#4 バッターとして言わせてもらえば
おれはおとなしくニュートンに従うことにした。
無茶苦茶なやりかたで結ばれたとはいえ、約束は約束だ。アメリカの名にかけたとあっちゃ、そうやすやすとは裏切れねえ。愛国心ってものがあるからな。アメリカ人でいるのもそうラクな話じゃない。
オレは急いで支度をはじめた。
戦いに役立ちそうなものをなんでもかばんに詰めこんだんだ。
ユニフォームにバット、ボール、マーガリン、一切れのパンとナイフ、ランプ、綿棒、またたび、靴クリーム、霧吹き、チーズ、薬莢、パスタ、ピザカッター……。
……いや、ピザカッターは要らないだろう。いくらなんでも。
そう思ってオレはピザカッターを荷物から外し、代わりにモグラの剥製を詰めこんだ。
「なんだ、どういうつもりでモグラの剥製を持ってきた」
おれと落ち合ったニュートンは、おれの荷物を見て開口一番そう言った。
そこでおれは言ってやったね。
「おいおい相棒。これはただのモグラの剥製じゃねえよ。なかにラベンダーが入ってる。緊急でリラックスが必要なとき、これが最高だ。精神を落ち着けないとヤバイってとき、このモグラを……」
「ジョー。わかった。もういい、行くぞ」
ニュートンはそういってきびすを返して歩きだした。
それきり、やつはおれの荷物にとやかく言うことはなかったね。言い返せなかったと見たぜ。あんまり口がうまいってやつでもないみたいだったな。
おれはニュートンを言い負かしたのに気をよくして、ニュートンのあとをついていった。
「で、りんごはどこにあるんだよ」
「今はラスベガスの上空に浮かんでるはずだ」
そうニュートンは答えた。
そう、ラスベガスだ。今は海の底にあるあのラスベガスだよ。
だが、そのころのラスベガスは浮遊大陸だったんだな。なぜなら、何度も言うようだけど、そのころにはまだ重力はなかったからな。
だから、当時のラスベガスは砂漠が空中にぷかぷか浮かんでるだけだったさ、空中に浮かんでる砂漠ってのは、だいたいただの砂と岩の雲だな。遠くから見るラスベガスはひっくり返したおばあちゃんのプティングみたいな風情だった。
オレとニュートンは地面を蹴って、陸から陸へと飛んで渡っていった。重力がなかったころはそうやって移動するしかなかったから、みんなだいたいそうしてた。なにもない空間に飛んで行っちまうとかなりやっかいなことになるが、そのころのほうが移動は楽だったと思うよ。
旅は順調に進んだ。おれたちは行く先々で、大きなくじらの背中にテントを張ってキャンプしたり、空中に浮いてるモーテルに泊まったり、そのへんに浮かんでるベッドで眠ったりした。とくに困ったこともなかったね。これも何度も言うことだが、昔はなんだって今より簡単だったのさ。五日とちょっとの旅を経て、おれたちはうまいことラスベガスにたどり着いた。
「着いたな。戦いに備えるんだぞ。ジョーよ」
そう言ってニュートンはラスベガスを指さした。
ラスベガスを近くで見るのは初めてだった。それは大きな砂と岩がぷかぷか浮きながら寄り集まったやつで、ゆっくりと回転していた。遠くで見た時には見えなかったが、緑色のサボテンなんかが砂に混じって浮いてるのも見えた。
しかし物寂しい風景だったね。どうやら人は住んでないようだった。大きい岩の上に建物の残骸みたいなものが見えたが、ゴーストタウンってやつなのかな、ほとんどの建物は壊れていた。
「もうちょっと近づこうぜ」
おれはそう言った。
まだ残ってる建物に入れば、使えるベッドぐらいあるかもしれないからな。
そこで休んでから、戦いとやらを始めようって思ったのさ。おれもバッターとしては体調管理を無視するわけにはいかなかったからな。
しかしニュートンはおれを止めた。
「待て。いるぞ」
「なにが?」
「……りんごの樹だ」
ラスベガスの向こう、ちょうど影になっているところから、それが姿を現した。
……なんて説明したらいいのかな。
あれは、何にも似てなかったね。
初めに見えたのは翼の先だったが、すぐに全体が見えたよ。
たしかにそれは樹らしかったし、赤い実がふたつ生っていた。
リンゴの胴体……いや幹かな? 幹は青銅みたいな色とつやをしていて、想像していたよりつるっとしていた。根はいくつも枝分かれして空中に伸びていて、無数の細かい光のつぶみたいなものが先から胴体のほうへ、するすると移動して吸い上げられ続けていた。
翼……いや枝か。枝は大きなシダの葉みたいな形で、枝にくっついた葉の一枚一枚はガラスみたいに透けていた。六本の枝を雪の結晶みたいに広げると、本当に大きくて、ラスベガスの半分を覆いつくすぐらいだ。ステンドグラスかなにかみたいだったよ。まるで大聖堂の屋根なのさ。
翼の中心にある二つの実は、まっすぐ見れないぐらいまぶしくてな。心臓の鼓動みたいに光が暗くなって明るくなってを繰り返すんだが、見ているとそれだけで頭が変になりそうだったよ。あんな暖かくて残酷な光は見たことないよ。どんな星もあんな風に光りはしないよ。
りんごは丸く広げた羽根をぐんとすぼめると、流れ星みたいにすっ飛んでこっちの横あいに回りこんできた。その空を飛ぶスピードは、バッターとしての動体視力から見てもなかなか大したもんだった。
「リンゴだぞ。見えているのか?」
「見えるかって? 見えるさ。よく見えるよニュートン。あれがりんごだってか?」
「そうだ。あれがりんごだ」
「バッターとして意見を言うなら、ちょっと見送った方がいいんじゃないかね」
「バッターとしての意見か」
ニュートンは皮肉っぽく笑った。
笑ってくれたのは救いだったね。
それでスッとおれの心にも余裕ができた。おれは怖くて泣きそうだったからさ。
「野球の戦いは球を遠くに飛ばせば終わるだろうが、戦士の戦いは相手を殺すまでは終わらないのだ」
ニュートンはそう言って、斧を構えた。
おれも我に返ってバットを構えた。
「覚悟はいいか?」
「今さら言うなよ、相棒」
「恐ろしいのか?」
「チアガールがいないのに慣れてないんだ」
「ふん」
「いこうぜ、相棒。終わったらビールでも飲もうぜ!」
オレたちは同時に地面を蹴り、りんごに向かってすっ飛んでいった。
早く戦いたかった。怖かったから。
早く戦いを始めて、目の前の瞬間のこと以外を消してしまいたかった。戦いよりも戦いを始める前の方が怖いんだ。ニュートンも同じ気持ちだったと思う。
たぶんだけど、確かさ。
ネイティヴアメリカン・フリーズ 枕目 @macrame
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