第120話 ライク・ア・ダイヤモンド

「莉子ちゃん、私たちは……」


「いいの。私が話したい気分なのよ」


 玲が止めようとする気持ちもわかる。莉子の過去がどんなものかは知らないが、「ヤワな人生を歩いていない」という発言、週刊誌に取り上げられるような内容であること、それを川島さんが止めようとしていたことから、どう考えても楽しい話になるとは思えない。


 それでも、莉子は話すのをやめようとはしなかった。


「それは俺たちも聞いていい話なのか?」


「別に。聞きたくないなら出て行けば? でも玲は聞かなきゃダメ。あなたには私の過去を知ってもらわなきゃいけないから」


「莉子ちゃん……」


 今日莉子に会って、どんな話をすればいいのかわからなかった。それが、こんな展開になるなんて。


 だが、ここで玲をひとりにする訳にはいかない。


「……わかった。全員で聞かせてもらうよ」


「あ、そ。とりあえず座れば? 椅子あるでしょ」


 莉子は先ほど買ってきたペットボトルの無糖紅茶を一口飲んで、皆の顔を見回した。そして少しの笑顔を見せた。

 いや、笑顔と言うより口角が上がっただけか。何かを諦めたような、そんな表情だった。なぜ、そうまでして過去を話そうとするのだろうか。


「私、本当は9歳から芸能界にいるんだよね」


「きゅ、9歳?」


「そ。ジュニアアイドルってやつ。芸歴10年以上だから、大先輩なんだからね。ま、当時は今と名前違うしブランクもあるけど」


「そう、なんだ……」


「あの頃は色々とよくわかってなくてさ。撮影の時に自分が着てる衣装とかポーズとか、それがどういう意味なのか、とか。なんとなく、いやらしいやつなんじゃないかなーとは思ってたけど」


「……」


「でもまぁ、頑張ればママがお菓子をくれたし、撮影のスタッフたちも何か楽しそうだったし。可愛いね、って言われるのも嬉しかったしね。そんなに悪い気はしてなかったかな。ママは17歳の時に私を産んだんだけど、その時はパパと離婚したばっかりで大変そうだったから、私が頑張ってお仕事すればママを助けられるとも思ってたのよ。学校もよく仕事で休んだわ。本当、健気でしょ? でも12歳くらいになると流石に気づくわけ。これはおかしい、って」


 何だ、この話は。俺たちは何を聞かされているんだ。


 ジュニアアイドル? いやらしい衣装やポーズでの撮影?


 しかも、その場に母親がいただって?


「で、ある日ママに相談したの。もう恥ずかしい衣装での撮影はしたくない、ちゃんと学校に行きたいって。でも、その時のママは私のマネージャーと付き合っててさ。『あんたが辞めたら私が捨てられるだろ!』って、ブチ切れちゃってもう大変。散々殴られて、蹴られて。私、ひたすら謝ってた。ごめんなさいごめんなさい。もう辞めるなんて言わない。お仕事頑張るからぶたないで、って」


 身振り手振りを交えながら、饒舌に話す莉子。こんなに喋る姿を見たのは初めてだが、それがこんな内容だなんて……


「莉子ちゃん……もういいよ……」


「ダメ。最後まで聞いて」


 玲は俯いて、辛そうな顔をしていた。俺だってこんな話、聞いていたくはない。


「でもまぁ、そのすぐ後にママは警察に捕まっちゃったの。マネージャーと一緒に変なクスリに手を出して、しかもそれが初めてじゃなかったみたいでさ。執行猶予無しの一発アウトで懲役刑。で、私はママのはとこ・・・だったかな、とにかく遠い親戚の家に引き取られたわけ。ジュニアアイドルを辞められたのは良かったんだけど、引き取り先のオジサンがまた変態でさ~。私がお風呂に入ってると毎回覗いて来るんだよね。下着もちょいちょい無くなるし。私当時13歳とかだよ? 最悪って思ったけど、ご飯も食べさせてくれたし高校にも行かせてくれるって言うし、文句言っちゃいけないと思って気づかない振りしてた」


 気分が悪くなってくる。言葉にできないぬめり気のある不快感が体を包んでいた。


「だけど17歳になった時、とうとうオジサンは私に襲い掛かってきた。ちょうどママが出所して、私に会いに来るって連絡があったその日の夜に」


「そんな……」


「あぁ、大丈夫。安心して。何もさせてないから。オジサンの股間を蹴っ飛ばして上手く逃げたからね」


「いや、全然大丈夫じゃないだろ……」


「それがそうでもないのよ。今までずーっと我慢して過ごしてきた家を飛び出したわけでしょ? そしたら、私は自由だ! って思ったの。行く宛なんて無かったけど、すっごい解放感だったな~、あれは」


 さっきも思ったが、莉子はどうしてこんな話を平気な顔して話せるのだろうか。まるで懐かしい思い出話を聞かせるような喋り口で、どうしてこんなドス黒い過去を語れるのだろうか。


