03-31 鎖姫と呼ばないで
そもそもの話だ。
皆からしてみれば、森林公園の激闘から一ヶ月は過ぎているとはいえ、俺からしたら、目覚めてから数日程しか経ってないのだ。
起きて弥生が作った料理を食べて栄養を補給し、貴美子おばさんや皆から質問攻めに合い、その言葉がお経のように聞こえてきてうとうととリビングのソファーで眠りにつきかけた時に、
「御主人様、お眠りになられるなら毛布を」
聞き慣れない声と、毛布をかけられるわけでもなく背後から腕がにょきっと現れ頭を抱き締められて。
見上げて、俺に二重の驚きをさせたのが、この目の前の鎖姫だ。
「お久しぶりでございます、御主人様」
初めて死闘を繰り広げた無表情のギアが、目の前で俺のことを御主人様と呼び、すでにいつでも俺を殺せるような体勢――俺の頭を抱え込んでいるという状況に頭が真っ白になった。
「お、おま、え? は?……はぁ、はぁ!? はあぁぁっ!?」
「はあはあと興奮するように驚く御主人様もまた素敵ですね。ああ、抱き締めて自爆したい」
「死ぬわっ!」
そんなやり取りをしつつ必死に逃げようとするが鎖姫は逃がしてくれず。
「ナオっ!」
助けを求めるように、明らかにこれの扱いをしていた張本人を呼ぶと、ぽすっと膝に誰かが乗った感触を覚えた。
「頑張ったの」
「頑張ったって何をっ!?」
「説明、聞く?」
膝の上から聞こえるナオの声に、心なしか嬉しそうな感情が伴っていた。
「止めときなさい」
「止めたほうがいいですな」
「うー、また眠くなる」
「巫女……耐えないと」
「義妹を理解する為にも、私はもう一度頑張りますの」
「ああ、みんな……コーヒーでも入れておくかい? 覚悟、必要だよね……」
橋本さんの一言に、皆が憔悴しきった顔で頷くと、橋本さんはとぼとぼと項垂れながらキッチンへと向かっていく。
逃げたいのか、橋本さんについていく火之村さんの姿に不安を掻き立てられた。
何だ? 何が今から起きるんだ?
「凪くん。今から起きるいい例があるわ」
貴美子おばさんも、俺の次の言葉に期待しているようで、俺は何か言ってはならないことを言ってしまったのではないかと思えてしまう。
「基大さんの、自分の好きなことはとことん話す性格は知ってるわよね」
「? ええ。そりゃあ……」
俺の父さんは、自分の好きなことの話題を話し始めると、一日以上話すことができる不思議な人だった。
俺も前の世界では何度も付き合わされ、寝落ちして次の日になっても俺に話し続けている父さんを見た時は戦慄した。
ただ、あれをすると妙に父さんは頭が冴えるらしく、研究に煮詰まった時は俺を犠牲にしてわざと話すこともあって、正直いい迷惑だった。
「あれ、よ」
貴美子おばさんも、
まさか、ナオがそんな一面を持っていたとは。
俺の知らないナオがそこにいる。
ならば、あれの恐ろしさを知っている俺が言うべきことは一つ。
「……よし、ナオ。簡単に説明」
「……わかったの」
少し寂しそうなナオには申し訳ないが、あれを味わいたくない為にも簡潔な説明を求め直す。
話を聞いてみると、
・壊れた鎖姫を毎日直してた。
鎖姫を自分の部屋に拾えた分だけのパーツを持ち込み何かしていることから、何となくではあるが分かっていた。
だが、まさかここまで直っているとは思ってもいない。
俺を驚かせたかった、らしいが、せめて動く前に見たかった。
心の準備が欲しかったとも言える。
・回路に
パソコンが欲しいと言われたことがあった。
ただし、この世界ではパソコンは殆ど使われていなかったので、中古ショップで橋本さんにパーツを集めてもらってナオに渡していたが、まさか自分で組み立てていたとは。
それを使って更に鎖姫を調べていたとは思わなかった。
・内部メモリのプログラム解析したら、ギアの活動原理が分かって、弄ったら動くようになった。
ここの説明がとにかく長かった。
何言っているのか分からなかったが、分かったことは、プロテクトされた電子頭脳内にセキュリティホールが人為的、または何かしらの自動アップデートの際に作為的に作られていた痕跡があったらしい。そこから侵入されて、プログラムの書き換えがされていたと言うことだった。
