第28話 スタート・アゲイン

「バンド名を決めよう」


 場所は例の如く談話室5。新たに結成したバンドのメンバー4人が集まっていたので、俺は話を切り出した。


「まぁ、これからやっていく上では必要なもんやな」


「どんな感じが良いんでしょうか。かわいいの……はダメですよね?」


「最近のバンド名って記号みたいになってるから、正直何でもアリな気がするけどね」


 オリジナルバンドで活動する場合、当然バンド名は必須のものだ。それが決まっていなければ、ライブハウスに出演の話を持ち込むこともできない。


「何か、こういう名前にしたいってのはある?」


「うーん、4人のイニシャルを組み合わせてみるのはどうでしょう」


 問いかけに最初に反応したのは玲だった。


「ありがちなパターンやけど、それでしっくり来るならええんちゃう?」


「全員のイニシャル……玉本 玲だからRとT。二宮 琴だからKとN。椎名 京太郎だからKとS。一ノ瀬 朔だからSとI、と」


 とりあえず、アルファベットをルーズリーフに書き出してみた。


「どう組み合わせようか」


「R、T、K、N、K、S、I、S……」


「母音がIしかないのキツくね?」


「RITS KNKS……とかですかね」


 玲がアナグラムを作成する。字面は……まぁ悪くないかもしれない。


「何て読むん?」


「えーっと、りっつくんくす?」


「微妙やなぁ」


「ですね……むむぅ」


 どうにも響きがピンと来なかった。


「イニシャル作戦は厳しそうだね」


 振出しに戻る。これからずっと使う名前だから、全員が気に入るものでなければいけないだろう。そうなると、かなり難しいのだが。


「普通はどんな感じで決めるんですか?」


 玲が素朴な疑問を投げかけた。


「どうだろう、あんまり統一性は無い気がするなぁ。バンド名にメッセージ性やバンドの方向性を含ませる場合もあるし、響きを重視して意味は特に無いって場合もある。最近の日本のバンドだと、字面のインパクトで決めてる感じのとこも多いね」


