05-16 世界の真実 5
世界は。
進むべきはずだった未来へと戻すため、動いた。
進むべき未来を変えてしまう、不穏分子の排除のために。
歪みを強制しようとする、世界の強制力、抑止力で俺達の世界を、正そうとした。
不穏分子が現れた時に、少しずつ世界そのものの歴史を矯正し、ずらして早めた結果が、この数日間で起きた、人類を滅ぼすために世界が行った、ノアや、新人類の台頭だ。
だから、世界は、この世界にいる人類に対して、残酷だ。
誰もが声を発することを止め。
静かな時間が訪れる。
皆の呼吸音さえ聞こえてしまいそうなその静けさのなか。
イルがそわそわとしていた。
静かな雰囲気に耐えられなかったのか、ソファーに座りながら足をぷらぷら、辺りをきょろきょろとしだした。
それを真正面から見ていた貴美子おばさんが、冷たくなった紅茶を一口に含んで溜め息をつく。
「……
貴美子おばさんは、母さんの言った言葉に、声を震わせながら言った。
「……さっきのなっくんの話と同じ。ギアはね。本当はもっと未来で生まれるはずだったのよ」
「あなたが、凪くんの前の、刻の護り手になったから?」
「んー……どちらかと言うと、私という存在に対抗した世界が、とある科学者を促して、ギアの存在を早めた、が正しいけど」
母さんは、先程のような飄々とした雰囲気を止めた。
真剣に、貴美子おばさんに対して言葉を選んでいる。
「科学者……?」
以前、俺は森林公園で
「その科学者はギアを作り出し、人類の繁栄を願った。……でもね。それこそ、世界が人類を滅ぼす道に進ませるための意志なのよ」
その科学者は。
本当は、画期的なことを成し遂げた人のはずだった。
そこに、世界の意志がなければ。
だからこそ、狂い、ギアを生み出し、更に高みへと昇ろうとした。
「彼が世界に狂わされてギアを作るのは、もっと先だった。本当はこの世界は、なっくんがいた世界のように、平和な世界だったはず。……でも、世界は選んだの。人類の滅びを」
母さんは、その時にはすでに、刻の護り手だった。
長い年月を、あの観測所で生きてきた。
そこで、どこかの世界の滅びを見たのだろう。
「私に、というより、私が。この世界の滅びを護ろうとして、この世界に降り立つことを感じ取った世界が、私が降り立つ前に、未来を早めたのよ」
その結果。
ギアが溢れた。
ギアが溢れ、この世界は繁栄した。
そして――
「科学者によってノアが作られ、ノアが人類に愛想を尽かし、更に人類を滅ぼすためにギアを暴走させた。それが、この結果、よ」
母さんが項垂れ、「世界から護ろうとしなければこんなことにはならなかったのよ……」と、掠れたような声で呟いた。
かたりと音が鳴る。
俺が椅子を引き、立ち上がった音だ。
「母さんは、この世界を護ろうとしただけだ」
俺は、いまだ俯く母さんの傍へと歩いていく。
「この世界の未来はどう足掻いたって人類の滅びが待っていた。どこの世界だって、人類は滅ぶ未来が待っている」
母さんの前に座り、ぐっと座る膝の上で握りしめられた母さんの拳の上に手を乗せる。
「そのなかの一つの世界を、護りたいって思っただけで。ただ、それだけだったんだ。なのに――」
――なのに。
更に、世界は加速した。
たった一人の女性が世界を護ろうとして、動こうとする、その行動を嘲笑うかのように、世界を自身が作った道へ進ませるために。
人が生きていることを許さない。
世界が定めた運命に抗うものを許さない。
刻の護り手となって膨大な知識を得て、それを知った時、俺は世界を許せなかった。
だから、俺は――
「ねぇ。命」
貴美子おばさんが睨み付けるように母さんを見ていた。
「あなたの、どこが悪いの?」
「私が降りてこなければ、この世界はもっと後まで――」
「それは、私達には分かりませんよ? 命様」
眼鏡ちゃんが母さんが言い切る前に被せてきた。
そう。母さんは何も悪くはない。
誰が悪いとか、そんな話じゃないんだ。
「まー。正直、規模がでかい」
「絵空事って言うのかな? 本当にそうだったとしても、僕達はそれを見てないし」
