第92話 やっぱこれだね

 苦しい時の神頼み、という言葉がある。不信心者であっても、自らの力が及ばない窮地に立たされれば、あとは神に祈るしかできないものだ。


「ちょちょちょちょまちょちょちょちょまちょやばいやばいやばいやばい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」


「ちょっとさっくんうるさい!」


「ほら、みはるん抜かされたで」


「え、マジですか? こんにゃろ!」


「琴さん煽らないで! みはるんは前見て!」


「ぐぉおー」


「師匠はよくこの状況で寝れますね……」


 マリッカとの合同ツアーの記念すべき初日会場である金沢へ向けて、5枚の初心者マークを誇らしげに咲かせたミニバンが高速道路を爆走していた。


 出発から2時間、俺はものすごく車酔いしやすい性質タチなので、通常であれば既にグロッキー状態になっていておかしくない頃合いだ。だが、今はもうそれどころではない。何せ命の危機を感じているのだから。

 運転席にやたらと周りの車に対抗心を燃やす初心者みはるん、助手席にイケイケの琴さんという組み合わせは明らかに失敗だ。混ぜるな危険。法定速度こそ遵守しているものの、急発進に急ブレーキ、そして急加速でガックンガックンもう大変。大型トラックであろうと追い抜かれれば抜き返そうとするのは本当にやめて欲しい。


 俺はもう、無事に目的地に到着するのを祈ることしかできなかった。


「休憩! 休憩しよう! ほら、パーキングエリアあるって! あるから! パーキングエリアぁああぁ」


 俺の言葉は聞き届けられず、無情にもパーキングエリアの標識は遥か後方へと流れていった。


「もー、うるさいなぁ。まだ全然走り足りないっての」


「あ、でも次のサービスエリアは寄ってくれへん?」


「えー。でも琴さんがそう言うなら……何かあるんですか?」


「この先の峠を越えるんやったら、外せんもんがあるんよ」


「俺の言うことも少しは聞いてくれませんかねぇ」


 そして約20分後、何故かドリフトをかましながらサービスエリアへと突入。危うく隣の車にぶつかりそうになりながら、かろうじて無事に駐車にも成功した。


「地面……地面だ!」


「やりましたね! 私たち、生きてますよ!」


 あぁ、自らの足でアスファルトの大地を踏みしめる喜びよ。神よ、命あることに感謝します。


「まだ半分くらいしか進んでへんけどな」


「ぐふぅ!」


 琴さんが突きつける無慈悲な現実。束の間の休憩を終えたら、またあの地獄が待っているのかと思うと気が滅入る。


「それより琴さん、さっき言ってた『外せないもの』って何ですか?」


「ふっふっふ。それについては朔が教えてくれるで」


「え、何で俺なんですか」


「あんたの地元みたいなもんやろ」


 俺の出身は長野県で、ここはまだ群馬県である。県境であるため地図で見ると近く感じるが、俺の実家は山の向こう側だ。しかし、この場所で外せないものと言われて分からない長野県民はいないだろう。


「まぁいいですけど。この峠で外せないものと言えば、釜めしですね」


「正解!」


「え~、釜めし? なんかダサくない?」


「私は好きですよ。釜めし」


「ねぇ何かもっとお洒落なの無いの? せっかくのランチなのにえないじゃん」


「みはるん……そういえば映えの一族だったな」


 バンドをやっているような奴らにはその手の人種が少ないので、ついついみはるんが今どきの若者であることを忘れそうになる。世の中バンドマンのようなサブカルクソ野郎(笑)かっこわらいは少数派で、お洒落なランチを競い合うようにSNSにアップする若者が多数派なのかもしれない。


「お洒落なものも探せばあるかもしれないけど、ここではその選択肢は無いんだよ」


「え、何それ意味わかんないんだけど」


「ここで食べるものは釜めし。古来よりそう決まっているんだ。ですよね、琴さん」


「せやな。まぁ、物は試しってことで」


「えー、まぁ良いけどさぁ」


 渋るみはるんを連れて、俺たちはサービスエリアの建物の中に入っていく。


「へー、私サービスエリアってもっとさびれてる感じだと思ってたけど、結構きれいなんだね。あ、フードコートあるじゃん! じゃあ早速釜めし食べようよ」


「わかってないなみはるん」


「え、何? どしたの? キモいよ?」


「キモい言うな。そもそも、ここの釜めしは駅弁が発祥なんだよ。だからフードコートでゆったりと食べるなんて興ざめもいいとこさ」


「ちょっと何言ってるのかわかんない」


「き、きっと朔さんは旅の醍醐味ってやつを言いたいんだと思いますよ!」


 ぶー垂れるみはるんをよそに、俺は4人分の釜めしを購入した。持ち帰りの弁当でありながら、アダムスキー型UFOの様なでっぷりとした焼物の釜が重みを感じさせる。プラスチックケースに入った漬物も欠かせない。


