第33話 世界観

「できた……!」


 6月26日渋谷のスタジオにて。ライブ本番を2日後に控えたこの日、5曲目のオリジナル曲が完成した。


「本当になんとかなっちゃったよ」


 京太郎が呆けた声を出した。


「人間、やらなきゃいけないことのケツが決まると、何とかそれに間に合わせてしまうもんなんや」


 琴さんの思考は、正直ブラック企業的な危険性を孕んでいると思う。本人にはこんなことは言えないが。しかし今回は、俺自身それを身をもって知った。

 それでも、好きでやっていることだからこそできたのだと思う。なぜなら、夏休みの宿題が9月1日までにどうしても終わらなかったことがあったからだ。やらなきゃいけないとは、当時もわかっていたはずなのに。多分。


「あとは演奏のクオリティを高めていくだけですね」


「あの!」


 玲がマイクを通して急に声を出すものだから、俺は面食らってしまった。


「ど、どうした?」


 玲は下を向いていた。何か言い出しづらいことがあるようだ。


「どないしたん。何かあったんなら言うてみ」


「実は、ちょっと気になってることがあって……」


「気になること?」


「残光についてです」


 残光とは、京太郎が作曲したスローナンバーのタイトルである。


「……この曲の位置づけって、どうなってるんでしょう」


「曲の位置づけ?」


「このバンドで、cream eyesの中で、残光という曲はどういう曲なのかなって思いまして」


 玲の言葉の真意が掴めない。


「あ、別に曲に不満があるとか、そういうわけではなくて!」


 玲がそう言ったのは、俺と京太郎が怪訝な顔をしていたからだろうか。


「玲ちゃん、もうちょい詳しく聞いてもいい?」


「えっと……いい言葉が浮かばなくて、すごく失礼な言い方になっちゃうかもしれないんですけど」


 京太郎の顔に緊張が走ったのがわかる。バンドなのだから、自分が持ち込んだ曲がメンバーに否定されることなど日常茶飯事だ。自分がやりたい曲を絶対に否定させたくないのなら、文句を言わせない曲を作るしかない。ただ自分可愛さで曲を押し通そうとするのは、俺の目指すエゴイストではないし、そうしたいならソロで活動するより他にない。それが分かっていても、自分の曲が否定されるのはやっぱり嫌だ。


「この曲だけ、浮いてる気がするんです」


「浮いてるって、どういうこと?」


 きっと京太郎は、感情を抑えながら言ったつもりだったのだろう。それでも、やはり滲み出る負の感情は隠しきれていなかった。玲もそれを感じ取ったのか、少し怯んだような素振りを見せたが、意を決したように言葉を続けた。


「はい。他の曲と随分テイストが違うと思うんです。曲自体はすごく綺麗で、心地よくて、大好きなんですけど……なんだか別のバンドの曲のような、そんな気がしてしまうんです」


「俺は! ……俺は、玲ちゃんの歌声を活かすには、残光みたいな曲が必要だと思ったんだ。だから……」


「京太郎、別に玲ちゃんは曲を否定しとる訳やないって、わかるやろ?」


 京太郎の反応を見かねたのか、琴さんが割って入った。京太郎は昂っていた気持ちを落ち着かせようとしたて、大きな深呼吸をした。


「すいません、生意気なこと言って」


「いや、玲ちゃんの言うてることは大事なことやと思う。残光は、確かに他の曲に比べると異質やからね。この曲をバンドの中核に置くんか、ただこういう曲をやりたくてやっただけなんか、今後のバンドの方向性に関わると思うわ」


 残光は、決してキャッチーな曲ではない。ライブで盛り上がる曲でもない。ただ、世界観というか、曲の持つ空気感は強烈で、おそらく今あるcream eyesの曲の中で、聴いた人の印象には最も強く残る曲になるだろう。


「俺は、残光みたいな曲、バンドの真ん中においても良いと思ってます」


 京太郎はそう言った。俺も、玲の歌声を活かした曲と言う意味では、概ね賛成だった。だが、懸念が無いわけではない。


「俺も残光はすごく好きだし、玲の歌がすごく活きていると思う。ただ、この曲をバンドの真ん中に置くってなると、この先相当厳しくなるとも思う」


 キャッチーな曲ではない、ということは、一般的に受け入れられ難いということだ。自分たちが好きな曲を演奏できればそれでいい、そういう考えなのであれば、それでも問題は無いだろう。だが、俺たちはプロを目指すと決めた。そうであれば、キャッチーさ、ポップさの弱い残光のような曲を中心に置くということは、茨の道を進むことと同義である。


