第73話 サディスティック・レイ・ベンダー
「……スさーん。ベースさーん。音、もらっていいですか~?」
「え? あ。す、すいません! えーっと……」
リハーサルのためにステージに上がった後も、先ほどの会話が頭を巡って集中できない。リハの出来もかなりちぐはぐだった。俺もそうだが、玲がそれ以上にかなり酷い出来だ。
あの時、何で玲はあんなに頑なに牡丹の提案を拒絶したのか。考えるほど、おかしな気分になってくる。自惚れているわけでは、ないと思う。多分。あぁ、また頭がこんがらがってきた。
「はーい。それじゃあ本番もよろしくお願いしまーす」
「よろしくお願いします……」
玲は、マイクが無ければ誰にも聞こえないほど小さな声で挨拶をして、小さく頭を下げた。そしてそそくさと片付けをすると、一目散に控室に戻っていった。
リハーサルを見ていた今日の対バン相手から、「やっぱ見た目だけじゃん」という声が聞こえてくる。何をやってるんだ、俺は。
機材を置きに控室へ入った時には、もう玲はいなかった。今日は引き篭もる算段だったはずなのに。フロアに戻ると、玲はみはるんにくっついて小さくなり、顔を埋めていた。
「玲」
声をかけると、玲はびくんと肩を震わせた。
「さっくん、ちょっと待ってあげて」
みはるんは玲の頭を撫でていた。まるで怯える猫をかくまうように。だが、そんな状況を黙って見ていられない人がいる。
「玲ちゃん、朔、ついでに京太郎。ちょっとこっち来て」
琴さんに手招きされ、控室へと戻る。玲も少し遅れてついてきた。あとついでに京太郎も。その少しの距離でさえ、玲は俺と目を合わせようとしなかった。ほんの20分前まで、いつもと同じように接していたはずなのに。
やっぱり、そういう事なんだろうか。もしそうだとしたら、俺は今後どう玲に接するべきなんだろうか。
「二人とも、今日のライブがどういう意味があるか、忘れたんか?」
控室の椅子に座ると、琴さんによるお説教が始まった。だが、これはあって然るべきものだ。ステージの方からlalalapaloozaのリハーサルの音が聞こえてくる。
「今日がウチらの今後において、どんだけ大事な日か、わかっとるよな?」
無言でうなずく俺と玲。ついでに京太郎も頷いていた。なぜ京太郎も説教される側にいるかは謎だった。
「すいません」
「ごめんなさい」
謝罪の言葉を述べながらも、あまり変化の無い俺たちを見て、琴さんは大きな溜め息をついた。
「ホンマに、頼むわ。このバンドであかんかったら、ウチはもうどこへも行けんのやから」
そして、あまりにも琴さんらしくない台詞を吐いた。
「どこにも行けないって……」
琴さんの腕前ならどのバンドでもやっていける。そう言おうと思ったが、それはあまりにもcream eyesを
「ウチの実家が由緒あるお寺やって話は前にしたやろ?」
「え? あ、はい」
唐突に実家の話を持ち出されたので、変な声が出てしまった。バンドとは何の関係もない話だと思われたからだ。
「ウチの実家、割と厳格なところがあってな。大学までは好きなことやっててええと言われとるけど、その分卒業したら寺に
琴さんはあくまで軽い口調で話をしていた。だが、その言葉には重みがあった。あの奔放な琴さんが、「どこへも行けない」と漏らすほどの重みが。
「せやけど、ウチはバンドを続けたい。バンドで食べていきたい。それがウチのやりたいことやから。自分の人生は、自分で決めたいんや。でも親を説得するためには、大学にいる間にそれができるっちゅー実績が必要なんや。せやから、今日のライブは失敗できん」
夏合宿の時に、琴さんが遠回しながらも「次のライブが怖い」と言っていたことを思い出した。あの時は過去の失敗を繰り返すのが怖いのだと思っていたが、それ以上に、今日失敗すれば自分の夢が断たれるかもしれないということが怖かったんじゃないだろうか。
