第5話「ブロマンスVS……」
自分は父親の背中を見て、そして亡くなった父親の想いを受け継いで、まるでそれが定められた運命のように日々を過ごしていた。
無論、不満なんて無い。
父親と同じ誇りを得た自分を、自分自身で認めることができた。
しかし、そんな日常に劇的な変化がもたらされる。
それは加害者家族の母親が自宅にやってきた、更に翌月のことだった。
老人ホームで一番忙しい夕食の時間帯。
居室の利用者を食堂までお連れしたり、食事の準備をしたりと手間がいくつあっても足りなやしない。
小走りで施設中を動き回るなかで、事務所の窓口に佇む同い年くらいの髪の長い綺麗な女の子の後ろ姿がふと視界に入った。
面会に来た誰かのお孫さんだろうか。
少し歩く速度を緩めてしまったが、食事の準備が遅れていることを思い出して再び小走りを始めた。
「おい藤宮、玄関で待ってんのお前に用事があるみたいだぞ!なんだなんだ、めっちゃ可愛い子じゃねえか!!」
事務所を通り過ぎて暫くした後に、追いかけて来た職場の先輩がそう言った。
「知り合いか?もしかして彼女とか?」
興味深々の先輩には申し訳ないが、彼女なんて生まれてこのかた居やしないし、居るはずもない。知り合いの心当たりすらなかった。
それは兎も角として、用事があると言っているのだから行かなければならない。
「いえ、多分知らない人です……スミマセンちょっと抜けてきます。後をお願いしてもいいですか?」
「おうよ、任せておけ。面白い話だったら後で聞かせろよっ」
そう言うと先輩は途中だった仕事を引き継いでくれた。
通り過ぎた事務所へ引き返して玄関前まで向かうと、今度はこちらを向いていた女の子が小さく自分に会釈をする。
あ、
ああ、
再び会うのは11年振りだったが、それがあの子だったというのがすぐに解った。
「お忙しい所申し訳ありません、望さん。私は高坂沙希と言います。覚えていらっしゃらないかと存じますが、その、お久しぶりです」
様々な感情が頭のなかでグルグルと掻き回る。
「……高坂さんのことは一度たりとも忘れたことはありません」
結局、そう答えて深くお辞儀をすることしかできなかった。
「……そうですか。……あの、何回かご自宅に行かせていただいたのですが、タイミングが悪かったのかずっと不在でしたので、失礼ながらこちらに来たら会えると思いまして」
ここ最近は休日出勤と残業が重なって家を留守にすることが多かった。
「済みません」
「別に謝る事ではないと思います。どうか頭をあげてください。私が困りますので」
その凛々しい顔とハッキリとした声や意思に、同じ年齢のはずの自分がとても小さく感じてしまう。
俺と同い年ならば十八。成人すら迎えていないにも関わらず自立した女性といえばいいのか、ずっと母ひとり子ひとりの生活のなか、きっとそう在らねばならなかったのだろう。
「少しお話ししたいことがありますので、お仕事が終わるまで外で待たせていただいてもよろしいでしょうか?」
待っていてくれると言ったが、そういうわけにもいかなかった。
「あの、まだかなり時間が掛かりそうなので、明日、明後日、いえ、後日、こちらからご連絡させてください」
「どうしても早く話しておかなければいけないのです。こちらの都合ですので、望さんがご迷惑でないのならどうか待たせてください」
「迷惑だなんて、そんなことは決してありませんが……」
「では外の駐車場で待っていますので、私のことは気にせずに最後まで望さんの仕事をして来てください」
そう言うと、高坂さんは薄暗い自動ドアの向こうへと去って行った。
俺は言われるがままに仕事に戻るしかなかった。
「おい高坂、何だったんだ?一体あの可愛子ちゃんは?」
多忙のゆえ、手を休めずに声を掛けて来る先輩。
「詳しくは言えませんが、話せば長くなるので……今は外で待ってくれているようです」
「お前も色々あるんだなぁ。それなら今日は早く上がれや、俺らだけでも何とかなるしな」
「いえ、それが……最後まで仕事をしてきてくれって。気を使わせているのでしょうか」
先輩は少し複雑な顔をした。
「まあ、相手がそういうんならそうした方がいいのかもな。あの子めっちゃ可愛いけどちょっと融通が利かなそうな感じもしたし、女ってのは自分の言う通りにしないと癪に障る部分があるのかもしれん」
