第8話 立ち上がれ、夕闇倶楽部

「もしもし。どうしたの? ……あれ、元気ないわね」


 電話に出た遠乃は、いつものように明るく振る舞っていた。

 おそらくはこの部室の現状を悟られないように、だろう。


「あたしの体調は大丈夫かって? 別に普通だけど……って、シズってば体調を崩してるの!?」


 正体は不明で、だが確かに存在する、そんな嫌な予感が強くなった。

 遠乃も同じ何かを感じ取ったのか、神妙な顔つきで僕を来るように促してきた。

 彼女の近くに寄り、女性同士の会話を盗み聞くことに気が引けつつ耳を傾ける。


『うん、大丈夫。ちょっと気分が悪くなって体が重たいだけ』

「そうなの。……いつぐらいから?」

『うーんと、お昼を食べた後だったから……12時すぎかな』


 それを聞いて、僕の心臓の鼓動が早くなった。

 僕が資料を読み始めた時には12時25分だったことを思い出したからだ。

 つまり遠乃が調査を開始してすぐの時間帯。これは明らかに偶然ではない。


「おい、それって!」


 焦りからか、頭に思ったことを口走ってしまった。

 遠乃からの「何やってんの!」と言いたそうな顔を見て、しまったと悔やんだ。


『……誠くん?』


 携帯電話から、底の知れない冷たさを帯びた声が聞こえてくる。

 どうやら僕の存在が気づかれてしまった、らしい。

 何故かは分からないが、笑い話で済まないことを直感的に感じた。


『なんで。なんで、誠くんがとおのんと一緒にいるの? 二人で何してるの?』

「えっと……。た、たまたまお出かけ先で出会ったの! それで、それで……」

『うそだよっ!!』


 聞こえてきた電話越しの声は、心の底から振り絞ったものだった。


『うそっ!! とおのんはいつもそう!! いつも――んのそばにいて!! 私は――が――きだってこと知っているのに!! ――き! うそつきぃ!!』


 嗚咽混じりで言われていて、途切れ途切れで内容自体はわからない。

 だが、雫の様子がおかしいことだけはわかった。それと誰かへの恨みも感じた。


『ズルい! ズルいよぉ!! どうせなら――とも殺し――』

「いいから! 落ち着いて!!!」


 そんな雫の激昂を静止したのは遠乃の声。

 必死なそれは、この場を落ち着かせるのには十分すぎるものだった。

 さっきまでの雫の叫び声も聞こえなくなくなり、部室内に静寂が訪れる。


「はぁ、はぁ……。シズ、大丈夫?」

『あ……』

「とりあえず、今は深呼吸ね。吸ってー、吐いてー」

『すー、はー、すー、はー』

「そうそう。どう? 落ち着いた?」

『う、うん……。ごめんね。私……!』

「落ち着いたならよし! 良いって良いって。別に気にしてないわ!」

「う……ぐすっ……」


 電話からは微かな涙声しか聞こえなくなった。どうやら収まったらしい。

 息をつくと、遠乃から「あっちに行ってなさい」と無言の圧力を受けた。


「うんうん。だからあいつとはそういう関係じゃないわよ。……もう、泣かないの! 話なら後でいっぱい聞くから、今は寝て。それじゃ、お大事に~」


 いつもの明るさを崩さず、遠乃が電話を切る。

 その直後。まるで糸が切れた人形のように地面に崩れ落ちた。


「遠乃!? 大丈夫か!!?」


 その姿に思わず駆け寄って体に触れる。彼女の体は恐怖や不安で震えていた。

 いくら遠乃でも、あの温厚な親友が豹変してしまったことに堪えたのだろう。


「なーに言ってんのよ。大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」


 心配していた僕に対して、遠乃は口元を吊り上げ、すぐに立ち上がる。

 そんな遠乃の強気な姿は、今の僕には空元気にしか見えなかった。


「本当に大丈夫か」

「あんたは心配しすぎなの! 今はあたしの心配より確かめることがあるでしょ」

「……千夏か」

「そう。シズがああなったんだから、あの娘もどうなってるのかわからない」


 それならば、安否を確認しなければならない。するより他になかった。


「今度は僕からかけるよ」

「……お願いね」


 さっきのあれで疲弊気味のこいつに代わって、僕が千夏に電話をかける。

 雫のようになってないかという不安と隣り合わせで、彼女が出てくるのを待つ。

 かけてから3コールの後、ぴったりの時に、電話に出てきた。


『……どうしたんですか、先輩』


 最初はいたって普通の受け答えだった。

 しかし、千夏の言葉を聞いても安心できなかった。

 むしろ喉に突っかかるような感覚が僕を襲い始めるのだ。


「……ちょっとあってな、休みの日にすまない」

『構いませんよ。私も先輩に電話をする予定でしたから』


 思いがけない千夏の言葉に驚いた。

 しかしやけに惰気に満ちた声色だ。……千夏も体調を崩しているのだろうか。


「そうか。何かあったか?」

『急に死にたくなってしまって。先輩たちにお別れを言おうとしていたんですよ』


 僕が本題を切り出すより早く、知りたかった答えを言ってくれた。

 しかし、予想もしていなかった千夏の言葉に呼吸が止まりそうになった。


「お、おい、早まるなよ!? それに君はそんなことを言う人間じゃ――」

「そうですよね。自分でも何がなんだかわかりません」

