#3 両方食っておけばよかったのに

 ニュートンは話しあいも野球もできないやつだった。

 戦うことしか頭にない野郎だった。

 あいつは何とでも戦ったもんだ。犬の頭を斧でかち割ることもあったし、グリズリーと戦うこともあった。ゾンビの群れとホームセンターで戦うこともあれば、バカでかい怪獣によじ登って心臓をひと突きすることもあった。

 本当に野蛮な野郎さ。

 ニュートンは相手がだれであっても容赦しなかった。女子供でも平気で頭を叩き割った。相手が物乞いだろうが、ペリカンだろうが、カワイイ着ぐるみだろうが、頭のついている相手なら何でも、容赦なく斧を振り下ろしたのさ。

 だから、相手がりんごでも本気で戦うのさ。

 ところが、りんごってのは強かったんだな。

 そのころのりんごってのは、今のりんごとはぜんぜん違ったんだ。そのころのベースボールが、今のベースボールとぜんぜん違ったみたいにな。

 そのころのりんごの樹は、全身がかたい鱗に覆われてた。

 ばっさばっさ羽ばたいて空を飛んだ。

 そいつの背中……背中といっていいのかわからねえが、そこから六つの枝が生えて、それぞれの枝には緑色のセロファンみたいな葉っぱがぎっしり生えていた。それで羽ばたいて空を自由自在に飛び回るんだ。

 りんごは興奮すると真っ赤に燃え上がった。いや、りんごの気持ちはわからねえから、興奮してたかは知らないが、とにかく刺激すると炎を全身から噴き出した。そういうときは樹全体が燃えてる石炭みたいに光って、赤々とした火炎がその全身をすっぽりと覆うのが、どんなに明るいときでもよく見えたさ。

 樹の中心には大きな赤い実がふたつ生っていて、そのそれぞれに光る眼が三つあって、それぞれの眼に瞳が七つあった。

 根っこは無数の触手になっていて、その触手のぬらぬらは肉を腐らせる毒だった。そのぬらぬらが体についたら最後、定命の者だったらだれもが死に至る。

 さすがのニュートンも、ちょっと手こずる相手ってわけ。




「それ、本当にりんご?」


 息子はそう問いました。


「ドラゴンか何かみたいに思えるけど」

「それを今から話そうってわけさ、坊主。そう、ドラゴンか……いいところを突いてるぜ。あのころはりんごもドラゴンもそんなに違いはなかったんだ。どちらかというとドラゴンはりんごの一種だったな。いや逆か。リンゴってのはドラゴンの一種……まあいいか。最後まで話を聞いてみろよ」




 ニュートンは野蛮なヤツだったが、けっしてバカじゃなかった。有能な戦士ってやつはバカじゃあなれねえんだ。

 ヤツは考えた。りんごは真正面から戦って斧で頭をかち割れる相手じゃない、ってな。もっともな話だぜ。だってなにしろ頭がないからな。

 だから、これは仲間が必要だって、そう考えたんだな。

 ほかのヤツと一緒に戦えば勝ち目はあるってな。

 なかなかいい考えさ……。

 でも問題があった。仲間になりそうな戦士がいなかったんだ。

 なにしろ、ニュートンはこれまで、出会った戦士という戦士のほとんど全員をぶっ殺しちまってたからな。あいつは戦士には誰でも戦いを挑んで、ぜんぶ勝ってきた。だからヤツのいたミシガンのあたりじゃ、頭のある戦士は一人も生き残っちゃいないぐらいになってた。もちろんヤツ自身を除いてな。

 そんなやつの仲間になろうって戦士はいないだろうよ。ほかの州の戦士たちも、ネイティヴアメリカンの戦士たちも、ニュートンの仲間になろうとはしなかった。アメリカ海兵隊の戦士も、KKKの戦士も、FBIの戦士も、共産主義者の戦士ですら、断った。だからニュートンは戦士を仲間に加えることをあきらめるしかなかったんだ。

