第111話 さわやかな問答

「よく来たね。昼飯には少し早いけど、奢るから好きなもの頼みなよ。静岡に来たならここのハンバーグを食わなきゃもぐりだから。しかし、何で清水駅の近くに出店しないんだろうねぇ」


 本日の会場となるライブハウス、サウンズ・グッドから車で15分ほどのハンバーグ屋で、土田さんはナプキンを襟元に入れて待ち構えていた。


「頂いちゃっていいんですか?」


「あぁ、もちろん。おかわりもオーケーだ!」


「私、一度ここのハンバーグ食べてみたかったんです!」


 玲が真っ先に、文字通り食いついた。と言うよりがっついた。「一度ちゃんと話をしたい」と、そう言っていたはずなのに。


「玲、落ち着いて」


「あ、すいません……」


 6人掛けの大きなテーブルを囲み、俺たちも席に着いた。土田さんはグラスの水を一口飲んで、ぐるりとそれを見回した。


「あれから調子はどうだい?」


「あ、はい。おかげさまで……と言うのが正しいのかわかりませんけど、割といい感じです」


「そりゃ良かった。あ、お姉さん、ハンバーグランチ5人分追加で」


「かしこまりました。ソースはオニオンでよろしいでしょうか?」


「あ、ソース選べるんですね。デミグラスソースとオニオンソースかぁ。それじゃあ私はデミ……」


「ソースはオニオンで。全員それで」


「え?」


「かしこまりました」


 土田さんは俺たちに選択権を与えず、強引に注文を済ませてしまった。おごりなので文句は言えないが、デミグラスソースを頼もうとした玲はひどく残念そうだ。


「ここのソースはオニオン一択だから」


 土田さんはそう言ったが、玲の表情は晴れなかった。


「きょ、今日は時間を作ってもらってありがとうございました。わざわざ静岡まで来てもらって」


「まぁ、暇だからね。一泊したらフェリーで土肥といの温泉にでも行くさ」


 やっぱり暇だった。かつての売れっ子プロデューサーのはずなのに。それほどまでにロークレの事件は業界内で大きな出来事で、土田さんに掛けられている疑いは重たいのだろうか。


「で、話ってのは? 誰かから僕の悪口でも聞いたかな?」


「ぶほっ!」


 いきなり核心を突かれたので、口に含んでいた水を吹き出してしまった。


「図星みたいだね」


「げほっげほっ……いや、悪口って訳じゃ……」


「俺らはまだ土田さんとちゃんと話したことなかったんで、色々確認しておこうと思ったんですよ。朔だけが窓口ってのも、バンドとしてバランス悪いっすから」


 俺が咽ている間に、京太郎がフォローを入れた。


「確認とな」


 土田さんはおどけて両手を上げる。いや、単にふざけているのかもしれない。何ともつかめない人だ。


「まぁまともな説明してないからね。君たちの言い分はもっともだ。むしろあんな条件でよくここまでついて来たと思うよ。うんうん」


「えぇ……土田さんがそれ言っちゃうんですか……」


「それじゃあ質問に答えていこうかな。よし、挙手制でいこう」


 口にも表情にも出していなかったが、この時俺は琴さんが苛ついているのを確実に感じ取っていた。琴さんは冗談の通じる人だが、真面目な話を茶化されるのは嫌いなのだ。


「それじゃあ私から」


 そんな空気を知ってか知らずか、玲が控えめに手を上げた。


「はい、では綾波さんどうぞ」


「玉本です。えっと……」


 突っ込まない。突っ込まないぞ俺は。


「どうして、私たちをマリッカのツアーに誘ってくれたんですか?」


「面白いことが起こると思ったからさ」


 土田さんは即答した。


「面白い?」


「マリッカは間違いなく売れるバンドなんだよ。天才だからね。だけど足りないものがあって、それを君たちは持っている。その逆も然り。だから同行するようけしかけた。オーケー?」


「オーケー? って言われても、全然わからないんですが……」


 マリッカに足りないものを俺たちが持っている、だって? その逆ならわかる。「根拠の無い自信」が足りないと指摘されたように、俺たちに持っていないものをマリッカはたくさん持っている。技術然り、華やかさ然り。それは一緒にツアーを回っていても実感するところだ。


「何だ、気づいてないのか」


「勿体ぶらんと、教えてくれます?」


「まぁまぁ、そう焦らないで。すぐに答えを求めるのは君ら若い世代の悪いとこだぞ」


「……はぁ」


「琴さん、抑えて。抑えてください」


 腐っても相手は名の知れたプロデューサーだ。ここで関係を悪くするのは多分うまくない。


「いいかい。音楽に限らず、表現者として成功する人間は二種類の才能のいずれかを持っている。与えられる才能か、求められる才能だ」


「与えられると、求められる……?」


「マリッカは前者の才能を持っている。それも天才的にね。そしてメジャーレーベルとか、要は企業が求める才能もそっちだ」


「どんな違いがあるんすか?」


「だから、焦るのはよくないって。自分で考えるのをやめてはいけないよ。なぜなら、君たちには後者の才能があるかもしれないからだ」


「後者……求められる才能……私たちが?」


「そうとも」


「でも、そっちの才能はメジャーレーベルが求めるものではないんですよね? 『求められる』才能、なのに」


「そういうわけではないんだけどね。企業にとって扱いやすいのが『与えられる才能』の方ってだけで、どちらも突出していればビジネスとして十分成功できるさ」


「あぁ、何や少しわかった気がします」


「ちょっとヒントを出し過ぎたかな」


 求められる才能より与えられる才能の方が企業的には扱いやすくて、求められる才能よりも求められている。うん、何を言っているのかわからない。なぞなぞか? 琴さんはわかったらしいが。


