5-13.失う恐怖は傷より深く

 切り裂いた背の痛みに叫びそうになり、掴んでいる手に気付いて声を殺した。いっそ気絶すれば楽になるのだろうが、最愛のエリヤを戦場に置いて気を失うくらいなら痛みを我慢する。


 エリヤの手を強く握りすぎないよう注意しながら、大きく息を吐いた。吸い込むタイミングを待ってエイデンの手が剣を引き抜く。激痛に強張った身体が倒れかけたとき、ようやっと剣が抜けた。


「ぅ、ッ!」


「よし、すぐに傷の洗浄して消毒。バッグから白と茶色の瓶を1本ずつ出して」


 背を向けて守りを固める騎士の間から、侍女が「はい」と声を上げて手伝いに名乗りをあげる。王宮侍女の制服を着た少女は、以前に見かけたことがあった。エイデンはバッグを指差して次の指示を出す。


「青い瓶の中身をガーゼにかけたもの、それから縫合具を用意」


 真っ赤な血が溢れる傷を洗浄し、消毒していく。傷口にガーゼが触れるたび悲鳴が零れそうになるが、噛み締めた布で声を殺した。麻酔を使わないのは、まだ城内が戦時中だからだ。敵がいる場所で処置する際に麻酔を使えば、いざというときに身体が動かない。


 ウィリアムの性格上、麻酔を提案しても断られることをエイデンは知っていた。以前から治療時に麻酔を拒む男に、いまさら尋ねる手間を省いただけだ。


「ウィリアム、縫合するから動かないで。陛下。しっかり彼の手を握っていてくださいね」


「……わかった」


 麻酔なしの縫合は想像を絶する痛みをもたらす。本当なら麻酔を進めたいエリヤだが、以前も断られてしまったので口にしない。危険がない場所でも守れないことを恐れる男が、戦場となった城内で意識を手放すはずがないのだ。


「ウィル」


 頷くウィリアムの額に浮かんだ汗を、解いたスカーフで拭う。エリヤの手は冷たくて、発熱したウィリアムの肌には心地よかった。本来ならばエリヤの方が体温が高いのだが、現在は発熱で逆転している。ひんやりする手で、何度も汗を拭う子供は泣き出しそうな顔だった。


 大丈夫だと慰めてやりたいが、何分にも口に咥えた布を吐き出すわけにいかない。呻き声を布に吸わせながら、エイデンの治療が終わるのを待った。丁寧に細かく縫ってくれるのは、嫌がらせではないと思いたい。


「…ふぅ、終わりです。動いても開かないよう、細かく縫いましたよ」


 エイデンが手を止める。溜め息をついた彼の言葉の後半は、オズボーンの使者を装った賊に襲われた治療のあとで、ウィリアムが無茶をした出来事を揶揄っていた。腹に突き刺さった剣を勝手に抜いて傷口を広げたあげく、治療前に少年王エリヤを抱き上げて盛大に出血し、国王の寝室で手術をするはめに陥ったのだ。エイデンが嫌味のひとつも口にするのは当然だった。


「……助かった」


 吐き出した布を噛み締めた口は血の味がする。どうやら強く噛みすぎて多少切れたらしい。ぺろりと乾いた唇を湿らせて、必死に手を握るエリヤの頬に手を滑らせた。顔を上げる彼の目に涙は浮かんでいない。泣きたくても泣けない子供を引き寄せ、背中をぽんぽんと叩いた。


「大丈夫だ。残して死んだりしないから」


「…わかっている」


 信じているし、彼が強いのも理解していた。それでも不安は常に付き纏う。ケガをするたび、血を流すたび、自分が国王だという原因を思い出して苦しくなるのだ。


「城内の様子を報告せよ」


 背を向けて警戒にあたる騎士を呼び寄せて尋ねるウィリアムは、青ざめた顔色ながらはきはきした口調で報告を求める。敬礼した兵からの報告を頭の中で整理して、新たな指示を出した。


「ならば、敵を奥へ誘い込め」

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