第67話 灰の中のエビデンス

 まず赤いアタッシュケースを穴の底に置き、その中に写真や身分証、ノートなどを放り込んでいく。

 一応、何かで使うかもしれないから、これらの保存状態はよくしておきたい。


「ケースを閉じて……」


 パチン、パチンとロックをして、その上や横などに衣類やタオルなどを詰めていく。


「よし……」


 最後に埋め戻し。


「砂利の前に土を入れて……」


 そして、その上に白やグレー、比較的乾いた砂利で覆っていく……。

 で、今更だけど、気付いちゃったんだよね……。

 ここ窪地って言うのかな、谷間って言うのかな、まぁ、なんでもいいや、これってどうやって出来たんだろうね……。

 最初は雨の浸食や地下水脈で出来たと思っていたけど、このカルデラって雨が降らなくて水不足なんだよね……。

 色々探してみたけど、あの小さなルビコン川以外に川らしい川がない、ここも元は河川敷だったと思うけど、水はかれている……。

 じゃぁ、水の浸食以外でこういった谷間が出来るには、どういうケースが考えられるかなぁ……。

 地殻変動? 

 なわけない。

 じゃぁ、風? 

 それも、現実的じゃない……。

 じゃぁ、何が考えられるかなぁ……。

 私は砂利をならしていた手を止める。


「何らかの生物の営み……」


 こうやって、しゃがんで視線を低くして、はじめて気付ける。

 地面と壁、その境界線に隙間が出来ている。

 高さ10センチくらいの隙間。

 そして、その隙間の手前が少し黒くなっている。

 おそらく、それは水分、地面が湿っているのだ。

 あきらかに何者かが埋め戻したあと……。


「誰が……?」


 決まっている……。

 ここは何らかの生物の巣、その主が埋め戻したのだ。

 カサカサ、カサカサ、って変な音が隙間からもれ聞えてくる。


「やばい……」


 私はゆっくりと、そっと立ち上がる。

 カサカサ、カサカサ……。

 その音を聞いて、背中がゾクゾクってする……。


「む、虫だ……、それも、結構大きい……」


 この谷間の縁の崩れやすさ……、そう、これは大きなアリ地獄だ……。


「ひっぃいいい!?」


 なんか出て来た! 

 隙間からおっきな虫が出て来た! 


「キリキリキリ、ギー、ギー……」


 セミ! 

 おっきなセミだ! 

 体長1メートルくらいある! 

 真っ赤複眼が私を見てるよ! 


「キリキリキリキリッ」


 って、羽を震わせて、歯をギリギリさせてる! 

 お口もおっきくて、ネバネバしてるよ! 


「いっひいぃっいいいいい!!」


 もう、本能的に、身体が勝手に走り出していた。


「たたた、たす、たす、たっすううううう!!」


 と、私はみんなが準備しているだろう、崖の下に行って必死に助けを求める。


「たったった、たたったった!!」


 私は助けを待っていられなくて、崖をよじ登ろうとするけど駄目、砂利がもろくてすぐに滑り落ちてしまう。


「どうした、ナビー、何があった!?」

「怪我したの、ナビー!?」

「大丈夫、ナビー!?」


 なんなのあれ、なんなのあれ!? 

 全身総毛立つと云うか、鳥肌が立つと云うか、とにかくやばい! 


「むむむ、虫いる! それもおっきな虫! こわい、早く助けて!!」

「ははは、ナビーは虫が怖いのかぁ、かわいいなぁ」

「もう、驚かせないでよ、ナビー……」

「うん、熊とか狼が出たのかと思ったよ」


 な、なにぃ!? 


「だ、だから、本当におっきいんだよ、うそじゃないってば!!」

「ははは、大げさだなぁ、ナビーも」

「虫は黒いものに寄ってくるから、黒いものは外しておくんだよぉ」

「スズメバチとかだったら危ないから、木の陰に隠れてなさい」


 ええっ!? 


「キリキリキリキリキリ……」

「ひぃいいい!?」


 と、壁を背負って、少しでも高いところに逃げようと足をじたばたさせる。

 駄目だ、砂利がじゃらじゃらと崩れて登れない! 


「キリキリキリキリキリキリキリキリキリ……」


 ああ、甲高いキリキリ音で耳がキーンと鳴ってきた! 

 と、その時、遠くで砂利が崩れ落ちるような音がした。


「キリッ」


 巨大な虫がそちらに反応する。

 何かあっちで落ちたみたい。


「な、今度は、なに……?」


 と、目を凝らして見てみると、そこには小さな哺乳類、茶色い……、鹿みたいな生き物がいた。

 たぶん、落ちたんだろう、その場にうずくまっている。


「みーん……」


 鹿のような生き物がか細く鳴いた……。

 みーん? セミ……? 

 あっちもセミなの!? 


