第98話 風呂場をカイゼン

 そんなわけで、めでたくイズナはウエモンの眷属となったのであるが、そんなことよりもっと深刻な問題が残っている。


「ハルミ、あのときお前は俺をマジで切ろうとしたな?」

「そ、そんなことはない。ミノオウハルで人は切れない。そのぐらいのことはユウも知っているだろ?」


「ああ知ってる。だがあの瞬間だけは、お前はそのことを忘れていたよな」

「い、いや、そんなことは」

「その上で、俺に切りかかろうとした。そうだな?」

「い、いや、そんなことは」


 旅館の部屋に戻って俺は押し入れの襖に話しかけている。正確には、中に閉じこもっているハルミに向かって話しかけている。現状、役立たずのうちのひとりである。


「そんなことは、あったんだろ?」

「いや、そうではない! あのときは気が動転してたんだ。なにしろ……」

「素っ裸で大股開いて頭を洗っていたところを、至近距離で俺にしげしげ見られたからな」

「黙れぇぇぇぇぇぇっっ!!」


 あ、出てきた。おい、お前ら出番だぞ。


「気が進まないノだが」

「ハルミがかわいそすヨ」


 しかし、こいつらは俺の眷属だ。命令には従う義務がある。


 ぎゃーという断末魔を上げて、魔人・ハルミはお縄となった。


「ぎゃぁぁ。この野郎。ぎゃぁぁぁ、殺せ!! がぁぁぁいっそ殺せ!! もう、お嫁に行けない(;´Д`)わぁぁぁぁん」


 怒るのか泣くのかわめくのか、どれかひとつにしやがれ。澪が縞パンを学校中に公開したのと、どっちが恥ずかしかったのだろう。


「さて、罪人・ハルミに申し渡すことがある」

「えぐえぐ、ぐすす、ぐす。なんだ、いっそ死ねと言ってくれ」


「よし、死んだつもりになって、仕事を引き受けてもらいたい」

「ぐずっ。仕事? なにを切ればいいのだ、ぐすす」


「切る仕事が前提かよ! まあその通りだが。風呂場に残っている残骸を撤去したいんだ。だから、あれを運びやすい形やサイズにしてもらいたい」

「……分かった。切るだけなら簡単だ、やるよ。しかし、どうしてそんなことを?」



 話は少し遡る。崩壊現場(風呂場)にタケウチ工房の連中も集合して、事後処理について話をしている。


「まあ、子供のいたずら、ということで」

「そ、そうはいきませんよタケウチ社長。こちらは従業員一同の生活がかかってるんですから」

「しかし2,000万なんて大金を、ウチみたいな零細に出せるはずがないでしょう」 チラッと侯爵の顔色を見る


「壁と配管を直してさえもらえるなら、金額は問いませんが」

「同じことでしょうが。やったのはウチの社員だ。だから責任を感じてはいる。ただ、その金額をもうちょっとなんとかならないものかなと」 チラッと侯爵の顔色を見る


 じじいの方針は値切りである。


「そんなにチラチラこちらを見ないでください。こちらに全く責任がないとは言いませんが、それでもせいぜい500万ですね」

「え? 侯爵様、そんなことは!!」

「レクサス、かまわない。トヨタ家の金は一切使わない。これは私のポケットマネーから出す。それならかまわないだろ?」

「そ、それなら、本家からの苦情はないと思いますが……それにしたって大金ですよ」


「ということです、タケウチさん。こちらも負担はしますので、残りの1,500万をなんとか捻出していただきたいのですが」


 ここでじじいが俺を見た。いつもと違うじゃねぇか。なんだよその助けてくれ的な情けない顔は。分かったよ、なんとかしてやると顔で返事をする。


「いくつか聞きたいことがあるんだが良いか?」

「ユウさん。なんでしょうか?」

「エース。さんはいらないぞ。その2,000万ってのは、業者の見積もりか?」


 エースの代わりにエクセルが答えた。そういえば、実務はいつもこの人だったな。


「レクサスです。いえ、それは私の算出した概算見積もりです。そんなには違わないと思いますが、発注が決まったらもっと正確な金額を出させます」

「それは、原状回復のための値段、ということだよな?」

「ええ、それはもちろんです」


「ん? ユウ……にはなにかいい案でもあるのか?」

「先に質問をさせてくれ。ここの湧出量は豊富と聞いたが、どのくらいある?」


「ここに建設する前に調査したときには、毎分3万リットルほど出ていました。ニホン有数の湧出量だと思います」

「それはすごいな。草津温泉なみじゃないか。それと、この壁はどうしても必要か?」

「え? そりゃもちろん。壁がなかったら男湯と女湯を分けられませんし、身体を洗ったりするためのお湯を供給することも困難になります」


「混浴にするってのは、ダメなのか?」

「別に規則はありませんし、ウチにも混浴風呂は別途用意してあります。でもどうしてもメインはこちらになります。お客さんのニーズということですね。すべてを混浴にはできません」


