第56話 もう一人

 胸部を血で真っ赤に染めたヒンデンブルクの魔法兵器ヴァーミリオン……。


「血で赤く染まるからヴァーミリオンか……、いい、ネーミングセンスね……」


 口の中で小さくつぶやく。

 私の肩を抱く綾原雫の手に力が入っていて痛い。

 私はぽんぽんと彼女の手を叩いて、大丈夫だよっていう合図を送る。


「あ、ごめんなさい……」


 と、綾原は私を見て小声で謝る。


「うん」


 それにたいして、私も少し笑顔をつくって返事を返す。

 ギギギ、ガガガ……。

 あらためて、人見彰吾と10体のヴァーミリオンを見る。

 人見は手を押さえて動くヴァーミリオンに見惚れている……。

 やがて、ヴァーミリオンは人見のうしろに整列し動きを止める。

 もちろん、今回は燃料切れではない、その証拠にレンズのような赤い目がまぶしいくらい光を放っている。


「人見……」


 と、綾原が私の肩から手を離して人見のもとに歩み寄る。


「見せて……」


 そして、彼の手を取る……。

 すると、滝のように血が滴り落ちる……。


「ひっ……」

「うっく……」


 福井と徳永が目を背ける。


「無茶をして……、アスタナ、美くしき、流れのほとりで、慈雨にその身を任せ、癒しの精霊糸ミインテールレット


 綾原が人見の手の治療をはじめる。


「どうだった? 何倍出た?」


 と、人見がヴァーミリオンを子供のような目で見上げながら尋ねる。


「数万倍までは観測した……、それ以上は計測不能よ……」


 手の治療をしながら綾原が答える。


「数万倍以上か……、予想以上だ……」

「ホントに、もう……、痛むわよ、ラセンカ、精霊の森に眠る悠久の追憶よ、トゥパ、審判の時に雨粒が草木を潤す、天の后の地知リリラルレイ

「あぐっ」


 人見が顔を歪ませる。


「傷は完全には癒えない、数日間の出血は覚悟して……、痛みは、もっとよ……」


 そして、準備していたのだろう、白い包帯を巻きはじめる。


「覚悟の上だ」


 不敵に笑ってみせる。

 綾原はその顔をちらりと見ただけで包帯を巻き続ける。


「10万倍、と、仮定して、10体……、稼働時間は、ざっと計算しただけでも20分以上か……」

「そうね……、最低でもそれくらい行くと思うわ……」

「素晴らしい……、魔力が惜しい、戻れ、そして、スリープ状態で魔力を温存しろ」


 彼の命令に従い、ヴァーミリオンたちは元と場所に戻っていく。

 ギギギ、ガガガ……。

 と、元の場所に戻り、活動を停止させる。


「どうだ、東園寺、これでも余興と言えるのか?」


 人見が東園寺に視線を向けて言う。

 東園寺は何も言わない、考えあぐねているようだ。


「おまえも心配していたのだろう? 現地人の再襲撃を、だから、あんな見張り台を作ったのだろう? だが、その心配ももう必要ない、こいつらがあれば防備は完璧だ」


 人見がヴァーミリオンを見上げる。


「終りよ、人見、しばらく安静にしてて……」

「すまない、綾原……」


 治療が終り、彼が包帯の巻かれた手を見る。

 幾重にも包帯が巻かれているにも関わらず、その白い布にはうっすらと赤いものが滲んでいた。


「ふぅ……」


 痛みが和らいだのか、人見が軽く息を吐き出す。


「評価は変わらん、使えないと云う考えに変わりはない」


 東園寺がやっと口を開く。


「ほう?」

「通常では動かん、動かすためには、さっきおまえがやったような事をしなければならない、そんな事は許可できん、自傷行為は禁止だ、それはおまえでも同じだ、人見」

「ふむ……、それもそうだな……、なら、通常魔力でどこまで動かせるか試したい」

「くどいぞ、人見」


 珍しく、東園寺が苛立たしげな声を上げる。


「昨日の班長会議で結論は出ている、ラグナロクの防備は管理班が行う、おまえの参謀班は我々がなぜここに来たのか、そして、帰る方法はあるのか、もしあるのなら、それは実現可能なのか、それらを調べるのが仕事だとな」


 ああ……、もう、そこまで話し合っていたのか……。


「だが、我々の安全が脅かされては、日本に帰る方法がわかったところで意味はない、先にこちらの研究からはじめたい」

「人見……」


 東園寺がいらいらした感じで頭をかく。


「人見くん、あなたの熱意はわかるけど、これは班長会議の多数決で決まった事なのよ、私たちは合議制だから、それに従ってもらわないと困る」


 と、徳永がさとす。


「そうだな、確かに、3対2で日本への帰還が最優先って議決だったな……、で、思い出したんだが……、班長は5人だけだったかな、と……、他にもう1人いたような気がしたんだが……」


 と、人見が顎に手を当てて考え込む素振りをして言う。


「え……? 管理班、参謀班、女性班、生活班、狩猟班の5人よ……?」


 福井が首を傾げる。


「いや、もう一つ班があったはずだ……、東園寺、おまえ、最初の班割りの時に言ったよな?」

「な、なに?」


 東園寺が眉間にしわを寄せ、視線をそらして何かを思い出そうとする。


「そう、確かに言った、管理班、参謀班、女性班、生活班、狩猟班、そして、最後に、みんなを元気付ける、マスコット班、と……」


 あ……。

 それ、私だ! 