「さすが師匠。詳しい」


「ウチは響き重視かなぁ。呼びやすい方がええわ」


「なぁ、朔はベルボのバンド名ってどうやって決めた?」


 京太郎にBELLBOY’sの名前を出されて、少し胸が痛んだ。俺が抜けたことは、まだみんなに話していなかったから仕方ないのだが。


「あ~、BELLBOY’sね……あの時は、メンバー全員が好きだった曲の歌詞から取ったんだよ。特に深い意味は無かったかな」


 できるだけ、普通に答えたつもりだった。だが、


「なんや朔。ベルボの件、話つけてきたんか」


 琴さんには、あっさりと心の機微を見抜かれてしまった。この人、ほんと何者なんだろう。


「話って?」


 京太郎と玲はまだ気づいていないようだった。まぁ、それが普通だと思うが。


「後で話そうとは思ってたんですけど」


「朔、ホウレンソウが大事って、前に言ったやろ? これから一緒にやってくんなら、そういう大事な話は後回しにしたらアカンよ」


 琴さんの発言で、京太郎と玲もさすがに何かを察したらしい。場の空気が、少し緊張していた。


「そうですね。最初に言っとくべきでした」


 琴さんの言うとおりだ。これから先、俺の問題は、もう俺だけの問題ではないのだから。


「俺、ベルボを抜けたんだ」


「は? マジで!? 高校時代から組んでたんじゃないの?」


 京太郎は心底驚いた顔をしていた。京太郎は何度かベルボのライブに来てくれたこともあったし、晴馬や要とも面識があったから、尚更かもしれない。


「なんか、最後は喧嘩別れみたいになっちゃったよ。上手くいかないもんだな」


「このバンドのためか……?」


「いや、それは違う。単純にあのバンドを続けていても先が無いと思ったから」


「お前さぁ……」


 京太郎は何かを言おうとして躊躇した。玲は状況が良く飲み込めていないようだった。BELLBOY’sの話はまだしていなかったから、仕方のないことだ。


「お前さぁ……そういう大事なことは、ちゃんと相談してくれよ」


「京太郎?」


「そういうこと、一人で背負い込むなよ。喧嘩別れしたって、高校からずっと一緒にやってきた友達だったんだろ? なんで平気な振りしてんだよ」


 意外な言葉だった。普段やれ体育会系は苦手だの、暑苦しいのは嫌だの言ってたくせに。自分がまるっきり体育会系の暑苦しい奴じゃないか。


「ごめん。でも、もう平気だから。覚悟はしてたし」


「そんな顔して、平気とか言われても説得力無いんだよ」


「朔さん、大丈夫ですか……?」


「え?」


 玲にも心配されるなんて。一体どんな顔をしていたんだろう。


「あれ?」


 そう思った瞬間、自分の頬に生ぬるい液体が流れるのを感じた。泣いていた。そんな感傷に浸っているつもりはなかったのに。昔の仲間との別れは悲しいと思っていたが、切り替えてきたつもりだった。今日はいつも通り、みんなと楽しく話をしようと思っていた。


「ちょっと、ごめん」


 思わず背を向けてしまった。「一人で背負い込むな」そんな、思いもよらない京太郎の言葉によって一度決壊した堤防は、簡単には修復できなかったのだ。


 今回の件、自分で考えて、自分で決めて、自分で行動した。思うようにいかなかったが、結果には納得したつもりだった。でも、どうやら俺は自分で思っているほど強くなかったらしい。心の奥底で、誰かに慰めて欲しかったのかもしれない。


「何があったんか、まぁ何となく察しはつくけど」


 琴さんは優しくそう言ってくれた。


「何か、俺めちゃくちゃダサいっすね」


「仲間内でも格好つけ続けてたら、そんなん肩凝るだけやろ」


「そうだよ。それにお前、自分がダサくないと思ってたのか?」


「うるせぇ」


 京太郎の軽口のおかげで、俺はようやく笑うことができた。


「朔さん。私にも、お話聞かせてください」


 玲が真っすぐな目でこちらを見つめていた。そうだ、俺には玲にすべてを話す義務がある。ケジメをつけるとは、そういうことだ。


「そうだね。ごめん、全部話す。長くなるかもしれないけど、聞いて欲しい」


 玲の目を見て話を始めようとしたとき、琴さんが突然立ち上がった。


「ここじゃ辛気臭いから、場所変えよか」


「いや、別にここで良いっすよ」


「ほら、立った立った」


 琴さんはこちらの話を無視して、全員を半ば強引に立ち上がらせた。


「道すがらにでも、玲ちゃんには経緯いきさつを話したりや」


「どこ行くんですか」


「ええからええから」


 この展開には既視感がある。俺たちは琴さんに促されるまま、学校を出て歩き出した。


「琴さん、どこ行くつもりなんでしょうね」


「さぁ、どうだろう。意外とノープランだったりするからなぁ」


「あはは、でも、歩きながら外でお話しするってのも、良いかもしれないですね」


 5月も後半。もうすぐ鬱陶しい梅雨の季節がやってくる。その直前の置き土産のように、今日は気持ちの良い乾いた晴れの日だった。たしかに、部屋の中に籠っているよりも、素直に話せるような気がする。


「ベルボの事、ちゃんと話してなくてごめん」


「朔さんが高校の頃から組んでるバンドだったんですよね? 私たちと組むより、ずっと前から」


「そうだね。俺が初めて組んだバンドでもあるんだ」


「そのバンドを抜けたって……今のバンドと並行してやることはできなかったんですか?」


 信号につかまり、歩みを止める。


「多分、二つのバンドを掛け持ちで活動することはできたと思う。でも、そうするべきじゃないと思ったんだ」


「理由を聞いてもいいですか?」


「俺はそんなに器用じゃないし、それだとどっちも中途半端になるって思ったから」


 玲の問いは、散々悩んだことだった。でも、出した答えが正しかったかどうかは、今でもわからない。


「……私たちのためですか?」


 その質問をする時、玲は少し躊躇っていたように思う。信号が青に変わり、また歩き始めた。俺と玲の前を行く琴さんと京太郎は、この会話を聞いているのかいないのか、談笑しながら先を進んでいく。