 混浴もあったのか! どうして最初にそれを言わないかなぁ。そこなら合法的に精密観測ができたのに。


(女の子はまずそこには入らないと思うノだ」

(そうゆうところは、家族で入るものであろうヨ)


 そんな混浴、作らなくてよろしい。


「混浴はダメか。お湯の配管はどうなっている?」

「ええと、太い管がこの下を通っています。高い圧力がかかっていますので、そこから上に向かってお湯を持ち上げて、蛇口から出るというしくみです」


「ふむ。思った通りで良かった。その下の太い管は無事なんだよな?」

「はい、そちらはなんともありません。破壊されたのは壁の中に走っていた配管だけです。おかげで吹き出したお湯も、元のバルブを閉めることですぐに止めることができました」


「同じことをまた聞くけど、壁というのは、本当にどうしても必要か?」

「え? 意味が分かりません。普通に考えればもちろん必要ですよ。なければ混浴になっちゃいます」


「お互いが『見えなければ』良いのではないかなって思ってさ」

「そりゃぁそうですが。壁なしでそんなことできませんよね。あ、それにお湯を通す配管も必要です」


「その配管は身体を洗う人のために作るんだよな?」

「ええ。もちろん、そうです」

「そんなにたくさん必要だろうか?」


「ああ、それは確かに。数はそんなには必要ではありませんね」

「見ていて思ったんだ。よほど混雑したとしても、現状の1/4ぐらいの蛇口数があれば充分ではないかなって」

「混雑するときもありますから、少し余裕は必要です。でも1/3なら充分ですね」


「じゃあ壁は1/3にしよう。そこだけに配管を通す。それだと、いくらぐらいになる? アクセクさん」

「レクサスです。それなら半分以下でできると思います」

「それは瓦礫の撤去費用を入れてか?」

「入れてです。壁の建築だけなら、700万あればできそうですね」


「ユウ、ちょっと待て。まさか、残りの2/3は混浴状態にするつもりか?」

「そ、それはダメですよ。それではお客さんを騙すことに」


「ならないから心配すんな。俺にまかせてくれ。ちょっとふたりとも、耳を貸してくれ。これこれあれこれ、こうしてこうなったらああだこうだ、でどうだ?」


「……な、なるほど。それは斬新ですね。しかし……うぅん。ちょっと従業員にも意見を聞いてみます。少しだけお待ちください」


「ユウ、君って人は」

「最初から原状回復なんて言葉に固執するから、思考停止に陥るんだよ。男湯と女湯を分ければいいだけのことだ。それには、行き来ができなくて視界を防ぐことを考えればいい。その方法は壁だけじゃない。それに壁は上ることができるじゃないか? そのほうがかえって危険だろうが」


「そんなことができるとは……。ダメだ。私には思いつくこともできない。それは異世界では普通にあったことなのか?」


「いや、あちらにもそんなことしてる公衆浴場はないよ。俺だってたったいま思いついたんだからな。もっとも思いついたとしても、それを実施してくれるところはあちらの世界にはまずないだろうな」


「そうですか。それがこちらではできると思った理由はなんでしょう?」

「こちらに来てまだ数ヶ月だが……あれ? なんで俺が異世界人だと知ってるんだ?」


(ツッコミが遅いノだ、わはははは)


「やはりそうだったか。あのニホン刀を見たときからそう思っていたよ」

「そうか、別に隠しているつもりはないからいいけどな。こちらの人はなんというかおおらかというか、斬新なものを受け入れる許容量が多いというか適当というか。面白がりやさんが多いという言い方が一番ふさわしいかもしれないが」


「あはははは、確かに私を含めて面白がりやが多いな。特に貴族にはそういうのが多い。戦争だって何かを取り合って起こすというよりも、たいくつしのぎにやるという気持ちが強いしな。それにこれは貧民救済って意味合いもあるんだ」

「貧民救済?」


「そう、貴族は納税の義務がない。そうすると金が自分のところばかりに溜まってしまう。だからときどき放出する必要があるんだ。それには、戦争ってのが一番手っ取り早いんだ。食うに困っている人を兵士として雇うのが普通だ。彼らは軍にいる限り飢えることはない。それが貧民救済だ。そのときに必要となる食料や軍事物資の調達で、金を消費することもできる。それで経済を回せるわけだ」