「これこれぇ」


「あぁ、ええねぇ」


「この器、ちょっとかわいいかも」


「ですね! 食べ終わった後の器は持ち帰っていいんですよね?」


「もちろん」


「やったぁ!」


 意外にも見た目が好評だ。もしかしたら、素朴な旅のお供であった釜めしは映えるポテンシャルを持っているのだろうか。

 だが彼女たちはまだ気づいていない。その釜を持ち帰っても、想像以上に何にも使えなくて結局燃えるゴミとして処理される運命になることを。だが、それは敢えて今言う事ではないだろう。


「何か忘れてる気がするんだよなぁ」


 突然みはるんが呟いた。


「忘れてるって、何が?」


「うーん、こう出かかってるんだけど思い出せない。モヤモヤする」


「すぐに出てこないってことは、大したことやないんちゃう?」


「ですかね。ま、いっか」


 トイレを済ましてからずっと一緒に行動しているが、財布は俺しか出していないし、誰かが物を落としたりもしていない。多分気のせいだろう。


「お店の前に釜めしの写真出てましたけど、中にリンゴ入ってるんですか?」


「リンゴ……? あぁ、あれはリンゴじゃなくて杏子あんずだよ」


 ここの釜めしには、鶏肉や筍、椎茸などの定番具材の他に、甘酸っぱい杏子が入っている。これがまたアクセントになって美味なのだ。


「マジか~。私しょっぱい系のご飯に果物入ってるのって苦手なんだよね」


「あ、それちょっとわかります」


「二人とも、酢豚のパイナップル許せないタイプ?」


「あれはマジで意味わかんない」


「何言うてんの、あれがええんやないの」


「え、琴さん肯定派ですか? 意外~」


 談笑しながら駐車場エリアまで戻ってきた俺は、この先に確実に待ち受ける地獄があることを思い出した。目を逸らしていた現実に足取りが重くなる。


「釜めし食べて元気出そう」


 センスの無いキャッチコピーのような言葉を呟きながら車まで戻ってきた俺は、先ほどみはるんが言っていた「忘れ物」が何だったのかを理解した。おそらく、俺以外の全員も同様だろう。


「ぐぉおぉおおおおお」


 この男、俺たちが車を降りた後もずっと眠り続けていたようだ。これこそが至上の喜びと言わんばかりに、実に幸せそうな顔をしている。


「こいつの遅刻癖がひどい理由がわかった気がする」


「みはるん、あんた自分の彼氏を忘れたらあかんやろ」


「いっけなーい! 運転でテンション上がってたから、つい。てへ」


「大変です! 師匠の分の釜めしがありません! 急いで買ってきますね!」


「いいよいいよ。本人に行かせよう」


 ガラスに頭をもたげて眠る大男の身体を揺さぶり、大声で呼びかける。


「おい、京太郎! 起きろ~!」


「ん、う~ん……あれ、みんな何してんの? もう金沢着いた?」


「まだ長野の手前だよ。これから昼飯にするぞ」


「あー、そんな時間か。って、あれ? 弁当買ってきてくれたの?」


「残念ながらお前の分は無い」


「は? 何それイジメ? そういうの良くないと思います」


「いや、普通にお前の分買うの忘れたんだわ。すまん」


 京太郎はチラッとみはるんの方を見た。エアごめんねを繰り出すみはるんに、京太郎はやれやれと首を振った。


「まぁいいや。そんじゃ俺は自分の分買ってくるわ」


「あ、ついでにアイス買ってきて。チョコミント」


「ウチは抹茶な」


「私はストロベリーチーズケーキで。無かったらバニラで良いです」


「玲ちゃんまでナチュラルにパシるのやめてもらえる?」


 そこで英気を養ったおかげか、後半3時間の地獄のドライブも何とか乗り切ることができた。


 気を引き締めなくては。いよいよ明日から、未体験のライブツアーの始まりだ。

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