第392話 エゾ家の新頭領

「ユウ、原油を蒸留したらこんなものが取れたヨ」


 ミノウがそういって持って来たのは、ガラスの小瓶に詰められた液体だった。


「ふむ。ちょっと黄身がかかった透明な液体か。ナフサかな? 沸点はどのくらいだ?」

「「さぁ?」」


「それは分からんのか」

「原油を蒸留塔に入れて加熱したら、最初に出てきた液体がそれだゾヨ」

「もう蒸留塔を作ったのか?! すごいなミノウは。イズナは加熱係か。思い切り加熱したか?」

「いや、最初はゆっくりやってくれとミノウが言ったので、かなり加減して加熱した。普通ならお湯が沸くぐらいの温度だと思うゾヨ」


「ふむ。ということは100度ぐらいというとこだろう。それならこれはガソリンと呼ばれる液体ということになる」

「まそりん? ってなんだゾヨ?」


「ガソリンな、お前らが良く飲んでいる酒に似た炭化水素……待て待てこら! それは飲んじゃダメだ!」

「芳しい香りがするノだが、ダメなノか?」


「なんで仕事もしてないオウミが先に飲もうとするんだよ。それには飲めるエチルアルコールも多少は含まれているが、毒性のあるメチルアルコールやもっと分子量の大きいアルコール類がほとんどだ。それに不純物も混じっているはずだ。飲み物にはならない」


「臭いからすると、飲めそうな気がするゾヨ」

「だからダメだっての! これを完璧に精製すればあるいは飲めるかも知れんが、それは科学の進んだ俺の世界だってかなり難しいことなんだぞ」

「そうなのかヨ」


「ミノウでさえその程度の認識か。いいか。エチルアルコールなら沸点は78度だ。しかしガソリンは沸点が30度から120度ぐらいの炭化水素が混ざっている状態を指す。だからいくら蒸留を繰り返しても、完全分離は不可能なんだ」


「なんとかならんノか」

「水だって100度以下でも蒸発するだろ。ましてや有機溶剤は分子間の結合が弱くて、蒸発しやすいんだ。50度ほどでもどんどん蒸発してしまう。どの成分も沸点に達する前に蒸発するから、蒸留しても完全分離ができないんだ。諦めろ」


「我らならきっと少しぐらい大丈夫ゾヨ」

「どんだけ飲みたいんだよ! 止めとけっての!!」

「「「わ、分かったノだヨゾヨ」」」


「だがこれなら燃料としては使える。ミノウ、もっと生産量を増やすのは可能か?」

「できるヨ。わりと簡単に取り出せたので、いまもじゃんじゃん作ってるヨ」

「加熱係は……別にいいか。一度温度が上がってしまえば、あとは薪でも炭でもいいもんな」

「その辺は作業者たちがやってるゾヨ。みんな働き者ゾヨ」

「作業者? そんなのいつ雇った?」

「原油をくみ出す人足さんたちヨ。そんなに溜まらないので、ヒマらしいヨ」


「そういえば井戸は10メートルぐらいしか掘ってなかったな。そこにしみ出した分だけ回収するということか。それで人足が余るわけだ……まさかミノウ、自分で飲もうと思ってじゃんじゃん作ってんじゃないだろな?」


