っていた。

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