5-11.責務とは身を縛る鎖に似て

 開いた扉の先に見慣れた騎士の黒いローブを見つけ、エリヤは口元に笑みを浮かべた。ゆったりと立ち上がり玉座の前に敷かれた赤い絨毯を踏む。階段に足をかけたとき、ウィリアムの背後に影が見えた。


「ウィルッ!」


 咄嗟に叫んだエリヤの右手が伸ばされる。その姿に目を奪われたウィリアムの反応は、僅かに遅れた。振り返ろうとした背を、近衛兵が切りつける。


「ウィリアム?! 陛下、動かないで!」


 エリヤを守るために飛び出したエイデンが、己の身体で王の姿を隠す。階段を駆け下りたエリヤを左手で抱きこみながら、己の剣を扉の方へ構えた。なんとか抜け出そうと足掻くエリヤは、頭の上の王冠をなぐり捨ててエイデンの脇をすり抜けようとする。


「陛下っ! まだです」


 叫んで強引に押し留めた。エイデンにも愛する存在はいる。ドロシアが同じ目に合ったら、きっと自分を留めようとする相手の腕を切り落としても駆けつけるだろう。その場で一緒に息絶える状況になろうと後悔しない。


 だが、それはエリヤに適用されてはならないのだ。彼は国の要であり、絶対に倒れてはいけない柱だった。国王であるエリヤを守るために多くの兵は命を散らし、盾となって戦う。一人の人間である前に、彼は国王という象徴だった。


「っ、わかって、いる」


 分かっていても動きたい。ここで悠然と構えているのが国王の務めであり、ウィリアムがそう望むことも知っていた。涙が零れるが拭うこともせず、エリヤは足元の王冠へ手を伸ばす。その右手は震えており、3度目にしてようやく王冠を拾い上げた。


 顔を上げて、ぼやけた視界を厭うように目を見開き、そこで初めて……自分が泣いていると気付く。咄嗟に袖で拭った。






 シュミレ国の近衛兵が与えられる揃いの銀剣は、かつて飾り以上の意味を持たなかった。しかしウィリアムが騎士団長に就任してから、実用性がある鋼の剣を持たせている。磨き上げられた剣の刃は鋭く、咄嗟に剣で受けようとしたウィリアムの肋骨下を滑るように入り込み、背から腹へと突き抜けた。


 己の腹から生えた剣を反射的に掴む。鋼の剣を奪うために腹部に力をこめて剣を拘束した。引き抜けない剣を諦めた男が手を離したところで、後ろに一歩足を引く。


 エリヤの悲鳴じみた呼び声が聞こえ、同時にエイデンの制止が重なった。最愛の人は無事で、その隣には信頼にたる友人がいる。何も心配はなかった。


 ダンスのように引いた右足を軸に身体を捩じる。激痛に呻きが零れそうになり歯を食いしばった。ここで痛みに動きを止めたら、何も出来なくなる。エリヤを守ると誓った身で、敵をこのまま許す気はなかった。ぎりりと硬い音を立てた歯で痛みを散らし、左腕の剣を大きく振る。


 鎧の隙間を縫う形で叩き付けた刃が食い込み、倒れた男を足で踏みつけた。普段は護身用に使う短剣を引き抜いて、足元で喚く男の首へ投げつける。身体が自由に動いたなら、しゃがんで首を切り裂いたのだが……背から腹に抜けた剣が動きを阻害していた。


 最前線に臨むため着こんだ鎧と、突き立てられた剣が干渉してしゃがむ行為を妨げる。投げた短剣が突き刺さったのを確認し、踏みつけていた男から足を引いた。よろめく身体が無様に倒れる前に、謁見の間の扉に寄りかかる。


「シャーリアス卿!」


 どうやらウィリアムに切りつける前に、別の近衛兵は突き飛ばされたらしい。身を起こした兵は慌てて背の剣に手をかけた。


「抜きます」


「ダメだ! 手を離せ」


 荒い息を整えられずに背で滑るように座り込んだウィリアムの耳に、エイデンの声が届く。駆け寄る彼の足音に、愛しい人の呼び声と足音が重なって聞こえた。

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