「ヨっ」

「お前は誤魔化すときもそれかよ。ダメだぞ、絶対口には入れるなよ」

「わ、分かったヨ。でも、燃料ってこれをどうするヨ? 発電に使うにはあまり熱が出ないようだヨ」


「そこは分かってるんだな。そう、これを発電に使うには無理がある。分子量が小さいので、簡単に燃える代わりに熱はあまり出さないからだ」

「じゃ、なんに使うヨ?」


 自動車だよ、って言いそうになったが、いくらなんでもそれは無理だ。


「灯(あかり)だよ」

「「「灯?」」」


「そう。灯だ。夜に灯りが使えたら便利だろ?」

「そんなもの、ほいっとなで良いではいノか」


「お前らを基準に考えるな。点灯魔法の使えるものなんて、人にはほとんどいないだろ」

「こちらの世界では、ろうそくとか行灯(あんどん)というものが、すでにあるノだが」


「それらの代わりになるんだよ。もっと安全で明るくて、そして燃料の量産次第では圧倒的に安くなる灯だ」

「ほほーゾヨ」


「なるほど、ということは次にはあれを作るのだヨな?」

「今度は察しがついたか。そうだ、入れ物はサツマのカメジロウに作らせるつもりだ。構造は単純ではないが、やつならなんとかするだろう」


「あらびんどびん、はげちゃきゅぅヨ」

「危険なことを言うなっての! しかもそれはアルコールランプの形状だ。ガソリンは-40度でも火が着くぐらい引火性が高いんだ。そんな単純な容器では危険すぎる」

「ランプじゃなきゃどんなものがあるのヨ」


「ランタンだ」

「「「ランタンってなんなノだヨゾヨ?」」」


「何って言われると困っちゃうな。適当な日本語が思い付かん。携帯用の照明具、かな?」

「「「さっぱり分からんノだヨゾヨ」」」


「まあ、そのうち作って見せてやるから、それまで待て」

「作るのはカメジロウなノだ」

「俺が設計するからいいんだよ!」


「ガソリンは暖房には使えんのかヨ」

「さっきも言ったが、引火点が低いガソリンは暖房に向かない。ヘタに使えば町ごと炭にしてしまうことになる」

「ガクガクブルブルノだ」


「怯えんな。もっと温度を上げると出てくる灯油が手に入れば、暖房に使えるのだが」

「あれ? ガソリンと灯油って同じものじゃないのかヨ」


「全然違うぞ。ガソリンが出なくなったら蒸留塔の温度を上げて、200度ぐらいにしてみろ。そこで出てくるのが灯油だ。これなら引火点が40度くらいになるから暖房器具に使える」


「そうだったのかヨ。イズナ、もっとがんばってくれヨ」

「分かったゾヨ。まかせるゾヨ」

「ちなみにな、それが出尽くしたら次は300度ぐらいで軽油、350度以上で重油。で残った残渣がアスファルトだ。全部回収するようにな」


「ひぃぃぃぃ」

「イ、イズナ、ファイトなノだ」



「そ、それで、僕の後継者指名の話ナ」


 あ、ちょっとだけ寄り道する予定が、2,000文字にもなってしまった、てへぺろ。


「てへぺろではないノだ。後継者指名の権利が、なんで一番下っ端にあるのかって話だったノだ」


 ようやく前話の続きである。


「……」

「ソウシ?」

「あ?! もう良いですか、話をしても」

「寝てたのかよ。もういいぞ。というか話してくれ」


「先々代の頭領・カムサスカ様は本当に立派な方でした」

「ふむ。それで?」

「その方が病気で亡くなるときに、間際にこんな遺言をしたのです」




「ワシの跡取りは、ワシは指名せぬ。人はこういう場合、どうしても自分より2割ほど能力の劣ったものを選んでしまうからじゃ。ワシとて例外だとは思えん。理由ははっきり言えぬが経験則じゃ。しかし、間違っているとは思わん」


「あなた様より2割ぐらい能力が劣っても、充分優秀な人ではないですか!」

「そうかも知れん。だが、それが次の世代になったどうなる?」

「あ、それは。その……」

「あるいはそこまでは良くてもその次か、次の次には、目も当てられぬ大馬鹿者がエゾ家の頭領となってしまうであろう」


「は、はぁ。それは、そうかも知れませんが」

「それを避ける方法をワシはずっと考えていた。それを遺言として残すことにした」

「な、なるほど。その方法というのを教えてください」


「これからのエゾ家の次期頭領は、その場の最下層の人物――エゾ家の一番年下の丁稚ということになるだろう――に決めさせるのだ」

「そ、そんな、そんなむちゃな!?」


「上の者から下の者は実は良く見えないのじゃよ。だが、下から上は良く見える。その良く見える者に次の頭領を決めさせる。それを、我が家訓とするのじゃ」




「って感じで」

「なんか、すごい人ね」

「大胆というか、常識を嫌うような人だったのかな。だが、言ってることは正論だ」

「そうなノか?」


「魔王は跡継ぎなんていないから分からんだろうが、人間界ってのは偉くなるほどしがらみってのができるんだよ。その最後の仕事である後継者選びのときに、そのしがらみが邪魔をする。その結果が2割減の跡継ぎだ。それを繰り返してその家は堕落してゆく。名家が長く続かないのはそういう理由が大きいだろう」


「でも、そうならない家だってあるでしょ?」

「そういう例外もないわけじゃない。ハクサン家みたいに気が遠くなるぐらい続く家もある。だが、それこそ例外中の例外だ。ハクサン家ほど長く続いた家は他にほとんどないだろ? 名家と言われる家は山ほどあるのに」


