第93話 リープトヘルム砦
そして、五日が過ぎ、会談の日の朝を迎える。
「ナビー、忘れ物ない?」
うっすらと霞む朝霧の中、夏目翼の声が広場に響く。
「大丈夫だよ、翼、昨日の夜もちゃんと確認したから」
辺りはまだ薄暗く、朝日は山々に隠れてラグナロク広場には届かない。
今は5時を少しまわったくらい。
このくらいに出発して、お昼前くらいに会談場所に到着予定になる。
「心配……、もう一回見せて?」
と、夏目が私の背負っている白クマのリュックサックを開けて中を覗き込む。
「もう……」
ちなみに、この白クマのリュックサックは、元からあったものではなく、最近になって生活班の女子のみんなが私のためにと夜遅くまで作業して作ってくれたもの。
ちょうど、クマのぬいぐるみを背中に背負ったみたいになっていて、超かわいくて、今一番のお気に入りになっていた。
「ハンカチもあるし、ティッシュもあるし、タオルもあるし、お弁当もあるし、お水も大丈夫……、足りるかな……、ナビー、会場に行っても、出されたお水とか飲んじゃだめよ、おなか壊すから……」
「はぁい」
「ああ……、あと何か……、これで大丈夫かなぁ……」
「大丈夫だってば、翼ぁ……、もう閉めて、閉めてぇ」
と、その場で足踏みする。
「はい、はい、わかりました、わかりましたよ」
夏目がしぶしぶ白クマのリュックサックを閉める。
「それでは、忘れ物はないな……」
と、東園寺が振り返り、ひとりずつ目で確認する。
狩猟班の和泉春月、参謀班の南条大河、そして、私、マスコット班のナビーフィユリナ・ファラウェイがそれぞれ順番にうなずく。
この四人で会談場所、アバーノ平原に向かう。
ちなみに会談場所は旧ナスク村の少し先、徒歩で一時間くらいのところ。
なので、トータルで40キロ程度の行程となる。
魔法の力で足腰が強化されている私たちなら、だいたい、六時間程度で走破出来ると思われる。
「いくぞ、出発!」
と、東園寺が宣言して先頭を歩きだす。
「おう! 出発進行!」
私が拳を突き上げてそのあとに続く。
「では、行ってきます」
「土産楽しみにしておけよ!」
と、さらにそのうしろを和泉と南条が続く。
「いってらっしゃい!」
「頑張って!」
「どうか、御武運を!」
早い時間の出発だったけど、それでも多くの人が見送りにきてくれた。
「ナビーのこと、よろしくお願いしますね!」
「気をつけてね!」
「きゃぁあ、南条さぁん、かっこいい!」
「お土産待ってるからね!」
と、みんなが大きな声援を送りながら手を振って見送ってくれる。
「うん、行ってくるねぇ!」
私も振り返りながらみんなに手を振る。
そして、すぐにみんなの姿は見えなくなり、やがて声も聞こえなくなる……。
ルビコン川を越え、プラグマティッシェ・ザンクツィオンを過ぎ、さらに、山を登り、地獄の火峠、ヘルファイア・パスを制覇、そこで少し休憩して、そのまま山を下り始める。
山を降り、平坦な道を歩くこと二時間、太陽が真上に差し掛かる頃、私たちは目的の場所に到着する。
道に迷うことはなかった。
見晴らし良い平原で、尚且つ、会談場所と思われる建物が大きく、遠くからでも目立っていたからだ。
高い石壁に囲まれ、その中央には大きな石造りの砦がそびえ立つ。
だが、堅牢という印象は受けない、すべてが真新しく、全体的に白っぽかったからだ。
これは新しいな、たぶん、ここ数日で建てられたものだ……。
「でも、違和感を覚えるな……、どうして、たかだか一会談のために、これほど大きな砦が必要になるんだ……、しかも、こんな短期間に……」
石壁、それはもう城壁と言ってもいいほど長大だった。
高さは5メートルほど、一辺の長さは50メートル以上もあるとても立派な造り。
中も砦だけではなく、それに付随する宿所や倉庫も完備されているのが遠目からでも見て取れた。
「ラグナロクの代表団だ、千騎長アンバー・エルルム殿にお目通りを願いたい」
と、東園寺が鈍色の鎧を着用した衛兵に話しかける。
それを私が通訳して彼らに伝える。
「おまえらが……?」
と、五人ほどいた衛兵が私たちをじろじろと見る。
「思っていたより若いな……」
「なんだ、子供もいるじゃないか」
「本当にこいつらか?」
「なんか、ものすげぇやつらって聞いていたけど……」
ひそひそと話し合っている……。
「公彦、公彦……」
と、私は東園寺に肘打ちをする。
「疑われてるから、ほら、ほら、あれ、あれ、あれ出して」
そして、小声であれを催促する。
「ああ、そうだな……」
と、彼がリュックから荷物を取り出す。
「詰まらない物だが、アンバー・エルルム殿に渡してくれ」
菓子折りを差し出す。
「違うから!」
今出してどうするんだ、直接渡せよ!
