第52話 一輪

 両腕を上げて勢いよく滑り落ちる。

 穴は垂直ではなく、わずかに傾斜がついている。

 私は片膝を立てて、靴のかかとで速度を調整しながら落ちていく。

 もう片方の足はピンと伸ばし、障害物の排除に努める。

 そして、ほどなくして垂直からほぼ水平に変わり、落下の速度は落ちていく……。

 やがて、何事もなく、私の身体は止まる……。

 そこは、暗闇、ではない……。

 私は立ち上がり、お尻についた埃を手で払いながら辺りを警戒する。


「クルビット……?」


 小さく声を出してみる。

 クルビットからの返答はない。


「予想通り、ここはただの穴ではなかったね……」


 目が慣れて、周囲の状況がわかるようになってきた。

 ここは様々なものが散乱している通路のような場所。


「ここは飛行船のデッキ……」


 操縦室や客室がある場所。

 地上にあるのはエンベロープ、気球部分だけ、デッキ部分は地下に埋もれていたのだ。


「うーん……」


 光が届かない地下にも関わらず、通路はほんのり明るい。

 床、壁、天井すべてに蛍光塗料でも塗ってあるかのように、うっすらと光っているのだ。


「うーん……」


 鞄、書類、蝋燭台、割れた食器類……。

 それらを慎重に避けながら先に進む。

 壁に指をあて、少しなぞって、その指についた埃を見る。


「うーん……」


 デッキ自体はしっかりしている……。

 とても、100年前の建造物とは思えない。


「これは、まずい……」


 思わず、そうつぶやいてしまう。

 上のエンベロープみたいに完全に朽ち果てているのならば問題はないが、この地下のデッキは保存状態が良すぎる……。

 そもそも、この飛行船は、私たちと同じく、別の世界からここにやってきた来訪者と云う可能性が極めて高い。

 現地の人たちとの文明水準や使用する文字の違い、何より魔法の有無で簡単に推測できてしまう。

 つまりは、何らかのアクシデントがあって、こっちの世界に来てしまったと……。

 そこから、推測すると、私たちの旅客機と何らかの共通点が必ずあるはず……。

 その共通点を突き止めれば、私たちが元の世界に帰る方法も自ずと見えてくる……。

 そして、このデッキの保存状態の良さ……、ここで、どんなアクシデントがあったかを突き止めるのは容易なこと……。


「旅客機と飛行船、そして、墜落……、と云う共通点はあるけど、おそらく、それではない……」


 壁にかけられた肖像画や風景画を観察しながら進む。


「共通点か……、おおよそ、想像がつく……」


 みんなが元の世界に帰りたいと思う事は当然な事で、すぐに、ここを調べ始めるだろう……。

 で、帰る方法がわかりました、と……。

 その時、私はどうする? 

 一緒に日本に帰る? 

 私はハイジャック犯の武地京哉なんだよ? 帰れるわけないじゃん、帰ったら極刑は免れないよ。


「ふっ……」


 自嘲してしまう。


「そうすると、みんなとは別々の道になるなぁ……」


 その前に極刑なんかより、シウスたちを残して帰れるわけないよ。

 そうだ、そうだ。

 じゃぁ、エシュリンの村に身を寄せてひっそり暮らすか……。

 まっ、そうは言っても、みんなは納得してくれないだろうね。

 力ずくでも連れ戻そうとするよ。

 その時、私は彼らと戦う事になる……。


「願わくば、それが遥か遠い未来の出来事でありますように……」


 ふっ……。

 くだらない……。


「帰りたいなら、帰ればいいよ、とにかく私は帰れない」


 ここを破壊して証拠を全部なくしてしまってもいいけど、それはしない。

 帰りたいなら自由にして、私はなんにも邪魔はしないから。

 でも、手伝いはしない。

 自力で頑張って。

 まっ、そう簡単には帰れないと思うけどね。


「くるぅ……」


 小さな鳴き声がした……。


「クルビット!」


 そんな、くだらない未来の事を考えていてもしょうがない! 


「クルビット、どこぉ!?」


 まずは、クルビットの救出が先よ! 


「くるぅ……」


 私は声のするほうに走っていく。


「くるぅ……、くるぅ……」


 ここか……。

 崩れた瓦礫の向こう。


「クルビット、そこにいるの?」


 私は通れそうな箇所を探して瓦礫の周辺を右往左往する。


「くるぅ……」

「もう大丈夫だよ、クルビット、怖くないから出ておいで」


 と、通れそうな隙間を床付近に見つけて、しゃがんでその奥を覗き込む。


「くるぅ……」

「こっちにおいでぇ」


 と、精一杯隙間の中に手を伸ばす。


「クルビット……」

「くるぅ……」


 こない……。

 もしかして、怪我でもしちゃった……? 