「私は、今ある曲の中だとBeautifulが特に好きです。多分、高校までの友達に聞いても、そう言うと思います」


 確かに、一番最初に作ったBeautifulは、聞きやすさという点では一番だろう。


「でも、残光ってすごく、本当に素敵な曲だと思うんです。私が今まで聴いてきた曲とは全然違くて、最初聴いた時はどう歌を乗せればいいのか悩みましたけど……師匠にイメージを教えてもらって、それを基に歌詞とメロディを考えてみたら、なんだかすごくその世界に引き込まれちゃって……」


「で、玲ちゃんはどうしたらええと思う?」


 琴さんの問いかけに、玲は言葉を選ぶようにして答えた。


「私は、残光の世界観がすごく好きです。だから、この曲をバンドの中心に据えるっていうのは大賛成です! そうしたいと思ってました。でも、曲調はもっとポップな感じのもやっていきたいと思います」


「それって矛盾してない?」


 京太郎は少し棘のある言い方をした。だが、残光はポップさとは程遠い曲だ。それを中心に据えながら、ポップな曲もやりたいというのは、たしかに矛盾しているように思える。


「矛盾……させないようにできると思うんです。曲調ではなく、曲のイメージを中心に置けば……」


「残光のイメージ……深い森の奥を一人彷徨っている、だったよな」


 曲を作るにあたって、京太郎から皆に共有されたイメージはそうだった。


「私、Beautifulと残光の世界観って、近いところにあると思ってるんです。曲調は全然違うんですけど……曲からイメージされる映像が似ているというか……あぁ、なんかうまく言えなくてモヤモヤします」


「つまり、曲調で言えば残光は浮いてるけど、曲の世界観で言えば浮いていない……?」


「そんな感じです! 曲を聞いて浮かぶイメージは、残光の感じが大好きなんですけど、じゃあ他の曲も曲調を全部残光みたいにするってなると、うーんって思ってしまって」


 何となく、玲の言いたいことが伝わってきた気がする。だが、それを言葉にしようとすると、どう言ってもしっくりこない。なるほど、確かにモヤモヤする。


「Beautifulと残光を聴いて浮かぶイメージ……両方とももの悲しい感じがする、かな。でもそれだと、他の曲とはまた違う感じがするし……」


「私は、もの悲しいだけじゃなくて、綺麗な映像が浮かぶ感じがします。古い映画を見ているような、そんな感じが。そういう世界観を、cream eyesの中心に置くっていうのはどうでしょうか」


 玲以外の3人は顔を見合わせた。俺は、玲の話を聞いて思ったことを3人に素直に伝えた。


「俺はそれ、面白いと思う。うん。曲を聞いたら一本の映画を観たような気持になる、そんなストーリーのある曲ってのは、すごく良い気がする」


「一本芯を通すってのは、バンドにとって大事やからな。古い映画……ね。ええんとちゃうかな。ウチも好きやで、そういうの」


「俺も賛成。良いと思う。残光がそういう曲って言われると、自分で作っといて何なんだけど、すごくしっくりくる」


 全員の意見が一致した。聞けば映像が思い浮かぶ、そういう曲が作れれば、きっと普通とは違うバンドになれる気がする。だが、


「でもさすがに、今から3曲アレンジを変えるのは厳しいと思うよ」


 京太郎の言うとおりだ。玲の言うことは理解できた。だがここまで、ライブに向けてとにかく曲を形にすることを最優先にしてきた。残り2日でアレンジを変えるというのは、いくらなんでも無理がある。


「大丈夫です。曲のアレンジを変える必要はありません」


 玲は決意を秘めた目でそう言った。


「どういうこと?」


「私が歌詞とメロディを書き替えてきます。cream eyesの、素敵な世界観を表現できるように」


 そんな無茶な、とは言えなかった。玲は本気だ。

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