「じゃあ、それがマリッカが持っていなくて、俺たちが持っているものなんですか?」


「いや、違う」


「じゃあさっきの話は……」


「違うけど、違くない」


「えぇ……」


 何だか禅問答みたいになってきた。この前と同じように、はっきりと教えてくれる気は無さそうだ。


「これはまぁ、努力云々でどうにかなる部分じゃ無いからね。伝えたところでアドバイスにはならないかもしれないんだけど」


「流石に答えを教えてもらえないと、悶々としてライブに支障が出ちゃいます」


「あははは! 悶々として、か。玉本さんは面白いこと言うね。そういうライブもありなんじゃないか?」


「勘弁してください……」


「そうだな。それじゃあ君たちに無くて、というより足りなくて、マリッカにあるものを教えてあげよう」


「え、それって『根拠の無い自信』じゃないんですか?」


「それもあるけどね。あれ、知りたくない?」


「いやいやいや! とんでもないです! お願いします!」


 この反応は少し意外だった。これまでの通り「自分たちで考えろ」と言われると思ったのだが。


「君たちに足りないのはね、『悲しみ』だよ」


「お待たせしましたー」


 土田さんがキメ顔でそう言ったタイミングで、人数分のハンバーグランチがテーブルに運ばれてきた。鉄板が肉を焼くジュージューという音が、場の緊張感を狂わせる。

 皆が押し黙る中、店員は俵型のハンバーグを手際よくカットし断面を鉄板に押し当てた。何ともシュールな光景。溢れた肉汁が鉄板に広がり、それが焦げる香りが食欲を掻き立てた。


「ソースをおかけしてよろしいですか」


「お願いします」


 ソースが鉄板に流し込まれると、ジュワアっと派手な音と共に香ばしい匂いが充満する。この時点で隣に座った玲の口元から涎が滴ったことを確認。慌てて拭いていたが、俺は見逃さなかった。辛抱たまらんという気持ちは痛いほどよくわかる。


「それじゃあ、いただきますか」


「い、いただきます」


「えっと、どこまで話したっけ」


「ウチらには悲しみが足りんっちゅーところです」


 強制ハンバーグタイムを挟んで、会話は再開された。


「悲しみが足りない、ってどういうことなんでしょうか」


「ん? 言葉通りの意味だけど」


 またこの感じだ。「根拠の無い自信が足りない」と言われた時と同じ。土田さんの中では明確な答えがあって、十分すぎるくらいのヒントを与えたつもりなのだろうが、正直さっぱりわからない。


「じゃ、じゃあ、俺たちが持っててマリッカに足りないものって何なんすか? 悲しみの反対? 喜びとかっすか?」


「自由」


 またしても難解な回答。


「自由……そりゃ確かに、メジャーで活動するマリッカとフリーの俺らじゃ自由度は違うと思いますけど」


「あぁ、違う違う。そうじゃない。仕事上制約があるとか、そういうことじゃなくて、心のあり様の話だよ」


「心のあり様? 私たちは、そんなに自由でいられているんでしょうか」


「そうさ。それはとても幸福なことだよ。でも、だからこそ悲しみが不足するんだ」


 悲しみが不足する、という聞きなれない言葉。悲しみなんて、無いならその方が良さそうなものなのに。誰だって幸せで穏やかでいたいと願うのは、当たり前のことじゃないか。


「悲しみがないとダメですか?」


「あぁ、ダメだね」


「私たちはどうしたらいいんでしょうか」


「そりゃあ、悲しみを知らないといけない。でも、そんなこと積極的に求めるものじゃないし、求めたところで手に入らない」


「それじゃあどうしようもない……」


「まぁそうなるね。だから言ったろ? 努力じゃどうにもならない。アドバイスにもならないって」


 俺たちはまた黙ってしまった。土田さんはハンバーグを頬張りながら熱がっていた。


「今はまだ、その答えはわからないままでもいい。でも、確実にマリッカとcream eyesはお互いに影響を与えあっている。だからいずれわかる日が来ると思うよ。もちろん、マリッカの方もね。ま、影響は良い方にも悪い方にも振れるんだけど」


「何すかそれ怖い」


「とにかく、君たちには『求められる才能』の片鱗がある。これだけははっきりと伝えておくよ。でもそれはまだ原石で、きちんと磨かなければくすんだままだ。輝くことなく、誰に見つけられることも無いだろう。だからと言って、誰かに磨きを任せるのは得策ではないんだよ。加減がわからず、本当に価値ある部分まで削られてしまうかもしれないからね」


「だから自分で考えろと」


「結局、自分のことは自分が一番よくわかってなきゃいけないのさ」


 求められる才能を磨いて俺たちが輝くためには悲しみが必要で、それは得ようと思って得られるものではない。要約するとこんな感じだろうか。

 やっぱりわからない。玲ではないが、悶々としてしまいそうだ。

 ただ、自分たちには才能があると、そうはっきり言ってもらえたことは嬉しかった。バンドを続けていくうえで一番の恐怖は、自分の才能を疑うことだからだ。かつて日本の頂点を取ったプロデューサーの言葉なら、これ以上の後押しは無い。


「で、聞きたいことってのはそれで全部かい?」


「……いや、まだあります」


「そうか。まぁとりあえず、せっかくのハンバーグが冷める前に食べなよ」


「それじゃあ改めて……」


「いただきます!」


 俺はようやく運ばれてきたハンバーグに手を付けた。まだ音を立てる鉄板の上からそれを口に運ぶと、あまりに美味い。美味すぎる。え、マジで? これ本当に美味すぎない?

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