「くっ……」


 私は瓦礫の鉄骨などを掴んでその強度を確かめる。

 崩れる可能性はあるけど……。


「行くしかない」


 と、私は隙間に身体をねじ込んで、ほふく前進で前に進む。

 お願いだから、崩れないでね……。

 なるべく、鉄骨などの瓦礫に身体が触れないように慎重に前に進む。


「クルビット……」


 そして、10メートルほど進むと、やっと出口に差し掛かる……。


「草……?」


 背の低い、か細い草々が顔や腕に触れる。

 私は急いで立ち上がって周囲を警戒する。


「ここは……?」


 そこはドーム状になっている広場、ダンスホールとでも呼べばいいのか、精巧な木材の壁ときらびやかステンドグラスの丸い天井、直径30メートルほどの円形のホールになっていた。

 床はびっしりと草で覆われている……。

 そして、天井に穴があるのだろうか、そこから一本の光の筋が降り注いでいる……。

 その、光の下には……。


「お花……」


 私が大好きな、あの小さな白い鈴状のお花が咲いていた。


「なに、ここ……」


 私はしゃがんでそのお花を見る……。


「うーん……」


 と、鈴を指で弾くように、その小さなお花を揺らしてみる。

 リーン。

 と、音はしないけど、綺麗な鈴の音が鳴った気がした……。

 カタン、コトン。

 その時、ホールの片隅からそんな音がした。

 私は視線をそちらに送る。

 薄暗闇の中、誰かが屈んで何かをしていた。

 カタン、コトン。

 幾重にも入り組んだ鉄骨の山の中に腕を入れようとしている……。

 カタン、コトン。

 その人は……。

 人ではない……。

 薄いブラウンのフルプレートアーマーを着込んだような出で立ちだが、明らかに各部のバランスがおかしい……。

 あんなに細いウエストの人なんていない、ウエストが小さな銀色のボール状になっている。

 手足も関節がない、いや、あれは多関節だ、どこからでも曲がりそう……。


「くるぅ……」


 入り組んだ鉄骨の山の中に小さな子犬の姿が見える。


「くるぅ……」


 カタン、コトン。

 子犬が別の場所に逃げるたびに、その人のような物が追い駆け、捕まえようとする。


「何やってんだ、てめぇ……」


 私は頭にきて、そちらのほうに歩いていく。

 すると、その人のような物ははじめて私に気付いたのか、動きを止め、顔だけをこちらに向ける。

 バケツをかぶったようなフルフェイスのヘルム……、目はカメラのレンズのような赤く丸いのが二つ……。

 顔にあるのはそれだけ……。

 ギ、ギギ、ガガ……。

 不快な、さび付いた鉄同士がこすれる音を響かせて、その人のような物が立ち上がる。

 そして、そいつが私に向き直る。

 身長は2メートルほど……。

 薄いブラウンのフルプレートアーマーに覆われたその肢体は細くしなやか……。


「なんだろうなぁ……、これ?」


 ギギ……。

 そいつが一歩、私のほうに足を踏み出す。


「くるぅ! くるぅ!」


 と、それを見た子犬、クルビットが足元の黄色のフリスビーをくわえ、鉄骨の山の中から頭を出して、そこから抜け出してこちらに走ってこようとする。


「待って、クルビット!」


 私は手を出して、それを制止させる。


「クルビットはそこにいて、最初にこいつをやっつけるから」

「くるぅ……」


 と、言葉を理解したのか、クルビットはまた鉄骨の山の中に頭を引っ込めて、足元にフリスビーを置く。

 ギギ、ガガ……。

 不快な音を轟かせながらにゆっくりと私のほうに歩いてくる……。


「あんた、人間じゃないよね? もしかして、ロボ?」


 ギギギ、ガガガ……。

 返事はない、ただ、ゆっくりとこちらに歩いてくるだけ……。


「ギーギー、ガーガーうるさいのよ、油くらいさしておけ、バカ」


 ギギギ、ガガガ……。

 まっ、大方、ヒンデンブルクの魔法ロボットかなんかなんでしょ? 

 ドラゴン・プレッシャーの性能を見ると、それくらいやりそうだよ、ここの連中は……。


「アポトレス、水晶の波紋、火晶の砂紋、風を纏え、静寂の風盾バビロンレイ


 魔法で各関節を保護する。


「ゴッドハンド……」


 そして、拳の強化、さらに足の膝から下にもそれで覆わせる……。


「じゃ、やろうか、ロボ?」


 私は姿勢を低くして、最高速でやつとの間合いを詰める。

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