5-12.宮廷医師の手荒い治療

 赤い血があふれ出して床を濡らす。エイデンと一緒に駆けつけた先で、ウィリアムが扉に寄りかかるのが見えた。ずるずると背を擦る形で滑り落ち、座った彼の首ががくりと前に倒れる。


「ウィル!」


 叫んだ声は吸い込んだ悲鳴と相殺されて、ほとんど音にならなかった。喉に張り付いた音が残っているようで、気持ちが悪い。もつれる足で必死に近づくと、兵の声が聞こえた。


「抜きます」


 アレキシス侯爵家嫡男エイデンが強い響きで否定した。今抜いたら、筋肉で押さえている出血が酷くなる。下手すれば失血死してしまう。


「ダメだ! 手を離せ」


 命じる響きに、兵が一礼して下がる。親が健在なうちは好きにすると言い放っていたたエイデンは、宮廷医師として働いていた。その腕は一級品で、エリヤも体調を崩した際に治療を頼んだことがある。


 少年王を庇いながらウィリアムに歩み寄ったエイデンは、抜き身の剣を床の上に置いた。鞘に仕舞わないのは、まだ戦時中だからだろう。すぐ手が届く位置に置き、自らの膝で重石をかけて押さえる。


「陛下はこちらへ」


 促されて、扉に寄りかかるウィリアムの左側へ崩れるように座った。紺色のズボンに血が染み込んでいく。血に濡れて張り付くローブを外して、震えるウィリアムの肩にそっとかけた。


「……エリ……陛下?」


 名を呼びかけて、途中で近衛兵の存在に気付いて呼びなおす。ウィリアムの青紫の瞳は熱で潤み、色がくすんだようにぼんやりしていた。普段の強さが嘘みたいに、弱弱しく見える。


 エリヤをウィリアムとの間に挟む形で保護しながら、エイデンは兵達に指示を出した。


「酒を持ってきて、出来るだけ強いやつ。あと私のバッグが控え室にあるからそれも。落ちてる短剣拾ってこっちへ」


 矢継ぎ早の命令に、兵達が慌てて動き出す。残された数人が、国王と執政を守る円を描いて背を向けた。外敵に対処できるよう剣を抜いている。同時に彼らは被っていた兜を脱いだ。


 先ほど執政に襲いかかった兵は、自軍の鎧を纏っていた。つまり鎧や兜で中の人間が見えない状態で、敵が潜り込んでいる。倒した相手の鎧を奪ってひそんでいたら、後ろから攻撃されるかも知れないのだ。


 疑い深くなった状態で同士討ちをする可能性がある以上、兜は身を守る道具ではなくなっていた。何度も教えてきた話を覚えていたことに、ウィリアムがほっと息をつく。この状態で声を張り上げて警告するのは辛いのだ。


 血を失って冷えた手を、温かな手に包み込まれた。視線を落とした先でエリヤの白い手が、左手を掬い上げて強く握る。安心させるために握り返した。


「ウィル……っ」


「ごめん、な。泣かせて」


 周囲に聞こえない声量で囁いて、右手を持ち上げた。エリヤの涙を拭ってやろうと思ったのだが、身を捩った痛みに動きを止める。


「動かないで。陛下はしっかり手を握っていてくださいね。誰でもいいから、閣下が動かないように押さえなさい」


「はっ」


 近衛兵が一人近づき、手前で己の武器をすべて落とした。鎧、短剣、剣、すべてを外して床に並べる。害意や反逆の意がないと示すつもりだろう。戦時中にのみ許される簡易服を纏った男は、ウィリアムの右肩を押さえた。


「失礼いたします」


 医師バッグの中から取り出した道具を丁寧に並べ、確認していたエイデンが酒で器具を消毒していく。濃厚な酒の匂いが周囲を満たした。中の中央より僅かに左にそれた位置から、右わき腹へ抜けた傷を確かめ、無造作に酒瓶の口を切って傷の上に注いだ。


「うっ……」


「あ、痛むよ。これでも噛んでおいて」


 暴挙と激痛に歯を食いしばって声を殺したウィリアムの手に力が篭もる。握るエリヤが心配そうに眉を寄せた。先に言えと睨みつけるウィリアムの鋭い視線を流して、エイデンは裂いた布をウィルの噛み締めた歯の間にねじ込む。


「時間も猶予もない。ここで抜くよ」


 ウィリアム愛用の短剣で鎧紐を切りながら、この場で唯一の医師はにっこり笑った。

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