「その後は友達の家を転々としてたんだけど、さすがに限界が来て、思い切って東京に来てみたの。何の伝手つても無かったけど、どうせもう学校にも行けないし、東京に来れば何とかなると思ってたんだよね。あはは、ホント馬鹿だな、当時の私」


「でも、17歳の子どもがひとりで東京に来てどうにかなるもんでもないやろ。その後どうやって過ごしてたん」


「そうですね。そういう意味では運が良かったのかもしれないです。家出した後も捜索願とか出されなかったみたいだし。あ、それでね、東京に来てすぐ、地下アイドルの運営をやってる事務所に拾ってもらえたの。他のメンバーが住んでるアパートで一緒に住まわせてもらえてありがたかったな~」


 ジュニアアイドルの次は地下アイドルとは。莉子はとにかく器量が良いので、その手の需要は尽きなかったのだろう。それゆえに大変な思いをしてきたとも言えるのかもしれないが。


「でも地下アイドルってさ、キモいお客さんに向かって愛想振り撒かなきゃいけないでしょ? まぁステージの上でやる分には良いんだけど、たまに握手会とか、ハグ会とかあってさ。明らかに風呂入ってない感じの人とか、手に何かベタベタしたのつけてくる人とかいるんだよね。あれはマジで最悪」


 莉子は何か言いたげな目で俺と京太郎を見ていた


「いや、俺たちはそういうのとは違う……と思う」


「あ、そう。あんたたち何かオタクっぽいし、そういうことしてるのかと思った」


「しねーよ!」


 莉子は笑っていた。もしかしたら、彼女なりに気を使ったのかもしれない。暗い話をする中で、すこしでも笑える要素を作ろうと。


「歌うのは楽しかったけど、私そういうファンサービスみたいなのが苦手っていうか、やりたくなくてさ。だから1年くらい活動しててもグループの中でぜんっぜん人気出なかったんだよね。塩対応とか言われて。そしたら社長に呼び出されて、ヤル気が無いなら出ていくか、俺の愛人になるかどっちか選べって言われたんだ。正直、住むところを追い出されるのはキツイって思ったから悩んじゃった」


「え! それじゃ莉子ちゃん、愛人に……?」


「まさか!」


「じゃあアイドル頑張ったの?」


「それも違う。どうしようかなって考えてたところで、マシューに声を掛けられたの」


 俺と同い年の莉子が18歳の頃といえば、マシューは琴さんと白昼堂々で活動していたはずだ。

 そう言えば、白昼堂々がボーカルを変えろと言われた時あのイケメンは「心当たりがある」と言っていたらしいが、それが莉子のことだったのか。


「なるほどなぁ。まっさんはあの頃色んなライブハウスに出入りしとったから、どっかで莉子ちゃんのことを見かけたんやろな」


「ってゆーか、莉子ちゃんの歌声でアイドルってそもそも無理があるんじゃね?」


「はぁ? それどういう意味よ!」


「あ、いや、その」


「莉子の声は個性が強すぎるんだよ。ソロならともかく、アイドルグループで歌っても浮きまくるだろ」


「だからこそ、マシューさんの目にも留まったのかもしれないですね」


 当時の莉子がどんな歌を歌っていたかは知らないが、集団に混じったからといって埋もれるような歌声じゃない。マシューはその歌声を、売れない地下アイドルで終わらせるのは惜しいと思ったのかもしれない。


「それで、マシューの誘いに乗ったってわけか」


「そういう事。はっきり言って最初は滅茶苦茶怪しいと思ってたけどね。あんな美人が突然現れて、生活まで面倒見てくれるなんて言ってさ。でも、脂ぎった汚いオッサンの愛人になるくらいなら、この綺麗な顔の金髪に騙された方がましかなって思ったの」


「ぶっはっはっは! まっさんは胡散臭いからなぁ」


「琴さん、笑い過ぎです」


 胡散臭いと言うか、あの整い過ぎた顔立ちはいささか以上に現実離れしているのだ。知らずに突然声を掛けられれば、おそらく誰だって警戒するだろう。


「はい、私の話はこれでお終い。どう? たいした話じゃなかったでしょ?」


 莉子は寝起きのような背伸びをしながらそう問いかけてきた。


「いや、どう考えてもたいした話だろ……そんな話、世間に知られたら……」


「知られたら何? マリッカのファンが減るって思う?」


「……」


 少なくとも、マイナスイメージはつくと思う。不幸な過去を持つアーティストなら他にもいるだろうが、莉子の過去はあまりにも生々しい。美談にもしにくい話だ。


「莉子ちゃんは、それで平気なの……?」


「……あんな何の誇りも持てないような過去の話、本当は誰にも知られたくなんてなかった。だけど、過去を知る人間がいる以上いつかは知られちゃうことでしょ? 地下アイドルの頃の写真とかなら、今でもネットで『大西 莉子』で検索すれば出てくるけど、それより前の話が出るとしたら、今回の記事のネタ元は多分ママだし」