 でもニュートンはそれでりんごとの戦いをあきらめる男じゃなかった。有能な戦士ってやつはあきらめが早くちゃなれねえんだ。

 ニュートンのやつは考えたね、戦士がだめなら、戦士と同じように戦える者を仲間にするしかないとね。

 ヤツはよくものがわかった男だったから、ちゃんと知ってたのさ。紅蓮の炎をまとったりんごの樹と渡り合って倒せるほどの男は、戦士たちを除けば、ニューヨーク・ヤンキースの中にしかいないってな。

 そこでおれ、ニューヨーク・ヤンキースの四番バッターのジョーが指名されたってわけだ。自分で言うのもなんだけど、なかなかの人選だったと思うぜ。

 そのころの俺はアンデッド・ジョーじゃなくてただのジョーだった。不死者じゃなく、定命の者だった。肌はプニプニで、目ん玉も剥きエビみたいにぷりっぷりだったのさ。はちきれんばかりの筋肉が体を包んでたさ。

 そんなわけで、ニュートンは俺を指名した。

 もちろん、俺だってハイそうですかと言うわけにはいかねえ。俺はバッターとしての使命があったし、どう考えてもりんごの樹をバットでぶったたくことがそれより大事だとは思えなかったんだ。

 だから俺は言ったね。


「なあニュートン、あんたの風船割りゲームに参加する気はねえよ。俺には野球って使命があるんだ。ユニフォームでびしっとキメて、神聖なグラウンドに立って、ニューヨーク・ヤンキースの列の四番目に並んで、相手のチームにお辞儀するって使命がな」


 俺の声は震えてたが、かまわずしゃべり続けた。しゃべらないとちびっちまいそうだった。なにしろ目の前にいるのはあのニュートン。

 狂戦士アイザック・ニュートンだったんだからな。


「あんたによっぽどの事情があるのはわかるよ。よっぽどの事情がなければ、ミシガンの戦士全員の頭を斧でかち割るなんて出来ねえよな。でもよ。あんたのその事情と、俺がバッターとして相手チームにお辞儀するって使命、どっちが重いかなんて比べようがないんじゃないかな」


 するとニュートンは斧を取り出した。

 俺はびびったんだが、やつはその斧を置いたね。

 いわば武装解除ってわけだ。ヤツはヤツなりに敬意の表し方ってものは知ってたらしいぜ。まあ、置いたって言っても重力がなかったから、空中に置いたんだけどな。

 ニュートンはあらたまって話し始めた。


「あれはただの林檎ではない」


 それからあいつは、言葉を選ぶみたいにしばらく黙った。


「あれは……エデンの樹だ」

「なんだよそりゃあ」

「神はかつて楽園を創った。そしてその楽園、エデンに二つの樹を植えた。ひとつは知恵の樹」

「アダムとイヴが食ったってやつかい?」

「そうだ。そしてもうひとつが、あの生命の樹だ」


 ニュートンは俺の目を見てしゃべってたが、実際のところ、ずうっと遠くを見てるみたいなツラしてたね。本当は俺のことなんてどうでもよかったのかもしれないな。


「知恵の実を食べた人間は、知恵を手に入れた。そして生命の樹の実を食べた者は、生命を手に入れることになる」

「俺だって命ぐらいあるぜ」

「違う。そんな生命ではない。永遠の生命だ。無限に続く命だ。無限に続く若さ。無限に動く心臓、無限に考える脳、そのすべて」

「それが目当てだってのか?」

「そうだ。どんなにすばらしい知恵をもつ者であっても、寿命には勝てぬ。その本当の理由は、なぜかわかるか?」

「わからねえな」

「さっき名を出したろう。アダムとイヴが悪いのだ。最初の人間が悪いのだ」

「そうかね」

「奴らはエデンで永遠を生きていたというのに、知恵の果実だけを食べたがゆえに、楽園を追われて死すべき運命となった。わずかな知恵と引き換えに、永遠を失ったのだ。両方食っておけばよかったのに!」


 ってさ、預言者みたいなふうに言うんだよ。


「われわれの生命は本当の生命などではないのだ! これはまがい物の命だ! だから斧で頭を叩き割ったぐらいで死んでしまうのだ! どんな賢者でも、死ねば、その知恵は脳髄の中で揮発してしまう。世界の秘密を解き明かすには、人の一生は短すぎる。だから永遠を手に入れなければいけない! あのりんごを食わなければいけない!」


