第9話 1階探索

 101号室。その扉の前で僕たちは立っていた。

 鈍い光で輝く灰色のそれは空間のあらゆるものと奇妙な調和を保つようだった。

 ちなみに、案の定というべきか、郵便受けはガムテープで塞がれていたりする。

 この隣や、更にその隣のものを見てみたが、それは同じようで。

 ここの住民は、何故面倒なことをしているのだろうか。謎でしかなかった。

 そんなことを思いながら、金属製の、冷たいドアの取手に手をかける。

 姿かたちだけなら普通の住宅だからか、無断に部屋へ侵入することの罪悪感はあったものの――自身の行動を止めるほどではなかった。

ゆっくりと、扉を開けていく。その向こうには、目覚める前に見た……男が住んでいた部屋の玄関と瓜二つの光景が広がっていた。

 といっても、あれが黒羽団地での出来事であったならば、当たり前だけれど。


「な、なんでしょうか、これ……」


 そして、玄関の右横には日本人形があった。

 真っ直ぐに伸びた黒髪に、不気味な造形の表情。濃い黒がかった紅色の着物。

 でも、顔のかたちや体の細部は、夢で見たものとは違うようにも感じた。

 何故そう感じたかは分からなかった。本来なら気にしない違いのはずだ。

それなのに、拭えきれない違和感。……僕の気にし過ぎだろうか。


「とりあえず、中に入りましょうか。人はいないみたいですね」


とりあえず、この部屋で情報を探すことに専念することにした。

 目の前からは、直線の廊下のために、奥の部屋が見えている。

 奥の部屋は無造作に物が散らかっていた。泥棒にでも入られたようだ。

 だが、実際に部屋に入った途端にその考えは変わった。

 単に散乱してるだけではない。それらは所々が歪なほどに欠けていた。


「これ……。達磨の底が壊れているのか」


 足元に転がっていた達磨が目に入ったので、拾い上げる。

 底の部分が欠けていた。断面は不自然に荒れている。塗装が大きく剥げているし、裂かれるような割れ目が入っている。無茶苦茶な壊れようだった。 

 ……だけど、何の意味もなく壊されたようには見えなかった。

 まるで誰かが特定の目的を為すためにした行動の結果で生まれたような。

 だが、その目的が理解できない。推測すらもできない。それぐらい異様だった。


「み、見てください、これ!」


 見つめていると、奥にいた千夏が変なものを見つけていた。

 言われるがままに、彼女が示している場所に目を凝らしてみる。


「は、歯型……?」


 床に転がされていた、ちゃぶ台の短い足。

 そこには、くっきりと付いた歯型。人間のものだった。

 大きさから成人男性だろうか。とんでもない力で加えられている。


「それに、この下の床も見たんですけど……」


 千夏に言われて、今度は物体と敷物で隠されていた床を見た。

 普通であるはずのフローリングが、とんでもない形で抉れていた。

 何をしたらそうなるのか、理解不能に陥るくらいだ。

 それに、よく見てみると抉れたその部分には、赤黒い染みが点々としていた。

 絵の具や調味料のような人が作れる色じゃない。……これは血、なのか。


「それに、この黄ばんだ変なもの、何なのでしょうか」


 