「マジかよ……」


「だから平気なわけじゃない。でも今以上のどん底なんて無いんだから、それに比べればって思っちゃうのよね」


 そう言った莉子は、今日初めての険しい表情を見せた。


「そんなくだらない過去の事なんかよりさ、ようやく居場所を見つけて、周りも認めてくれて、ようやく井戸の底から明るい世界へ行けると思ってたのに……病気だからもう前みたいには歌えません、なんて」


 尊厳を踏みにじられるような聞くに堪えない過去の出来事よりも、やっと見つけた進むべき道が閉ざされた今の方が辛い。莉子はこう言っているのだと思う。


「だったら……」


「何よ」


「だったら、何でそんな普通な顔してんだよ。辛いって、悔しいって、そう言えば良いじゃないか。病気になって、本当は知られたくない過去まで知られて、何ともない訳ないだろ」


「……そう、かもね」


 莉子のその反応は意外だった。俺はてっきり、「あんたに何がわかる」とか「私の気持ちを勝手な想像で語るな」とか言われると思ったのに。


「あんたの言う通り、辛いに決まってるじゃない。悔しいに決まってるじゃない。なんで私ばっかりって……そう何度も考えた」


「じゃあ」


「でも思ったの。私の過去は、マシューに出会うまで常に誰かに搾取される人生だった。ここで折れたら、また誰かに私が搾取されるって。それだけは絶対に嫌だって」


 莉子の細い指が、座ったベッドのシーツを握り込む音が僅かに聞こえた。


「例えば、もし私がここで病気に絶望して自殺でもしたら、きっと悲劇のヒロインとしてマスコミのおもちゃにされる。あの子は夢半ばで倒れて可哀そうだったって、たくさんの人から同情を集めるでしょうね。数年ごとに思い出したようにテレビで特集されたりとかして、その度に話したことも無い私のファンを名乗るタレントがVTRを見ながら涙を流すの。どこで会ったかも覚えていないような業界の関係者が、私の半生を本にしたりするかもしれない。それがベストセラーになったり、挙句の果てに映画化しちゃったりして。そんなのはまっぴらごめんよ。吐き気がする。私は、私以外の誰にも、これ以上私の人生を利用させたりしない。だから絶対に、死んでも生きてやるって決めたの」


 あぁ、莉子が戦っているのは病気だけではないんだ。


「病気だって、今は完璧には治らないかもしれないけど、医療が進歩すれば完治できるようになるかもしれないでしょ? それに今だって、今まで通りライブができなかったとしても、まったく歌えないわけじゃない。薬で症状を抑えることもできる。まだ、私にできることはあるの」


「莉子ちゃんは本当に強いんだね……」


「何よ。今更気づいたの?」


「ううん、知ってた。だけど、改めて気づいたんだ」


 そう言うと、玲はそっと莉子を抱きしめた。


「ちょっ……あんたいきなり何を……」


「何も知らなかった私たちと、友達になってくれてありがとう。私たちは先に行くから、そこでいつまでも待っているから……必ず戻って来てね。約束だよ」


 玲の言うとおりだ。莉子がこれほどの決意で今を生きているのなら、俺たちだって負けてはいられない。勝手にふさぎ込んでなんていられない。


「玲……」


 莉子の瞳に涙が溜まる。だが、流れ落ちる直前で莉子はそれを押しとどめた。そして抱擁する玲を押し返し、俯いたまま言った。


「生意気。あんた達が行く先なんか、すぐに追い越しちゃうんだから。待ってる余裕なんてないでしょ」


「うん、そうだね。マリッカはすごいもんね」


「そうよ、マリッカはすごいんだから」


 顔を上げた莉子は笑っていた。それは先ほどまでとは違う、心からの笑顔に見えた。


「あと、誕生日プレゼントありがとう」


「はぁ!? な、なんでそれを!」


「え? 牡丹さんが持ってきてくれたけど」


「んなっ……! 牡丹の奴、勝手に……」


 途端に顔を真っ赤にする莉子。あのプレゼント、勝手に持ってきたものだったのか。言われてみれば、莉子が素直に渡してきてくれなんて頼むわけもないか。


「……な、何よ。あんたも牡丹みたいに馬鹿にするわけ? ぬいぐるみなんて子供っぽいって」


「そんなこと言わないよ!」


「あ、やっぱりそういうやりとりあったんだ」


「朔さん!」


「殺す!」


「お、おい! 病人が暴れんな!」


「病人って言うな!」


 手元にあったペットボトルやら枕やらを投げつけられて、俺は病室の扉の方まで追いやられた。


「そんだけ元気があれば大丈夫だな!」


「大丈夫なわけないでしょ馬鹿!」


「大丈夫じゃないならまた見舞いに来てやる」


「二度と来るな!」


 決意は固まった。俺たちは、これまでのマリッカ以上の高みへ最短距離で向かうのだ。そこでまた、ツアーの続きをやろうじゃないか。


 そしてその時は、どちらが前座でもない対等な関係でのライブを。

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