第7部 VS 梓沢高校

Act.7-1 もう一歩、前へ

 練習着が汗でびしょびしょになった。新しいのに着替えようと、武道場から部室までダッシュし、ドアを開ける。


 暗い部屋の中、僕の素晴らしい視力で目にしたのは、浴衣を脱ぎかけて、危うく下着が見えそうだった雪葉さん。


「ちょっ、わっ、灰島君!」

「…………がっ、ごぎっ、げぐっ、雪葉さん!」

 ガ行全部使って声にならない謝罪の言葉を投げて、慌ててドアを閉めた。


「ご、ごめんなさい! あの、その、いるとは知らず!」

「あ、いや、うん、ごめんね。私も鍵かけてなかったし、電気もつけてなかったし。帯が切れそうだったから、着替えようと思って」

「そそそういえば、鍵かかってなかったですね、気付くべきでした! いえ、あの、僕も汗かいて着替えるつもりで、ホントすいません!」


 い、一瞬だけ、一瞬だけ下着が見えかけたぞ……肩の、肩の紐の部分……水色だったな……汗で濡れて少しウェーブが強くなった髪も色っぽかった……ああ、そんなに見る気はなかったのに! 僕の卓越した視力が悪い!


「……ふふっ、緊張感ないね」

 ドア越しに笑い声が聞こえた。僕の緊張も削いでくれてるんだな、優しいな。


「へへっ、そうですね、明後日なのに」

 日が伸びてるから、19時を回っても大分明るい。廊下の窓から流れ込む生温い風が、濡れた浴衣を少しだけ冷やした。



 授業を受けながらの1週間なんて本当にあっという間で、今日はもう木曜日。

 明日は決勝戦前日ってことで少し早めに切り上げて体を整えるので、遅くまで練習するのは今日が最後。



「暑くなってきたなあ」

「そうですね。もう夏本番って感じです」


 シュルシュルと帯を外す音が聞こえる。


 うっわ……音が、音がこんなに妄想を掻き立てるものだなんて……そして雪葉さんが部室の電気をつけたせいで影が見えるんですよ! それ何の影ですか! 今何を着てるんですか! 準備万全! ある意味こっちはいつでも準備万全です!



「決勝、どんな試合になるか楽しみね」

 雪葉さんの話が、色々準備万全だった僕の脳を冷却する。


「で、ですね。メディック戦かあ、また大将戦やフラッグ戦とは違う戦い方になりそうですね」

「そうね、私も久しぶり。メディックを如何に使うか、難しい戦争になるわ」

 冗談でも何でもなく、「戦争」と口にする彼女に思わず笑ってしまう。



 決勝の舞台は準決勝と同じ桔梗庵。対戦方式は「メディック戦」。


 基本的な勝敗条件は「大将を倒した方が勝ち」という大将戦と変わらないけど、各チーム大将以外で1人ずつ、「メディック」と呼ばれる衛生兵がいるのが大きく異なる。大将・メディック以外の3人は、やられてもメディックにタッチしてもらうことで復活できる、というルールだ。復活できる回数は試合によって変えるみたいだけど、今回は1回らしい。


 誰がメディックかは、お互い知らされていない。また、復活を求める場合には、「メディック 2階休憩エリア近く 灰島」というように、名前と場所しか言ってはいけない、という制約もある。


 もちろん大将はメディック関係無しに一度当たったらアウトだし、メディック本人がやられた場合には、復活を待っていた人もまとめて退場することになる。


 復活のルールが加わるだけで、戦いに奥行きが増す。どんな試合になるか、まだ想像がつかない。



「灰島君、準備は万全?」

「い、いえ、まだまだです。今日もう少し練習しないと」

「そっか」

 雪葉さんの相槌を聞きながら、手をグッと握った。


「でも、もう少しでコツが掴めそうな気がするんです。そしたらきっと、調さんや雪葉さん達の助けになれる。何も出来ないのは、辛いですからね」

「すごいね、灰島君は」

「え?」


「『知りすぎた男セカンドサイト』だって十分すごいのに、自分が足りないって思うところをちゃんと埋めようとしてる。そういうの、すごく良いと思うよ」

「そ、そうですか。ありがとうございます」

「うん。先輩後輩とか関係なく、尊敬できる。私も負けてられないな」


 謙遜する言葉も出ない。嬉しさと気恥ずかしさで、顔がどうにもならないくらい熱くなるのが分かった。



「雪葉さん」

「ん?」


 相変わらず、ドア越しの会話。僕は背を向けていて、もう彼女の影も見えない。

 でもそれがなんだか、緊張しないで、心地いい。



「……勝ちましょうね」


 若干の沈黙の時間が、随分長く感じられる。何かマズったか、と心配していた僕への返事の代わりに、ガラガラとドアが開く。振り向くと、ややダークブラウンの髪を風で揺らして、着替えた雪葉さんが力強く微笑んでいた。



「灰島君、頼りにしてる。きっと次の試合も、灰島君の力が役に立つよ」


 部活のことだと分かっていても、そんな言葉を聞いたら、暑さ関係なしにのぼせてしまう。心臓近くの血液が沸騰して、首を通って頭に昇っていく。


 頬から湯気が出そうな高揚感の中で、もういっそこのまま告白してしまえ、とも思う。2人きりだし、今がベストタイミングなんじゃないか?