「キリキリキリキリ……」


 と、興味を惹かれたのか、巨大なセミのような虫がそちらに身体の向きを変える。


「みーん……」


 足をぷるぷると震わせながら鹿が立ち上がろうとする……。

 でも、立ち上がれない、足を怪我したのか、すぐにその場にうずくまってしまう。


「キリキリキリキリ……」


 巨大な虫が鹿に向かっていく。

 あの鹿が囮になってくれている……、これはチャンス。


「み、みんなぁ! 早くロープおろしてぇ!!」


 と、上を向いて、大きな声で叫ぶ。


「わかった、今おろす、待ってろ、ナビー!!」

「佐野、準備はいいか、しっかり結んだか!?」

「ういっす」

「もうちょっとだ、ナビー!!」


 よし、大丈夫、虫は鹿に夢中だ、私には興味を無くしたみたい……。

 私は油断なく巨大な虫の動向を注視する。


「みーん……」


 ぷるぷる、ぷるぷる、と、鹿は何度も立ち上がろうとするけど、すぐにへたり込んでしまう。


「立ち上がって、あっちに逃げて行って欲しいけど……」


 駄目だね、立ち上がれない……。


「みーん……」


 巨大な虫が鹿に迫る……。


「くっ……」


 かわいそうだけど、助けてあげられない……。

 私は目を背ける。


「みーん!」


 その時、そんな大きな鳴き声がした……。

 やられたか……。

 私は視線をそちらに戻す。


「あ、あれ……?」


 巨大な虫がひっくりかえって、足をカサカサさせている……。


「みーん……」

「みーん」


 うずくまっている鹿の隣にもう一つ、身体が二回りくらい大きな鹿がいた。


「親鹿? じゃぁ、あっちは小鹿?」


 親鹿が小鹿のほほあたりを舐める。


「みーん……」


 今度はおしりのあたりを鼻でつつく。

 たぶん、立ち上がるように促しているんだと思う。


「みーん……」


 でも、立ち上がれない……。


「キリキリキリキリ……」


 ひっくり返っていた巨大な虫が反転して元の姿勢に戻る。


「みーん」


 それに気付いた親鹿が小鹿を守るようにその前に立ちはだかる。


「た、戦う気……?」


 大きさは鹿と虫、同じくらいみえる……、けど、どう見ても、虫のほうが強そうだよ。

 なにより、あの黒光りした外骨格は鹿の攻撃じゃどうにもならない。


「キリキリキリキリ……」

「みーん!」


 と、親鹿が巨大な虫の赤い複眼目がけて勢いよく頭突きをして突き飛ばす。


「カサカサカサ……」


 虫はまたひっくり返る。


「ナビー、掴め!!」


 と、上からロープがおりてきた。


「ふぅ、間に合った……」


 ほっと胸を撫で下ろし、おりてきたロープを掴む。


「ナビー、ロープを身体に巻いて、こっちで引き上げるから!!」

「うん、わかったぁ!!」


 と、身体にロープを回して、二周、三周して結んで固定しようとする。


「みーん!」

「キリキリキリキリ……」


 巨大な虫が親鹿の頭突きをかわす。


「みーん!」

「キリキリキリキリ……」


 また頭突きをかわす。


「みーん!」

「キリキリキリキリ……」


 どんなに頭突きを繰り出しても、巨大な虫は器用にそれをかわす……。


「ああ、そういう事か……」


 夢中で頭突きをする親鹿は知らず、知らずのうちに小鹿から引き離されていっていた。

 巨大な虫は距離を取りつつも、半円を描き、親鹿と小鹿の間に割って入るような位置を取ろうとする。


「あいつ、小鹿を狙っているんだね……」


 虫って、そんなに頭良かったんだ? 

 私は身体に巻いていたロープをほどき、その場に投げ捨てる。

 なんか、現金なもので、あの虫に多少なりとも知性があるとわかったら、急に恐怖が消えていった。


「アポトレス、水晶の波紋、火晶の砂紋、風を纏え、静寂の風盾バビロンレイ


 思考が読める。

 それは重要な事で、それによって相手の行動の絞り込みが出来るようになる。

 絞り込めれば、あとは作業的に戦闘を進めていけばいいだけ……。

 負ける要素が完全になくなった。


「ナビー、どうした、早くしろ!!」

「どうしたの、ナビー!?」


 なんて、みんな言っているけど、返事をしている余裕はない……。

 もう巨大な虫が親鹿よりも小鹿の近くにいる。

 たぶん、次のタイミング。

 親鹿が頭突きをしたタイミングで小鹿をあの壁と地面の隙間に引きずり込もうとするはずだ。


「みーん!」


 私は瞬間的に地面を蹴る。

 巨大な虫は親鹿の頭突きをかわし、その足で小鹿に襲い掛かる。

 でも……。

 私は姿勢を低くし、地面に鼻をかすめる低さで最高速で駆け抜ける。


「キリキリキリキリ……」


 やつの直前で上半身を起こし、両腕を広げて飛び上がる。


「こんのやろうぉ!!」


 そして、上空から両足のかかとを使い、渾身の力でやつの複眼を踏み抜く。

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