どのような書き換えだったのかは「ないしょ」だそうだ。かなりグロい話っぽいが、何となく想像はついた。
この発見は華名財閥から大々的に発表され、ギアの暴走を止める手がかりになると巷では騒ぎになっているそうだ。
ギアの反乱以降、ギアを修復してそれを解析するなんてことは誰もやっていなかったそうだ。
言われてみれば確かに、ギアと戦って死ぬか生きるかの戦いをして、死ぬ確率のほうが高いのだから、わざわざ壊したものを回収するなんてことはしないだろう。
……うむ。やはりナオは天使で天才だ。
悔しいが、父さんの血を引いているだけのことはある。
ただ、その説明が二、三時間続くのは流石に辛かった。
俺、その間ずっと鎖姫に首を固定されてずっと見られてたんだが……。
「で、俺が何で鎖姫に御主人様って言われているんだ?」
「私を倒したからです。御主人様」
……それが一番わからなかった。
・・
・・・
・・・・
とまあ、そんなことがあったわけだが。
そんなことよりも、今の状況をどうすべきなのかを考えたい。
ちらっと、この目の前のギアを復活させた我が愛しの妹を探すと、ちゃっかり観客席で朱と巫女と一緒に座っている。
俺の視線に気づくと、なぜかピースサイン。
この状況を何とかしろと叫びたい気分だった。
「……なあ」
「はい、なんでしょうか御主人様」
「鎖姫って呼ばれたくないからこの戦いなのか?」
「はい。私はナオ様に作り直され、鎖姫ではなくなりました。人への憎しみは今はなく、私の行動理由は人へのご奉仕しかありません」
そんな言葉に、ナオがどれだけ凄いことをしたのか痛感した。
以前の記憶をもたせたまま復活させたことにも驚きだが、これを他のギアにも行えばギアの暴走が止められるのだ。
世界を変えることができる偉業だ。
父さんといい、ナオと言い、なぜこうも偉業を成すのか。
間に挟まれた俺の身にもなって欲しい。
「ですが」
ぴしっと、まるで周りの生徒達に聞かすかのようなよく通る声が辺りに響き、次の言葉を待つかのように沈黙が訪れた。
「ご奉仕に関しては御主人様以外に行う気は毛頭ございません。あなた方ゴミどもには興味はございません」
……なんという意思表明なのかと思う。
そんな言葉を発したら、大量殺戮をしたギアである鎖姫は、人類から標的にされるのではないだろうかと不安を覚える。
そうなると、関わったナオにさえ危害が及ぶ可能性もある。
ナオが危険に晒される懸念もあって、俺としても今の言葉は看過できない言葉であった。
が。その言葉の周りの反応は……
「悔しいっ!」「おい、あいつやっちまおうぜ」「そんな姫ちゃんが大好きだっ!」
なんて声が辺りを支配する。
悔しいという生徒はいたが、なぜか声は明るい。
「ああ、姫様になぶられたい」「俺をなじってくれ!」とかいうコアな声も聞こえたが、とりあえず無視だ。
心配しなくてよかったようだ。
大々的にナオの偉業が発表されているからだろうか。
思うところがある人もいるだろうが、少なくとも、周りの人間は鎖姫のことを悪くは思っていないようだ。
ただ、何となくではあるが。
そう言う怨みといったものよりも、鎖姫の美しさにやられた馬鹿が集まっているように見えなくもない。
「御主人様。そろそろよろしいですか?」
鎖姫がしびれを切らしたように言うと、シャキッと音と共にもう片方の腕からも牛刀が現れていた。
両刀で襲いかかってくるようだが、そんなの祐成を使えないのに防ぎきれるわけないだろうと思った。
ため息をつきつつ、ポケットの中に手を突っ込み、祐成を握りしめる。
もう、覚悟を決めるしかないのかと思った。
朝から散々だ。
朱を待っていたら抱きつかれて注目を浴び。
絡んできたストーカーのせいで暴露してしまって引き返せなくなるし。
教室ではハーレム疑惑を付けられ話に尾ひれがついて弥生も俺の嫁らしいし。
そして、今も。
鎖姫が指定した俺に周りは興味があるのか、続々と人が集まり観客席はほぼ満席となっている。
そもそも、今日は体育を見学する予定だったので、服も制服のままなのだ。
激しい動きでもして破れたりしたら明日から何着て登校すればいいのかという事態にも陥る。
裸か? まさか、またあの開放感に酔いしれる日が来るのか?