「そういうことか。しかし、それは健全ではないな」

「そうか? 戦争をしても滅多に人が死ぬことはないし、ケガ人もすぐ魔法で手当ができる。軍隊なら骨折ぐらいのことはケガのうちに入れないぐらいだ」


 なにそれ怖い。俺はそんなとこ絶対に入らないぞ。


「そうじゃなくて、貴族の金の使い道が戦争ぐらいしかない、ってことさ。健全じゃないってのは」

「ああ、そういうことか。確かにそうだな。ということはだ。ユウはこれから貴族から金を巻き上げるような商品を開発すればいいということだな?」

「その通りだ。エースも手伝ってくれるよな」

「ああ、もちろん。資本も用意する。人材も必要なだけ集めよう」


「よろしくたのむ。俺の本職は改善だ。いままでと違うやり方を考えて効率を上げる。そういうスペシャリストだ。だからまったくの新技術を開発するつもりはないんだ。俺の知っていることやこちらでは普通にある技術に、ちょっとだけ手を加えて新しいやり方を開発する。それが俺の仕事だよ。あちらの世界では少しは名の知れたカイゼン屋だったんだぞ」


(全然知られていなかったヨ?)

(黙ってりゃ分かりゃしない!)


「そうだったのか。それでなんとなく分かったことがある」

「分かったこと?」


「実は、異世界から来た人間というのは、それほど珍しくはない。ふんだんにいるってほどではないが、大きな街ならひとりやふたりは必ずいると言っても良い」

「ああ、そんなことを以前にも聞いたことがある」


「しかしだからといって、彼らががいつも新しい技術を持ち込んでくるかといえば、それはノーだ」

「あれ? そうなのか?」


「ああそうだ。あちらには、てくのじじい? とかが進んでいるそうだが、その使い方はよく知っていても、作れるわけじゃないんだ」

「テクノロジーな。どこかの年寄りになってんぞ」


「こういう便利なものがあるという意見はよく出るんだ。ところが、それならそれをこちらで作って見ろというと、誰もできないし作ろうともしない。あれがないからできない、これがないからできない。そんな言い訳ばかりを延々と聞かされるハメになる」


「ああ、そういうことか。そりゃそうだよな。働いたこともない学生やニートにはそんな知識も技能もあるはずがないからな。どこかのスライムだって元ゼネコンの従業員だからこそ街を作るなんて偉業ができたわけだし」

「なんの話だ? それなのにユウはすごい。異世界にもないあんな突飛なアイデアを思いつくなんて」

「いやぁ、それほどでも。あるけどなえへへへ」


(あちらの世界には謙遜という言葉はなかったゾヨ?)

(いや、こいつが知らないだけだヨ」

(知っているけど、使いたくないだけなノだ)


「しかし、あのアイデアもここの経営者が認めてくれなければ元の木阿弥だけどな」

「認められなかったらどうする?」

「もうすこし金はかかるけど、代案は一応あるよ。それはあまり面白くはない案だけどな」

「そういうのも準備済みか。いやはやなんとも」


 そこに従業員との打ち合わせを終わらせた旅館の主人が戻ってきた。


「お待たせしました」

「おお、どうですか、皆の反応は」

「ええもう、それは面白いって全員が大賛成でした。ただ」


「ただ?」

「不埒者が出たときのことを考えておくべきだと、ウチの女房が言ってました」

「男湯から女湯に入ってくる不埒者という意味だな。それはいままでだっていたかもしれないが、その心配はもっともです。ユウ、なにか妙案があるんだよな」

「もちろん、そんなことぐらい考えてあるよ」


 それはな、ぼしょぼしょびしょぼしょで、こうなればこうしてああすればいいだろ?


「「おおっ、なるほど!! それならいい!!」」


 こうして同意は得られた。


「じゃあ、ご主人」 と俺は言う。

「はい、なんでしょうか」

「この改善案の設計料をいただくよ」

「ええっ?!」


「まさかこれだけの改善を、タダでやってもらえると思ってたわけじゃないよな?」

「だって、それは原状回復……」

「現状の『改善』をしようとしているわけだ。そのことによって、利益が得られるのはこの旅館だけだ。そうだろ?」


「そ、それはそうですが、しかし」

「それならそれに見合った代価が必要だろう。300万は出してもらおうか」

「うぐぐぐぐ。そ、それはその……」


「それができたら、毎年のトヨタ家の慰安旅行にここを使うように進言しましょう。とてもユニークな温泉宿となります。皆も喜ぶことでしょう」

「ああ、侯爵様がそうおっしゃるのでしたら。そのぐらいはなんとか工面しましょう」


 交渉成立!


 そして改善の開始だ。まずは足の踏み場もない風呂場の瓦礫の撤去から始める。


 それは基本、タケウチ工房の人間で行う。運びやすくするのと、崩壊面をキレイに切り直すのがハルミの仕事である。


 そしてもうひとりの役立たず、ミヨシには別途やってもらう仕事がある。

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