第9話 夏の夕暮れ時に考えること
ちらほらと帰宅中の学生やサラリーマンが行き交う駅。
そういえば、学生も夏休みを終えてるんだな。そんなことを思いつつ。
あれから遠乃たちと別れた僕は、ある場所に向かっている。駅から歩いて数分の場所にあるスーパー。その入り口で小さな人影を見つけた。
「……お兄ちゃん、ここ」
「ちょっと遅れてすまない、依未」
夏なのに陶器みたいな白い肌に、不健康にやせ細った体形。
あらゆるものを退屈そうに見つめる表情は、僕を見つけると和らいだ。
彼女は青原依未、僕の妹だ。制服姿だったから学校の帰りに寄ったんだろう。
「暑いし、早く入ろう」
「……うん。……今日は何が食べたい?」
「うーん、何がいいか。カレーが食べたいかな」
というのも、今日の曜日は依未と一緒に買い物をする日だ。
何年か前に始めたこの日だったが、未だに続いている。僕が大学の講義や夕闇倶楽部の活動で来られないことはあったが、依未が来ないことは一度もない。
普通、この年頃になった女子は兄を嫌うんじゃないのか。兄離れがないどころか事あるごとに僕に関わってくる彼女に、兄として不安を覚えつつ。
軽く会話を交わしながら、長めの買い物を終わらせると店の外に出た。
「……夕暮れ、きれい」
「そうだな」
気づけば、空には夕日が輝いていた。もうそんな時間か。
遮蔽物の多い都会で、文学作品の表現みたいに僕たちが真っ赤に染められる……ことはないものの、やはり夕焼けの空は美しいな。
「そういや学校生活はどうだ、依未?」
「……まあまあ、かな。……クラスの子が、やたら話しかけてくる」
「良いことじゃないか。フレンドリーに話せばいいだろ」
「……めんどうくさい。……私はお兄ちゃんがいればいいのに」
「そういうこと言うなって。いつも僕が傍に居れるわけじゃないんだから」
いつも依未はこんな風だ。肉体的にも精神的にも僕から離れようとしない。
妹がこうなのは昔からだ。5歳の頃、“黒鴉の男”に誘拐された、あの日から。
“匂いが、怪異が、気持ち悪いほどの怪異が、こ、ここにあるの!!!”
“あ、あの女、黒髪の女よ!! “黒鴉の男”と同じ匂いがするの!!”
思い出したのは炎失峠の怪異。七星さんが家に来た時のこと。
神林の名を持つ、呪術を扱う少女、七星さんと同じ匂いがする黒鴉の男。
現状の情報から推理するならば――彼の正体は七星顕宗。だからといって彼に謝罪を求める気はない。復讐する気も起きない。依未は喜ばないだろうし。
だけど、僕は知りたかった。なぜ妹に歯牙をかけたのか、何を企んでいたのか。
今回の怪異には黒鴉の男が関係しているという。それなら、それを暴き出すことで、僕の知りたいことに一歩でも近づけられる気がした。
「……おにいちゃん?」
「あっ、えっ、あ、ああ、何だよ、依未」
「……? ……変なお兄ちゃん」
……しまった。思考が巡りに巡って、そちらに行ってしまってた。
気を取り直して、現実に帰ろうとする。真っ先に見えたのは、近所の病院。
真新しい明るい暖色の外装に、広々とした駐車場、清潔感のある入り口。
言われなければ、ここを精神病棟と思う人は誰一人居ないことだろう。
かといって、近所に住む僕たちがそれを気にしたことはなかった。何か害を被ってるわけでもないし、迷惑をかけられた覚えもない。
むしろ地域交流が盛んで、いろいろな祭りや催し物をしてるみたいで。精神病院といえば、監獄みたいな病室みたいな印象が強いだけに驚かされた。
やはり偏ったイメージで物事を解釈するのは良くないことだな。日常を生きる上でも、怪異を暴き出そうとする上でも。
「……はやく帰ろう。……あまり、ここに居たくないから」
隣から声が聞こえる。それで依未が顔をしかめていることに気づいた。
「やっぱり嫌なのか。あの病院が」
「……うん。……あそこ、いつも変な匂いがしてくるから」
「変な匂いか。薬の匂いとか、独特なああいう匂いじゃないんだよな」
「……それもあるけど、怪異の匂い。……薄いけど、気持ち悪い」
依未には不思議な能力がある。怪異を匂いとして感じ取れるという。
といっても、あの病院のどこかに怪異が潜んでいるわけではないだろう。でも、依未が感じた匂いが間違っているとは言い切れなかった。
何故なら精神病は古来では神秘なる力、怪異として受け取られたからだ。
