6-2.少年王の苛立ちは周囲を巻き込んで

「ウィルの行方はまだわからないのか!」


 国王という地位についてから、側近であり執政であるウィリアムの言葉に従い、落ち着いた態度を心がけてきた。若輩の少年王を侮る貴族を抑えつけるため、常に悠然と構えるように――と。


 その仮面をかなぐり捨てて叫んだエリヤは、苛立ちに右手の親指の爪に歯を立てた。侍従を兼ねるウィリアムが毎日確認して整える指先は、美しい爪に彩られている。その爪がぎりりと音を立てて傷つけられた。


 謁見の間や執務室にいるときは取り繕っているが、それも限界が近い。事実、執務室がエイデンやショーンだけになると、仮面が剥がれていた。


「落ち着いてください、陛下」


 そう窘めたアレキシス侯爵家長男エイデンは、淡い金の髪をかき上げて溜め息をつく。彼の端正な顔にも疲れの色が見えた。一昼夜休みなく指揮した結果の報告は、耳障りの悪いものだった。


 




 一昨日の夜、宮殿では恒例の舞踏会が行われた。月に1回、必ず行われる慣習を普段通りにこなした少年王エリヤの寝室に、見知らぬ女が忍び入ったのだ。疲れたエリヤを眠らせてから、捕らえた女の処分を行った執政は忽然と姿を消した。


 翌日は休みで出仕しない貴族が、一斉に騒ぎ立てる程のスキャンダルだ。


 美しい黒髪の刺客に惚れた執政が手を取り合って逃げた、はたまた逆に殺されてどこかに打ち捨てられた。様々な説が飛び交い、エリヤの機嫌を急降下させる。夜明け前に目が覚めたエリヤは、それ以降食事も睡眠も拒絶して、ウィリアムの捜索に全力を注いだ。


 エリヤの親衛隊12名を頂点とした近衛騎士の指揮を執るエイデンは、数時間ごとにエリヤに報告を行っている。そのたびに食事や休息を勧めるが、少年王は頑として拒み続けた。


 整いすぎて人形のようだと揶揄されてきた王は憔悴して、隈に縁どられた目は力を失っていく。このままではウィリアムが見つかるより、エリヤが倒れる方が早い。これ見よがしに溜め息をついたエイデンは、侍女に用意させたお茶を淹れて差し出した。


「いらぬ」


「陛下が口にされないので、一部の親衛隊も同様に飲食を絶っております。このままでは……分かりますね? あなた様は旗印なのです」


 国王陛下の願掛けに付き従う親衛隊は、王の剣たる執政ウィリアムの代わりだ。彼らが倒れて動けなくなる事態は避けなくてはならない。


『エリヤ、お前は彼らの主なんだぞ』


 叱るウィリアムの声が聞こえた気がして、エリヤは泣き笑いに近い表情を作った。幻ですら、お前は俺に王であれと願うのか。いつか願いを叶えるその瞬間まで、この身はシュミレ国王なのだ。他国に蹂躙させる気はなく、内部崩壊することも許さない。己を犠牲にする覚悟ならとうに出来ていた。


 だからエリヤはわたくしで恋人を心配する立場より、おおやけに振る舞う傲慢で強い姿を優先させるのだ。きゅっと引き結んだ唇が震え、エリヤは握りしめた拳を解いた。震える手でカップを引き寄せて口をつける。


「お茶だけだ。我が命で、断食や願掛けを禁止せよ」


「かしこまりました」


 久しぶりに口にした紅茶が空腹の胃を満たす頃、エリヤは落ちてくる瞼と戦っていた。その戦いに敗れて目を閉じると、意識は急速に吸い込まれて消える。何も考えられない深い眠りに落ちながら、エリヤは執政の名を呟いた。


 眠った子供の手からカップを回収し、混ぜた睡眠薬がバレないように濯いでからソーサーの上に戻す。緑がかった艶のある黒髪の少年をソファに横たわらせた。本当はベッドに運んでやりたいが、抱き上げると後ろからウィリアムに切られそうな気がする。


 そんな埒もない考えが過ぎり、エイデンは苦笑いして手を離した。まったく、こんな幼い恋人を放置して何をしてるのやら……エリヤの眦に光る涙に気づかぬフリをして立ち上がる。


 次にエリヤに会うまでに、何らかの成果を得たい。手がかりを得ようと魔女に手紙を送った男は、返答を確かめるために急いでこの場を後にした。

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