 正直、その時の俺には、ニュートンは狂っているとしか思えなかったね。

 だって目はぎらぎら光ってたし、人間の作るいろんな表情がぜんぶ混ざったみたいなめちゃくちゃな顔をしてたからな。

 でも、実際のところ、ニュートンはそこまで狂ってもなかったんだが。

 というか、ニュートンはニュートンなりにわりあい正しいことを言ってたんだと思う。やつの言うことは、大筋では何も間違っちゃいなかった。

 でもそれを俺が知ることになるのは、もうちょっとあとの話でさ。とにかくその時はこいつはいかれてるんだってばかり思ったね。

 そういうことって、人生よくあるんだよ。


「それは無法ってもんだぜ」


 おれは怖いのをがまんしてようやく口をはさんだ。


「そんな事はやらせちゃおけねえよ。この世界にはこの世界のやり方ってもんがあるんだ。死んだら死ぬのが道理ってもんだぜ」

「そうか、なら仕方ない!」


 ニュートンはそう言って、ロープを俺の体にひょいってかけた。

 投げ縄ってやつだな、カウボーイ式だ。

 ヤツがロープを引っぱると、おれはふん縛られたんだ。

 ヤツはしばった俺を暗黒空間にぶん投げた。

 重力がない時代は何もかもよかったが、あれだけは本当にひどいもんだった。何もない宇宙の暗闇に向かってぶん投げられるってのは、ひどいもんなんだ。本当に。

 ニュートンの野郎は、おれにロープをつけて、暗黒空間に投げ飛ばしたわけだ。

 そんな無法をやっておいて、こう訊くんだよ。


「どうする? そのまま星々の合間に飛んでいくか? お前の飛行を止められるのはこのロープだけだが」


 その時点で、おれのからだは何十フィートかは飛んでたね。

 ニュートンがロープの端をつかんでちょいっとブレーキをかけると、俺の吹っ飛ぶスピードはだいぶゆっくりしたものになった。

 とはいえ止まっちゃいなかった。満点の星空にゆっくりゆっくり落ちていくなんて、ちょっとぞっとしねえよな。


「どうする? このニュートンの従者になってりんごと戦うか? それとも永遠の夜に向かって落ちていくか? ふたつにひとつだ!」


 ニュートンはもちろん本気だった。

 本気も本気さ、もともと冗談なんて言えないやつなんだよ。

 だからおれは叫んだ。叫ぶしかなかった。


「わかった! まいった! お前の仲間になって戦ってやるよ。りんごはバットで吹っ飛ばしてやるさ! だから下ろせ!」

「信用できん!」

「そんなこと言われても!」

「誓え! 誓いを立てろ!」

「わかった! 誓う!」

「いいだろう。なにに誓う?!」

「聖書に誓う!」

「だめだ! お前は聖書なんか信じていないだろう!」

「……わかった! ニューヨーク・ヤンキースの名にかけて誓う!」

「だめだ! もっと大きなものに誓え!」

「バカにするんじゃねえ! チームに誓いを立てることがどれだけ重いか――」

「否、馬鹿にしてなどおらん! だが足りん! もっと重みが必要なのだ!」


 ニュートンがおれに叫んでいるあいだも、おれはだんだん遠ざかっていくんだ。


「さらに大きなものに誓え! 個人を超えたものに、人間を超えたものに誓うのだ! 人間が限界を超えるためには、人間を超えたものを求めるしかないのだからな!」

「……わかった。おれはこのアメリカ。アメリカにかけて誓う!」

「アメリカにかけて誓うのだな?」

「そうだ!」

「未来のアメリカに誓うのだな! これから存在し得る、あらゆるアメリカの可能性のすべてにだな?!」

「そうだ! それでいいよ!」

「よかろう! しかと聞いたぞ!」


 ニュートンはロープをぐいと引っぱると、おれを引っ張って墜落させた。そのころはまだ引力ってのがなかったから、男ひとり落とすのにもロープを引っ張らなきゃならなかったのさ。

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