「おお……、ちょうどよく、マスコット班の班長、ナビーフィユリナ・ファラウェイさんもいらっしゃるじゃないですか」


 と、人見がわざとらしく両手を広げて言う。


「ちょうどいい……、班長6人、全員揃っている、あらためて決議を取ろうじゃないか」


 彼が人差し指でメガネを直しながらにやりと笑う。

 なるほどぉ……、だから、私が呼ばれたんだね……。

 くんくんは頭いいなぁ。


「い、いや、で、でも、ナビーが班長……?」

「た、確かに、東園寺くん、マスコット班とか言ってたけど、あれって、冗談じゃなかったの……?」


 と、福井と徳永が困惑している。


「俺はナビーを班長の一人に加える事には賛成だよ、それだけの仕事はしていると思う」


 和泉が手を挙げて発言する。


「ふっ……、だ、そうだ、東園寺……」

「で、でも、これは、さすがにずるいよ、班長会議の結果を覆そうと無理矢理こじつけたようにしか思えない」


 と、徳永が東園寺の代わりに言う。


「いや、徳永、これは重要な決議だ、我々の命、将来が懸かっている、もう少し慎重を期すべきだ、まず全員の身の安全を図りたい、その決意のあらわれがこれだ」


 人見が包帯に血が滲んだ手をみんなに見せながら話す。


「だ、だからって……」


 徳永が言葉を詰まらす。


「いい、徳永、人見の好きなようにやらせろ、もう一度採決するぞ、ナビーフィユリナ、おまえもだ」


 東園寺が話をまとめる。


「すまんな、東園寺……」

「だが、勘違いするな、ナビーフィユリナを加えた採決はこれ一回きりだ、次からはこれまで通り5人で行う」

「ああ、わかった……」


 東園寺たちが人見を中心に集まる。


「さ、ナビー、あなたもよ……」


 と、綾原が私の背中を押す。


「う、うん……」


 私も班長たちの輪に加わる。


「それでは、採決をとるぞ、案は二つ、一つは、日本への帰還を最優先とし、参謀班は飛行船の調査を行い手がかりを探る、もう一つは、これまで通り、日本への帰還は最終目標とし、我々の安全、生活を最優先とする、この二つだ」


 おお……。

 なんて、好都合な……。


「ナビーフィユリナ、よく考えて答えをだしてくれ」

「う、うん……」


 考える必要もないよね! 

 だって、私は日本になんて帰りたくないし、みんなも帰ったら殺されるし、ここに残るのが一番だよね! 


「ここでの生活も二ヶ月近く……、限界が近づいていると思う……」

「うん、帰る道筋、何らかの希望を見出さないともたない……」


 と、徳永と福井が暗い口調で言う。

 う……。

 みんなの帰りたい気持ち、ストレスはわかるけど、帰ったら殺されちゃうんだよ……。


「では、日本への帰還を最優先とする、この案に賛成の者、手を挙げてくれ」


 東園寺の言葉に、徳永、福井が挙手し、さらに、発言者の東園寺も手を挙げる。


「前と同じ、3人か……、次、ここでの安全、生活を最優先とする、この案に賛成の者、手を挙げてくれ」


 すると、人見と和泉が手を挙げる。


「ナビーフィユリナ、どっちだ?」

「ナビー……」

「ナビー、大事なことだ」

「ナビー、お願い」

「ナビー」


 みんなが私を見る。

 ああ、ああ……、目がまわるぅ。

 ああ、ああ、ああ……、ここにいないみんなの顔まで頭の中でぐるぐるまわるぅ。


「う、え……、りょ、両方で、両方賛成で、両方最優先で……」


 なんとか声を絞りだす……。


「ふはっ……、ナビーらしいな……」

「うん、ちょっと笑っちゃった」

「気が抜けたぁ……」

「じゃぁ、ナビーの言う通り、両方最優先にしようか?」


 と、みんなが笑顔を覗かせて口々に言う。


「ふぅ……」


 東園寺が溜息をつき、踵を返す。


「この件は保留だ、とりあえず、人見、両方だ、両方同時並行的に進めてくれ、以上だ、解散」


 と、付け加えて、格納庫から歩き去っていく。


「うん、お疲れ様でした」

「もっと、ちゃんと考えておく必要がありそうね、この件は……」


 福井と徳永もそのあとに続く。


「じゃぁ、俺たちも帰ろっか、ナビー?」


 と、和泉が私の顔を覗き込みながら優しい口調で言う。


「う、うん……」


 私たちも出口に向かって歩きだす。


「ナビー、ありがとう、助かった」


 と、うしろから声をかえられた。


「英断だったと思うよ」


 それは人見と綾原の声だった。

 私は立ち止まり、二人を見る。

 すると、二人はかすかに笑顔をつくり小さくうなずいてくれる。

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