結局予定通りに最後まで仕事をこなした。
勿論、いつも以上に早く終われるように頑張ったが、夜勤への引継ぎが終わるころには他の人たちは既に職場を出ていて、自分が最後のひとりだった。
大急ぎで着替えをして、彼女の待つ駐車場へ息を切らせながら走る。
夜もとうに更けて誰もいない暗闇のなか、駐車場に設置されている電灯の僅かな光が彼女を照らしていた。
「お待たせして本当に申し訳ありませんでした」
背筋が伸びて凛とした彼女だったが、両手に未開封の缶コーヒーや食べ物を手に持っている姿は些か妙なギャップを感じた。
「お疲れ様です。あの……これは……同僚の方でしょうか?私が望さんを待っている時に、色々な方がわざわざコンビニまで行って戻って来て下さったものでして……それと、こちらが聞いたわけでもないのに望さんのことを色々聞かせてくれました。本当に良い職場に恵まれているのですね」
そんな言葉と裏腹に持たされたものには困った様子の彼女。
自分が返答に困って言葉を探しているうちに、彼女が言葉を続けた。
「先週、うちの母の葬儀が無事に終わりました。取り敢えず報告だけはしておきたかったので」
……そうか、とうとう亡くなってしまったのか。
家に来られたときに余命幾ばくと聞いていたので、長くはもたないことを知ってはいたが。
「……お悔やみ申し上げます」
こんな時に何て言ったらいいかわからない自分には、そんな使い古されたような言葉しか出てこなかった。
「それと本題なのですが……単刀直入に言います。今すぐ高坂家への送金を止めてください。これは亡くなった母からの遺言でもあります」
成程。
どうしても言っておかなければいけないことっていうのは、このことだったんだ。
それは、彼女の母親からも直接言われたことだ。
でも、今の自分で在るために、今の自分が在り続けるためには、それを承諾するわけにはいかなかった。
「高坂さんのお母さんには申し上げたのですが、自分の父にも深い想いがありまして、父が残したお金を送ることについてはどうか認めて下さい」
俺の返答を聞いた彼女の顔つきに僅かな険しさが増す。
「それは存じております。では、今すぐ望さんのお父様が残したお金を全額送金なさって下さい。こちらとしては一旦それを受けとった後にそのまま返却しますので、藤宮家と高坂家の関わり合いはそれを以て一切の終わりと致しましょう」
やられた。
もう、誤魔化しようがなかった。
もはや正直に話す他に術はない。
「俺は嘘をついていました。父が残したお金はありません。しかし、父が亡くなった時に一冊のノートを見つけたんです。そこには母が起こした事故で裁判所が算出した賠償金の残高が綴られていました。利息分こそ入っていませんが、後10年で全額お支払いできる計算でした。その計算はおそらく息子の自分が事故で亡くなった高坂さんのお父さんと同じ年齢になるという期間で定めて月単位で分割したものだと思います。だから、だからっ、どうか後10年だけ、後10年だけは親父の想いを俺に受け継がせてもらえないだろうかっ、どうか親父と俺の我儘を認めてくれやしないだろうかっ」
最後は形振り構わぬ言い様だった。
もう、がむしゃらに言い放つしかなかった。
そして彼女の返答に暫く時間が掛かったのは、捲し立てた自分の長い言葉を頭のなかで整理してくれていた為なのかもしれない。
「わかりました。しかしそれでしたら私の条件も認めてください」
無論だ。
自立した彼女が送金を断る気持ちは十分にわかっているつもりだ。自分の我儘を認めてくれるのであればなんだってやってやる。
「俺に出来ることなら何でもやります」
不退転の決意を持って彼女が続ける言葉を待つ。
ただ、彼女から発せられる言葉を予想するのは不可能だった。
「ならば、私と結婚してください」
―――え?
「望さんにやりたいことを続けていただくには……望さんと望さんのお父様と、私と私の母の願いの全てを叶えるには、高坂家に遺された唯一の家族として、私自身が藤宮家に入る他にないでしょう?」
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