「あれ! 巻物!」
そう、シェイカー・グリウムに渡された巻物のことだ。
それで、私たちの本人確認が出来る。
「そっちか……」
と、東園寺が胸元から巻物を取り出し、衛兵たちに見せる。
「ほ、本物、か……?」
「伯爵様の署名、捺印もある、本物だ……」
「しかし、なんで、こんな子供が通訳を……?」
衛兵たちが顔を見合わせる。
「わ、わかりました、リープトヘルム砦へようこそ」
と、衛兵のひとりが私たちに向き直り言う。
「門を開けろぉ! お客人だぁ!!」
さらに、別の衛兵が城壁の上に向かって大きな声で叫ぶ。
すると、大きな赤銅色の門がギーギーと音を立てて開いていく。
「お待ちしておりました、こちらへどうぞ」
と、衛兵が砦の中に手招きしてくれる。
「ありがとう、と、うちの代表がおっしゃっております」
私は頷き、先頭で中に入っていく。
「こちらです」
と、衛兵が先導してくれる。
私は彼のうしろに続きながら砦の中をつぶさに観察する。
コンコン、コンコン、と、ハンマーを叩く音が砦の至るところが聞え、また、あきらかに兵士ではない、大量の建築作業員がいて、その彼ら忙しく動き回り、砦の建築に取りかかっていた。
「随分と忙しそうですね? それに、これは改装ではなく、新築ですね? こんな辺境にこれほど巨大な砦を……、この会談のための建築ではないですよね? 何か別の理由でもあるのですか? と、うちの代表がおっしゃっております」
「はい?」
私が言うと衛兵が東園寺をちらりと見る。
もちろん、東園寺は一言も言葉を発していない。
「ああ、そうですね……、詳しいことは聞いておりませんが、治安維持を目的にしているとか、なんとか……、別に怪しいところはございませんよ、お嬢さん」
と、衛兵が前に向き直り答えてくれる。
なるほどね……。
橋頭堡か……。
ここを侵略の足がかりにするつもりだ。
でも、なにを?
まさか、私たちを?
いや、それは考え辛い、そんなまどろっこしいことをしなくても、簡単に攻め落とせると考えているはずだし……。
じゃぁ、なんだろうなぁ……。
と、首をひねる。
「こちらです……」
と、砦の正面にさしかかる。
正面には幅の広い石の階段があった。
何段くらいあるだろうか……、20段くらいだろうか……、と、私は足元を確認しながら、段数を数えながら石の階段を登る。
ただ、砦と銘打ってはいるけど、防御をまったく考えてない造りに見える。
この階段もそう、ひらけた登りやすいものだし、何より、城壁、あれ、ただの壁だ、強度のない野面積で、さらに、弓兵が身を隠す鋸壁がない、角櫓もない、これでは防衛出来ない。
なんのつもりでこの砦を造ったんだろう……。
とういうか、そもそも、そんな知識がないのか……?
「うーん……」
と、首をひねる。
「その方々か……?」
上のほうから声がした。
「はっ、お連れしました!」
衛兵が直立不動で返答をする。
「では、こちらに……」
私は上を見上げて声の主を見る。
階段の上、大きな扉の前にいたのは……、それは、艶のない、マットブラックの鎧を身に纏った男………、その顔は美しく、白い肌、瞳は暗く冷たい、風になびく長いグレーの髪もどこか悲しげ。
死んでいるみたいな顔の男……。
「マジョーライ」
その名を口にする。
「どこかでお会いしましたかな、お嬢さん?」
やつが私を見下ろしながら言った。
……。
その顔、確かにマジョーライだが、どこか違和感を覚える……。
私はあいつの肩を外し、肘を折ってやった、あれから二週間弱、そんな短期間で直るものではない。
それにあの顔もそう、私は思いっきりやつの顔を蹴り上げて歯を何本も折ってやったし、鼻も折れていただろう……、なのに綺麗さっぱり治っている……。
「おまえ、誰だ、マジョーライではないな……?」
「ふっ……、私はマジョーライ、不死者マジョーライだが?」
やつが嘲笑う。
ああ、なるほど、不死者か……、思い出した……。
大昔、ペルシャって国がやってた。
兵士が死んだら、姿かたちが似たよう者を補充して同じ部隊に配属、そして、また同じ相手と戦わせる。
指揮官とかもそう。
敵からしたら生き返ったように見えて、恐怖だったらしい。
確か、そいつらも、不死隊とかそんな名称を使っていたなぁ……。
「で、おまえは何人目のマジョーライなんだ? いや、そんなことより、前任はどうした、殺したのか?」
笑う。
「さぁて……、なんのことやら……」
やつも笑う。
「さぁ、主がお待ちかねです、お客人、こちらへ!」
と、マジョーライが扉を開け放つ。
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