第126話 信頼の現在地

 昼食は土田さんの頼んだピザだった。腹ごなしを終えた俺たちは、早速地下スタジオへと向かう。最優先事項は新曲の制作。そして演奏クオリティを上げることがその次となる。


「京太郎の作ったデモはみんな聴いてきたよね」


「はい」


「もちろんや」


「それじゃあとりあえず、デモ01のイントロから合わせてみようか」


「オッケー。えーっと、この曲のイメージは老人が海で昔のことを思い出しているって感じで……」


 cream eyesの作曲はいつもこのパターンである。誰かが作ってきたデモ音源なりに、メンバーがそれぞれのパートを肉付けしていくのだ。

 京太郎の作ってきた新曲はミドルテンポのものが2曲、スローテンポのものが1曲の計3曲。まだ仮タイトルもついていない。


 バンドで曲を作る場合、皆のフィーリングが合致してあっという間に出来上がることもあれば、なかなかイメージがまとまらず完成までに何日もかかることもある。どちらが優れた曲になるかは一概には言えないものの、今回はとにかく時間が無いので、スムーズに進行することを祈るばかりだ。


「もっかい頭からやらせてください」


「琴さん、さっきのとこ裏打ちでやってみてもらってもいいですか?」


「ええけど、そんなんしたら曲のイメージ思っきし変わるで。そんなノリの曲ちゃうやん」


「試しにやってみたいんです」


 試行錯誤を繰り返しながら曲を形作っていく。しかし、いつもに比べてどこかぎこちないというか、皆やりづらさを感じていた。


「何か緊張するな……」


「ですね。見られてると思うと」


 理由は簡単。今までバンドメンバーだけで行っていたこの作業現場に、別の目が入っているからだ。

 土田さんと御手洗みたらい四兄妹が隣のモニタールームで見守っている。知識もスキルも圧倒的に秀でているであろう人たちに見られていると言うのは、なんともやりづらいのだ。


「ってゆーか御手洗四兄妹って何者なんだよ……明らかに怪しいだろ」


「知らんわ。ウチも初めて聞いたし」


「ネットで調べても出てこないんですよね。有名な人ではないんでしょうか」


「でも土田さんが信頼できるって呼んでくるくらいだからなぁ。表に出てこないだけで界隈では有名な人なんじゃないかな」


「それにしたって、あのキャラなら雑誌とかでネタになったりしそうだけど」


 御手洗四兄妹は土田さん曰く「超一流の講師」らしい。表に出てこない音楽のスペシャリストと言えばスタジオミュージシャンがまず思い浮かぶが、スタジオミュージシャンでも一流どころは音楽系雑誌に名前が載ったりアーティストがその人について語ったり、何かと話題に上がる機会が多いはず。まったく世間に名前が知られていないというのは不自然だ。


「おーい、何をこそこそ話をしているんだ。早く進めないと時間が無いぞ~」


 モニタールームから土田さんがマイクを使って声を掛けてきた。


「う~、何だか昔の部活動を思い出します……走り込みの時に手を抜いてたら顧問の先生に見られててよく怒られました」


「そりゃサボってたら怒られるよ」


 とは言ってみたものの、やはり今までとは勝手が違う。今のところ曲に対して口出しされたりはしていないが、モニタールームの様子はガラス越しにこちらからも見えるので、土田さんたちが何かを話しているとどうしても気になってしまうのだ。


「土田さん」


「何だい?」


「そこの窓ってカーテンとかついてないですか? 見られてると思うと気になってしまって……」


「残念ながら無いね」


「あの、それじゃあ今までのところを聴いて何かアドバイスとありませんか?」


「まだアドバイス云々言うところまで曲が進んでいないだろう」


「そうですか……」


「そうだなぁ。気が散るというのもわからないでもないんだけど、こればっかりは慣れてもらわないと困る。こちらもプロデュースをすると決めた以上、音だけじゃなく君たちの表情や動きも見ていないといけないからね」


 確かに土田さんの言う通りだ。バンドをプロデュースしてもらうという事は、土田さんもバンドの一員になってくれたのと同じこと。それをお願いしたのはこちらなのだから、我儘を言うのは筋が違う。


「わかりました。何か気になったことがあれば教えてください」


「オーケー。そのつもりだから、僕たちのことは気にしないでまずは好きにやってみてくれ」


 そう決意したものの、3時間かけても新曲はまとまらなかった。


「う~ん。京太郎、もう一回この曲のイメージ教えてくれる?」


「だから、老人が海で昔のことを思い出しているってイメージだって」


「そのイメージの割には京太郎のギターえらい落ち着いた感じやない? それやったらもうちょい荒々しい感じになってもええと思うんやけど」


「そうですよね。なんとなく今の曲調には少し違和感を感じます。歌もどんなメロディーをつけたら良いんでしょうか……」


「え、なんでみんなそんな激しいイメージなの? 老人が海で昔のことを思い出す、だよ? 普通に静かで落ち着いたイメージになるでしょ」


「あぁ、なるほど」


 なぜ京太郎とそれ以外のメンバーでこのようなミスマッチが発生するのか。俺はこの時理解した。


「京太郎、お前ヘミングウェイって知ってる?」


「ん? なんだっけそれ。エフェクターのメーカーだっけ」


「師匠、マジですか」


 玲が真顔で突っ込んだ。なぜなら京太郎は文学部だからだ。


 海、そして老人。どちらかだけであればよくある楽曲テーマかもしれないが、この二つのキーワードが同時に出てくれば、アーネスト・ヘミングウェイの名作を思い浮かべる人が多いだろう。その発言者が文学部所属だと知っていればなおさらだ。