 いけ、いくんだ灰島爽斗!



「絶対勝とうね」

「…………はい! じゃあ、先に武道場行っててください!」


 彼女を見送り、部室に入った。


 意気地がなかったわけじゃない。こらえたのは、試合のことを考えたから。どんな結果であれ、ギクシャクして明後日の試合に響かないように。


「ようしっ、行きますかね」

 独り言で自分を慰めつつ鼓舞し、新しい温泉浴衣に着替えた。




***




「せいっ!」

「おお、爽斗、結構いけるようになったな」

 武道場で練習していると、玲司さんが飛ばした枕を拾ってくれた。


「どうだ、技はいけそうか?」

「ううん、五分五分ですね。」

「そーちょん、すごいぞよ! 汗だくぞよ!」

「あ、ホントだ。やっぱり暑いですね」


 言われるまで気付かなかったけど、顔中に汗が玉になっていた。


「俺はさ、爽斗。汗かいてる女子って良いと思うんだよな。その汗を煮詰めて、塩の結晶を作って、それをキュウリにつけて食べた時、何か自分の人生は変わる気がするんだ」

「なんでそんな真面目なトーンでそんなこと言えるんですか」


 表情と台詞がこんなに一致しないことってあるんだ。人間って怖い。


「もちろんアレだぞ? キュウリの板ずりも作った塩を使って女子の背中でやるんだぞ?」

「何がどう『もちろん』なのか全然分からない!」

 だから妄想を同レベルに認定しないでください。


「くもっちは相変わらずおバカぞよ」

 緋色さんが青いリボンと胸の膨らみを揺らしながらケタケタ笑う。


「あかりんも調子いいね!」

「ええ、メディックで復活するなら1人1殺じゃ済まないからね。何人か狩る気でいないと。緋色ちゃんもジャンプ力上がってない?」

「おういえ! 制空権を取らないと潰せないぞよ!」


 相変わらず物騒だな、と苦笑いしていると、3人が僕の方を一斉に見た。


「うまくいくといいね、そーちょん!」

「だな。よし、俺が枕受けてやる」

「私はフォームがおかしくならないか見てあげるわ」



 良い先輩に囲まれて、今の自分がいる。



「ありがとうございます!」




 自分のステータスは分かっているつもりだ。誰にも守られずに戦うのはまだ早いと、分かっているつもりだ。


 でも、でも。烏丸戦で、目の前で大将を討たれた。何もできないまま、討たれた。あんな想いは、悔しさは、もうまっぴらなんだ。


 守られてばかりいるわけにはいかない。敵を見つけるだけじゃなくて、数回でも、たった1回でも、勝利を手繰り寄せるチャンスを自分で作りたい。



「いきます!」

 枕の端をギュッと握って、僕は玲司さんに向かって大きく枕を振りかぶった。







「ふう……ふう…………」

 手を何回かグッと握る。うん、大丈夫だ。まだ力は入る。


 時間は22時を回った。2年生の先輩達は体を休めるために帰った。僕はもう少し、もう少しだけ、練習しよう。


「灰島、あんまりやると筋肉痛になるぞ。本番で戦力ダウンは困る」

 武道場の片付けを終え、調さんが声をかけてくれる。


「まだ大丈夫です。あとちょっとだけ、やらせてください」

「……どのみち少し休憩しろ。適度な休みは体の負荷を軽くする」

「ありがとうございます」

 外に出る調さんに引き寄せられるように、フラフラとついて行く。


「うまくいきそうか?」

「ええ、みんな協力してくれたんで、ここまで来たら根性で体得します」

「ステキじゃないか」


 彼女は笑って壁にもたれかかり、上を見上げた。

 暑苦しい顔を見せるなとばかりに、月が雲に隠れて暗がりが降る。


「調さん」

「ん?」

「もし次の試合勝って、その、優勝したら、次はどうしますか?」


 ふと駆られた不安をぶつけてみる。頂点に立ったら、今の情熱が消えてしまうのではないか、と。


「決まってるだろ」

 そう言って、彼女は笑った。いつも通り、切れ長の強い目で。凛とした笑顔。


「次の試合に向けて練習だ」

 ああ、そうだよな。調さんはこういう人だった。この人になら、ついていける。



「ですね! よし、じゃあ僕、練習戻ります!」

「ワタシも手伝おう! 厳しくいくぞ!」


 もうすぐ、土曜日がやってくる。僕達の夏を懸けた、決戦の日。

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