5-10.死神が支配する赤

 城の門は閉ざされていた。やはり裏の山から駆け下りる形で襲撃されたらしい。シャーリアス卿の姿に、慌てて城門が開かれた。


 わずかな隙間にリアンが飛び込み、騎乗のまま城内を走り抜ける。


「どけ! 道を譲れ!!」


 叫ぶ警護兵の大声に、人の波が割れた。逃げてきた侍女たちや見習いの子供を掻き分ける形で、強引に兵が道を作り出す。その隙間を黒馬は止まらずに抜けた。


「リアンを頼む」


 城の入り口で飛び降りたウィリアムは、下賜された剣を抜き放つ。銀の輝きが美しい剣の根元には、主からの言葉が刻まれていた。本来なら執政であるウィリアムに贈られるのは、儀礼用に装飾された剣だ。しかし騎士であり、実戦に赴く彼に贈られた剣は美と実用性を兼ねた特注品だった。


 鉱山でも滅多に出ない特殊な鋼を鍛えて作られた剣は、国宝級の価値を持つ。下賜された後に、ウィリアム自身の手で刻まれた誓いの文言は、美を損なうことなく調和していた。


 城の中は混乱している。敵が攻め込むことなど想定されていないため、逃げる侍女たちは動く障害物と化していた。間を抜けて奥に近づくウィリアムを阻む者はいない。


 赤い絨毯が美しい謁見の間に続く中庭で、ようやく敵と遭遇した。庭の薔薇を散らしながら走る鎧姿の騎士を一撃で沈める。掛け声も気合も必要なかった。


 実力が違いすぎるのだ。戦場で磨いたウィリアムの剣は鋭く、無駄のない美しさで振りぬかれる。その先で触れたものを切り裂き、鎧の間に差し込むようにして敵の命を奪う。そこに躊躇はなかった。


「エリヤ…」


 ここまで入り込まれているなら、エリヤは謁見の間にいるだろう。国王であることの証である王冠を載せ、大きな深紅のローブを纏い、玉座に座っているはずだ。


 逃げていて欲しい。無様でもいいから、逃げてくれたら……願う反面、彼がそうしないことを誰よりも理解していた。


 逃げて生き残るより、彼は国王として責務を果たそうとするだろう。


 走り抜けた廊下の先、謁見の間に続く扉の前で近衛兵が敵と剣を交えていた。


「黒の死神だ! 手柄を立てろ」


 後ろから駆けつけたウィリアムに気付くと、指揮官らしき男が声を上げる。


「おれが一番手柄だ! うぉおおお!」


 己を鼓舞するように品のない叫び声を放つ口へ、無造作に剣を突きたてた。一番大柄な男の絶命を確認する暇ももどかしい。男の腹に足をかけて、剣を引いた。赤い血に汚れた刃を、無造作に黒いローブで拭う。


「さっさと来い」


 躊躇した敵を挑発しながら、扉の奥に意識を向ける。謁見の間で大きな物音はしない。それが唯一の救いであり、ウィリアムの精神を支える柱だった。


 まだ……エリヤは無事だ。


 飛び掛ってきた男を右手の剣で叩き潰す。振り下ろした剣を左手に持ち替え、ウィリアムは返り血に濡れた頬を拭った。


「早くしろ、陛下をお待たせするのは気が引ける」


 普段の貴族然とした優雅な仕草も言葉遣いもない。ここにいるのは血を浴びて笑う死神と呼ばれる、一人の男だった。騎士の誇りも必要ない。型も無視して左手で敵を屠る。


 返り血だけでなく、敵の内臓や叩きつぶした脳漿が飛んできた。ぬるぬる滑る手をローブで拭う。


 黒いローブを纏うのは、シュミレ国でウィリアム一人だ。これは地位を示すためでなく、他国で死神の二つ名をもつ男が、返り血を拭った際に目立たないからと選んだ色だった。


「死ね!」


「聞き飽きた」


 敵の叫びを淡々と切り刻む。同時に敵の身体も無残に刻まれていった。腕を落とし、足を貫き、頭を叩き割る。残酷や凄惨という言葉が薄れるほど、ひどい戦場だった。


 日常生活は右手でこなすウィリアムだが、本来の利き手は左だ。


 騎士は右利きに修正されるため、ほとんどが右手に剣を持つ。左利きとの戦いに慣れていない騎士は、次々と倒れていく。気付けば、残っているのは近衛兵のみだった。


 ずっしりと返り血を吸ったローブが重い。裾からぽたぽた赤い雫を落としながら、血に染まった髪をかきあげた。髪も肌も、全身に生臭さが付き纏う。吸い込んだ空気まで血の味をしている気がした。


 ウィリアムの戦い方に慣れている近衛でさえ、吐き気を堪える者がいる。それほどの惨劇を繰り広げた廊下は、元の赤い絨毯がどす黒く変色していた。守り抜いた扉は元の白が見えない。


「扉を開け」


 命じた先で、重々しく扉が開かれた。

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