第1話 日常の1ページ
むしむしとした湿気と、茹だるような暑さの夏という季節。
外では蝉の鳴き声が轟くほど晴々としているが、この部室の中は涼しかった。
本当にクーラー様々だ。古いため効きは悪いが、文句は言えないだろう。
しかし、そんな快適な思いの僕を悩ませる物が……目の前に存在していた。
「…………」
原稿だ。それも脚本の、ものである。
きっかけは夕闇倶楽部が放送研究会のラジオ番組への参加から始まる。
夏といえば怪談、怪談といえばオカサー。
実に安直な発想で放送研究会から依頼されたのだ。
それで部長の
――広めてしまうのは醜聞じゃないだろうか。本人には言わないけど。
「……何を言えば良いんだろうね、全く」
感情を吐き出すように、僕は呟く。
というのも、その際に話す内容。それを書く役割を押し付けられたのだ。
これも部長様の一存。本が好きなんだから、楽勝でしょとのこと。
本を読めるのと文章を書けるのは違う。僕の抗議は聞き入れてもらえなかった。
……慣れない仕事のためか上手く進まない。捗ることのない作業と、それを強引に押し付けられた理不尽への怒りで、僕は複雑な気持ちで机に向かっていた。
というか本当に何を話せば良いんだ? 適当に怪談でも話していれば良いのか?
「……むーっ」
そうやって試行錯誤していると、隣から声が聞こえてきた。
隣を見ると、たくさんの写真と記事で睨み合いしている
どうやら新聞部の仕事が山積しているらしく、その処理に追われているようだ。
「ああ、あの無能先輩……地獄に落ちればいいのに」
そして、千夏の口から物騒な発言が聞こえてきた。何があったんだろうか。
「どうしたんだ、千夏?」
「あ、すみません。新聞部の方で阿呆野郎が仕事を押し付けてきたので」
「は、はぁ。それは大変だな」
「本当ですよ。あれの無能さなら右に出るものはいませんね。ううっ、頭が痛い」
「頭痛か? 一昨日から続いてなかったか」
「はい。ここ最近、ずっと頭痛がひどいんですよ。はぁ……」
何というか、千夏も裏で苦労をしているようだ。
しかし、文句を言いながらも仕事はする辺り、彼女の真面目さが伺える。
それに感心していた時だった。
前触れもなく廊下から誰かが走ってくる音が聞こえてきた。
「遠乃先輩でしょうか?」
確かに廊下を走るなんて真似をするのはあいつだけ。
でも、遠乃はこの時間講義があったような。そう思ってる内に扉が開いた。
「よかった。誠くん、いた……」
扉の向こうにいたのは、息絶え絶えの
「あれ、雫先輩?」
予想外の事で、千夏が首を傾げる。僕も疑問に思っていた。
何で雫が廊下を走ってきたんだ? 遠乃みたいなわけでもないのに。
どうやら、僕を探していたように見えたけど――
「あのねっ! 誠くんは、これから本を読んじゃダメ!!」
そんな疑問が解けない状態での衝撃発言。
理解するのに数秒かかったが、ようやく言葉が脳に到達し始めた。
「……どうしたんだ。いきなり」
「夢で、見たから」
「ゆ、ゆめ?」
これまた真意の見えない発言に、戸惑いが加速していく。
「雫、どんな夢を見たんだ?」
「あ、そっか。それを言わなきゃ……」
とりあえず話を聞いてみることにした。
雫は苦虫を噛み潰した表情で、本人が見たという夢の話を始める。
「えっとね、どこか知らない場所に誠くんがいて。その誠くんが本を読んでたの」
「そうか」
「ここまでは普通ですね」
「それで、読んでた本からいきなり飛び出してきた――黒い影に殺される」
「「…………」」
「こんな夢、だったよ。……お願い、二人とも。何か喋ってぇ」
夢の内容が重かった。それも言葉を失うほどに。
「こ、これが飛び出す絵本ですかね」
「……言ってる場合か」
「も、もちろん、冗談ですよ!」
「誠くんの首に刃物が当たったところで目が覚めたんだけど……」
殺された瞬間を見ていないのか。
でも首筋に刃を当てられた時点で、命は取られているも同然だろう。
誰かの夢で自分自身が殺される。あまり良い気分はしないな。
「あ、本当になるかわからないんだよ!? 夢なんだし!!」
「でも、雫はそれが現実になると思ったんだよな?」
「うん、ごめんね。すごく生々しかったから」
「……そうか」
まあ、誰かが殺される夢など嫌なもの。雫の不安は分かる。
しかし、僕はどうすればいいのか。一生、本を読まないことは不可能だ。
読書は趣味だし、これからの人生で本を読むということは欠かせないはず。
それに雫が言ったのは夢の話なのだ。現実に起きると断言はできない。
予知夢は聞いたことはあるが、雫にそれを見る能力があるかは不明なのだし。
そもそも夢が現実になるとして――夢で見たという黒い影は何だったんだ?
――ジリリリリッ。
千夏が作業をしてた机。その上にある携帯が思考を塞ぐ。
千夏のアラームだったらしい。彼女が慌てて止めに行っていた。
「……申し訳ないんですが、私はもう行きますね」
「え、何かあったの? ちなっちゃん」
「はい。これから取材なんですよ。新聞部の方で」
「そうなのか」
「ええ、ですので早いですが、今日は失礼します」
では、と慌ただしく荷物をまとめて、千夏は出ていった。
やけに慌ただしい感じだったな。特別な取材相手でもいたのだろうか。
「あ、とおのんからLINEが来てる」
駆けていく千夏を見届けた後、雫がスマホを眺めながらそう呟いた。
「『2時限の終わりに3号館201教室に来ること!』だって」
確かにグループトークにはこんな内容があった。
そして、その直後に千夏の「今日は休みます」という報告が続いている。
「あれ。でも、今はとおのんって講義じゃ」
「……だよな。まったく、あいつは」
やっぱり、そうだよな。
……あいつ。だから単位を落としかけるんだ。
しかし、今の状況でとやかく言ってもしょうがないのは事実。
とりあえず言われた通り、遠乃の場所に向かうとしよう。拗そうだし。
「現在の時刻は11時54分か」
「ここから行くなら、ぴったりに着くんじゃないかな」
「そうか。じゃあ、あの馬鹿のために一緒に行くか」
「……うん!」
嬉しそうな雫に、不思議に思いつつ出る支度を済ませていく。
その時だった。机の上に置かれている古びた小箱が見えたのは。
この前の廃寺探索で、遠乃が見つけたという代物だ。
あれから色々開けようとしてるが、僅かな隙間も開かないらしい。
遠乃が言うには、見えない力で遮られてるようだと。
そんな問題を抱えた小箱。その周辺に剣呑な空気が立ち込めていた。
僕からすると――これから”何か”を招き寄せてしまうような負の空気だった。
根拠はない。根拠はない、けど……思い過ごしとは完全に否定できなかった。
「誠くん、どうしたの?」
「あ、いや、何でもないさ」
雫に声をかけられて、思考があるべき場所に戻された。
我ながら変なことを考えたな。仮にそうでも、何もできないというのに。
雫を待たせるわけにも行かないので、大急ぎで部屋を出ようとする。
その際に、もう一度だけ木箱が僕の目に飛び込んできた。
「……大丈夫、だよな?」
その言葉は、誰もいない部室に消えていった。
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