 普段本をあまり読まない俺でさえそうだった。まぁ、たまたま小学生の頃に読書感想文を書かされたので覚えていただけなのだが。


「あんたが本を読まへん文学部やってこと、忘れとったわ」


 つまり、京太郎が老人と海のイメージを曲に持ち込んだのはただの偶然で、俺たちが思い描いていた小説の世界観はまったく関係無かったのだ。どうりでまとまらない訳だ。


「え、何か俺が悪い感じっすか?」


「いや、あんたは悪ないわ。ウチらがよう確認せんと、勝手にイメージを先行させとっただけやから」


「そうですね。師匠、すいませんでした……」


「お、おう」


「次からは師匠のレベルに合わせてちゃんと確認していきますね!」


「お、おう? ちょっと玲ちゃん?」


「気にするな。玲に悪意はない」


「その方が傷つくんですけど」


 俺たちは改めてイメージの共有を行った。京太郎曰く、この曲は長年連れ添った妻に先立たれた老人が、人のいなくなった冬の海を眺めながら思い出に浸る、そういうイメージらしい。カジキは釣らないし、鮫相手に銛で格闘もしないのだ。


「よし、じゃあもう一回やってみよう」


 軌道修正を図った後、2時間ほどでスムーズに曲はまとまっていった。


「とりあえず形にはなったな」


「あとは歌か。玲、メロディは固まりそう?」


「はい。今日中には何とかなると思います」


「ほんなら少し休憩しよか。さすがに腕が疲れたわ」


 俺たちが椅子に腰かけると、土田さんが再びマイク越しに話しかけてきた。


「そのままでいいから聞いてくれ。今の曲、あれで完成かい?」


「えっと、細かいところはもうちょい詰めますけど、大まかな流れはあれでいこうと思います」


「ふむ。この曲を作ったのは椎名くんだったね」


「あ、はい。そうっすけど」


「君は今ので満足したのかい?」


「……どういう意味っすか?」


「言葉通りの意味さ。君が思い描いたイメージがあったんだろう? それを完璧に表現できていると思うのかと聞いているんだ」


 土田さんの言葉に場が静まり返る。


「君たちの作曲風景を見ていて、実に穏やかな雰囲気で驚いたよ」


「穏やかじゃダメなんすか?」


「ダメじゃないさ。でもね、穏やかなのと信頼し合っているという事はイコールじゃない。僕には君たちが、お互いを傷つけないように譲り合っているように見えたんだが」


 そんなことない、と言おうとしたが、その言葉は喉の手前でせき止められた。果たして、本当に「そんなことない」のだろうか。


 今まで作ってきた曲たちを振り返って、その出来に不満は感じていない。だが突き詰めたかと言われれば、そうではないような気がする。どこかで今の様に「こんな感じでいいか」と思っていなかったか。そんな考えが頭をよぎったのだ。


 それはどうやら問いを投げられた京太郎も同じだったらしい。


「譲り合ったって言うのは、違うと思います。何て言うんすかね、皆曲に対して自分の中にイメージを持っているし、それを表現することに制限なんて無くて、出てきた音の良いとか悪いとか、そういうことはちゃんと意見し合ってるって言うか……あぁ、何かまとまんねーっす!」


「そうだなぁ、譲り合うって言い方が良くないのかな。では尊重し合う、ならどうだろう。椎名くんは、他のメンバーもそうかもしれないけれど、曲のイメージに対して各メンバーが出した答えを尊重したい。こういうことかな」


「あぁ、そっちのほうがしっくりくるっすね」


 お互いの表現を尊重し合う。その通りだと思う。俺はギターはヘタクソだしドラムは叩けないし歌も上手くない。だからそれぞれのパートが出した表現は尊重すべきなのだと思っている。


「その考えは間違っちゃいない。バンドならお互いの意見を尊重しなければ良い音楽はできないからね。だけどね、椎名くん。音楽を作るうえでそれと同じくらい大切なのは、自分のエゴを通すことなんだよ」


 エゴを通す。これと似た言葉をエディも言っていた。


「でも、それって矛盾してないっすか?」


 確かに京太郎の言う通りだ。相手の意見を尊重することと自分のエゴを通すこと。これは全く反対のことではないのだろうか。


「そうでもないさ。僕が言いたいのはね、相手の意見を聞かずに我儘を言えってことじゃないんだよ。君たちはあまりにも優しすぎる。本当は別のパートに言いたいことがあるはずなのに、相手を尊重しようとするあまりそれが言えずにいるんだ。それはね、同じバンドのメンバーを本当の意味では信頼できていないってことにもなるんだよ」


「……」


 言い返せなかった。メンバーのことは信頼している。それなのに、言い返せなかった。

 それは俺たちの考える「信頼」が、あくまで「友人として」の信頼だと気づかされたからだ。


「君たちは、もっと喧嘩するべきなんだよ。誰よりも強いエゴで相手をねじ伏せる。負けた相手は、その時初めて勝者の意見を尊重するべきだ」


「そんな、いきなり喧嘩をしろと言われましても……」


「いや、土田さんの言う通りだよ。玲ちゃん」


「師匠」


「細かいところを突き詰めていけば、俺はさっきの曲の出来に満足してないんだ。俺が伝えたかったイメージが表現しきれていない」


「ウチらの演奏に不満があるっちゅーわけやな」


「そういう訳じゃ……いや、そういう訳です。不満があります」


「そんなら聞かせてもらおうか。京太郎のエゴっちゅーやつを」

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