第二十幕  血狂いの死に神



「お前達、なぜこんなことをするんだ!」

 茶髪の男が血相けっそうを変えて、口調をあらげた。

 獣人族じゅうじんぞくで構成された側の、人型のおおかみとも言える容姿をした男が嘲笑あざわらう。

「人にぶつかったら謝るのは当然だろ?」

「あんたのほうから、わざとぶつかってきたんじゃない!」

 片腕を抑えている緑髪の女が、怒鳴どなり声で言い返した。言動や雰囲気から、悠真は獣人――狼男、犬男、猫女の三名がチンピラといった感想を持つ。

 人間の若い男女が、それぞれ剣と弓とつえを取り出して戦闘態勢に入る。

「俺の仲間を傷つけたことを後悔こうかいさせてやる!」


「ガキが、痛い目を見る前に帰ればいいものを……」

 獣人達からは、どこか余裕よゆうがうかがえた。それぞれが剣、槍、杖と武器を構える。

 しかし若者達は物怖ものおじした様子もなく、一斉いっせいに飛びかかった。

 激しい戦闘が繰り広げられている中で、悠真は冷静れいせいに観察する。

 どちらも連携れんけい素晴すばらしい。近接武器から遠距離武器をもちい、不足している部分は秘術や錬成具でしっかり補い合えている。どちらが勝つのか、予想は困難こんなんであった。

「経験と歳……あるいは種族での差かな。若いほうの彼らにはちとつらいかもな」

 セドのつぶやきを、悠真は不思議に感じた。

「種族での差……? どっちもかなり強いだろ」


「そんな記憶も失っているのか……獣人はどの種族よりも、身体能力が抜群ばつぐんに高い。そんな感じで、魔人まびとは秘力が桁外けたはずれに多く、樹人じゅじんは秘術の扱いが神懸かみがかっている。俺らはさ、そのすべてが平均――だから、人のあいだなんだ」

 深く考えたことはなかったが、言われてみれば当然だと思える話だった。地球でも人間とほかの動物とでは、体の構造こうぞうからしてまったく異なっている。

「あくまでも基本的にはって話だが、それをもとにして続けると、獣人は秘術の扱いが苦手だな。魔人は身体能力が低めで、樹人は秘力量が少ない。俺ら人間は、やっぱり平均さ。ほかにも……今じゃ普通になっている〝混族こんぞく〟はかたよりがすげぇかな」

 セドは苦笑してから、戦っている者達のほうへと顔を向け直した。


「人間である彼らは、必死なんだ。目の前の対処たいしょでいっぱいいっぱいって感じだな。それに対して獣人側は少しずつ対処を変えつつある。余裕よゆうがまだ残っている証拠しょうこさ」

