6-19.戦は青薔薇の香りに包まれて
用意された軽食を手に、ショーンは地図を睨みつけた。行儀が悪いのは百も承知だが、さすがに戦場で注意する者はいない。
「アルベリーニ辺境伯をここに、ライワーン子爵はここか。本隊は反対側から回り込む」
正面から立ち向かう本隊の右へ回り込むアルベリーニ辺境伯が戦場を整えるまで、本隊は持ち堪える必要がある。増援で寄越されたライワーン子爵の軍は、敵に存在を知られていない利点を活かし、川を下って川下から敵地へ侵入を果たす予定だった。
目立つ本隊を囮にする作戦に、ラユダが少し考えてから指摘する。
「こちらが手薄だ」
「そこはお前に任せる」
本隊から数十人を連れて分離しろと簡単そうに言われ、ラユダは額を押さえて溜め息を吐いた。いつもそうだが、ショーンは自分がシュミレ国の王位継承権3位であり、失えない存在だという自覚がない。いくらでも代わりがいると思っているから、無理を平気で押し通してきた。
「断ると言ったら? おれはお前の隣を離れる気はない」
「そこの傭兵、無礼であるぞ!」
会議の場に参加していたアルベリーニ辺境伯が声を上げる。階級社会である貴族として生きてきた生真面目な男に、ショーンは苦笑いして首を横に振った。
「構わん、ラユダは俺の懐刀だ。自由に発言させろ」
「はっ」
ここで不満を持つなら、アルベリーニ辺境伯はチャンリー公爵ショーンの信頼を得られなかっただろう。しかし共に戦場を駆けた彼らは、互いの立場と考え方を理解していた。それが信頼という形になり、今回の申請書類の紛失によるヒビを修復したのだ。
援軍が遅れた国王が、アルベリーニ辺境伯と最も相性がいい軍人であるショーンを派遣したことで、彼らは王室への信頼を保った。実際は書類整理に飽きたショーンが申し出たことだが、砦にいた彼らがその実情を知る術はない。
「ラユダ、どうしても駄目か?」
頼むのではなく、尋ねる形を取ったショーンの狡さに、ラユダは唇を軽く噛んだ。思案する姿勢を見せたあと、別の提案をする。
「おれの代わりにトリルに任せろ」
傭兵の中でもトップクラスの男の名を挙げた。彼ならば遊撃隊でも囮でも臨機応変に対応できる実力がある。ラユダの本音としては、囮として危険な場で姿を晒すショーンの周りを手厚く守りたい。この状況で兵力を別に割くなら、自分だけは盾として手元に残して欲しい。妥協案として提示した進言に、ショーンは頷いた。
「よし、それで構わない。自分で言い出したことだ、離れるなよ?」
にやりと笑う黒髪の美青年に、ラユダは口元を笑みに歪めた。緑の目が光を反射して色を濃くする。
「当然だ」
常に同じ部隊でこの2人のやり取りを目の当たりにしてきたライワーン子爵は、肩を竦めて一礼した。
「部下に作戦の準備をさせます」
「決行は今夜。国境を越えてアスター国を落とす。期限は5日後だ」
シュミレ国の軍事行動において、総指揮官は必ずマントを羽織る風習がある。これはもっとも権限を持つ者を明かにし、敵国に対しても堂々と対峙することを宣言する手段だった。もちろん狙われる確率は格段に上がるが、死を恐れてマントを羽織らない指揮官は部下に信頼されない。
軍を率いる以上、もっとも危険な場所に己の身を晒して戦うのが、この国の流儀だ。その性分をそのまま性格として受け継いだショーンは、己に与えられた暗青のマントを羽織った。昼間ならば青に見えるが、夜は闇夜に溶ける紺に近い深さを持つ色だ。
夕方に差し掛かる今、これから夜にかけて準備を行う軍は忙しさを増していた。騒がしい砦の中を、マントを翻して歩くショーンは、軍全体を鼓舞しながら部屋に戻る。誰もいない部屋に届けられた手紙を拾い上げ、青薔薇の香りに相手を知った。
「魔女か」
開いた手紙に記された裏工作の内容と、アスター国の宰相に関する情報を読み終えると、隣のラユダに渡して内容を共有した。
「面倒だが……今なら手が打てる」
呟いたラユダが断りなく動き出す。その後ろ姿を見送り、ショーンは仮眠をとるべくベッドに潜り込んだ。
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