「そうならなかった、そうなるはずだった、が回避されたってことですよね?」
白萩や弥生が率直な感想を言い、眼鏡ちゃんがそれを纏めた。
眼鏡ちゃんの、くいっ、がなかったことが悔やまれる。
「だから、あなたがこの世界を救おうとして頑張った結果だけが残ってるのよ」
貴美子おばさんの言葉に反応して母さんが顔をあげ、「とはいっても、知らなかったら頑張った結果も残らないけど」と、少し嫌みがかかった一言を添える。
「まー、昔は何してたかなんてさっぱり分からなかったけれども。あなたの昔からの行動が少し分かってよかったわ程度ね」
ふぅっと溜め息をついて「次からは何するかくらいしっかり話してからにしなさい。本当に」と、母さんを昔からよく知っている貴美子おばさんだから言えることを母さんに言った。
「貴美子……」
「隠しごとしたって、何もいいことないわよ。本当に。本当に……次からは何するかくらい話しなさい」
「だって、こんな話……」
妙に諦めの入った懇願のような貴美子おばさんに、母さんは本当に今まで自由に貴美子おばさんに迷惑かけてきたんだろうなと感じた。
……なんか、申し訳ない。
貴美子おばさんがぱんっと柏手を打った。
「さ。命がどう思ってたかなんていつもの命らしくないそんな話は終わりよ」
「これから、どうするのか、だね。水原君達の話を聞く限り、僕達が生きるにはとんでもない敵が控えていたって解釈でいいのかな?」
橋本さんが更に、母さんのために話を切り替えてくれた。
母さんは「そんな話って……」と、今まで悩んでいたであろうことを、たったそれだけで終わらせられたことに口をパクパクと絶句している。
橋本さん……影薄いと思ってたけど、いいフォローをしてくれるな、と。
さすが町長さんだと、改めて
「まあ、そうだな。世界に抗わなきゃ人類は生き残れなかった」
「だからお兄ちゃんは、道を変えたの?」
「変えたといっても一時的に、だ」
周りも、一時的という部分が気になったようだった。
「そうです、な。確かに敵は多いです、な」
「その漠然とした、世界ってのもそうだけど、ギアもまだ世界には大量にいるしな」
「それに……新人類が何より脅威ですね」
昨日の話で、東と南が新人類によって人が滅ぼされているということは知らなかったから、世界以外に人類の脅威が残っていたのは流石に気づけなかった。
世界が次に人類を滅ぼすために、『ずらす』としたら、新人類を使うだろうと思う。だがその前に、すでに狂って進む敵もいる。
まだまだ、人類には敵が多い。
「御主人様」
誰もいなくなった席の後ろに立ち続ける姫が、俺を呼んだ。
「ナオ様にギアを再教育してもらい、ギアを味方につけるのはいかがでしょうか」
再教育……?
……待て。まさか、それがあるから俺はギアから御主人様って呼ばれている訳じゃないよな?
「戦力増強ね」
「でしたら、水原様に人具の力を開放するあの力を皆さんに渡してあげるのはいかがですか?」
「夏美。あれは使えるとまた余計な問題も」
「夏美さん。まずその前に凪くんに人具増やして貰わないと」
「凪君、忙しくなるね」
皆が先程までの話を忘れたかのように和気藹々と意見をあげだした。
自分達が危機に瀕している。そんなことさえ忘れているかのように、これからをどうするのかを皆が意見を出し合う。
どれだけ皆は強いのかと、感心した。
「もう。私の一番の悩みなんてどうでもいいみたいに言ってくれちゃって……」
そんな皆の交流に、母さんがふっと笑った。
「なっくん。いい友達もったね。お母さん、嬉しい」
母さんが、俺が握っていた手を包み込む。
「母さんのおかげだよ」
「あら。息子にそう言われるの悪くないわね。どれどれ?」
先程まで暗く沈んでいた母さんがにこやかに。
いつか見せてくれた楽しげで綺麗な笑顔を浮かべ――
かぷっと。
俺の頭をがじがじ噛みだした。
それがなかったなら、少しはいい話だっただろうに。
まさか、俺の手を包んだのが、俺を『逃がさない』ためだとは……
「台無しだ!」
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