 セドの言った通りであった。若者達の顔にかげりが差している。

 たった一つのミスで、連携が瓦解がかいしていく。緑髪の女が剣術の餌食えじきとなった。

「いやぁあああ――っ!」

「ミアン!」

 傷つき倒れる女のそばへと、仲間である彼らは向かった。彼女の身を案じながらも、うらめしそうな目をして、獣人達のほうを見据みすえている。

 獣人達が、にやりとした不敵ふてきな笑みを浮かべた。


「今回は諦めて、お家に帰りな。ぼうや達」

「く、くそっ!」

「ほらほら、これ以上痛い思いをする前に……」

 狼男の言葉が不意に止まった。両チームは、氷ついたかのように停止している。

 それは、やや遠くから眺めていた悠真達も同様だった。

 紫色を基調きちょうとしたローブを着た男が、悠真達とは別の通路から歩いてきた。猿蛇えんじゃの腕だと思われるちぎれた腕を、上に放り投げてはつかみと手遊びしている。

 存在感だろうか――悠真の体は、自然と震えていた。これまで出会ってきたどんな人達よりも冷たく、息をするのも忘れさせるほどの殺意さついが、彼からはにじんでいる。


 空色の髪をした彼を視界に入れれば、より一層その殺意が強く感じられた。

「おいおい……なんの冗談じょうだんだ。なんであいつがこんなところにいる」

 つぶやいたセドに、 悠真も忍び声で問う。

「知り合いか?」

「少しな。あいつ、裏ではかなりの有名人だしな。お嬢様……申し訳ないが、今回はレネキス結晶を諦めたほうがいい。あの異常者から一刻いっこくも早く離れるべきだ」

「なっ、ふざっ――」

馬鹿馬鹿ばかばかっ、大きな声を出すなって。いいか、これはおお真面目まじめな提案だ。ノクスは本気でやばい。血狂いの死に神とまで呼ばれる超危険人物なんだ」


 怒鳴どなろうとした様子のネーアの口を素早くふさぎ、セドは声をひそめて説明した。

 セドが抑えた手を、ネーアはたたき払う。

「私には、もう……あともう十年だなんて、待っているだけの時間がないの。絶対に今回で手に入れなければいけないの。そうでなければ、なんの意味もないの」

 そううったえたネーアの小さな声からは、切羽せっぱまる心境を感じさせる響きがあった。何やら事情じじょうかかえている様子だが、その理由は想像すらもつかない。

「おい。なんだ、お前。気味のわりぃ殺気を……」

 血狂いの死に神へと向った狼男が、少しして足をぴたりと止める。ノクスは猿蛇えんじゃの腕で手遊びしたまま狼男とすれ違い、そのまま歩き続けていた。


 悠真がいぶかしげに思うや、狼男の首がにぶい音を立てて地に落ちていく。

 落ちた衝撃で、狼男の頭部が地を跳ねる。瞬間――今度は、頭部が二つに割れた。おびただしい血飛沫ちしぶきを上げつつ、残された体がひざを着いてからどさっと倒れる。

 悠真は現実味のない光景に頭が真っ白になった。狼男がどんな攻撃を受けたのか、何もわからない。ただ向かい合って歩いていただけにしか見えなかった。

「あいつ……まるで猿蛇扱いで殺しやがったな」

 セドの声で、悠真はようやく我を取り戻した。

「き、貴様、何しやがった!」

 および腰となっている犬男が声をあらげた。


 血狂いの死に神は、さして興味を示していない。

「待ちやがれ! このまま、ただで済むと――」

 猿蛇の腕を上に高く放り投げ、そしてタイミングよくつかみ直した。

 悠真は肩が大きく震える。今度は犬男と猫女の首が落ち、にぶい音が響く。

 へたり込んでいた緑髪の女が、獣人の血を盛大にび、発狂に近い悲鳴をあげる。そばにいた若い男の一人が、混乱している女に素早く寄ってなだめた。

 ノクスは何事もないかの表情で、茫然ぼうぜんと立ちすくんでいる男に話しかける。

「この洞窟どうくつって、なかなかに入り組んでいて困るね。君はさ、結晶の誕生する場所がどこか知っているか? ちょっとばかし、生で見てみたいんだけど」


 ノクスは声はおだやかだったが、男は恐怖に駆られているのか、小刻こきざみに震えたまま閉口している。女をなだめていた男が、代わりにあわてた口調で告げた。

「結晶が生まれる位置は、ここの洞窟では昔から決まっている。地図もある。地図を見ながら妖魔ようまを避けて通れば、三十分もあれば辿たどり着く。地図は渡すから――」

 おそおそる腰にびた鞄に手を入れた男の前に、ノクスはかがみ込んだ。

「誕生するレネキス結晶って、一つしか取れないの?」

「誕生する年によって違う。でも、すべて独占どくせんできれば、馬車一台分ぐらいはある。俺達は……ここで諦める。あなたの邪魔じゃまもしない。だから、俺達を見逃してくれ」

 地図を差し出され、そっと受け取ったノクスがつぶやくように問う。


「ここまで頑張って結晶を取りに来たのに、君達は諦めてしまうのかな? こういう物取り競争ってさ、相手がたくさんいたほうがおもしろいと思うんだけどなぁ」

 これ以上ないぐらい、殺意さついが空気ににじんで伝わってくる。悠真達がいる位置ですら息苦しく感じてしまうのだから、そばにいる彼らは生きた心地がしないだろう。

 張りつめた重圧的じゅうあつてきな沈黙に満たされる。だれも動かない――あるいは、動けない。

 せきを切ったのは、ノクスのほうであった。

「でも、無理強むりじいはよくないかな。地図、どうも。気をつけて帰りなよ」

 ノクスはやさしく微笑んだのち、地図を見ながら進んだ。

 張りつめていた空気感が、ほんの少しずつゆるんでいく。


 わずかに緩んだ雰囲気のせいか、地図を手放した男が安堵あんど仕種しぐさを見せた。それと同時に、ノクスがなぜか足を止める。

「なぁんちゃって。ね?」

 ノクスが肩越しに後ろを振り返る。ひどく気味の悪い笑みが浮かんでいた。

 また目の前で人が殺されると、悠真は瞬時に予測する。我知われしらず走り出して、指にはめている黒い指輪に意識を送った。まばゆい光の中から漆黒しっこく籠手こてに転換する。