「まあ、それはそうね。トヨタ家だっていつかは」

「そういうことだ。しかし、そういう苦心にもかかわらず、たった3代で目も当てられぬ大馬鹿者がエゾ家の頭領に選ばれてしまったわけだが」


「そんな目で僕を見るな。照れるナ」

「やかましいよ。少しは反省しやがれ!」

「それよりも、僕の話の返事はまだかナ?」


「えっと、なんだっけ?」

「だから、僕の後継者をユウに選んで欲しいって話ナ」

「ああ、そうか。しかし俺は今日ここに来たばかりだ。知っている者から選ぶのなら、そこのソ」

「嫌です」

「ウシぐらいしか思い」

「ダメです」

「つかないのだが」

「絶対に嫌」


「人の話の合間に拒絶の単語を挿入すんな!」

「仕えるべき頭領がいなくなったいま、私はここを離れる決心をしました。残りの人から選んでください」

「なんで嫌なんだ?」


「さっきも言ったでしょ。再来月にもここは財政破綻します。そんなところ引き受けるやつなんていませんよ」

「180億あるとかいう資産を売却すればいいだろ?」

「全部抵当に入ってます」

「ふぁっ!?」


「抵当ってなんなノだ?」

「相撲取りの立ち会いのことじゃないかヨ」

「当たって抵抗するから、やかましいわ!」

「借金のカタだと思えばいいわよ」


「もう売れるものは、港街の利権ぐらいですね。でもそれまで取られたらエゾ家の収入はなくなり、乗っ取りは完了したも同然でしょう」

「その抵当権はどのくらいで売ったんだ?」

「7億円ほどです」


「たった7億か?!」

「ええ、たった7億です。たったそれだけのために、先祖代々の貴重な資産を次々に抵当に入れて小遣いにしたアホがそこに」

「じゃあ、7億払って抵当権を抹消すれば?」


「それができれば苦労はしません。買い戻すときは時価でと契約書にあるんですよ」

「時価……ってことは」

「100億以上でしょうね」


「ユウコ、やっぱりそいつオホーツク海に流して来い」

「ひょぇぇぇぇぇぇぇ」

「427発殴るのでそれで許してあげて!」

「そ、それ、あんまり許されたことにならないようナ」

「冗談だよ」


 そんなことできないことは分かっている。言ってみただけだ。ユウコが眷属にした以上、こいつらは一蓮托生だ。

 借金こそ付いてこないが、引き剥がすならアマチャンに眷属契約の解除を認めてもらう必要がある。たったいま契約が成立したばかりだというのに。そんな面倒なことはごめんだ。エロネタをこれからももらわないといけないとかドアラがちょっと可愛いとか、思ってないんだからね?


「それでここを引き受けるのは嫌だと、そういうわけか」

「はい、給料さえもらえれば私はそれで良いのです。一家を構えるような、そんな大それた望みは持ちません」


「そういうやつだから、番頭をやらせてもらっているわけだな」

「そういうことです」

「デブルフ、後継者の指名はいますぐじゃないといけないのか?」

「指名するまで、僕が続けることになるナ」


「なあ、スクナ。眷属のままで魔王をやってるのがいるぐらいだから」

「そうよね。エゾ家の頭領ぐらい二足のわらじを履いても」

「それは困りますね。二足のわらじはともかく、眷属になってしまった以上、判断にはご主人の意向が反映されてしまいます。それはエゾ家にとって危険な状態です」


「ユウコの判断が入るのか。それは危険だ」

「「どうしてかしらナ?」」


「現在、後継者は空白です。これでは事務処理が滞ります。いますぐにも決済してもらわないといけない事案があるのに」

「でもここの人なんてほんの数人しか知らないユウさんに、選べるわけがないと思うのだけど」

「スクナの言う通りだ」


「まずはユウさんが、ここの人全員と面接しなきゃいけないね」

「ええっ? めめめ面接?! 俺が?」


「それが終わるまでの間ぐらい待てるでしょう?」

「待って待って。そっちの待ってじゃなくて、俺が面接するを待って。俺の人間嫌いをスクナは分かってるくせに、もう」


「あ、そうだった。大丈夫、面接は私も付き合うから」

「そういうことはスクナに全面的にまかせたいのだが」


「それはダメよ。選べるのはユウさんだけなんだから」

「最下層のナ」

「デブルフはうるさいよ!」


「後継者が決まらないと今日の契約は未発効ということで、商品はお渡しできな……」

「うちのママにしましょう!!」


「「「決断が早いな、おい!」」」

「選べるのは俺だけとはいったい?」


「そうだ。うちのママ。シャイニーにしましょう。ホッカイ国育ちだし、経営の経験もあるし、辣腕だし、きっとうまいことやるわよ、ねっ、ユウさん?」

「えっと、俺はシャイニーのことはあまり知らな」

「い・い・で・しょ」

「じゃ、エゾ家の新しい頭取はシャイニーで」


「なんか強引に話を決めてしまったノだ」

「良く見る光景だったヨ」

「これが楽しくてお主らは眷属をやってるのだゾヨ」


「シャイニーって、あのイシカリ大学のやたらうるさい研究者ですか」

「俺が学長に就任してからは経理もやらせているが。そのシャイニーだ」

「あの人なら、仲悪くなれそうです」


「悪いのかよ!」

「ママと仲良くなるには、ぼこぼこにされるぐらいじゃないと」

「シャインの苦労が忍ばれるな」


 ということで、シャイニーのエゾ家頭領への就任が決まった。俺のときと同じく本人の知らぬまに、である。

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