「わからないって……」

「はい、わかりません。でも、今すぐにでも楽になろうかなって」


 僕の必死な声にも、気が抜けた軽い感じで言い返される。

 まるでただの冗談であるように。――でも、これは本気のようだった。

 だけどこういう時に、無闇に止めるのが逆効果なのも分かっているつもりだ。


「頼む! 一日だけ待ってくれ!!」


 少しだけでも生きてもらう。その間に気が変わるかもしれない。

 それに、この呪いはもう1日しか猶予がないこともわかっていた。


『……そうしたとして、何があるというんですか?』


 ……彼女には、効果は薄かったようだ。

 さっきとは一転した、刃のような冷たさに気圧されそうになる。

 しかし、この場は耐える。失敗すれば、怪異は解決できても命は帰ってこない。


「君を助けられる、はずだ」

『…………』


 あえて言葉を飾らず直球に告げた。

 恥ずかしさはあったが、今の状況では強がらなければ逆に押し込まれる。


『……先輩。約束してくれますか?』

「ああ。僕に任せておいてくれ」

『そこまで言うのなら、わかりました。信じてますからね』


 一方的に電話を切られた。何とか首の皮を一枚つなげられたようだ。

 乗り切った安堵感と、それ以上の疲労が僕を襲ってくる。

 ……遠乃はこんなに辛いものを抱えて、元気を振り絞っていたのか。

 そういった気遣いが出来る点は、やはりあいつは尊敬できると改めて思った。


「どうだった? かなり切羽詰ってたみたいだけど」

「どうやら千夏も同じようになっていた。死にたいとか言ってきたぞ」

「……あの娘が!? 考えられないんだけど……」

「僕もそう思った。でも現に言ってきたんだ」


 吐き出すように言い放つと、遠乃は何やら考え込んでしまった。

 部室に沈黙が訪れた。静かになると、とある疑問が思い浮かんでくる。


 ――何故、この場にいなかった雫や千夏の呪いが悪化しているんだ?


 雫は調査を開始したと思われる時刻に体調を崩し初めた、と言っていた。

 それが意味する事実は、関わったら最後、どこに逃げても無駄ということ。

 ゲームをプレイした時点で、だんだんと自我を失い、最終的には人で無くなる。

 だが、そうやって結論付けた時に、どこか引っかかってしまうのだ。

 もはや言葉という概念で纏めることのできない違和感。

 今まで調査中に感じることはあったが……何を意味していたんだ?


「あーもう! 考えてもしょうがないわ! 考えるより動く!」

「……ああ、わかったよ」


 あれこれ考えていたが、確かにその通りだ。止まっても駄目なら進むだけ。

 そう考えた僕がゲームを再開しようとした時、遠乃が手で制してきた。


「おい、何するんだ」

「交代よ。こっからはあたしがプレイする」

「はぁ!?」


 この状況で、何で交代する必要があるんだ。

 睨むことに近い視線を送っていると、遠乃はそれより強く睨み返してきた。

 彼女の目には強い決意が込められていて、僕は黙ってしまう。


「ゲームの中にありそうな手がかりは、あたしが見つける。良いわね?」

「……わかった。それで、僕は何をしていればいい?」

「今までの情報から呪いを解決する方法を探して。そういうの得意でしょ?」


 ……簡単に言ってくれるな、遠乃は。

 現状でゲームに手がかりがなさそうな以上、つまり僕の思考次第になるのだ。

 そんな重大な責任を取ることができるのか? 今もわかっていないのに?


「おいおい、僕を超人と勘違いしてやいないか? そんなことできるわけ――」

「できるできないじゃない、やるのよ。あたしは誠也のことを信じてる」


 そんなに強い期待を向けられたって、どうしようもないんだ。

 僕は推理小説に出てくるような探偵じゃない。驚く真相なんて見えてない。

 ――だが、遠乃の堂々とした力強さと、怪異の未知が僕の目の前にあるなら。

 ちょっとでも足掻いてみよう。そんな気持ちになれるんだから不思議だった。


「ねぇ誠也、あたしたちの活動理念を忘れてないわよね?」


 唐突に聞かれた質問に、意識が向かった。

 ……この倶楽部の活動理念か。それなら覚えている。

 例え今のような状態になったとしても忘れない。それは――


「日常に潜む怪異の正体を暴く、それが夕闇倶楽部よ!」


 それは、僕にとって聞き慣れた言葉だった。

 夕闇倶楽部の存在意義にして、比良坂遠乃の行動理由でもあるから。

 いつもの僕なら聞き流しただろう。しかし、今の状況なら心強く感じた。


 ――そうだ、考えろ。

 今の僕たちが未だに解明できていない謎はいくつかある。

 何故、雫と千夏の呪いが僕たちと同じように進行したのか?

 何故、僕はゲームをプレイするまで呪いが自分に起きていなかった?

 クリアすることのできない呪いのゲーム。現状で説明ができていない不明点。

 きっとその謎の先に、呪いを解明する方法がある!


「……できることはしてみるよ」

「うん、いい顔。それでこそ誠也よ! ゲームはあたしに任せなさい!!」


 いつも以上に頼もしく感じる遠乃の声。そして僕は思考の海に身を投じた。

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