第96話 No Reason

 白昼夢というのは、こういうものを言うのだろうか。


 マシューがアコースティックギターを優しく撫で、莉子が口づけをするように歌い始めた瞬間から、目の前には南国の海岸が広がっていた。ここは確かに金沢の古びたビルにあるライブハウスで、俺は南国になんて行ったことが無いにもかかわらず、だ。

 奏でる音と歌が景色を、いや世界を塗り変えていく。俺だってそれなりに色々なアーティストのライブを見てきたが、こんなものは知らない。いったい今、俺は何を見ているんだ。


 二曲目で俺はニューヨークのお洒落なカフェでくつろいでいたし、三曲目ではロンドンのリージェントパークを歩いていた。もちろん、どちらも行ったことは無い。

 かと思えば、四曲目で夜の歌舞伎町の路地裏に突然叩き落された。莉子のクセのある歌声が、頭の中をグルグルと駆け回っていく。


 目まぐるしく変わる世界に、酔ってしまいそうだ。


「どうだい、マリッカのライブは」


 呆けていた俺は、その声に反応することができなかった。一瞬でもステージから目と耳を離すことが勿体ないと思ったからだ。


「あれはもう完成されている。どこに行っても通じるバンドだよ」


 今良いところなんだ。集中して聴かせてくれ。煩わしい。


「君たちと、何が違うと思う?」


 しつこく話しかけてくる声に、文句を言ってやろうと振り返った時、全身から血の気が引いた。そこには「天才を殺した男」が立っていたのだ。他のメンバーはいつの間にか後ろに下がってその様子を眺めていた。教えてくれよ薄情者。


「つ、土田さん……!」


「あんまり無視されると悲しいんだけど」


「すすすすすいません!」


 初対面の時はまだ土田さんのことを知らなかったため普通に接することができたが、今は違う。業界の大物を前に緊張するなと言う方が無理だろう。


「だいぶマリッカにお熱じゃないか」


 言い方が古い。が、今はそんなことは気にしていられない。しかし何で今なんだ。マリッカのライブも観たいのに!


「これを見て、どう思う?」


 前回と同じく、含みを感じさせる質問。何と答えるべきなのか。


「えーっと、マリッカのライブを見るのは初めてなんですが、想像以上に想像以上でした」


 自分の語彙力の無さを呪った。なんだこの馬鹿みたいな感想は。


「なるほど。対バン相手を素直に褒められるのは嫌いじゃないよ。じゃあ、マリッカが君の想像以上たる所以は何だと思う?」


 馬鹿な回答に真面目に返されると答えに窮する。そこまで深くは考えていないのだが……


「マリッカが想像以上である理由……技術や表現力がズバ抜けているから、でしょうか」


「確かに彼らの演奏は完璧だ。だけどマリッカとcream eyesの間に君が感じているほどの演奏力の差があるかと言えば、答えはNOノーだ」


「そんな……ありがとうございます」


 土田さんほどの人物から見て、マリッカとそれほど差はないと評価をもらえたことは素直に嬉しい。だが、納得はいかなかった。どう考えても、バンドとしてのレベルはマリッカの方が高いと感じられたからだ。


「質問を戻そう。マリッカとcream eyes、違いは何だと思う?」


 演奏技術が違う。ステージの魅せ方が違う。ルックスのレベルが違う。知名度が違う。曲調が違う。

 違いなんていくらでも挙げられる。でも、土田さんの求めている答えはこれらではない。それはわかる。じゃあ一体何が違うのだろうか。違い、異なる点、差。考えても、答えが浮かばない。


「君たちは、プロになりたいんだよね? メジャーデビューが目標だと」


「はい、そうです」


「その先は?」


「先、ですか……」


 メジャーデビューしてプロになって、音楽で食べていく。それが俺の、いや、俺たちの夢だ。だけど、土田さんの質問にすぐに答えることができなかった。メジャーデビューできたとして、その後は何を目標にするのだろうか。


「例えば大きな会場でライブがしたいとか、そういう目標だよ」


 つまり、マリッカにあって俺たちに無いものは、先を見据えた目標だと言いたいのだろうか。


「そうですね……フェスに出たいです。太平洋フェスの大トリを、一番大きなステージでやってみたいです」


「うん、小さい!」


「え?」


 太平洋ロックフェスティバルは、日本を代表する野外音楽イベントだ。毎年ヘッドライナーには国内外のトップアーティストが名を連ねている。

 その頂点を目指すことが小さいとは、一体何を以って大きな目標と言えるのだろうか。


「今の若い奴らは皆そうなんだよなぁ。一番の目標が太平洋フェスってやつがほとんど。何でかなぁ。いや、良いと思うよ野外フェス。でもそれが一番じゃないだろう。小さくまとまりすぎ」


