能力者ではない二人
「おっぱいが揉みてー!」
「急にどうしたんだよ?」
関川が(本人曰く)下品な微笑みを浮かべている頃、授業中に大きな声で(誰が見ても)下品なことを叫ぶ渋谷に、クラス中のみんなの視線が突き刺さる。
浪川は渋谷の隣の席なので、近くでこんな爆弾発言を連発させるのは少し嫌気がさす。
「おっぱいは男の夢だ!」
「だから急にどうしたんだよ」
「いやー、居残り課題がたまりにたまったもんだからよ、なんか甘えたい気持ちになってな……ほら、男の帰化するところって、結局はおっぱいだろ?」
「はいはい」
周囲の生徒の視線なんざ気にも留めずに、映像上の教師は生徒に工学基礎を教える。
盟誓学園は全日制だが、授業風景はどちらかといえば通信制に近い。
共働き夫婦が多く、子供と接する時間の少ない親が多い現在では、教師は親と同様に、子供の基礎的な人格形成を担う重要な役割とされている。
しかしストレスの多さ等が原因の退職率の高さや、人員不足による教師の多忙化、度重なる不祥事による教師の社会的地位の低迷により、教師という職は大きな改革を余儀なくされた。
まず変わったのは、担任制度の廃止だった。小学校でも教科別に教師が割り振られ、ホームルームは学校配布の情報端末によって行われる。
そして体育などの実技教科以外は全て映像授業で行われるようになり、大幅に学習効率が向上した。教師もいちいち教室を行ったり来たりする必要が無くなり、多様化しすぎた教師の役割がしっかりと分担され、専門化した結果、日本の教育は目覚しい発展を遂げる事となった。
しかし、せっかくの教育設備なのに、授業を殆ど真面目に聞いてない人達も一定量存在する。それが主にこの二人だ。
授業の内容は全てストレージに保存されるので、ノートをいちいち取る必要もないし、今授業を聞き流しても、提出課題をやるときに復習がてら授業を再生すればいいだけ。効率化されすぎた授業はまるでクッション性の椅子のようで、座り心地ばかりが良くて精神がとことん堕落してしまう。
「それでよ、明日宿題手伝ってくれねーか?」
「話が急だな……また大量に出されたのか?」
「おう、テストで役に立たなそうな場所ばっかりな。さすが自称進学校!」
劣等生に配られる課題なんて、ただの見せしめに過ぎない。とりあえず難しい問題を集めて、とりあえずたくさん重ねればいいだけ。
「ったく、なんで紙なんだよ。データにするのが面倒だからって!」
「仕方ねーな……学年室から答えパクってくか?」
「え?答えなんてあるのか?」
「一応採点しているんだろ?だったら学年室に行けば答えの用紙ぐらいあるはずだろ。確か学年室の奥の教材置き場のロッカーの上から……」
「おい待て、お前なんでそんなに詳しいんだ」
渋谷が胡散らしいとでも言いたげにジト目で浪川を睨む。学年室の教材置き場なんて、いくら技術科生徒といっても滅多に入ることはない。
「ああ、これでも生活指導の山門Tとは仲良くしてるからな」
ここでの『仲良くしてる』とは、『よく叱られている』という自嘲を含めた皮肉だ。
「あいつがちょくちょく愚痴ってたりとか、教材置き場に足を運んでたりするところを見ていただけだよ。教科書の中身なんて全部端末に入ってるのにわざわざ紙の教材を漁るなんて、お前みたいな出来の悪い連中のためなんだろうな」
「よく見てんな~……」
「初めから知ってたけどな」
「マジかよ……ってじゃあなんで今まで教えてくれなかったんだよ!」
隣の席から襲いかかってくる渋谷の両腕を、浪川も両腕で掴む。渋谷も膂力はある方なので、抑え込むにはそれなりの力を用する。渋谷が暴走すると、浪川が抑え込むのが日常風景となっていた。
気紛れに手を離すと、頭をふるふるとさせて、話を戻した。
「それじゃあ今から取りに行こうぜ、授業休んでさ!」
「今からか?」
「今からだ。言っとくけどお前に拒否権はない」
「はぁ?」
「いいじゃん。後で焼き鳥奢ってやっからさ」
思い立ったら即行動に移すのも、この男の特徴だ。
『直感馬鹿』『ポンコツ』『暴走機関車』──彼に付けられたあだ名の数々が、この男の性質を物語っている。一度何かをやろうと決めると、彼は基本留まるところを知らないし、周りの声なんて一切気にしない。
その素直な性格が幸いして、彼は友達に恵まれているが──ポンコツな性格が災いして周囲の人間を巻き込むのも、よく見る光景だ。
「よし!それじゃあ夢と希望のワンダーランド、学年室へGO!GO!」
「そんな景気のいいもんでもないだろ、ったく……」
周囲の生徒の白い視線に耐え、浪川は嫌々、渋谷に同行する羽目になった。これでいて全く悪意がないというのもまたタチが悪いが、彼の善意に助けられた身としては、浪川も無碍にし難い話だった。
──────────◇◇◇──────────
妙に浮かれた一年生に、廊下ですれ違う人たちが奇妙な視線を向けるが、当の本人は一切配慮なくルンルンとステップを刻む。
大体の人々はただの変な人だと思って避けているが、一部の教職員は、入学式の時に壇上で華麗なる雄弁を振るっていた関川春香であることに気がつき、二度見する。
「今日はなんだかいいことあるかもな~♪」
可愛らしい少女がまるでCMの謳い文句のような言葉をつぶやき、笑顔で歩く姿はよく見れば様になるが、普通に見れば変な人である。
ふと前から廊下をかける音が聞こえて、関川はようやく我に帰る。ついでに音の持ち主はよく見知った顔だった。
「おう!関川!」
「あれ?渋谷くんに浪川くん……?」
授業時間中だったので、余程の用事がない限り外に出ることはないはずなのに、二人と廊下でエンカウントしたことに彼女は驚きを隠せずにいた。
「今はまだ授業の時間じゃないのですか?」
「……アホかお前、なんで声かけた。そりゃ疑問持たれるに決まってんだろ。行くぞ」
隠しきれない小声で浪川がボヤき、関川を巻いて逃げようとしたが、不審な行動を怪しんだ関川が制止を呼びかけた。
「何処へ行かれるのですか?」
「トイレです」
「トイレなら教室のすぐそばにありましたよね?なぜ其方を利用しないのですか?」
「そりゃその……アレだ!」
浪川は一瞬で論破されるの渋谷にただただ呆れるしかなかった。もう少し真っ当に弁明する算段はなかったのか。
浪川は直接的な関係はないし、別にこのまま放置してもバチは当たらなさそうだが、今は渋谷の為にも呑気にしてる場合じゃない。浪川は尽かさず助け舟を出す。
「少し道に迷ってたんだ。腹が痛むんでちょいと錯乱してたみたいでな」
「そのような様子はありませんが?」
「え、バレた?」
「……………………おい」
──涼介の予想を裏切る渋谷自身の無条件降伏によって、劣等生二人の細やかな叛逆劇に終止符が打たれた。
教師と関川に、この後かなり叱られたのは言うまでもない。
渋谷「……まぁほら、楽しかったじゃねえか!な?」
浪川「どこが?」
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