例を挙げればキリがない。悪霊や悪魔、魔女や狐憑き、予言に神のお告げは今の常識で考えれば、精神病の症状に置き換えることができる。歴史上の人物で精神病に該当する人物を探し出すことだって簡単なことだろう。
だけど、医療が発展した社会では、そうした現象は脳の障害だとされている。
――でも、怪異と精神病の境界線はどこにあるのだろうか。
見えたものは、聞こえたものは、症状なのか、本当に見えたのか。
きっと誰にも理解できないだろう。周りはもちろん、本人でさえも。それに精神病の根本的な原因も解明されていない。脳の働きが関係するというだけ。
ならば、病気などと言っているが、それが異常によるものかは判断できない――
「……またお兄ちゃん、考え事してる」
「えっ、ああ、すまない。いろいろとやるべきことがあってな」
そして、怒った顔の依未に現実へと引き戻されてしまった。
夏の夕暮れ。人を物思いにふけさせる要素が、何かあるのかもしれない。
なんて、どこかの文学作品に出てきそうな文が頭に浮かんできた時だった。誰かが病院から出てくるのが目に入ってくる。
――鳴沢葉月、彼女だった。看護師さんに会釈をした彼女は心なしか、普段以上に委縮していて、何かに怯えている様子だった。
「……どうしたの、あっちの方を見て」
こちらを伺う様子の依未に話しかけられて、ふと我に返る。
そうだ、彼女だって僕たちに見られたくないよな。ここは静かに立ち去ろう。
でも、僕が知る限りでは、葉月が近所に住んでるとは聞いたことなかったが。
疑問が離れない状態のまま、あと数分の依未との帰り道は続いたのだった。
『あっはっはっ! 呪いの映画に自分のお爺さんが居たなんて!! その子にしたら、災難と恐怖そのものじゃないかしら!!』
「そうですけど、笑い事じゃないですよ。麻耶先輩」
『ふふっ、ご、ごめんなさい、ぷふっ。それで、何の話だったかしら?』
帰宅して、食事して、お風呂にも入って、明日の身支度もして。
後は寝るだけのはずだった僕に電話がかかってきた。電話の相手は夜見麻耶。僕たち夕闇倶楽部のOGに当たる人だ。
卒業後はオカルト雑誌の記者をしていて、今も僕たちと関わることが多かった。
「とりあえずお聞きしたいのですが。先日、調査をお願いしていたことで」
『ええ、その件ね。初めに七星顕宗だけど。現在、彼は行方が分からないの』
「行方不明、なんですか」
『ええ。ちょうど10年前くらいまでは目撃情報があったんだけど、それっきり。むしろ私があなたたちやその娘に聞き出したいくらいよ』
「……そうですか」
『そして、狂霊映画や土螺村のことだけど。未だに詳しい情報は出てないわね。こちらは仕事が忙しくて……って感じだから、もう少し時間をくれないかしら』
「すみません、お忙しいところを」
『大丈夫よ。むしろこういう繋がりは、かけがえのないものなのよ。就職して、社会人になってから気づけたわ』
電話越しに聞こえた麻耶先輩の声に、隠れた哀愁を感じさせた。
繋がりを求め、惜しむ。僕も2年後には、こんな大人になっているのかな。麻耶先輩を見ていると、たまにそんな虚しいことを考えてしまう。
『それにしても七星顕宗が写る、呪いの映画ねぇ。二重の意味で価値がありそうだわ。映画同好会の部長さんはどうやって手に入れたのかしら、それを』
「……そういえば。なんででしょうか」
『あらあら、誠也くん。こういうのは出自を確認しておくものよ』
確かに麻耶先輩の言う通りだった。明日、大槻さんに聞いてみようか。
『とりあえず、他の情報はこちらでも調べておくわね』
「よろしくお願いします。今度みんなで食事でも行きましょう」
『ええ。頑張ってね、誠也くん。私はこれで失礼するわ。今日は早く帰れるの』
「……えっ。あ、ああ、そうですか。それでは」
電話を切る。直後、僕に切ない気持ちが電流の如く駆け巡った。
「もう10時なんだけど……これで早いのか、麻耶先輩」
並大抵の怪異なんかより、何倍も怖い社会の闇に恐怖を覚えつつ。
怪異の情報に触れ“あること”を思い出した僕は、もう一仕事することにした。
「……あのノート。もう少し見てみる必要があるな」
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