「すいません……」


「あぁ、ごめん。謝ることじゃないよ。別に責めてるわけじゃないんだ。最近は単独でドームツアーをやるとか、10万人集めてライブするとか、そういうバンドがいないからさ。そんな若手が出てきて欲しいと願うおっさんの戯言たわごとだと思ってくれ」


 言われてみれば、ここ数年内にデビューしたバンドがドームやスタジアムクラスの会場を単独で埋めたという話は聞いた記憶が無い。アイドルやシンガーソングライターではまだ話を聞くのに。

 CDが売れなくなったとか、氾濫するコンテンツの中で音楽が娯楽としての地位を失ったとか言うが、その中でもバンドという音楽形態の失速は大きいように感じる。


「最近のバンドってさ、ライブハウス感が強いって言うか、小さいハコが似合い過ぎるんだよ。ツアーも大体ライブハウスツアー。まぁマリッカは初めての全国ツアーだからこんなもんだろうけどさ。でもそれで満足しちゃってるバンドがめちゃくちゃ多い! で、出てくる目標が太平洋フェスだ。ヘッドライナーを目指すといった君はまだマシな方だな。でもそういう誰かの力を借りたステージじゃなくて、自分たちで作り上げたもんでひと花咲かせようって気概のやつらが本当にいないのは悲しくなってくるよ」


 土田さんは嘆くように話していた。


「ま、こんな話してると老害だって疎まれるんだけど」


「あの、マリッカは何を目標にしてるんですか?」


 マリッカが俺たちと違うと言うなら、土田さんを納得させる目標があるということだろう。


「世界平和」


「世界……今なんて?」


「音楽で世界を平和にする。それが目標なんだってさ」


 馬鹿げている。普通だったらそう思うだろう。俺だって、きっと今日マリッカのライブを聞くまではそう考えたに違いない。だがマリッカの演奏の素晴らしさを知った今でも、その目標はあまりにも無謀に思えた。


「その目標を聞いた時、俺はマシュー君に尋ねたんだ。『ジョン・レノンにもできなかったことを、君は実現できると思っているのか』ってね。そしたら彼、何て言ったと思う? 『過去の天才が実現できなかったことは、今を生きる僕たちも目指しちゃいけないんですか?』だってさ。マリッカは本気でやる気だよ。世界平和を」


 俺たちが「プロになる」という目標を掲げていたのに対して、マリッカはその遥か先を見ていたのだ。できる限りを尽くしても、そもそも見据えたが違うのだから敵わないはずだ。


「ちょっと話が逸れたかな。で、君たちとマリッカの違いだけど……」


「目標のスケールが違うってことですよね」


「ん? あぁ、違う違う。そうじゃない。そういう話じゃないんだ」


「え?」


「世界平和なんて目標、真面目じゃないじゃないか」


 この人は何を言ってるんだろう。世界平和が真面目じゃない?


「音楽は政治に使うものじゃない。感じるもので、楽しむもので、揺さぶるものだ。それなのに音楽で世界平和だなんて、不誠実にもほどがある!」


「まさか、土田さんがマリッカをプロデュースしない理由って……」


「その通り。価値観の不一致だ。音楽性の違いって言った方がアーティストっぽいかな? そもそもマリッカは俺のプロデュースなんて不要だろうしね」


「じゃ、じゃあ俺たちに足りない物って結局何なんですか?」


「何だ、まだわからないのかい? まぁいいや。教えてあげるよ」


 固唾を飲んで身構える。後ろのいる皆からも、期待と不安の混じった感情が伝わってきた。


「君たちに足りない物は『根拠の無い自信』だよ」


「自信……ではなく、根拠の無い自信?」


「そう。アーティストにとって一番大事なものだ。自分たちの音楽は世界最高だっていう思い込み。裏付けなんかなくても、そう思える確固たる勘違い。君たちには、それが無い」


「えっと……はい?」


「それじゃ、アドバイスはしたからね。ツアーファイナルの時にはまた見に来るから」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


「じゃあねー」


 俺の制止を振り切り、土田さんは去っていった。


「根拠の無い自信ってなんだよ……根拠があったらダメなのか?」


 ステージには、今まさにこの場を平和で満たそうとするマリッカがいた。やっぱり、その演奏は素晴らしい。これも根拠の無い自信のおかげ?


 俺には「天才を殺した男」の言葉の意味が分かりかねていた。頭の中はパンク寸前だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る