「――っ、馬鹿ばか野郎やろうぉおおっ!」

 セドの怒声どせいが飛ぶやいなや、ノクスが猿蛇えんじゃの腕を横にいだ。

 女をかばう男の前に立ち、悠真は防御ぼうぎょてっする。金属を引っくような音が飛ぶ。


 想像をはるかに超える重い衝撃を感じながら、場に沈黙が落ちたのを自覚する。

 呆気あっけに取られた表情のノクスを見つめたまま、悠真は大きく息を切らした。自分が何をしているのかよくわからない。頭はんでいくものの、視界がせばまっていく。

「おや、君……知っている顔だ。少し前、商業都市の祭りに参加していた子かな?」

 悠真は答えない。極限きょくげんまで神経を張りつめ、ノクスの挙動きょどうのみに注視する。

「君も、レネキス結晶が目当て? もしそうならさ、競争相手だね」

 うれしそうに、ノクスは表情をくずした。

「何をやってんだ、お前ら! とっとと逃げろ!」

 セドが腰を低く、駆けながら声を張った。


 腰にびていた短剣を手に、セドはノクスへと斬りかかる。だが、ノクスは悠々ゆうゆうと距離を取り、セドの攻撃をけた。

「悠真、ここは俺が食い止める! ネーアを連れて遠くに逃げろ!」

「おや、セド君じゃないか。奇遇きぐうだね。君もこの大陸に来ていたのか」

 セドは、攻めの一手のみに出ている。それを軽々かるがるとかわしながら、ノクスは再会をなつかしむかのように平然へいぜんと話していた。

「悠真ぁ!」

 セドの大声で、悠真はネーアのいる場所へと駆ける。失策しっさく以外の何ものでもない。体が勝手に動いた結果、仲間を危険にさらしてしまったのだ。


 悠真は自分の起こした行動を、心の内側で激しくたしなめる。

(くそっ、くそっ、くそっ……!)

 ネーアの付近に辿たどり着くや、悠真は彼女の手首をがっしりとつかんだ。

「ちょ、ちょっと! 許さないわよ! 離して! 私は――」

 ネーアの言葉を無視して、悠真は一目散いちもくさんにその場から撤退てったいする。どこをどう進んできたのか、よくわからない。それでも、ノクスから遠く離れられればよかった。

 入り組んだ洞窟どうくつ内部を進んでいく。ふと、へこみの部分に不吉な影を見た。

(や、やば……っ!)

 ほどなくして、洞窟中に響き渡りかねない猿蛇えんじゃの奇声が飛んだ。


 走り抜ける悠真達の後ろを、猿蛇の一匹が追いかけてくる。次第にもう一匹、また一匹と数が増えていく。おそらく奇声は仲間を呼ぶ合図あいずだったに違いない。

「ちょ、ちょっと! どうするのよ!」

 ネーアは悲鳴みた声をあげた。彼女の手首を掴んだままでは、これ以上の速度は出せない。肩越しに背後を確認すると、数多あまたの猿蛇が追ってきていた。

 悠真は曲がりかどを利用して、猿蛇達をくのにつとめる。

 何度か繰り返していると、先頭を走る猿蛇と大きく離れるのに成功した。

 しかしその成功は、ただのまやかしにすぎなかった。引き離すために適当に進んだ結果、ほかに行き場のない空間へ迷い込んでしまったらしい。


 悠真は中央に移動して、周囲をぐるりと見回していく。来た道からは猿蛇達が走る音が響いてきている。だが、このひらけた空間にはそれ以外の道がない。

「ちょ、ちょっと! ほかに道がないじゃない! どうするの!」

 焦燥感しょうそうかんに駆られながら、悠真は思考を巡らせた。

 道中が枝分かれしているとはいえ、この空間にいたるまでの道は一本道しかない。

 闇の精霊王の黒い閃光せんこうであれば――悠真は心の中で否定する。確かに猿蛇を一度にたくさん退治たいじできるかもしれないが、壁がくずれて生き埋めになる可能性もあった。

 次に考えたのは、水の精霊主の結界で通路と遮断しゃだんする方法であった。しかしこれも一時的なものでしかなく、なんの打開だかいさくになっていない。


 そうしている間にも、猿蛇達がせまって来ている。悠真は自然と、胸に手を当てた。だが、予想外の光景が目に飛び込んでくる。

 悠真達がいる空間への通路で、猿蛇達が足を止めた。

「な、なんだ?」

「どうして、入って来ないの?」

 ネーアも自分と同じ疑問をかかえているらしく、悠真は必死に頭を働かす。

 猿蛇の一匹が奇声をあげ、地団駄じだんだむかのように飛び跳ねた。突撃とつげきか、あるいは攻撃してくる前触まえぶれかとにらんだものの、どうやらそういうわけでもない。

 ただひたすら跳ねているだけで、猿蛇達は進んでこようとしなかった。


 一匹、また一匹と、次第に大勢の猿蛇達が連鎖れんさてきに飛び跳ねた。

 ふと、妙な振動が足元から伝わってくる。少しずつその振動が大きくなり、やがて――突如とつじょ、悠真達のいる広間の地面が崩落ほうらくを起こした。

「んなっにぃいいい――っ!」

 大きな穴が生まれ、下へと落ちていく。

 ずいぶんと深く、底が闇に満ちていて何も見えない。

「う、ぉあああぁ――っ!」

「きゃああああぁ――っ!」

 暗い闇の底へと、悠真とネーアの二人は落ちていった。



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