「違うよ。うん、違う」


 そう、違う。これは、迷いなく言える。


「俺がそうしたいって思ったから、俺自身のために」


 別に玲たちに気を使ったわけではない。素直な気持ちだった。晴馬や要は、最高の友達だと今でも思っている。でも、バンドでより先を目指そうと思ったとき、3人でやっていくことに限界を感じてしまったんだ。


「ベルボだって、おふざけでやってたわけじゃない。みんな真面目だったし、プロになりたいと思ってた。でも、初めて組んだバンドだからってのもあるのかな、真面目だったけど、本気じゃなかったんだよ。俺も含めて」


 そうだ。俺も本気じゃなかった。だからあの時、本当は晴馬を咎める権利なんて、俺には無かったんだ。


「長く続けていた分、もうその根っこは変えられないと思っちゃったんだよね」


「後悔してないんですか?」


「してるよ。めっちゃしてる。でもそれは、もっと上手くあいつらに伝えられたんじゃないかっていう後悔。ベルボを抜けることに対してじゃない」


「朔さんって、案外自分勝手なんですね」


 玲の言葉がチクリと刺さった。でも、


「そうだよ。自分勝手にやるって決めたんだ。だから今度は、玲も京太郎も琴さんも、とことん振り回していくつもり」


 正直、これを伝えるのは怖かった。そんな奴とは一緒にやれないと言われてもしょうがないからだ。


「それなら私も、思いっきり自分勝手に、遠慮しないでやらせてもらいますね!」


 あぁ、玲は何でいつもそうやって、俺が欲しい言葉をくれるんだろう。そんな風に言われてしまったら、怖がっていたのが馬鹿みたいじゃないか。


「あぁ、バンドに関してはお互い、遠慮無しでいこう」


 馬鹿みたいだけど、嬉しくてしょうがなかった。きっとBELLBOY’sに対する罪悪感や後悔は、この先もずっと残るんだろう。でも玲と一緒なら、それさえも乗り越えていけると思えた。

 胸の奥につっかえていたモヤモヤが、綺麗に晴れた。沈み始めるのを待っていた太陽の光が、クリーム色に辺りを包んで、目に映る景色が輝きだしていた。


「ほら、着いたで」


 前を歩いていた琴さんがこちらを振り返る。連れてこられたのはアイスクリームショップ。玲がサラダボウルに加入した日に来た時と同じように。


「辛気臭い話は好きなものでも食べながらって思ってたんやけど、なんや、もう話は済んだみたいやな」


 本当この人は、何でこんなにも何もかもお見通しなんだろうか。


「そう言えば、うちらの共通点あるじゃないっすか。アイスクリーム好きっていうのが」


「いきなり何の話だよ」


「おい朔、バンド名決めようって言ったのお前だろうが」


 そういえばそうだった。


「アイスクリームからバンド名……可愛いかもしれないですね!」


「京太郎にしてはええアイディアやん」


「そうでしょうそうでしょう。もっと褒めてくれても良いんですよ」


「調子乗んなや」


 琴さんが京太郎の頭を叩く。見慣れた光景に、気持ちがさらにフッと軽くなった。


「ヴァニラ・アイスとかどうですか? こう、ガオンッ! って感じでかっこかわいくないですか?」


「玲ちゃん、それは色々な意味でダメだよ」


 これも既視感のあるやり取りだった。談話室で沈んでいた俺の気持ちは、もうどこかへ行ってしまっていた。良い仲間に出会えたと、素直にそう思えた。


cream eyesクリーム・アイズ


「ん? 何や朔」


「いや、cream eyesってどうかなって思いまして。バンド名」


 ふと頭に浮かんだ名前。


「かわいいですね! クリーム・アイズ、おいしそうです」


「おいしそうかどうかはわかんないけど……たしかに良いんじゃない? 字面もちょっとお洒落っぽいし」


「響きもええ感じやね。単純にアイスから取った感じがせんのもええと思うわ」


 思った以上に好評だった。


「え、じゃあ」


「あぁ」


「そうですね」


「バンド名はそれで決まりっちゅーことで」


 cream eyes。こうして新しいバンドの名前が決まった。これでようやく本格的に活動を開始できる。今はもう、この先の未来に期待しか見えなかった。

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