 ちょうど僕の人差し指に乗っかる程度の、極めて小さいもの。

 まじまじと見つめていると、同じものを見たことがあることに気づく。

 小学校に入りたての頃だったか。――生えかわりのために抜けた“乳歯”。


「人間の歯……?」

「えっ、あっ、でも確かに言われてみれば」


 間違いない。欠片だが、確かに人間の歯だった。

 生理的に気持ちが悪くなって、思わずそれを床に投げ捨てる。

 物と物との間に入り込んで、もう二度と探し出せなくなってしまった。


「それにしても、何で欠けた歯の破片が床に……?」


 確かに謎だ。これだけでなく、部屋全体が奇妙で溢れていて――


「……いや、待てよ」


 奇妙に損壊した部屋の物、無残に抉れた床に人間の歯。

 そして、絶対にあるはずのない場所に存在していた歯型。

 1つひとつは意味不明だが、結びつけてみると結論が顔を出してくる。

 思いついた僕でも、余りにも滑稽過ぎると感じるしかなかった発想だけど。


「人間が、この部屋にある物を食べていた?」


 だけど、そう考えると部屋の異常性に辻褄が合ってしまう。

 部屋に落ちているものを改めて見たが……この壊れようは人が口に運び、強引に 噛みちぎろうとして、食べられたものだけが欠けている、そうにも見える。


「な、何を!? 何で食べる必要があるんですか……?」


 僕の言葉に千夏は、驚いたように声を上げた。

 それはとても怪訝そうな表情。だったが、同時に迷いもあるようだった。

 ありえないとは思うけど、完全に否定は出来ないといったところだろうか。

 人間が食料以外のものを食べようとして、実際に食べていた。現実の世界では思考の選択肢に入れることすらしない、荒唐無稽でしかない発想だろう。

 だけど、ありえてしまう。ありえそうだと思わせる何かがこの場所にあった。


「…………」


 しばし、沈黙の空間が続いていた。

 この状況が理解できない。何を言い出せば良いのか分からなかった。


「ここは終わりにして、次の部屋に行ってみないか」

「そうですね。もう、なさそうです」


 だから、ひとまず仕切り直しが必要だ。

 ぎこちなく会話を重ねると、僕たちは逃げるように部屋を出ていった。




 次は、隣の102号室の中を調査してみることに。

 中に入ると案の定、右横からは人形がじっと見つめてきていた。

 そして、またもや僕が見てきた2つの人形と違うように見える

 今度は比較的、丁寧に作られているようだった。特に顔の輪郭あたりが。

 着物も丁寧かつ高級そうな作りだ。……別々のものなのだろうか、あれらは。


「部屋は片付いているみたいですね」

 

 101号室の惨状で警戒していたが、それは杞憂に終わったみたいだ。

 部屋は整えられている。雰囲気からして女性が住んでそうだった。


「でも、これはこれで嫌な感じですね」


 ただ、窓や鏡や古臭いテレビの画面にアルミホイルが貼られている。

 何ひとつの隙間もなく、びっしりと神経質なほどに厳重なものだった。

 そのせいで、薄暗い部屋が更に暗くなっている。暗闇には目が慣れていたが……気をつけないと、何か見失うことはあるかもしれないな。


「これは、メモ帳か」


 そんな矢先、鏡台を確認した時に小さな手帳を見つけた。

 手にとって適当なページを開く。同時に、言葉を失いかけた。


『私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで助けて私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで助けて私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで助けて私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで富士子が私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで私を見ないで』


「先輩? って、えっ!?」

「……ここにあったものだ」

「“私を見ないで”ですか。ものすごい量ですね」


 私を見ないで。

 そんな言葉が、シャーペンでひたすらに書き殴られていた。

 相当な力が込められていたのだろう、それらしき跡が幾つもある。

 気味が悪いな。形容しがたい恐怖と執念を感じさせるようだった。

 元々は普通の日記らしいが……文字で塗りつぶされているせいで、文字が読めなくなっていた。何かしらの手がかりになったんだが。残念だ。


「なるほど、だからアルミホイルで部屋を覆ってたんですね」

「……ストーカーの被害にあっていたのだろうか」

「もしくは、この人の被害妄想でしょうか。あまり変わりはしませんけど」


 だけど、先ほどの部屋に比べれば、理解できる異常だった。

 窓はともかく、鏡やテレビを覆う理由までは分からなかったが、恐怖が高じてつい過剰な行動を取ってしまったのだろう。

 そういう風に推測できる。それだけで心の平穏というものは得られる。

 その後も部屋でおかしいことはなかったので、平然と僕たちは出ていった。




 103号室は、入った瞬間に僕の心が警鐘を鳴らした。

 玄関の床にクレヨンで書かれた落書き。正体不明の化け物の絵。

 それは、幼い子どもが気の済むまで書き殴ったようなものだった。

 部屋全体に広がって作られているその絵は、あらゆる物質が散らかされている部屋の混沌を1つのものに纏めているようにも見えた。

 だからか、ある意味で正しい散らかり方や壊れ方。そう思えるくらいだった。


「子どもがいたんでしょうか。いや、でも、これは……」


 けれども、この部屋の異常は別のところにあった。

 クレヨンによる落書きや壊れたおもちゃは子どもを想起させるもの。

 だけど、それが真っ二つに割れた机を彩るように、頭の取れたブリキのおもちゃを飾るように破壊された本棚の有様は――まさしく大人によるもの。

 まるで、子どもが大人のような力と体格を用いて生み出されたような空間。

 そのアンバランスさが、得体の知れない気味の悪さを助長していた。

 唯一まともに思えたのは……玄関の人形か。あれだけは何事もなく悠然と佇んでいる。所々が拙い印象はあるが、それが実害に繋がるものとは感じなかった。

 

「こ、この部屋はどうしましょうか?」

「いや、ここは後にしよう」

「そうですよね。……探そうのが大変そうです」


 何もないはず。どこか酸っぱい葡萄のお話を思わせる決めつけをしながら、僕たちは部屋を後にすることに。

 そうでもしないと、この団地が持つ正体不明の何かが襲ってきそうだった。

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