第51話 笑顔の似合う夜
大きな拍手に後ろ髪を引かれながらステージを降りると、次の出演バンドが舞台袖でスタンバイしていた。
「めちゃくちゃ良かったですよ!」
「あ、ありがとうございます。そちらも頑張ってください」
メンバーの一人に興奮気味に声を掛けられたが、俺は何とも腑抜けた感じで返事をしたように思う。まだ夢の中にいるような、フワフワとした気分が抜けきらない。
「朔さん、機材置いたらとりあえずお客さんのとこに行きましょうよ」
玲の方が俺よりよっぽど冷静だった。本来、その声かけはリーダーである俺がやらなきゃいけない役割のはずなのに。
「うん、そうだな。早く挨拶しに行こう」
控室に置いてあったギグバッグにベースを放り込み、エフェクターボードは蓋を開けっ放しのままその辺のスペースに放置して、ホールへと急ぐ。
cream eyes全員がホールに姿を現すと、視線がこちらに集まってきた。そして再び、暖かな拍手が送られた。それを聞いた俺は、何の抵抗も無く深々と頭を下げていた。ただひたすらに嬉しくて、油断すると涙が出てしまいそうだった。
「ありがとうございました!」
叫ぶようにお礼をして、俺はホールの奥にある物販スペースへと歩を進めた。物販と言っても、何かを売るわけではない。ただ、この日のために作成したデモ音源のダウンロードURLとアクセスコード、SNSのアカウントが書かれたバンドのフライヤーを準備していた。
「デモ音源のダウンロードができまーす! 興味を持ってくれた方は是非フライヤー持って行ってくださーい!」
俺は声を張り上げた。琴さんが隣に来て、物販に来たお客さんの対応をしてくれた。
「良かったらバンドのSNSもフォローしたってな。ウチにはようわからんのやけど、ボーカルの玲ちゃんが頑張って更新する言うてるから」
「このアクセスコードって知り合いに教えても良いんですか?」
「ええよええよ。どんどん宣伝したって」
「ドラム、すごいかっこ良かったです」
「ありがとうね。また見に来てくれたら嬉しいわぁ」
琴さんが笑顔で対応している。老いも若いも、男たちは蕩けた顔をしていた。前に「琴さんがスマイル0円で接客できるとは思えない」とか言ってすいません。
「さっき出演したcream eyesでーす。良かったらアンケートにご協力くださーい」
玲と京太郎は、ホールにいた一人一人にアンケート用紙を配りながらお礼を言って回っていた。なんと、京太郎が女性客にも果敢に声を掛けているではないか。仕草はぎこちないが、自分にやれることをやり切ろうという姿勢が伝わってくる。
「アンケートお願いしまーす」
「さっきのライブ、めっちゃ良かったですよ~」
「ありがとうございます~! あ、良かったらSNSも見てください」
「あ、私もそれやってます。アカウントは何で検索すればいいですか?」
「えっと、これです」
「あ、あった。って、あれ? まだ何にも投稿されてない……?」
「そういえば今日から更新していく予定でした! あぁ、でもこれから一杯更新していくので、どうか……」
「あはは! とりあえず申請しておきますね~」
玲は相変わらずの人懐っこさを発揮していたが、ステージ上の彼女とのギャップからだろうか、驚いたような表情を浮かべる人も多かった。
次のバンドの演奏が始まるまでの15分間、俺たちはお客さんに声を掛け続けた。用意していたフライヤーは、そのほとんどがお客さんの手に渡っていった。
ライブが終わり、お客さんの数も
「はぁ~、やり切った感ありますね。さすがに疲れましたわ」
「せやなぁ。でも前回に比べればだいぶ進歩したんちゃう」
「正直、お客さんがあんなに盛り上がってくれるとは思いませんでしたよ」
「そりゃあお前、熱が伝わってきたからな」
突然おっさんの声が割り込んできた。そう言えばこの人の存在がすっぱり頭から抜け落ちていた。失礼ながら。
「し、シンタローさん! お疲れさまでした」
俺は慌てて背筋を伸ばし、頭を下げた。
「そういうのはよしてくれ。それより、随分と気持ちよさそうに
シンタローさんはビールを片手に、ご機嫌な様子だった。
「シンタローさんたちが会場を温めておいてくれたおかげだと思います」
「俺たちが? ははは、俺たちが熱くしたのは会場じゃなくて観客の反発心だろ」
「反発心って……」
確かに、シンタローさんのMCや演奏した曲たちは、古くからのシンタローさんのファンだと言う人の感情を逆撫でするようなところがあったのかもしれない。それを自覚しておきながら、自分がやりたいことを貫く媚びない姿勢というのは、単純にかっこいいと思えたのだが。
「あんな腹ん中グチャグチャの観客たちをよく盛り上げたと褒めてやろう」