それに玲が倒れたあの時、玲の身を案じてバンドのことを考えられなくなっていた俺に対して、琴さんは謝罪をしていた。あれはきっと、琴さん自身がバンドを続けるために、非情とも思える発言をしたことに対しての謝罪だったのだろう。
俺は、先ほどのリハーサルの時の自分を大いに恥じた。
「皆に変なプレッシャーかけたくないと思うてたんやけどな」
琴さんは自嘲気味に笑っている。
「ウチは今三年やから、残されてる時間はみんなより少ないやろ? 仮にこれから違うバンドを組んだとして、それが今日みたいな機会を得られる保証はない。それに、いくら自分のやりたいことのためとはいえ、一緒にやっていくメンバーは誰でもええ訳やないし」
あの琴さんが、強くてかっこいい琴さんが、自分の弱さを曝け出していた。それがどういう意味なのか、それがわからないほど、俺も玲も馬鹿じゃない。
「琴さん、すいませんでした。本当に。本番は絶対に腑抜けた演奏はしません。誓います」
「わ、私もです!」
二人で頭を下げる。琴さんは、自分の人生を俺たちと進みたいと言ってくれているのだ。そんな風に言ってくれる人の未来を、一時の感情で台無しになんてしたくない。
そう思っていた俺の隣で、玲は大きく息を吸い込んだ。
「朔さん、私を引っぱたいてください。そんで、私にも一発殴らせてください」
「はい?」
「お願いします。そうしないと私の気が晴れないんです!」
「いや、でも……」
突拍子もない発言だったが、玲の目は本気だ。しかし、いきなり殴れと言われても、女子に手を上げるなんてことは簡単にはできない。しかも、俺も殴られなきゃいけないのか?
「朔、やったりな」
この場で琴さんに促されてしまっては、覚悟を決める他ないではないか。
「わ、わかりました」
俺は意を決して玲に向かい合った。
「いくぞ」
「はい。来てください」
ぺちん、と目を瞑って身構えていた玲の頬を平手で軽く叩く。すると、玲は下を向いてわなわなと震えだした。
「お、おい。大丈夫か?」
心配して肩に手を置いたその刹那。
「馬鹿――――ッ!!!!!」
ビターン!! と大きな音を立てながら、俺は思いっきり玲にぶっ飛ばされた。手加減無し、120%フルスイングの
「痛ってぇええええ!!」
いや、マジで痛い。半端じゃない。今まで碌に喧嘩をしたことの無かった俺は、初めての暴力による痛みに打ち震えていた。ジンジンする。ヒリヒリする。涙が出てきて止まらない。あ、ほっぺた腫れてきた。
「ふぅーっ、ふぅーっ」
興奮気味に口で息を吐く玲は、まるっきり格闘漫画の
「ふぅ……ありがとうございました」
狂戦士は満足そうに、つやつやとした表情でそう言った。何だか、さっきまでぐだぐだと悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなってくる。もう、玲がいいならそれでいいや。
「ふふっ」
そう思ったら、何だか俺も笑えて来た。思いっきり殴られた直後に笑ってるなんて、傍から見たらどう思われるんだろうか。でも何か、吹っ切れた清々しい気持ちだった。
「いざとなったら琴さんが留年すればいいんすよ。そしたら泣きの延長戦に突入できるじゃないっすか」
「阿呆か。そんなんそれこそ強制送還待ったなしやん」
京太郎の軽口で、玲も笑った。また場が明るくなる。この阿呆がついでについて来てくれて助かった。
「君たち、何してんの……?」
そこへ、リハーサルを終えた牡丹がやって来た。わりとドン引きの表情だ。顔を腫らした男が転がりながら笑っていて、それを囲む三人も笑っているのだから。まぁ、そうなりますよね。
「牡丹さん」
「あ、はい」
玲は右手を真っすぐに伸ばして牡丹を指差した。敬語嫌いの牡丹も、思わず敬語で身構える。
「私、絶対に負けませんから!」
突然の宣戦布告にもかかわらず、牡丹は先ほどのドン引きの表情から一転、とても楽しそうな表情でそれに応えた。
「望むところだね!」
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