「私は、早く姫と呼んで頂きたく、我慢ができそうも――」
「ああ、いや、待て……」
戦いを始める前に、何を勘違いしているのかと思う。
「――姫」
俺のその一言に、姫はびくっと体を震わせ両手で口許を押さえ出した。
まるで、信じられないと言っているかのようだが、牛刀が交差していて鎖姫の顔を隠しているのでどんな表情なのかは分からない。分からないが、まあ、無表情なんだろう。
つーか、牛刀が危なすぎるのだが。
「俺はそういう事情をさっき知ったわけで、お前がそこまで姫と呼ばれたかったことを知らんかったわけでだな。……別に、姫、と呼ぶことに抵抗があるわけでもないから、言われればいくらでも呼ぶぞ? 姫」
姫と呼ぶ度にびくびくと体を震わす鎖姫の牛刀が、しゃきっと音を立てて腕の内部に消えていく。
牛刀が消えた先には口許を押さえて、なぜか涙を目元に溜め込んだ鎖姫が。
その鎖姫の右腕が動き、人差し指が一本立つ。
「……もう一回」
「なにを?」
「もう一度、呼んでください」
「姫?」
俺の一言に、今までないほどに体を震わせ、鎖姫は崩れ落ちて地面にへなっと座り込む。
地面はグラウンドのように表面がさらさらとした土なので座り込むと土が付いてしまう。
なぜ座り込んだのかは分からないが、綺麗なメイド服に土埃が付くのは見た目的にも悪そうなので、姫に向かって手を差し出す。
「胸の辺りが熱いこの現象は……」「全体スキャン……診断結果は――」とぶつぶつと小声で呟く姫の行動が理解不能だった。
「ほれ、汚れるぞ、姫」
「……御主人様。一つ聞いても?」
「ん?」
「私は、ナオ様や巫女様、朱様を気にしなくてもよろしいのでしょうか?」
「何を気にするのかわからんけど。何も気にしなくてもいいんじゃないか?」
「そうですか……では――」
そう言い、俺の手を取り立ち上がり顔を見せた姫が、今までの無表情とは違い、咲き誇るような笑顔を見せていた。
「では、頂かせてもらいます」
「は?――むぐっ!?」
そんな笑顔のまま、姫は俺に顔を近づけて――
次の瞬間には、姫は俺の唇に唇を重ねていた。
「……頂きました」
「いや、は? え?」
「これからも、姫をよろしくお願いします。御主人様」
ほんの少しだけ頬を赤くしながら先程と同じ笑顔を向ける姫に、俺は何をされたのかと放心してしまう。
こうして俺は、祐成公開や敗北する未来を回避できた。
俺の周りの好感度と、引き換えに。
わかったことは。
やはり、俺には。
春が来ているらしい。
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