激痛が収まる。はぁ、はぁ、と過呼吸になりながら、ラーナは目を開く。

 意識は失わなかった。ずっと、戦場の幻を見ていた。あれは……漆黒の翼と鋭く赤い右手を持った、あの少年は。

 ガチャ、と実験室の扉が開き、三人の男が入ってきた。ラーナが意識を失っていないとは、誰も思っていないらしい。

 ……今なら、もしかしたら。

 ラーナは再びまぶたを閉じる。アスプロス内の全ての意識を知覚。すぐ傍にある三つの意識を対象とし、【意識接続リンク】を開始する。

 接続。繋がった男たちの意識へ、ラーナはそっと語りかける。


『……私は、貴方たちの上にいるよ』


 目を開いて上体を起こし、辺りの様子を即座に把握する。男たちは三人揃ってラーナの嘘の通り頭上を見上げている。彼女を見ているのは部屋の隅に設置された監視カメラだけだ。

 今……っ!

 ラーナは頭に接続された機械を乱暴に外し、白い扉を開いて実験室を飛び出した。


「なっ……!」

「に、逃がすな! 殺せっ……!」

「ばか! ナンバー2は覚醒寸前だぞ! 捕まえろ!」


 鳴り響く警報。そんなものがあったのかと今更ながらに思うが、そんなことよりも背後から聞こえてくる男たちの声にラーナは少しほっとした。

 予想通りだ。今のラーナは兵器として覚醒する寸前の状態にある。それをただ脱出を図られたからといって殺すような真似はしないだろう。〈シィーラ〉はまだ、個体数が少ない。

 だが、問題はここからだ。アスプロスから抜け出して、あの戦場に向かわなければならない。幻で見たあの少年に、会わなければならない。

 ……なぜ飛び出したのだろう、とふと思った。その確信もないのに、なぜこうして命をなげうつような真似をしているのだろう。

 今じゃないと……もう会えない気がしたから?

 そんな不穏な考えがラーナの頭をよぎった直後、廊下の角から複数人の白衣を着た男が現れた。全員が手に銃を持っている。殺す気か……いや、麻酔銃だろうか?

 だが、どちらにせよラーナには関係ない。ただ突破するだけだ。


「【意識接続リンク】……!」


 ラーナは立ち止まり、目の前の男たちと意識を繋ぐ。彼女だけにしか見えない、男たちへ伸びる透明な糸。それらを全て手に掴み、勢いよく引き千切る。

 ガクン、と男たちはその場に倒れた。意識を失っている。それに一瞥もくれず、再びラーナは駆け出す。

 アスプロスの構造はラーナには分からない。だから、ひたすら闇雲に走る。

 途中何度も現れる白衣の男たちを、意識の糸を切ることによって気絶させ、アスプロス内を走り回る。あまりに暴れていると殺されかねないから、早く出口を見つけなければ。

 その時。純白のアスプロスには似合わない、真っ黒な暗闇の廊下の先にぽつんとある白い扉を見つけた。はぁ、はぁ、と息を切らしながら、立ち止まってじっと見つめる。不思議と引き込まれる光景だった。

 タッ、と一歩を踏み出す。二歩、三歩。もう、止まらない。暗闇の中を歩き、そっと扉を押し開ける。

 眩しい光と風がラーナを包んだ。人工のものではない光と、長らく感じていなかった風。これは。


 ――檻の、外。


 眩しさに目が慣れてくる。幻で見た戦場とは少しだけ違う荒野。

 そして、空中で羽ばたく漆黒の翼を持つ少年。

 目が合った。


「……っ」


 フッと意識が飛んだかのように、少年はちた。ラーナは思わず駆け寄り、抱き起こす。

 幻で見たよりも、少年は遥かにボロボロだった。ここに飛んでくるまでに傷が開いたか……それとももう一度砲撃を受けてしまったか。いずれにせよかなり危ない状態だということは、傷口から流れ出る血を見れば分かる。だが、助けようにもラーナにはどうすることもできなかった。

 ラーナは、彼が誰なのか分かっていた。


「ガシュア……?」

「ラー……ナ……?」

「……っ!」


 心では、答えてほしくないと思っていた。大切な幼なじみがこんな変わり果てた姿になっているなんて、考えたくなかった。

 でも。彼がガシュアであることは間違いない。このアスプロスで、ラーナを名前で呼ぶのは彼だけなのだから。

 ガシュアは目を開き、ラーナの姿を見る。アスプロスに収容される以前から随分成長した、幼なじみの姿を。


「……綺麗に、なったな」


 にこり、と笑った。

 瞳から涙が零れる。言葉がつかえて、ラーナは何も答えられない。


「見てたん……だろ……? 俺が……戦っているところを……」


 見ていた。幻で。相変わらず言葉は紡げず、こくんと頷く。


「やっぱり……か……。どこかで……感じてたよ……」


 繋がっていた、と。ガシュアは言う。


「でも、もうすぐ……この繋がりも切れる……な……」

「む、昔……さ」


 ラーナは何とか言葉を絞り出す。それ以上は言ってほしくなかった。言わせたくなかった。


「私たちが出会った時のこと……覚えてる?」


 ガシュアは一瞬きょとんとしたような顔をして、ふふっと笑った。


「覚えてるに……決まってるだろ……? 俺が独りぼっちでいたところに……ラーナが手を差し伸べてくれた」


 懐かしむように言うガシュア。ラーナの瞳からは、涙が止め処なく溢れていた。


「うん……それから仲良くなって……ずっと、ずっと一緒にいた」

「あぁ……楽しかったな、あの時は……」


 もう、ラーナは何も言えなかった。涙がぼろぼろと零れ、ガシュアの胸を濡らす。


「泣くなよ……ラーナ。これが君の見たかった……世界の景色だろ……?」


 泣きながら頷く。だが、ラーナの視界は涙で溢れ、ガシュア以外のものは何も見えていない。


「……そろそろお別れ……だな……」


 消え入りそうな声でガシュアは言う。その言葉に、ラーナは涙を流したまま、それでもじっとガシュアを見つめた。

 にっとガシュアの口角が上がる。


「……一回しか……言わないからな……?」


 ガシュアの赤い右手が、そっとラーナの頬に触れた。



「ありがとう、ラーナ。大好きだよ」



 まぶたが閉じる。頬から右手が離れる。

 呼吸が、途切れる。


「あ……っ」


 まだ。

 何も伝えられていないのに。

 何も話せていないのに。


「あ……あぁ……っ」


 ガシュアは全てに満足したような表情で、ラーナの腕の中で静かに、動くことなく眠っていた。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 ふわり、とラーナの体が浮き上がった。彼女から発される純白の光が、世界の全てを包み込む。


虚無の世界ナッスィングネス】。それは全ての〈シィーラ〉が持つ、本人たちにも自由に扱うことのできない最強の力。

 心や精神の大きな歪みによって暴発し、その範囲にあるもの全てを虚無へと消し去る爆発を引き起こす。そしてその爆発距離は、発動者の不の感情の度合いに比例して大きくなる。


 ラーナの哀しみが、怒りが、絶望が。

 この世界を消滅させた。

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