「ありがとうございます。熱が伝わったって言うなら、嬉しいですね」
「なんだ兄ちゃん、マジメか? もっとはしゃげよ。せっかく良いライブをしたってのに、そんなにクールじゃシラケちまうじゃねーか」
「は、はぁ……」
クールを装っているわけではなく、有名人を前にして緊張しているだけなのだが。でも確かに、もっとはしゃいで良い場面なんだろう。
「お茶なんか飲んで、さては飲み足りねーな? 奢ってやるから何か頼んで来いよ」
「いや、そんなの悪いですよ!」
「いいからいいから」
「朔、ご馳走になっとき」
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
シンタローさんは俺の肩に手を回すと、そのままドリンクカウンターへと連行した。ジントニックを注文したら、シンタローさんは「女子大生みてえな注文だな」と笑っていた。
「いただきます」
「おう、飲め飲め」
プラスチックのコップで乾杯しても良い音は出ないが、俺はシンタローさんとグラスを合わせた。琴さんもちゃっかり
「ドラムの姉ちゃんも色っぽかったな。夜のスティック捌きも堪能してみたいもんだ」
「ド直球のセクハラやねぇ。シンタローさん、ちょっと出るとこ出ましょか」
「だっはっはっは! あんたのお誘いならどこへでも喜んでついて行くさ!」
「そのノリは女の子に嫌われるで」
「あぁ、肝に銘じておくよ。ところで、ボーカルの嬢ちゃんはどうした」
「玲ならあそこですよ」
玲は数人のお客さんと話し込んでいた。ハッキリ言って、あのコミュ力は異常だ。初対面の人とあんな風にすぐ打ち解けられるなんて、人並みに人見知りをする俺には到底無理な芸当だ。
「おーい、玲」
呼びかけると、玲はニコニコしながら近づいてきた。そして機材の片づけを終えた京太郎も合流した。
「お疲れ様でーす。あ、シンタローさんもお疲れ様です」
「おう、お疲れさん。今日のライブはどうだったよ?」
「っっっっもう最高でしたよ! それもシンタローさんのおかげです!」
「おいおい、さっきそこの兄ちゃんにも言ったが、俺のおかげじゃねーだろ? 客が盛り上がったのは、お前たちのライブが良かったからだ」
「そんなことないですよ! って、そんなことありますけど」
「はは、どっちだよ」
「だって、シンタローさんがいなかったらそもそもあんなにお客さん入ってなかったはずですよね?」
「ん?」
「私たちだけじゃまだあんなにお客さん呼べないですから。シンタローさんがお客さんをたくさん集めてくれたから、私たちも刺激をもらって良い演奏ができたんだと思います」
「なるほど、つまり俺らは踏み台にされたって訳か」
シンタローさんの言葉に緊張が走る……なんてことは無かった。普段ならそう思って身構えるところだが、シンタローさんの表情が明らかに緩んでいたからだ。
「意地悪なこと言わないでくださいよ」
「はっはっは。なに、人を踏み台にするってのは悪いことじゃないさ。むしろそれができない奴らは上へは行けない。趣味でやるだけなら仲良しごっこでも良いんだけどな」
自分たちが目指す場所へ到達するということは、他の誰かが到達できないということ。それを踏み台にすると表現するなら、避けては通れないことだろう。上に上がれる枠には限りがある。遠慮している場合ではないのだ。
「俺たちは上を目指します」
「そうだろうよ。いや、そうでなくっちゃ困る」
シンタローさんは笑ってそう言ってくれた。自分たちの音楽が認められたようで嬉しかった。
「そうだ。シンタローさん、写真いいですか?」
玲は思い出したように約束の話を持ち出した。本当に思い出したように。失礼な話だ。
「うん? あぁ、あれか。俺を満足させろって言ったよな。だからダメだ」
玲はポカンとしていた。話の流れ的に絶対オッケーをもらえると思っていたのだろう。俺だってそう思っていた。
「俺たちより盛り上がりやがって。だから俺は不満だ。文句あるか」
まるで子供の言い分である。50歳を超えたオッサンの台詞とは思えない。
「いや、ちょっと……」
「だがまぁ、お前たちが俺たちの宣伝に一役買うってんなら特別に許可してやろう」
「宣伝?」
「俺たちのSNSにお前たちの写真を使わせろ。将来が楽しみなバンドが現れたってな」
みんなで顔を見合わせて、思わず吹き出してしまった。
「もちろんオッケーです!」
その日の夜中、ふたつのバンドのSNSアカウントに、お互いのライブを讃え合ったコメントと笑顔の集合写真が投稿された。
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